壊れたオルゴール ~三つの伝説~

藍条森也

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第二部 絆ぐ伝説

第二話一六章 頭は誰かな、老いぼれ

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 「お前……本当にあの小僧なのか?」
 ビーブ、トウナとともに『輝きは消えず』号から『海の女』号に移ってきたロウワンを見て、ガレノアは思わずそう尋ねていた。
 ガレノアだけではない。
 コックのミッキー、操舵そうだしゅのプリンス、医師兼床屋のドク……かつて、ロウワンとそれなりに親しかったものたちは全員、信じられないものを前にした表情をしていた。
 もちろん、かのたちがロウワン――当時はまだ『ロウワン』と名乗ってはいなかったが――と知り合ったのは一年以上も前のこと。成長期の少年であれば一年以上もあればずっと成長しているのはわかる。それでも――。
 記憶にある少年の姿といまのロウワンとではあまりにも印象がちがいすぎた。
 以前に比べて背も伸びているし、筋肉もついている。顔立ちもあどけない少年のものからおとなびたものになっている。だが、重要なのはそんな肉体上のちがいではない。もっとこう、内面からにじみ出るような全体としての印象。
 ガレノアたちの知るロウワンはヤンチャで元気者だが、ただそれだけの『普通の少年』だった。しかし、いま、ガレノアたちの前に立っているのは堂々たる風格さえただよわせたひとりの若者だった。
 大きすぎる船長服に、身長ほどもある大刀たいとうを背負い、両腰には二本のカトラス。
 そんな、まるで児童による学芸会のような格好をしているのに、まったくおかしみを感じさせない。むしろ、貫禄かんろくさえただよわせている。
 いったい、一年ほどで人はここまでかわるものか。
 まして、一三歳程度の少年がこんな風格をもてるものなのか。
 ガレノアたちが戸惑とまどい、『本当にあの小僧なのか?』といぶかしんだのはその点だった。
 「ロウワン」
 「なに?」
 ロウワンの言葉にガレノアは眉をひそめた。
 「ロウワン。いまはそう名乗っています。その名で呼んでください」
 「ロウワン……そうか、ロウワンか」
 「ロウワンって……お前、一年以上もどこで、なにしてたんだよ?」
 コックのミッキーが内心の驚きをそのまま口にした。
 ミッキーはコックという役職柄、雑用係を務めていたロウワンとはもっとも接点の多い船員だった。かつての姿をよく知る分、いぶかしむ思いも強い。
 「おまけに、そんなきれいな娘っ子まで連れて……その歳でもう嫁さんもらったのか?」
 と、思わず口にする三〇過ぎて独身のミッキーだった。
 「嫁じゃありません!」
 「キキキキイッ!」
 ミッキーの言葉に――。
 トウナがピシャリと答え、ビーブが騒ぎたてた。
 トウナばかりが注目され、ロウワンの(自称)兄貴分たる自分が無視されたのが気に入らなかったらしい。少しでも目についてやろうと小さな体をさかんに跳びはねさせる。
 ロウワンはそれらの騒ぎに心動かされることはなかった。ただジッとガレノアのいかつい風貌ふうぼうに視線を向けている。
 「お久しぶりです、ガレノア船長」
 「あ、ああ……」
 ガレノアは思わずうなずいた。
 ロウワンの声そのものはまだ子どものものだがその口調、落ち着きは下手なおとなよりもよほど貫禄かんろくのあるものだった。
 「あなたに用があって来ました」
 「おれに用だと?」
 いぶかしむガレノアの目の前で――。
 ロウワンは右手の親指を下に向けて突き出して見せた。
 そして、言った。
 「かしらは誰かな、老いぼれ」

 「かしらは誰かな、老いぼれ」
 ロウワンのその言葉に――。
 その場が凍りついた。
 すべての動きがとまり、静まり返った。
 操舵そうだしゅのプリンスなど、まわりから空気がなくなったかのようにあえいでいる。
 その静寂せいじゃくりは事情を知らないビーブやトウナでさえただならぬ出来事であることをさっし、不安げにあたりを見回すほどのものだった。
 ――かしらは誰かな、老いぼれ。
 それは、古来より海賊たちの間で使われてきた言葉。
 かしらの座を賭けて決闘を申し込むときの台詞だった。
 「取り消せ、小僧!」
 ミッキーが叫んだ。
 その表情はいつも飄々ひょうひょうとしたかのらしくもなく必死なものだった。
 「まだ間に合う! 取り消すんだ! でないと殺されるぞ!」
 「いいや、もう間に合わねえ」
 ミッキーの叫びを吹き消すような、はらにズシリと響く声がした。
 ガレノアが舌なめずりしながらズイッと一歩、前に出た。その姿はまさしく、獲物を前にした獰猛どうもうな人食い熊のものだった。その迫力に――。
 トウナは思わず身をすくめ、ビーブは全身の毛を逆立てていた。
 ただひとり、ロウワンだけがガレノアの猛気を涼風すずかぜのように受け流している。
 ガレノアはつづけた。
 「その台詞を聞いたからにゃあ、見過ごすわけにはいかねえ。受けてやるぜ、ロウワン。かしらの座を賭けた決闘をな」
 「そ、そんな、おかしら、相手はまだほんの小僧で……」
 「ミッキー」
 なんとも情けない表情で船長をとめようとするミッキーに向かい、ロウワンは言った。
 「いまのおれはロウワンだ。その名で呼んでくれ」
 「ロウワン……」
 「それじゃあ、ロウワンよ」と、ガレノア。
 「はじめようか。かしらの座を賭けた決闘をよ。覚悟はいいな? いまさら『あれは冗談でした』なんて言っても逃がす気はねえけどよ」
 「もちろん」
 ロウワンはうなずいた。
 「おれは本気だ。おれにはどうしてもあなたの力が必要なんだ」

 ロウワンとガレノア。
 年端としはもいかない少年と百戦ひゃくせん錬磨れんまの女海賊は対峙した。
 決闘の舞台は『輝きは消えず』号の甲板かんぱん。砲撃を受けて痛めつけられた『海の女』号の上で決闘などしてはその騒ぎで船が傾きかねない。そのため、皆の安全のために『輝きは消えず』号に移ったのだ。
 ガレノア配下の海賊たちも全員、この決闘を見守るために『輝きは消えず』号に移っている。何十人という見守り人に囲まれながらガレノアとロウワンは真っ向から対峙している。
 ガレノアは一振りのカトラスをもっていた。
 ただでさえ短めの刀身のカトラスだが、たくましい体つきのガレノアがもつとまるでナイフのように見える。
 一方のロウワンは背中の大刀たいとうを降ろし、大きすぎる船長服も脱いでトウナに預けていた。二本のカトラスのみをその手にもっている。
 これはロウワンの戦い。
 ロウワン自身の戦い。
 騎士マークスの加護かごにも、〝鬼〟の力にも頼るわけにはいかない。
 自分ひとりの力で勝たなければ意味がない。
 ロウワンはそのことを知っていた。
 そんなロウワンを、トウナは預けられた船長服を抱えたままギュッと拳を握りしめ、息を呑む表情で見つめている。
 不安。
 心配。
 緊張。
 それらすべてが入り交じり、うごめくような表情であり、姿だった。
 その横ではビーブが『やっちまえ!』とばかりにキイキイ叫んでいる。
 立会人を務めるプリンスが右腕を高々とあげた。
 勢いよく、振りおろした。
 叫んだ。
 「はじめ!」
 ガレノアとロウワン。
 ふたりは同時に動いた。

 海賊たちの間にざわめきが起こった。
 もちろん、その場にいる誰もがロウワンが一撃のもとにガレノアに斬り捨てられることを予測していた。四〇の坂を越してはいてもいまなお、実力で荒くれものの海賊団を束ねているガレノアである。その剣の腕は大陸最強を謳われる始祖国家パンゲアの騎士団と比べても遜色そんしょくない。
 実戦に次ぐ実戦でつちかった糞度胸と掟破りの喧嘩殺法。
 それらを考えれば圧倒すらするかも知れない。
 そのガレノア相手にたかが一三かそこらの小僧が勝てるわけがない。まともな勝負にすらなるわけがない。身の程知らずの小僧が一方的に斬られて終わり。
 誰もがそう思っていた。
 ミッキーにしてもそう思ったからこそ、とめようとしたのだ。それなのに――。
 苦戦しているのは明らかにガレノアの方だった。力でも間合いでもはるかに上回っているというのにロウワンの動きにまるでついていけず、防戦一方。攻撃を受けとめるのが精一杯で自分から攻撃する余裕などまるでない。
 それだけなら『小僧をからかって楽しんでいる』と思うことも出来ただろう。しかし、ガレノアの顔、その表情がそんな感想を打ち砕く。
 ガレノアの表情はそれほどに追い詰められたものだった。
 「お、おい、なんで、おかしらがあんなに追い詰められているんだよ?」
 「知るかよ! おれだって信じられねえよ」
 「やっぱり、おかしらが手を抜いてるんじゃあ……」
 「だったら、あんな必死な顔をしてるわけないだろ。見ろ、脂汗まで浮いてるぜ」
 「それじゃやっぱり、あの小僧がそれだけ強いってことか?」
 「あり得ないだろ! あんな隙だらけの大振りなんだぞ」
 海賊たちがそう言うのも無理はない。ロウワンの剣技は両腕を大きく伸ばし、むちのように振りまわすもので、剣技と言うよりまるで舞踊ぶようのよう。はたから見ていれば、隙だらけの大振りにしか見えないものだった。
 動き自体も迅速じんそくと言うよりはむしろゆるやかなものに見える。それなのに、なぜ、ガレノアほどの強者が防戦一方に追い込まれているのか。脂汗まで流して必死に受けなければいけないのか。
 その理由は脳の記憶にあった。
 話を単純にするために殴られるときを例に説明しよう。
 素人しろうとがいきなり殴りかかられても反応できるものではない。思わず目をつぶってしまい、避けることも、防ぐことも出来ずにそのまま殴られてしまう。
 これが玄人くろうととなれば話がちがう。目をつぶることはなく冷静に対処し、避けることも、防ぐことも出来る。
 その差はどこから来るのか。
 それが、脳の記憶。
 人間の脳は本人が意識していない細かいところまでしっかりと記憶している。
 そして、玄人くろうとは幾度となく殴られる瞬間を目にしている。だから、玄人くろうとの脳は覚えている。相手がこの動作をすれば殴ってくる。打ち出された拳の速度がこれだけなら自分の所に届くまでこれだけの時間がかる。
 そう判断できるようになる。
 瞬時のうちにその判断をし、本人に伝える。
 だから、玄人くろうとは相手の攻撃を予測し、反応し、避けることや防ぐことが出来るようになる。素人しろうとの脳はその記憶をもたない。だからこそ、予測出来ず、反応できず、殴られてしまうのだ。
 そして、ロウワン。
 三刀流のサルたちを相手に稽古けいこを重ね、身につけたロウワンの剣技は人間のいかなる流派ともちがう。人間たちの剣技に含まれる予備動作が一切、存在しないのだ。
 だから、脳は判断できない。ロウワンがどんな動きをしてくるか、いつ、どこから、どうやって斬りつけてくるか、ロウワンの攻撃が届くまでどれだけかかるのか。
 その判断が一切、出来ないのだ。判断が出来ないから本人に伝えることも出来ない。そのために攻撃の予測が出来ず、いきなり、攻撃が飛んできたように感じられる。
 要するにロウワン相手ではどんなに経験豊富な剣士であっても、いや、経験豊富な剣士であればあるほど、脳の記憶にない動きのせいで素人しろうとになってしまうのだ。タラの島でロウワンがブージ配下の海賊たちをあっさり斬り伏せることが出来たのもそれが理由。
 ガレノアもそうだった。見たことのない動きに戸惑とまどい、いきなり飛んでくる攻撃に追い詰められる。優れた反射神経をもつガレノアだからこそ、かろうじて防げるものの、並の剣士だったらあっという間にズタズタにされている。そして――。
 ロウワンの、全身をサルの尻尾にしたかのように、しなやかに弧を描いて繰り出される剣撃は見た目以上の威力があった。
 キン!
 高い音がしてガレノアの手にしたカトラスが飛んだ。ロウワンの剣によって弾きとばされたのだ。
 それを見た海賊たちが全員、息を呑んだ。
 あり得ないことだった。ガレノアの強靱きょうじん握力あくりょくによって握られた剣が飛ばされる。そんなことがあるはずはなかった。現に、これまでのどんな襲撃でもガレノアが剣を飛ばされる瞬間など見たことのあるものはこのなかにいなかった。
 ガレノアのカトラスが甲板かんぱんに落ちる。カラカラと音を立てて回転し、横に倒れる。
 トウナはそれを見てようやく明るい表情となり、ビーブは興奮しきりに叫んでいる。
 つづいて繰り出されたロウワンの弧を描く一撃がガレノアの腕を直撃した。
 その一撃は服の袖を斬り裂き、太い腕を半ばまで両断していた。鮮血が飛び散り、真っ赤な血が滝のように流れ落ちる。『輝きは消えず』号はそれをまるで『弟』の勝利を祝うさかずきででもあるかのように嬉しそうに『飲み干し』た。
 ガレノアは『信じられない』と言った表情で腕の傷口をもう片方の手で押さえ、後ずさった。傷口を押さえる手がたちまち真っ赤に染まり、血がしたたり落ちる。
 そのなかでロウワンは顔色ひとつかえはしない。眉ひとつ動かすことなくガレノアを見据え、剣を構え、次の一撃を浴びせようとしている。その冷静さ、いや、冷淡さは人を殺したことのない子どものものではなかった。
 息をするように、
 水を飲むように、
 飯を食うように、
 糞をひり出すように、
 当たり前のこととして人を殺すことの出来る人殺しのものだった。
 「小僧……」
 ガレノアは呻いた。
 「……いや、ロウワン。お前、人を殺してきたな?」
 「殺した」
 ロウワンは答えた。その目は油断なく、いつガレノアが逆襲に転じてきてもその攻撃をかわし、とどめの一撃を加えられるように光っている。
 「おれはこの世界をかえる。人を助けるために人を殺さなきゃならない、人殺しが英雄とたたえられる、そんな世界をかえる。人と人の争いを終わらせる。そのために、この世界の在り方を丸ごとかえる。そのために……」
 ロウワンはきっぱりと言った。
 「力が必要なんだ。この世界に挑み、かえることの出来る力が。そのためなら……おれはもうためらわない。誰であれ、殺して突き進む」
 その言葉に――。
 「ふっ……」
 ガレノアの相好そうごうが崩れた。どっかと腰をおろし、あぐらをかいた。
 天を仰いだ。
 愉快そうに笑った。
 そして、叫んだ。
 「負けだ! おれの負けだあっ!」
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