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第二部 絆ぐ伝説

第四話一章 災厄の日

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 『ソレ』を見つけたのは、見回りに出ていたふたり組の兵士だった。
 ローラシアの伝統に従い、前線の歩兵はすべて奴隷で固められている。このふたりももちろん、主人である貴族の命令で戦場に送り込まれた奴隷である。
 士気、などというものはふたりともに持ち合わせていない。どうして、そんなものをもてるというのだろう。奴隷という身分にあり、何事につけてむちで殴られ、食事と言えばカビの生えたビスケットばかり。負傷してもろくに手当もしてもらえない。
 いくら戦っても、どんなに武勲ぶくんを立てても、奴隷の身分から解放される見込みはなく、もちろん、出世することなど出来はしない。そんな状況で『国のため』に戦う意思などあったら、その方がどうかしている。
 ふたりとも、ごく普通の人間であったので『国のため』に戦う理由など、その身と心のどこを探しても一欠片もありはしなかった。とは言え――。
 命令違反は即射殺であるし、敵はこちらの事情など関係なしに殺すためにやってくる。戦い、撃退しなければ自分自身が生き残れない。投降したところで奴隷は奴隷。パンゲアにも奴隷制はあるのだ。ローラシアの奴隷からパンゲアの奴隷になるだけで大したちがいはない。
 ならば逃げるか、いっそのこと主人に反逆を起こして自由を手に入れる……などというわけにもいかない。ふたりとも、先祖代々の奴隷として、生まれたときから徹底的に『奴隷根性』を叩き込まれている。主人に対して反逆するなど、発想すらもつことはできない。
 だから、ふたりは今日も上官の命令通りに見回りに出ている。
 自分自身が今日一日を生き延びる。
 そのために戦う。
 ふたりとも、旧式の小銃を肩にかけ、三食分の水と携帯食料、予備の弾薬をつめたバックパックを背負っている。腰には接近戦になったときのためのサーベル。鎧、などと言えるものは一切、身につけていない。軍帽をかぶり、厚手の服を着て、その上にコートをまとっている。足には頑丈さだけが取り柄の重いブーツをいている。
 それが、装備のすべて。銃器の発達した現在において鎧をまとった兵士など存在しない。鎧など、いくら丈夫にしたところで銃の弾は防げない。もし、銃弾を防げるほど分厚い鎧を作れば、その重みで動くことも出来なくなるだろう。そんな鎧を着込んで戦場に突っ立っていれば、大砲の弾によって押しつぶされる。
 可能な限り軽装で素早く動き、堀や物陰に隠れて銃を撃つ。
 それが、現在の兵士たちの戦い方。全身鎧をまとって剣で斬り結ぶ騎士などすでに時代遅れ。昔を懐かしむ騎士物語のなかでしかお目にかかれない存在だ。
 パンゲア騎士団にしても『時代はかわれども、騎士の精神はかわらない』という信念から『騎士団』を名乗ってはいるが、実体は銃を使って戦う銃士隊である。
 だから、ふたりの兵士が『ソレ』を見たとき、とっさに意味がわからなくて困惑こんわくしたのも無理はない。
 それぐらい、異様な光景だった。
 アドニス回廊の東側、パンゲア領からやってきたのは全身鎧をまとった一団。頭部をすっぽり覆う兜を被り、文字通り、全身を金属の鎧で包んでいる。武器はもっていない。両手はからであり、腰にも、背中にも、武器と思えるものはなにひとつ身につけていない。
 数はわずか千人ほど。
 そんな一団が警戒するでもなく整然と列をなして歩いてくる。
 その様子はとてもではないが戦場の出来事とは思えなかった。町中での閲兵えっぺいしきにおける行進。そう思わせるぐらい『呑気な』姿だった。
 そんな集団が最前線に現れるなど、なにかの冗談としか思えない。常識ある兵士ならば思わず吹きだしてしまうだろう。ふたりの兵士は常識も理性も持ち合わせていたので、その通りの反応をした。その場で思わず吹きだしたのだ。
 「な、なんだ、あの連中は。まるで、お話のなかから抜け出してきたみたいだぜ」
 「伝説の王の墓地に眠る『最後の軍隊』ってやつか? あいつらもパンゲアの軍隊なのか?」
 「だろうな」
 兵士の一方がうなずいた。
 一団のまとう鎧がパンゲアのものかどうか、ふたりにはわからない。なにしろ、鎧姿を戦場で見たことなどないのだから。しかし、その胸にはたしかに、パンゲアの紋章が描かれていた。
 「とにかく、上に報告しよう」
 ふたりはいたって常識的な判断をした。
 自分で判断し、行動するなど奴隷の身分を越えた行い。奴隷はただ、主人に言われたことを、言われたままにやっていさえすればいい。判断し、指示を下すのは主人の役目だった。
 ふたりの兵士は自分の所属する支城にとって返し、指揮官に報告した。
 指揮官の名はロゼウィック男爵。
 徹底した貴族社会であるローラシアでは当然、軍部と言えど身分制。指揮官級はその全員が貴族によって独占されている。奴隷はもちろん、平民であっても、指揮官級に登りつめることは出来ない。そのために、位ばかりは高くて将としての実績も経験もない高級貴族がはくけのために大将や元帥の地位に納まっていることもめずらしくはない。
 とは言え、ここは最前線。しかも、このヤーマン支城は数ある支城群のなかでも最も東にあり、パンゲア軍の攻撃を真っ先に受けとめる立場にある。そんな城の指揮官となればさすがに気を使う。高級貴族のご機嫌取りのためにポン、と、投げ渡す、と言うわけにはいかない。
 事実、ロゼウィック男爵は将としての実績も、経験も、充分な人物だった。歳の頃は三〇半ば。筋骨たくましく、口元に蓄えたひげが威厳を増している。まさに、軍人としての経験と、肉体的な強さとが高度に釣りあった絶頂期の軍人であり、これまで幾度となくパンゲアの攻撃を退しりぞけてきたローラシア屈指の名将だった。
 ふたりの兵士はヤーマン支城に着くとすぐに、ロゼウィック男爵の部屋に駆けつけた。
 高級貴族の名ばかり指揮官のなかには奴隷身分の兵士と面会することをきらい、仲介人をおいて間接的な対話にとどめるものも多い。しかし、ロゼウィック男爵は奴隷であれ直接、会って話をする。その公平さが兵士たちに信頼されており、奴隷身分の兵士たちからも――比較的――人気が高い。
 そのロゼウィック男爵はふたりの報告を聞くと即座に部屋を出た。
 「しょせん、奴隷の報告」
 などと軽視する愚劣さは最前線を守るローラシアきっての名将には無縁のものだった。
 ロゼウィック男爵はふたりの兵士をともなって物見ものみやぐらに登ると、自ら望遠鏡を手にしてのぞき込んだ。すると、たしかに報告通り、全身鎧に身を包んだ一団がやってくるのが見えた。しかし――。
 「なんだ、あの遅さは?」
 ロゼウィック男爵はいぶかしんだ。
 たしかに、重い全身鎧を着込んでいれば動作は鈍くなるし、歩調も遅くなる。それにしても、遅い。遅すぎる。まるで、三歳児がよちよち歩いているような歩み方。意識してゆっくり歩こうとしてもこうはいかない。
 「いったい、あいつらは何者だ? たしかに、パンゲアの紋章はつけているが……」
 とてもではないが、まともな軍勢とは思えなかった。いまの時代、こんなよちよち歩きの重騎士の群れなど大砲の一斉砲撃で簡単に|殲滅せんめつ《せんめつ》できる。
 ――あるいは、捨て身の自爆兵か?
 その身に火薬をまとい、銃撃を受けることで爆発し、敵に被害を与える捨て身の兵。
 それならば、あの時代錯誤な全身鎧も説明がつく。火薬をまとっていることを気付かれないための扮装だろう。
 「……しかし、パンゲアは教会の教えに忠実な信仰の国だ。そんな国が自爆兵など使うか? いや、信仰あつき国だからこそ、無茶なことをするのかも知れないが……」
 いずれにせよ、迷っている場合てはなかった。鎧騎士たちの正体と目的がなんであれ、パンゲアの紋章をつけている以上は敵。敵が近づいてくるならば迎撃しなくてはならない。それが、一城を預かる指揮官の役目。
 たとえ、自爆兵であったとしても城に近づく前に倒してしまえば問題はない。いくらなんでも、大砲の射程距離で爆発して城に被害を及ぼすような強力な火薬など存在しないはずだった。
 「すべての城に伝令! 謎の鎧騎士の一団が現れた。注意されたし!」
 ロゼウィック男爵はいったん言葉を切ると、さらにつづけた。
 「砲兵隊、砲撃準備! 目標、接近中の鎧騎士の一団!」
 指示を受けた部下たちがそれぞれに反応し、準備に入る。このあたりの反応の早さはさすが、最前線の城を任される経験豊富な部隊なだけあった。
 「なにをしている?」
 と、ロゼウィック男爵はふたりの兵士を見た。
 「お前たちの持ち場はここではない。早く、持ち場に向かえ!」
 「は、はい……!」
 ふたりの兵士は転がるようにして走り出し、持ち場に向かった。最前線で敵を迎える塹壕ざんごうのなか、すなわち――。
 最も死亡率の高い、その場所へと。
 ロゼウィック男爵は奴隷身分相手でも腹立ちまぎれにむちで打ったりする真似はしないし、功績を挙げればきちんと認め――ローラシアという『国』は奴隷相手に褒美ほうびなど与えないので――自腹を切って褒美ほうびもくれる。兵士たちにしてみれば有能な上に話のわかる、歓迎すべき上官だった。
 だが、同時にローラシアの貴族であり、奴隷に対しては徹底して奴隷であることを求めた。それは言ってみれば、騎士が愛馬に注ぐ愛情のようなもの。騎士がどんなに自分のウマを愛し、大切に扱っていたとしても、いざとなればそのウマを殺して血をすすり、肉を食うのだ。
 ロゼウィック男爵にとっても、奴隷たちは結局のところ『生きた道具』に過ぎなかった。
 砲兵隊の準備が整ったとの知らせが届いた。
 ロゼウィック男爵は無言で右腕をあげた。息を吸った。右腕を勢いよく振りおろした。
 「撃てっ!」
 号令一下――。
 城壁の上に設置された何十という大砲が一斉に火を吹いた。
 砲弾が飛び交い、地面をえぐり、土煙が立ちこめる。
 ロゼウィック男爵はその様子を見ながら腕組みして呟いた。
 「人の頭ほどもある鉄の塊だ。どれだけ丈夫な鎧か知らんがひとたまりもあるまい」
 そう思ったのはこの時代の常識というものだった。だが、土煙の晴れたあと、
 「なにいっ⁉」
 ロゼウィック男爵は驚愕きょうがくの叫びをあげていた。組んでいた腕をほどき、目を見張った。ロゼウィック男爵の目の前。そこにはかわることなく行進をつづける鎧騎士たちの姿があった。
 ロゼウィック男爵は思わず両目を手でこすった。改めて望遠鏡をのぞいた。結果は同じ。鎧騎士の一団は大砲の砲撃を受けてなお、何事もなかったかのように迫ってくる。
 砲弾はたしかに放たれ、着弾したのだ。そのことは地面に空けられた無数の穴によって証明されている。それなのに……。
 「撃てっ、撃ちつづけろっ!」
 さしもの名将の声がうわずっていた。そのことを責めるわけにはいかないだろう。理解出来ない事象を目の当たりにして、冷静でいられる人間などいるはずがない。
 ロゼウィック男爵の指示のもと、大砲の弾が次々と撃ち出された。しかし、鎧騎士の一団はひとりも欠けることなく迫ってくる。
 「銃兵、一斉射撃!」
 ロゼウィック男爵が叫ぶ。
 城壁の外、張り巡らされた塹壕ざんごうのなかに身を潜めた銃兵たちが一斉に小銃を発射する。
 雷のような音が連鎖し、煙が立ちこめ、火薬の匂いがあたり一面に充満する。横殴りの雨のような勢いで無数の銃弾が鎧騎士の一団に吸い込まれていく。それでも――。
 鎧騎士たちはとまらない。
 かわることのない歩みで近づいてくる。
 当たっていないわけではない。たしかに、銃弾は当たっている。鎧にはまちがいなく銃弾を受けた穴が空いているのだ。それなのに――。
 鎧の騎士たちはとまらない。
 ひとりも欠けることなく迫ってくる。
 そのゆったりした歩調をかえることもなく。遅くもならなければ、早まりもしない。かわることなく、同じ歩調で迫ってくる。そのことがよけいに恐怖を感じさせた。
 その恐怖が兵士たちを刺激し、行動させた。次々と小銃に弾を込め、指の動く限り引き金を引きつづけた。この恐怖、正体不明のこの恐怖から逃れるためには相手を撃ち殺すしかなかった。
 ――死ねっ、死んでくれっ!
 その願いだけを込めて小銃を撃ちつづける。
 しかし、鎧騎士の一団はとまらない。かわることなく接近してくる。その姿が目前に迫ったとき、兵士たちの恐怖はついに限界を超えた。悲鳴をあげ、逃げ出そうとした。
 「逃げるな! 命令違反だぞ!」
 そんな声がどこかでしたが、誰も気にとめなかった。
 これは命令違反ではない。断じてない。自分たちの受けた命令は『人間の』敵を相手にすることだ。目の前の鎧騎士が人間であるはずがない。大砲の直撃を受けても死なず、いくら銃弾を撃ち込まれてもとまらない。そんな『モノ』が人間であるはずがなかった。
 人間でないなら、逃げたところで命令違反になるはずがない!
 兵士たちは小銃を投げすて、塹壕ざんごうから這いだし、逃げ出そうとした。鎧騎士の腕が伸び、その身をつかんだ。
 グシャリ、と、音がして、骨ごとその身を握りつぶした。
 「な、なんだ、あれはっ! 人間の力ではないぞ⁉」
 そのありさまを見たロゼウィック男爵が叫んだ。
 副官が迷信的な恐怖に囚われた声をあげた。
 「ま、まさか……あれが、噂の怪物どもでは……」
 「噂の怪物……?」
 もちろん、その報告はロゼウィック男爵も聞いていた。
 ――パンゲア軍のなかにときおり、人間とは思えない怪物が混じっている。
 そんな報告はしばらく前から受けていた。しかし、その『怪物』とやらは主戦場には決して現れない。決まって、少数の兵士だけがいる僻地へきちに現れ、殺すだけ殺して去って行く。そのために『なにかのまちがい』として片付けられることも多かった。もちろん、惨殺ざんさつされた兵士の死体という『動かぬ証拠』はあったのだが……。
 「あいつらがその怪物だというのか? その怪物があれほどいると……」
 さしもの名将にとってもそれは、身の毛のよだつ恐怖だった。
 その間にも鎧騎士たちは前進をつづけていた。逃げようとする兵士たちを捕まえ、頭を握りつぶし、その身を引きちぎる。そして、ヤーマン支城へと迫る。城壁を前にして立ちどま……りはしなかった。そのかわり――。
 城壁をぶん殴った。
 「なんだとっ⁉」
 ロゼウィック男爵が悲鳴にも似た叫びをあげたことを責めることは誰にも出来ない。強固に築かれた城壁、大砲の砲撃にも耐えられるよう設計されたその城壁が、鎧騎士の拳ひとつで粉砕されたのだ。
 ガラガラと音を立て、土埃を放ちながら城壁だった建材が地面に落ちる。鎧騎士たちは次々と城壁をぶん殴って穴を開け、場内に侵入する。そのあとに起きたことは文字通りの虐殺ぎゃくさつだった。
 銃をもっているとは言えしょせん、人間に過ぎない兵士たちと、銃で撃たれてもビクともしない鎧の怪物。
 戦いになどなるはずがなかった。
 一方的な虐殺ぎゃくさつだった。
 ロゼウィック男爵は指揮官としての誇りに懸けて鎧の騎士たちの前に立ちはだかった。
 「きさまら、何者だっ⁉」
 叫んだ。
 腰のサーベルを抜いた。
 大砲で撃っても、銃弾を雨あられのごとく浴びせても倒せない。ならば、この剣で真っ二つに両断するしかない!
 ロゼウィック男爵は裂帛れっぱくの気合いと共に斬りかかった。
 鎧の騎士は避けなかった。身を守ろうともしない。ただ、その場に突っ立っていただけ。
 ロゼウィック男爵の剣士としての実力はたしかだった。鋭く、力強い斬撃が鎧騎士の兜を直撃し、両断した。兜はふたつに割れ、地面に落ちた。そのあとに現れた鎧騎士の顔。それを見たとき――。
 ローラシアきっての名将は、この世のものとも思えない悲鳴をあげていた。

 この日――。
 難攻不落をもって知られたイスカンダル城塞じょうさいぐんは制圧された。
 わずか千人ばかりの謎の鎧騎士の一団によって。
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