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第二部 絆ぐ伝説

第二話四章 海賊ブージ

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 その海賊船からおりてきたのは四〇前後と見られる男だった。
 なかなかに筋骨たくましい禿頭とくとうの男で、古い革鎧を着込んでいる。あごには大きな傷跡があった。おそらくは、銃で撃たれた跡だろう。その傷ひとつでこの男がくぐり抜けてきた修羅しゅらの激しさが感じ取れる。
 ロウワンは右にビーブ、左にトウナを連れて、その海賊に相対あいたいした。剣は抜いていない。海賊が現れたからと言って即、戦闘になるとは限らない。海賊たちだって補給も必要なら、船の修理もしなくてはならない。そのため、ときにはまっとうな取り引きをもちかけることもある。
 それに、この距離があれば相手が襲ってきたとしても剣を抜き、迎え撃つ時間的な余裕は充分にある。もちろん、ロウワンはそれだけのことを計算して必要な間合いを取っている。
 一方でビーブはる気満々。四本の手足でその場に踏ん張り、にらみつけ、歯をむき出しにして、低いうなり声をあげて威嚇いかくしている。そして、もはや、ビーブの専売特許と言ってもいいだろう。天高く、ピンと伸ばした尻尾の先に握ったカトラスを振りまわすというお決まりの姿勢を披露ひろうしている。
 トウナは不安そうな面持おももちで、ギュッと握った拳を胸に当てている。それでも、気を張り詰めてその場に立っていた。かのはいま、村長の孫娘として、村長の代理としてこの場にいる。海賊たちと交渉するそのために。
 三人の後ろでは村長をはじめ、島の人々が遠巻きにして様子をうかがっている。
 おとなたちは一様に不安と希望のない混ざった表情をしているが、子どもたちはいまにもはしゃぎ出しそうだ。
 いま、再び、ロウワンが二本の剣を振るって海賊たちを華麗に倒す、その光景が展開されることにワクワクしているのだ。ロウワンを見つめるその瞳はまさに、英雄に憧れる少年のそれ。おとなたちに口を封じられなければ『ロウワン、がんばれ、やっちまえ!』という声ぐらいはかけていただろう。
 そして、ロウワンも島の幼い子どもたちの英雄として、その期待に応えるべく、百戦ひゃくせん錬磨れんまの海賊たちの前に堂々と立っている。
 「そこまでだ」
 ロウワンが言った。一歩いっぽ近づきつつある海賊たちに向かって。
 「それ以上、近づくな。言いたいことがあるならその場で言え」
 声は充分に通るが、相手の不意を突いて一気に襲うには遠い距離。
 ロウワンはその距離を確かめて海賊たちを停止させた。もちろん、こうして人々の注目を引いておいて、その隙に別働隊が別方向から上陸、村を襲撃する、と言う可能性もある。そのため、ロウワンはコドフに各所に見張りを立てて警戒をおこたらないように指示してある。
 ニイッ、と、禿頭とくとうの海賊が太い唇をねじ曲げた。
 笑ったらしい。
 粗野そやに過ぎる表情と、あごにある目立ちすぎる傷跡のせいでとてもそうは見えなかったが。
 どう見ても脅しているようにしか見えない。小さな子どもならその表情ひとつで泣き出すだろう。意中の殿方とのがたの気を引くために卒倒する訓練をしている貴族の令嬢など、一目見た瞬間にその習慣を思い出して気を失い、その場に倒れ込むにちがいない。それぐらい、すごみのある顔であり、表情だった。もちろん、あの〝鬼〟にさえ立ち向かったロウワンだ。そんな表情ごときで怯えはしない。
 「なるほど。お前さんが噂のお子さま用心棒か」
 海賊は唇をねじ曲げたままそう言った。外見にふさわしい野太くて、すごみのある声だった。しかし、その口調から察するに本気で感心しているらしい。
 「なんの用だ?」
 ロウワンが短く尋ねた。その足元ではビーブがいまにも襲いかからんばかりにうなり声をあげている。
 禿頭とくとうの海賊は堂々と答えた。
 「おれはブージ。このあたりじゃあ、ちっとは知られた海賊さ。で、まあ、今回はちょいとびに来たってわけさ」
 「び?」
 「こいつさ」
 フージと名乗った海賊は手にした塊を放り投げた。それは、プージとロウワンのちょうど真ん中に落ちて、何度か転がり、動かなくなった。
 「ひっ……!」
 トウナが小さく悲鳴をあげ、口元に手を当てた。
 それはあの男、トウナを『しつけようとして』ビーブに腕を斬り落とされた男の生首だった。
 「そいつあ、うちの切り込み隊の隊長だったんだがよ。かしらであるおれさまを差し置いて勝手に仕事をはじめやがったのさ。いや、まったく、出来の悪い部下をもつと苦労するねえ」
 がはははは、と、ブージは豪快に笑った。
 「おれとしちゃあ、村に火をつけたり、村の連中を脅したり、ましてや、若い娘相手に剣を振るうような真似はする気はねえんだ。なにしろ、おれは本物の紳士ってやつを目指してるんでな。お互い得する公明正大な取り引き、そして、婦女子には常に敬意をもって親切にってのがモットーさ。と言うわけで、そいつの首をびとして、改めて取り引きを申し込みに来たってわけさ。あくまでも公明正大な、お互いに得する取り引きをな」
 ブージはそう言ってから自分たちの望みを告げた。
 「まず、おれたちのほしいものは食糧、衣服、金、武器、あれば、医療道具。それに、女。なるべく、若くてきれいな女がいいな。例えば――」
 ニタリ、と、ブージはいやらしい笑みを浮かべてトウナを見た。トウナはその視線ひとつで全身に鳥肌を立てた。
 「そこの嬢ちゃんみたいな、な」
 その一言に――。
 ロウワンは一気に剣を抜き放つところだった。
 「ああ、それと、鍛冶屋に、大工に、医師に、床屋……要するに、この島にある価値あるものすべてってことだわな」
 「取り引きと言うからには代価が必要だ。なにをもってそれらの品を買うと言うんだ?」
 「島の安全。おとなしくそれらを渡しゃあ、おれたちに暴れられて家を焼かれることもないし、命を落とすこともない。どうだ、いい話だろう? これこそ、お互いに得する公明正大な取り引きってもんだぜ」
 「ふざけないで」
 そう言ったのはトウナである。震えながらも力強くブージをにらみつけ、そう言ってのけた。その勇気、気丈さにロウワンも、そして、ビーブも感心していた。
 ――言葉も通じない動物のくせに、なかなかやるじゃねえか。
 ビーブはそんな目で人間の少女を見上げている。
 トウナはつづけた。
 「そんなもの、ただの強盗じゃない。受け入れられるわけがないでしょう」
 「ふむ。つまりは取り引きは不成立。自分たちの安全を買う気はないってわけだ。だったら、買う気のない商品は回収しなけりゃなあ」
 「なにが商品だ」
 ロウワンが言った。
 「この島の人たちの財産と身命しんめいは、この島の人たちのものだ。お前に売ってもらう商品じゃない」
 「ところが、おれの売る商品なのさ。そうするのが力ってもんだぜ、坊や」
 ブージはそう言うと自らの得物えものを抜き放った。それはなんとも無骨ぶこつな、大振りななただった。それを見てビーブはますますいきり立ち、トウナは一歩、後ずさった。
 ロウワンはそんなふたりを尻目に二本のカトラスを抜き放った。
 駆けた。
 走った。
 ブージめがけて。
 ブージはなたを振りかぶった。思いきり、振りおろした。ただ一合。ブージのなたはロウワンの振るうカトラスによってはじきとばされていた。
 島の住民たちから歓声が沸き起こり、海賊たちの息を呑む気配が伝わった。
 筋骨たくましい男のもつ武器をはじきとばす。
 口で言うのは簡単たが、実際にやるとなれば生易なまやさしいことではない。相手の武器を撃つ角度、位置、時機。そのすべてが完璧でなければできるものではない。ロウワンはそれだけのことをただ一撃でやってのけた。年齢を考えればまさに驚異的と言っていい技の冴えだった。ハルキスの島で三刀流のサルたちを相手に繰り返した一年間の修行は、ロウワンにそこまでの技量を与えていた。だが――。
 「えっ……⁉」
 驚いて跳びすさったのはロウワンの方だった。ブージはなんと、武器をはじきとばされたのもかまわず、素手で殴りかかってきたのだ。
 右、
 左、
 右、
 左、
 ブンブンと音を立てて巌のような拳が振るわれる。
 もちろん、変幻自在の攻撃を繰り出す三刀流のサルたち相手に修行にしゅぎょうを重ねたロウワンだ。そんな力任せの、技や洗練と言った言葉にはほど遠い攻撃など当たるはずもない。しかし――。
 ――な、なんで攻撃してくるんだ⁉ もう勝負はついたじゃないか。僕はあいつの武器をはじきとばした。その時点で僕の勝ちだろう。それなのに、なんでまだ攻撃を仕掛けてくるんだ⁉
 その思いがあった。
 戸惑いがあった。
 ブージはその内心を見透かしたように『ニイッ』と、笑って見せた。
 「どうしたい、用心棒のあんちゃん。逃げてばかりじゃ用心棒の仕事は勤まらねえぜ」
 「くっ……!」
 言われて――。
 ロウワンはカトラスを振るった。その刃は的確にブージの腕を裂いた。分厚く、ごわごわした麻の服を切り裂き、その下の腕を傷つけた。服の切れ目から血が噴き出した。しかし――。
 ニヤリ、と、ブージは笑った。自分の勝利を確信したものに特有の笑みだった。
 「やはりな」
 ブージはそう言った。
 「おめえ、人を殺したことはねえな」
 「なっ……!」
 「話を聞いたときから見当はついていたぜ。おめえ、前にうちの連中とやりあったときにも、武器をはじきとばすだけで傷ひとつつけなかったそうじゃねえか。そして、いまもだ。おれのなたはじきとばした一撃と、いまの一撃とじゃあ、速さも、威力も、比較にならねえ。おめえは人間を傷つけることを怖れている。殺すことに怯えているのさ」
 ブージはそう言いながら前に進む。一歩いっぽゆっくりと迫っていく。ロウワンは気圧けおされた様子でその分を後ずさる。
 ブージの言うとおりだった。
 ロウワンはこれまで懸命に剣の修行を重ねてきた。だが、実際に人を殺したことはおろか、傷つけたことすら一度もない。
 人を傷つけ、殺す。
 その行為に対する恐れと恐怖は、ロウワン自身が意識しないところでその身と心を縛っていた。
 「キイ、キイ、キイッ!」
 ビーブが叫ぶ。跳びはねる。『やっちまえ、思い知らせてやれ!』と、騒いでいる。
 トウナは信じられないものを見ているような様子で唖然あぜんとしている。
 その後ろではコドフをはじめ島の住民たちが、雲行きの怪しさに不安をつのらせている。
 「たしかに、おめえは強えよ、小僧」
 ブージはそう言った。本心からの賞賛だった。
 「その歳でそれだけの技量を身につけているなんざあ、肚の底から感心するぜ。これが、紳士的な試合だったら、おれは一〇〇回やったっておめえには勝てねえ。だがな。実戦での強さは技や力じゃねえ。『相手を殺す』覚悟だ。
 相手を殺すと言う覚悟をしている。
 そんな意識すらもたずに当たり前のこととして、飯を食い、水を飲み、糞をひり出すように人を殺せる。そこまで腹を決めたヤツだけが実戦で生き残るのさ。おめえにはその覚悟がねえ。それじゃあ、いくら強くても実戦には勝てねえ」
 相手を殺すまで終わらねえって実戦じゃあなあっ!
 ブージは怒鳴った。殴りかかった。いわおのような拳の一撃は――。
 今度こそ、ロウワンの顔面をとらえた。
 その一撃で――。
 島の子どもたちの英雄は無様に地面に転がった。そして、それきり――。
 動かなかった。
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