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第一部 はじまりの伝説

四章 騎士の思い

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 一年に及ぶ死闘のあと、騎士マークスはついに亡道もうどうつかさを打ち倒した。そして、いま、マークスは残された兵士たちを引き連れて帰国の途についていた。
 一年前。この島にやってきたときには海を埋め尽くすほどの大船団だった。そのときには、一千万に及ぶ兵士たちを引き連れていた。それがいまはたった数隻の船。付き従う兵も数千人。亡道もうどうつかさを打ち倒すためにどれほどの犠牲が必要だったか、一目でわかるちがいだった。それでも――。
 それは確かに、人間の手で亡道もうどうつかさを打ち倒し、この世界を守り抜いた凱旋がいせんだったんだ。
 そして、ただひとつ。かわらないことがあった。
 それは天命てんめい巫女みこ
 ハープをかき鳴らし、天命てんめいきょくを奏でつづける天命てんめい巫女みこ
 かのはいまも船の舳先へさきに立ち、一時も休むことなくハープを奏で、天命てんめいきょくを奏でつづけている。その姿はまさに自動人形。生きた人間の姿なんかじゃなかった。
 マークスはそんな天命てんめい巫女みこに優しく話しかけた。
 「ご苦労さまでした、天命てんめい巫女みこさま。自分自身に天命てんめいことわりをかけ、天命てんめいきょくを奏でつづける自動人形になったその決意、どれほどのものか。そして、人形になっているとは言え、一年もの間、一時も休むことなくハープをかき鳴らしつづけることはどれほどの苦役だったことか。その覚悟に対する感謝の思い、とうてい言葉などでは表せません。
 ですが、あなたの献身は報われました。亡道もうどうつかさは滅び、世界は守られたのです。いまはどうか、ごゆるりとお休みください。そして、人間に戻り、ご自分の守られた世界を見つめてください。あなたの献身に感謝を捧げる世界中の人々の姿をその目に」
 やがて、船団は港に着いた。
 そこには『世界中の』と言いたくなるほどの人が集まっていた。どこを見ても、人、人、人。本当に、世界に残されたすべての人が集まっているんじゃないか。そう思わせるぐらいの人の数だった。
 人々は歓喜の声をあげて船団を迎えた。どの顔も、どの表情も喜びにあふれ、幸せに輝いていた。
 ついに、亡道もうどうつかさは打ち倒された。
 騎士マークスの剣によって、葬られたのだ。
 その報は高速艇によって一足先に王宮にと伝えられていた。そこから、さらに早馬によって大陸中へと届けられた。文字通り、世界中の人々の耳に届いていたんだ。それこそ、『亡道もうどうつかさとの戦いってなに?』なんて、呑気なことを言うぐらい遙かな山奥に位置する辺鄙へんぴな村に至るまで。
 旅の講釈師たちが『いまこそ、自分の腕の見せ所!』とばかりに騎士マークスの物語を自分なりの物語に仕上げ、語り、世界中に広めていった。まあ、そこで語られる話はずいぶんと作りごとや誇張、まちがいが混じっていたから本当の姿とは全然、別物だったんだけど。それでも、講釈師たちの活動によって『亡道もうどうつかさ死す!』の報が大陸中に広められ、人々を安心させたことはまちがいない。
 それぐらい、人類にとって亡道もうどうつかさは重大な脅威であり、その脅威から解放されることは切実な願いだったんだ。
 その願いがついに叶った。
 その喜びに突き動かされ、港には亡道もうどうつかさを打ち倒した勇者を一目見ようと世界中の人が押し寄せてきていたんだ。一〇〇歳を超えたおばあちゃんでさえ『最後に一目、勇者さまを見てみたい』って、まるで人生の最後に宗教の聖地巡礼に行くような思いでやってきていた。
 船が港にとまった。
 マークスが姿を表した。船から降り立った。歓喜が爆発した。
 「マークス、勇者マークス!」
 って、マークスの名前が何度となく連呼された。
 その場に集まる人たちを代表して国王と王妃、それに、ふたりの子供たち――王子と王女――が、前に進み出た。これ以上ないと言うぐらいの喜びに満ちた顔でマークスを出迎えた。
 「でかした、騎士マークス! よくぞ亡道もうどうつかさを打ち倒してくれた。さすが、我が王国随一の騎士じゃ。そなたの業績に報いるに惜しみはせん。まずは王家に次ぐ身分である大公爵の爵位、広大な領地、一万を超える使用人、金銀財宝、それに……おお、そうじゃ! 国中の絵師と講釈師とを総動員してそなたの姿を絵物語に残し、語らせよう! 未来永劫、そなたの業績が讃えられるようにな。じゃが、そんなものは序の口に過ぎん。そなたにはわしの娘をめとらせ、いずれはわしの跡を継いで国王に……」
 国王のありったけの賛辞を、だけど、マークスは首を横に振ってさえぎった。
 「お心遣い感謝いたします、陛下。ですが、私にはそのような過分な待遇を受ける資格はありません」
 「なんじゃと?」
 「亡道もうどうつかさ討伐が成功したのは何百万という兵士たちが自らの生命をなげうち、亡道もうどうつかさを弱らせたからこそ。そして、なによりも、天命てんめい巫女みこさまが自らを犠牲にして天命てんめいきょくを奏でつづけてくれたからこそです。そのどちらが欠けても亡道もうどうつかさ討伐は叶いませんでした。報いるのならば私ではなく、死んでいった兵士たちと天命てんめい巫女みこさまにこそ」
 「ふむ、なるほど。しかし、亡道もうどうつかさめを討ち取ったのは確かにそなたなのじゃろう?」
 「弱りきった亡道もうどうつかさにとどめを刺すなど誰にでも出来ます。私がその役を担えたのは、ただ単に指揮官という恵まれた立場にいたために最後まで生き残ったという、それだけのことに過ぎません。私以外の誰かが指揮官の立場にいれば私は死に、その指揮官が亡道もうどうつかさを打ち倒していました。私が讃えられるいわれなどありません」
 「ふむ、なるほど。そなたは謙虚けんきょじゃのう。じゃが、まあ、良いではないか。いまはとにかく亡道もうどうつかさめを打ち倒したことを素直に喜ぼうではないか。さあ、さっそく城に来るがよい」
 「陛下。第一に讃えられるべきは天命てんめい巫女みこさまです。まずは天命てんめい巫女みこさまをこそ」
 「おお、おお、そうであったな。どれ、誰か天命てんめい巫女みこどのを城にお運びせよ。その業績にふさわしい、城の最上階へな! そして、祝いの宴じゃ! 今日は無礼講じゃぞ。心行くまでこの良き日を祝い尽くそうではないか!」
 王さまは陽気にそう叫んだ。
 王さまは気がついていなかった。このとき、マークスの抱いていた気持ちに。

 王さまの言うとおり、その日、開かれた宴は『史上最大、空前絶後』と言ってもいいほどのものだった。なにしろ、大陸中から集まった人たち全員が参加する資格を与えられたんだから。
 亡道もうどうつかさの侵攻による被害と一年に及ぶ激闘。
 そのせいですっかり食べ物も、資金も、少なくなっていたけれど、その乏しい食糧と資金をかき集めて全員で騒ぎ抜いた。
 当たり前だろう?
 明日からはもう亡道もうどうつかさの脅威にさらされることはない。安心して暮らし、食糧を作り、金を稼ぐことが出来る。それなのに、今日のこの日に惜しむ必要なんてあるものか!
 底抜けの騒ぎがつづくなか、マークスはひとり、その場を抜け出していた。城の最上階でいまだハープを鳴らしつづける天命てんめい巫女みこと対面していた。
 「天命てんめい巫女みこさま……」
 マークスは天命てんめい巫女みこに語りかけた。
 「なぜなのです? 亡道もうどうつかさはすでに倒れた。もうあなたが天命てんめいきょくを奏でつづける必要はなくなった。なのになぜ、あなたはハープを奏でているのです? もうあなたは自動人形でいる必要はなくなったんだ! どうか、人間に戻ってください。そして、あなたが守った、この世界をその目で見てください!」
 「マークスさま」
 突然の呼びかけ。その声は――。
 マークスの前に立つ天命てんめい巫女みこからではなく、後ろからかけられた。
 マークスは振り返った。そこには白いドレスを着た若くてきれいなお姫さまが立っていた。
 「サライサ殿下」
 「『サライサ』とお呼びください。わたしはあなたに嫁ぎ、妻となる身なのですから」
 そのお姫さまは王国の第一王女、マークスと結婚することになるはずのサライサ姫だった。
 お姫さまの言葉に――。
 マークスは背を向けた。
 「私にそのような資格はありません」
 「……天命てんめい巫女みこさまが気になるのですか?」
 「亡道もうどうつかさ討伐に成功したのは天命てんめい巫女みこさまのおかげです。天命てんめい巫女みこさまの天命てんめいきょくと、天命てんめい巫女みこさまの血。それがあればこそ、亡道もうどうつかさを打ち倒すことが出来た。もし、天命てんめい巫女みこさまがいなければこの世界は亡道もうどうつかさに呑み込まれ、滅びていました。人々の感謝も、賞賛も、『英雄』の二文字も、すべては天命てんめい巫女みこさまに捧げられなくてはならないのです」
 「でも、亡道もうどうつかさにとどめをさしたのは、まちがいなくあなたなのでしょう?」
 「運良く、たまたま、その役割を果たせる立場にいただけです。私の力では亡道もうどうつかさ相手になにもできなかった」
 「それでも、軍を指揮し、亡道もうどうつかさを討伐したのはまぎれもなくあなたの功績です。そして、あなたが指揮官として選ばれたのは、あなたが技量・功績・人格、すべてにおいて抜きん出た王国随一の騎士だったから。天命てんめい巫女みこさまもあなただからこそ自分の血を託した。そう聞いております。あなたが『とどめを刺す立場』にいたのは、まぎれもなくあなたの実力。他の誰もかわることは出来なかった。どうか、胸を張って自らの功績をお誇りください。そして、今後はその力を王国の、いえ、世界の再建のためにお使いください。……わたしと共に」
 「私は……」
 マークスは答えた。
 「私は何百万という兵士を死なせた殺し屋です。にもかかわらず、自分はのうのうと生き残った卑怯者。そんな資格はないのです」
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