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第二部 絆ぐ伝説

第二話一七章 自由の国誕生

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 「負けだ、負けだあっ!」
 大海原のど真ん中。そこになんとも愉快そうなガレノアの大声が響き渡った。そのままはるかな風に乗り、世界の果てまで届きそうな、そんななんとも爽快そうかいきわまる声だった。
 コックのミッキーが、操舵そうだしゅのプリンスが、そして、その他の海賊たちが、この思いもかけない結果にあるいは唖然あぜんとし、あるいは呆然ぼうぜんとして立ち尽くしている。そのなかでただひとり、動いたものがいた。
 「やれやれ。戦いは終わったか。わしの出番じゃな、と」
 医師兼床屋のドク・フィドロだった。
 ドクは愛用の鞄をもって決闘の場に進み出ると、ガレノアの隣に座った。ロウワンに斬り裂かれた腕の治療にかかった。
 傷口を酒で洗い、針と糸で縫い合わせる。
 ガレノアはその治療を平然と座り込んだまま受けていた。普通の人間であればその場でのたうちまわり、『なんでもするから許してくれ!』と叫ぶにちがいない激痛に襲われているはずなのに、顔色ひとつかえないのはさすがだった。
 そんなガレノアにロウワンが尋ねた。
 「決闘はおれが勝った。これで、おれがかしら。そういうことでいいんだな?」
 「おう」
 と、ガレノアは唇をニィッと曲げた。
 「お前はおれに勝った。このガレノアさまにな。おれの命、存分に使うがいい」
 ガレノアがいかにも荒くれものらしくそう言いきったときだ。海賊たちのなかから決死の叫びがあがった。
 「まてっ!」
 操舵そうだしゅのプリンスだった。
 若き黒人の勇者は、両足を大きく広げて踏ん張り、肩を怒らせ、目を限界まで見開いた鬼のような形相でロウワンをにらみつけていた。その姿からはある種の狂気さえ感じられた。
 「……ロウワン。いまはその名だったな。お前はたしかに船長に勝った。その強さは認める。だが! 船長は船員たちの総意で決める。それが海賊の、海の掟だ! 決闘で勝ったからといって勝手にかしらを名乗ることを認めるわけには行かない!」
 そうだ、そうだ、と、プリンスの後ろに立つ海賊たちから賛同の声があがった。
 上から下まで秩序ががっちりと決められており、生まれた場所と階級とで誰に支配されるかが決まってしまう。そんな陸の世界から自由を求めて逃亡し、海の世界にたどり着いた人間たちだ。『自分のかしらは自分で決める』というのは海賊たちにとって譲ることの出来ない絶対の掟だった。
 その掟を破り、力ずくで勝手にかしらになろうとしている(ように見える)ロウワンは海賊たちにとってまさに、『決して許すことの出来ない敵』だった。
 プリンスを筆頭に海賊たちをピリピリした緊張感が包んでいる。その緊張感がつづけば雪崩なだれを打ってロウワンに襲いかかるかも知れない。その気配に――。
 ビーブとトウナはロウワンの身を守るように側に近づいた。
 ガレノアはそんな様子をニヤニヤしながら眺めている。
 ――この場をどう収めるか、お手並み拝見。
 そう思い、楽しんでいる表情だった。
 ロウワンは怒らなかった。あわてることさえなかった。そのかわり、落ち着き払った瞳で旧知の操舵そうだしゅを見つめた。
 「操舵そうだしゅのプリンス、だったな。あなたの言うとおりだ」
 「なに?」
 「自分のかしらは自分で決める。それが、海の掟。その掟を破る気はない。だから――」
 ロウワンはゆっくりと、居並ぶ海賊一人ひとりと視線を合わせた。それから、ミッキーに向かって叫んだ。
 「ミッキー! 酒をたるごと用意してくれ! それから、ありったけのさかずきもだ。これから、おれの思いのすべてを語る。それを聞いておれをかしらと認めるかどうか、判断してくれ!」

 ミッキーは言われたとおり、ラム酒がなみなみと満たされた大樽おおだるとありったけのさかずきを用意した。もちろん、海賊船のこと。豪華客船のように形と大きさのそろった食器など用意されているはずもない。形も、大きさも、すべてバラバラのさかずきばかり。
 だが、そんなことはどうでもよいことだった。ロウワンはさかずきのなかからひとつを選んで手にとった。酒の満たされた大樽おおだるさかずきを沈めて酒をみとった。天を仰いでさかずきの酒を口のなかに流し込む。
 それから、音を立ててさかずき甲板かんぱんに叩きつけた。
 握りしめた両拳を腰に当て、力の限りに海賊たちに向かって叫んだ。
 「この場にいるすべてのものに問う! 海賊として生きて、縛り首になって満足か⁉ それよりも、英雄として世界をかえる戦いに参加したくはないか⁉」
 ビリビリと、海賊たちの誰もが身を震わせるような声だった。プリンスなど、突然の強風を浴びたかのように全身の毛を逆立て、ロウワンを見据えている。
 声が大きいのではない。
 声に込められたロウワンの覚悟。
 それが、烈風となって吹きつけ海賊たちの身を震わせたのだ。
 ロウワンはつづけた。
 「おれは人と人の争いを終わらせる! 争いが繰り返され、人を助けるために人を殺さなくてはならない世界、人殺しが英雄としてもてはやされる世界、そんな世界を根こそぎかえる!
 そのために、誰もが自分の望む暮らしが出来る世界を作る!
 そのための都市としもう国家こっか
 都市としもう国家こっかにおいて、人は生まれに縛られることはない!
 どの土地に生まれ、どの階級に生まれたか。そんなことで自分を支配するものが決められてしまうことはない!
 都市としもう国家こっかでは誰もが自分を統治する相手を選ぶことが出来る。それぞれの都市が、町が、村が、自分が統治されたいと望む国と契約し、望む国の統治を得ることができる。もし、統治されたいと思う国がないのなら自分で作ることができる。誰もが自分の国を作れる世界、誰もが王として自分の望む暮らしを生み出せる世界、それが都市としもう国家こっかだ!
 いま、その第一歩をこのロウワンが踏み出す!
 自由の国リバタリアの建国をここに宣言する!」
 建国を宣言する!
 いまだかつて聞いたことのない言葉が海賊たちの身と心をピリピリと震わせる。
 ロウワンはいったん言葉を切ってからさらにつづけた。
 「自由の国リバタリアの目的。それは、人々に知らしめること。誰もが自分の国を作っていいのだと、誰もが自分の望む暮らしを生み出していいのだと、そう人々に知らしめ、行動させること。
 おれのような子どもが海賊たちを従え、自分の国を作った。
 そうと聞けば、後につづこうとする人間は必ず現れる!
 世界中で新しい国が生まれ、新しい法が、新しい暮らしが生み出される!
 それらの暮らしが魅力あるものであれば世界中に広まり、魅力なきものであれば打ち捨てられる。生き残った暮らし同士が互いに影響を与えあい、さらに新しい暮らしが生まれる。それを繰り返し、ついにはおれたちの想像もつかないような暮らしが現れる。
 そして、その流れはやがて世界を呑み込み、王は王、平民は平民、奴隷は奴隷と定められた陸の世界をくつがえす!
 新しい世界においては奴隷と言えど王になれる。自分の望む法、自分の望む暮らしを作りあげ、現実のものとできる。その法と暮らしをもって世界中の人間と契約することが出来たなら、それで世界の支配者だ!
 新しい世界に人と人の争いなどない。誰もが戦争によらず、自分の望む暮らしを作りあげ、広めることが出来るのだから。誰もが自分を統治するものを自分で選ぶことが出来るのだから。支配するものと支配されるものの葛藤かっとうなど、新しい世界には無縁のものだ!
 その第一歩を自由の国リバタリアが踏み出す。
 気に入らない相手に支配されたくないのなら、自分の望む暮らしを自分で作り出せる世界がほしいなら、自由の国リバタリア参画さんかくせよ!」
 その宣言に――。
 海賊たちは一斉に目を見開いた。
 「ど、どうやって……」
 わなわなと身を震わせながら、そう尋ねたのはプリンスだった。
 「どうやって、国を作る?」
 「この海には無限の冨がある」
 ロウワンはそう答えた。
 「茶にコーヒー、砂糖、煙草、様々なスパイス、色鮮やかな生き物たち、金銀銅宝石……それらはいずれも北の大陸が喉から手が出るほどほしいものだ。そして、南の島々にはそれらの産物を扱う無数の居留地がある。居留地が北の商人たちに任せることなく自分たちの手でそれらの産物をあきなえば、膨大ぼうだいな富が南の島々に流れ込んでくる。
 それらの居留地と契約し、防衛と治安維持、商船の護衛とを担当することで契約料を受けとる。ただそれだけで北の大陸のどんな国よりも豊かな資金源をもつ国が出来上がる」
 「あたしからも一言、言わせてもらうわ」
 トウナがロウワンの横に並んだ。ロウワンに劣らず覚悟を固めた目で海賊たちを見据えた。
 「あたしはタラの島のトウナ。タラの島にはパンゲアによって作られた居留地がある。居留地の男たちは年の半分を漁に出かけ、南の海と島々の産物を収穫してパンゲアの商人に売る。でも、パンゲアはあたしたちを守るために軍隊を派遣してはくれない。あたしたちは海賊に襲われようと、災害に見舞われようと、自分たちの力で生き残るしかない。もし、自由の国リバタリアにあたしたちを守るだけの力と意思があると言うのなら、あたしたちは自由の国リバタリアと契約する」
 「し、しかし……」
 海賊たちの間からいぶかしむ声が起こった。
 「居留地は北の国々によって作られたものだ。その居留地と契約するってことは……北の国々に戦争をふっかけるってことじゃないのか?」
 「南の海におれたち海賊の武を越えるものはあるか?」
 それが、ロウワンの答えだった。
 「この海のことを知り尽くしているのは海賊だ! 北の国々の海軍などではない! そも、北の国々の海軍など脆弱ぜいじゃくなものだ。経験は浅く、士気は低く、練度も足りない。どの国も海戦は海賊頼み。だからこそ、戦争となるとどの国も必死に海賊を取り込もうとする。それならば……海賊が結集して軍勢となればなにを怖れることがある! 北の国々の海軍など敵ではない!」
 ロウワンは一息、入れてからさらにつづける。
 「そもそもだ。海賊はなぜ、犯罪者として扱われ、縛り首とされる? なぜ、この豊かな南の海を自ら開発し、産物をあきない、『当たり前の人間』として暮らしていくことが出来ない?
 国がないからだ。国の後ろ盾がないからすべての行為が犯罪とされ、追われることになる。ならば、国を作ればいい。自分たちの国を作り、国として認めさせ、その国の名のもとに行動すれば、もはや海賊でもなければ犯罪者でもない。
 堂々たる市民だ。
 縛り首にされる心配なしに、日の当たる世界を大手を振って歩けるようになる。生まれがどうあれ、才覚ひとつで巨万の富を得られるようになる。
 そして、すでに言ったように都市としもう国家こっかにおいては誰もが自分の国を作ることができる。自分の望む暮らしを実現できる。そんな世界を作りあげてみたいとは思わないか?」
 「……い、いいのか?」
 あえぐように、絞り出すように、かすれた声でそう尋ねたのはプリンスだった。全身を震わせ、目からは涙さえ流しながらそう尋ねていた。
 「ほ、本当にいいのか? 黒人の、奴隷だったこのおれが王になっても、自分の国を作っても、本当にいいのか?」
 その問いに――。
 船長のガレノアが、コックのミッキーが、医師兼床屋のドクが、そしてビーブとトウナが、ロウワンに視線を集中させた。
 ロウワンは迷うことなくうなずいた。
 「もちろんだ、プリンス。あなたに自分の望む理想があり、望む法があり、望む暮らしがあり、それらを実現させるための確固たる意思と覚悟があるならば、あなたは王になれる。自分の国を作ることができる。それが、都市としもう国家こっかだ」
 ロウワンはそう言ったあと、叫んだ。
 「さあ、秩序に支配された陸の世界から逃げ出した反逆者たちよ! 自分の望む暮らしを実現させたいならばこの酒をみ、自由の国リバタリア参画さんかくせよ!」
 オオオオオオッ!
 海鳴りのような声が響いた。
 船長のガレノアが、コックのミッキーが、医師兼床屋のドクが、操舵そうだしゅのプリンスが、その他の海賊たちが、その場にいる誰もが酒樽さかだるに飛びつき、さかずきを手に酒をんだ。
 自由の国リバタリアがここに誕生した。
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