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第二部 絆ぐ伝説

第二話一八章 酔いと戦と砲撃と

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 『輝きは消えず』号の甲板かんぱんでは自由の国リバタリア建国の宴がつづいていた。
 酒のたっぷり入った大樽おおだるがいくつも並べられ、昨日までの海賊、いまや自由の国リバタリアの軍人となった人間たちが浴びるように酒を飲み、貴重な銃をクラッカーがわりに打ち鳴らしてのどんちゃん騒ぎ。
 しかし、その騒ぎのなかに主役とも言うべきロウワンの姿はどこにもなかった。ロウワンの小さな体はどんちゃん騒ぎから遠くはなれた船室のなかにあった。ビーブとトウナに看病されてベッドの上にひっくり返っていたのである。
 「まったくもう」
 と、トウナが水に濡らしたタオルをロウワンの額にかけてやりながら溜め息をついた。
 ロウワンの頬は真っ赤になっている。
 「お酒を飲んだことがないなら、なんでいきなりさかずき一杯分ものお酒を飲んだりしたのよ?」
 トウナはあきれたようにそう尋ねる。
 「……ああいう場面では酒を飲むものなんだよ」
 濡れたタオルを額に載せたままロウワンが答える。
 なんとも弱々しい情けない声だった。
 ロウワンが幼い頃から海賊に憧れて読んできた本。そんななかではここぞという場面では必ず酒をみ交わしていたものだ。その記憶があったので勢い任せにやってしまったのだが……しょせん、一三歳の子供の身。一世一代の演説をやり終えて緊張の糸が切れた途端、酔いが全身にまわってぶっ倒れてしまった。それをトウナたちが船室に運んで看病してくれている、と言うわけなのだった。
 「まったく。まだまだ子どもね」
 「……めんぼくない」
 トウナの溜め息交じりの言葉に――。
 そう答えるしかないロウワンだった。
 トウナはそんなロウワンを見て『くすり』と笑った。
 音高く船室のドアが開いて威圧感あふれるたくましい肉体が入ってきた。
 「おう、気がついたか」
 「……船長」
 ガレノアが陽気な、それでいて猛々たけだけしい笑みを浮かべて室内に入ってきた。
 大樽おおだるひとつ分ものラム酒を飲んでいるはずなのだが、顔色ひとつかわっていなければ足元もふらついていないのはさすがである。ロウワンごとき小僧とはちがう、『おとなの余裕』である。
 ガレノアは愉快そうに大笑いした。
 「ガッハッハッハッ! 酒を飲んでひっくり返るなんざあ、お前もまだまだ可愛いところがあるな」
 言われてロウワンは酒によらず頬を真っ赤にした。
 ガレノアはベッドの脇にどっかと腰をおろした。
 「だが、まあ、安心したぜ。一年前に比べてやけにかわってやがるからよ。なにがあったのかと思っていたが、まだまだ幼稚なガキだったな」
 そう言って『ガハハハハッ!』と大笑いするガレノアだった。
 その言葉にロウワンはますます頬を赤くした。しかし、トウナはガレノアの言葉に共感していた。
 『人を殺す』という経験を経ておとなになったロウワン。
 その代償として人間味を失ったように見えたロウワン。
 そのロウワンがまだまだ隙のあるただの人間なのだと確認できたような気がして嬉しかったのだ。
 ロウワンはガレノアの右腕に目を向けた。そこは真っ白な包帯でグルグル巻きされていた。
 「……船長。右腕の傷は大丈夫ですか?」
 「ああ、気にしてんのか? ガッハッハッ! 気にするこたあねえぜ。この程度、おれさまにとっちゃあ傷のうちには入らねえからな」
 そう言って豪快に笑い飛ばすガレノアだった。
 ガレノアにつづいてコックのミッキー、操舵そうだしゅのプリンス、医師兼床屋のドク、その妻のマーサと一〇歳になる娘のナリスとが入ってきた。いずれも一年以上前、ロウワンがガレノアの船に乗っていたとき、とくに親しくしていた面々である。
 ドクがニコニコした好々爺こうこうやな表情で声をかけた。
 「ほっほっ。まだ顔は赤いが、酔いは抜けたようじゃな」
 「すみません、ドク。お手数をおかけしました」
 「なあに、気にするな。これがわしの仕事じゃからな」
 「兄ちゃん!」
 甲高い声とともにドクの影から小さな体がぴょんと跳びだした。ロウワンのベッドにすがりついた。
 「もう、ダメだよ。兄ちゃん。危ない真似しちゃ」
 「……ああ、ナリスか」
 ロウワンが懐かしそうに微笑んだ。
 「よく覚えていたくれたな。一年以上前、少しばかり一緒にいただけなのに」
 「もちろん! ナリスと兄ちゃんはコンヤクシャなんだからね」
 と、ナリスは幼い胸をそびやかし、得意気に言ってのける。
 「婚約者?」
 ピクリ、と、トウナの眉が動いた。
 ロウワンは苦笑するしかなかった。
 「ナリスと歳の近いのはおれしかいなかったからな。よく一緒にいたんだ。それで、まわりがおもしろがって、そんなことを言い出したんだよ」
 「ふうん」
 と、トウナは意味ありげに呟いてみせる。
 そんなトウナを操舵そうだしゅのプリンスがチラチラと盗み見ていることに――。
 トウナだけが気がついていなかった。
 その頃、ビーブはガレノアの鸚鵡おうむとなにやら熱烈に言い争っていた。どうやら、両者の様子からしてどちらの相棒がよりすごいか言い争っているらしい。
 「で、よ」
 サルのキイキイ声と鸚鵡おうむのギャアギャア声に包まれながら、ガレノアが切り出した。いままでとは打って変わって真剣な面持おももちになっている。
 「その一年前のことだ。お前、あれからどこでどうしてたんだ?」
 「そうだぜ、ロウワン。いきなり消えるからおれも心配してたんだぞ」
 コックのミッキーもそう言った。
 ロウワンとしては恥ずかしさで身が縮む思いだった。
 「……ごめん。心配かけて」
 言いながら身を起こした。それから、ロウワンは語り出した。
 騎士マークスの幽霊船で見た千年の過去。ガレノアたちと別れたあとに体験したすべてのことを。
 皆、さすがに信じられないと言った様子だったが、それでも、なんとか飲み込もうと努力していた。幼いナリスだけは長くてわけのわからない話がつづいたので眠くなってしまったらしい。母親の腕に抱かれてスヤスヤ眠っている。
 「なんとなあ……」
 あきれた、と言った様子でガレノアが天を仰いだ。
 「まさか、そんなことになっていたとはな」
 「亡道もうどうつかさねえ。さすがにちょっと信じられないような話だなあ」
 「それより、あの〝鬼〟と一緒にいたというのが信じられないな。よく、殺されなかったな」
 ミッキーが首をひねると、プリンスもあきれたような、感心したような声をあげた。
 「信じられないのも当然だな」
 ロウワンは答えた。
 「でも、事実だ。亡道もうどうつかさとの二度目の戦いは迫っている。正確な時間はわからないが、あと何十年もの余裕はないはずだ」
 「それが本当なら……」と、ドク。
 「自由の国リバタリアだのなんだの言っている場合ではないんじゃないのかね? 一刻も早く世界中の国々に伝えて対策を立てねばならんじゃろう」
 「その通りです、ドク。だからこそ、力が必要なんです。『ただの子ども』がそんなことを言ったって誰も信じてくれるはずがない。言葉に説得力をもたすためには『あのロウワン』と呼ばれる存在にならなければならない。だから、『あのロウワン』と呼ばれるだけの勢力を作る必要があるんです」
 ロウワンはそう言ってからガレノアに視線を向けた。
 「船長。あなたこそどうしていたんです? 『海の女』号はずいぶんとやられていたようですけど、このあたりでは無敵と言われていたガレノア海賊団があそこまでやられるなんて」
 「ああ」
 と、ガレノアは苦虫をまとめて噛み潰した。
 「ハルベルトの野郎にちょっとな」
 「ハルベルト?」
 尋ね返すロウワンにミッキーが答えた。
 「最近、売り出し中の海凶野郎さ」
 「海凶……。海賊のなかでも特に残忍な真似をする連中を差す言葉だったな」
 「ああ。名前を聞くようになってまだ一年もなってないがよ。その間に三つの居留地を襲って根こそぎ焼き払い、住民全員、火炙ひあぶりにして殺しつくしやがった」
 「ひどい!」
 信じられない!
 その思いを込めて叫んだのはトウナだった。日に焼けた美しい顔に驚愕きょうがくの表情を浮かべている。
 「全員、火炙ひあぶりにして殺すなんて……なんで、そんなことをする必要があるの?」
 「やつがローラシアの貴族だからさ」
 そう吐き捨てたのはプリンスだった。その言葉に込められた怒りと憎悪の深さがトウナを驚かせた。
 「ローラシアの貴族?」と、ロウワン。
 「ああ、それなりに名のある貴族の三男だか四男だからしい。そいつがなんのつもりか海賊稼業に憧れて、海に乗り出してきたってわけさ。海賊としてはまだまだ素人しろうとだが、なにしろ貴族さまだからな。親の金にあかせて船をそろえ、仲間を集め、いっぱしの海賊団気取り。おまけに、武器も弾薬も国からバンバン補給してもらえるんで怖いものなしってわけさ。おかげてやりたい放題、殺し放題ってとこだ」
 「ローラシアの貴族らしいさ」
 プリンスが再び吐き捨てた。その目はいまにも燃えあがりそうなぐらい、憎悪の火に揺れている。
 「やつらにとって同じ貴族以外は人間じゃない。他の身分のものはすべて、自分たちに奉仕するために存在する家畜だからな。どう扱おうと勝手、そのときの気分次第ってことさ」
 「そんな……ひどい」
 トウナが眉をひそめた。
 ゾッとしていた。
 もし、タラの島がハルベルトに襲われていたら……。
 今頃、村は焼き払われ、自分も含めた村人全員、殺されていたところだ。実際に島を襲ったのがブージのような『紳士的』な海賊だったのはまだしも幸運なことだったのだ。
 トウナはそのことを思い知らされた。
 「最初から加減ってものを知らないやつだったが、半年ほど前に戦争がはじまってからはなおさら粗暴になりやがってな。まさに『やりたい放題』さ」
 と、ミッキー。
 「……戦争がはじまってから。やはり、戦争の影響は海にまで及んでいたのか」
 ロウワンが尋ねる。
 ミッキーはうなずいた。
 「ああ。南の海の産物や、海路を使っての交易はどの国にとっても重要だからな。戦争となればまず各国の商船や輸送船を襲い、物資不足に追いやろうとする。居留地を襲うのもその一環だ」
 その言葉に――。
 トウナはギュッと拳を握りしめた。
 ――だったらいつ、タラの島が襲われてもおかしくない。ううん、いまこうしている間にも襲われているかも知れない。
 のんびりはしていられない。少しでも早く島を守れるようにしないと。
 ――そのためにも自由の国リバタリアには強く大きくなってもらわないと。
 トウナはそう思い、自由の国リバタリアのために全力で協力することを誓った。
 「と言うことは、いまや南の海でも戦争が起きていると言うことか」
 ロウワンは重ねて尋ねた。
 いつも飄々ひょうひょうとした態度のコックはうなずいた。
 「ああ。おかげでいまじゃあどこに行っても海賊同士の殺しあいさ」
 「となれば、のんびりしてはいられない。少しでも早く海賊たちをまとめあげて北の国々に対抗できる勢力を作らないと。ガレノア船長。改めてお聞きします。自由の国リバタリアのために協力してくれますか?」
 「おいおい、ロウワン。お前はいまやおれのかしらなんだぜ。かしらが手下に向かって敬語なんか使っていちゃあ様にならねえなあ」
 「そのときはそれらしい言葉を使いますよ。あなたはおれよりずっと年上だし、海賊としての経験も、船長としての指揮能力もはるかに上だ。礼を払わないわけにはいきません」
 「おいおい、ロウワン。『礼を払う』って言うなら肝心なことを忘れるな。女に向かって歳の話題にふれるんじゃねえよ」
 「……ご、ごめんなさい」
 ガレノアに言われ――。
 ロウワンはまたも真っ赤になった。
 「いやね、おかしら……じゃなくて、船長」
 ミッキーが口をはさんだ。わざわざ言い直したのは、いまや自分たちのかしらはロウワンだと認めているからだ。
 「船長に『女』を名乗られるとショックで泣く男が大勢いるんで……」
 「んなもん、知るか!」
 ガレノアはミッキーの声を一蹴した。
 「とにかくだ、ロウワン。さっきも言ったが、おれはすでにお前の手下だ。他の連中もみんな、お前をかしらと認めている。ガレノア海賊団改め自由の国リバタリア海軍として全力で励むぜ」
 「ありがとう」
 「しかしなあ、ロウワン」
 ミッキーが深刻そうな表情を浮かべた。
 「噂に聞いただけだが、今回のいくさはどうもヤバいらしいぜ」
 「ヤバい? どういうことだ、ミッキー?」
 「なんでも、パンゲアに妙な連中がいるらしい」
 「妙な連中?」
 「ああ。とても人間とは思えない兵士らしい。そいつらのせいでローラシア・ゴンドワナ連合軍も大苦戦らしい」
 「あの二国の連合軍がそんなに苦戦するなんて。何者なんだ?」
 「そいつがわからねえ。そもそも、遠い北の大陸でのことだ。『噂を聞いた』って商人からの又聞きだし、事実かどうかもわからねえ。この手の奇妙な話は戦争には付きものだしな」
 ミッキーがそう言ったその時だ。急な揺れが全員を襲った。
 グワッ、と、音を立ててガレノアが立ちあがった。その表情はすでに獰猛どうもうな人食い熊のものになっていた。
 「この揺れ方……。近くに大砲の弾が落ちたな」
 「大砲の弾⁉」
 トウナが叫んだそのとき、音高くドアを開けて見張りが飛び込んできた。
 「大変です、船長! ハルベルトの船団が現れました!」
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