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幕間(2)
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地球回遊国家国王・葦原永都がノウラにしたたかに尻を蹴られ、かつての情熱を取り戻したその頃――。
ノウラの生国であるナフード王国では未来への展望などまるで無縁な会話がなされていた。広く、天井が高く、ふかふかの絨毯が敷かれ、陽光が燦々と入り込む。高価な美術品が惜しげもなく飾られた、雰囲気の暗さなど微塵もない部屋のなかで。
ノウラの実父である――ノウラ自身は『父親』などと思っていないが――ナフード国王アブドゥル・ラティフ。
妹の――やはり、ノウラは『妹』などと思ってはいないが――『世界一の美女』ズフラ。
そして、かつてはノウラの婚約者であり――これまた、ノウラ自身は『婚約者』などと思ったことは一度もないが――現在はズフラの婚約者である内務大臣アブドゥル・アルバル。
その三人が明るく豪奢な部屋に集まり、漆黒の水色も美しい苦みばしったコーヒーを前に、数千万もの価値があるアンティークなテーブルについている。
一見すれば、産油国の国王一家らしい裕福かつ優雅なコーヒータイム。人口のほとんどを占める一般庶民には夢見ることさえできないような贅をつくした一時。
そう思える。しかし、そこでの会話の内容は明るさや未来への希望などとはまったく無縁だった。まして、家族の親密さなど欠片もない。そこで語られているのは、ただひたすらに自分自身の立場を守るための後ろ向きで、薄汚れた欲望の会話だった。
「地球回遊国家が石油生成菌の大規模培養計画を再開するそうですな」
「うむ。国王直々の命令を受けて、閣僚どもが準備に大わらわだそうだ」
娘婿たる内務大臣の言葉を受けて、国王アブドゥル・ラティフはコーヒーよりもなお苦い虫を一〇〇万匹ほどまとめて噛みつぶした。
「五年もの間、中断しておったのだ。そのまま廃止しておれば、我ら産油国の立場は安泰だったものを。ノウラのやつがよけいな口をきいて国王をその気にさせたらしい」
アブドゥル・ラティフの声はどこまでも苦い。
砂漠の小国とはいえ、れっきとした独立国家。である以上、諜報活動は当たり前に行っている。当然、地球回遊国家にもスパイのひとりやふたり、常に潜伏させている。
しかし、このところ、スパイたちからもたらされる報告はアブドゥル・ラティフにとって気分の悪いものばかりだった。
「そもそも、地球回遊国家の国王はもう歳だ。その上、五年前に妻を亡くしたことですっかり老け込んでいた。最近ではほとんど一日中、ベッドのなかだったそうだからな。そのまま永遠の眠りにつけばよかったものを、ノウラのやつがよけいな手出しをして、やる気にさせたらしい。
まったく、親不孝な娘だ。地球回遊国家の好きにさせておけば、我ら産油国の立場はなくなる。そうなれば、われらの権勢もそれまでだ。自分のしていることがどんなに親を苦しめることになるかもわからんのか、あの馬鹿娘は」
馬鹿娘、と、アブドゥル・ラティフはそう吐き捨てた。
『もはや、娘ではない』と五〇歳以上も歳上の男のもとに売り払っておいて、そうのたまうアブドゥル・ラティフであった。
そんな父のぼやきに対しノウラの妹、いまやナフード王国の第一王女にして『世界一の美女』と称される弱冠一九歳のズフラは、その外見にふさわしい華やかな笑い声を立てた。
「お姉さまらしいこと。子どもの頃から女の身であることもわきまえず、なんにでも口出ししてばかりの出しゃばりでしたものね。永都陛下もさぞかし困っておいででしょう」
そんな意地の悪い笑い声でさえ玲瓏と響き、なんとも蠱惑的なものに思えてしまう。
それが『世界一の美女』と称される美貌の功徳。たとえ、どんなにズフラのことを嫌おうとも、その美しさと魅力とを否定できる人間はこの世にはいない。
実際、どんな男でもこの笑顔を見れば心を動かされ、ズフラによろめいてしまうことだろう。男という男をそれだけ捕えてはなさない『悪女の魅力』が、ズフラには確かにあった。
「まったくだ」
ふたりの父であるアブドゥル・ラティフはため息をつきながら言った。
「その点、お前は幼い頃から女の身であることをわきまえて常に奥ゆかしく、男を立ててきたというのに。なぜ、あやつはああも生意気なのだ。まったく、姉妹とは思えん」
「しかたありませんわ。お姉さまは生まれつきの鬼子ですもの。伝統的な女の美徳など求めるだけ無駄。お父さまもそれがわかっておられたからこそ、縁を切ったのでしょう?」
「ああ、そのとおりだ」
アブドゥル・ラティフは娘に言われて少しだけ機嫌を直したらしい。ノウラの生意気なふるまいに対して『縁を切る』という罰を与えてやったことを思い出して、気が晴れたのだろう。その『罰』が、ノウラ本人にとってはこの上ない喜びであることなどこの父親にわかるはずもない。
ともあれ、アブドゥル・ラティフは自分ひとり悦に入りながらつづけた。
「それに、結局のところ、あやつはきちんと役割を果たしているわけだしな」
「さよう、さよう。結婚式も着実に近づいておりますからな」
ズフラの婿、次期国王――あくまでも、操り人形としての――たる内務大臣アブドゥル・アルバルもそう声をあげて嘲笑った。
アブドゥル・ラティフは、娘婿の言葉にますます機嫌を良くしたようだった。
「そういうことだ。あの出しゃばり娘のこと。いつ永都を怒らして婚約破棄されるかと心配しておったが、それだけはなかったようだ。まあ、ジャパニメーションの世界ではあるまいし、国と国の約束を反故になどできるはずもないわけだがな」
と、王宮に積んだジャパニメーションの円盤をむさぼるように見ている国王陛下は、笑いながらおっしゃられた。
「あやつもしょせん女よ。自分では頭が良いつもりらしいが、自分が永都のもとに送り込まれた本当の理由などわかるはずもない。せいぜい、邪魔な娘を政略結婚に利用した、程度にしか思っていまい」
「本当。お姉さまのこれからを思うと、不憫でなりませんわ」
ズマラはそう言って、心の底から楽しそうに笑った。
「笑うのはまだ早いぞ、ズフラよ。計画の成否はそなたにかかっておるのだからな」
「わかっておりますわ、お父さま」
ズフラはそう言って右手をもちあげ、クルクルとまわして見せた。薬指に飾り気のない無骨な指輪をつけた、その右手を。
「我が王家は毒を操り政治を支配した、古の砂漠の一族の秘技を伝えておりますもの。わたしもその末裔として見事、役割を果たしてご覧に入れますわ」
「そのあとのことは、私めにお任せを」
内務大臣のアブドゥル・アルバルもそう言って、胸を張った。
「準備は万端、整っております。すべてはあの出しゃばり女が地球回遊国家の実権を握るために仕組んだこと。そう世界中が納得することになりましょう」
「うむ。実に愉快。永都は毒殺され、その罪はすべて、あの生意気な娘がかぶることになる。そうなれば、国王を失った地球回遊国家は瓦解。石油生成菌の大規模培養などできなくなり、我が国は産油国としての立場を保持できる。我々の権勢も安泰。まさに、めでたし、めでたしというわけだ」
「ええ、その通りですわ。お父さま。お姉さまも喜ばれることでしょう。なんと言っても、生まれてはじめてお父さまのお役に立てるのですから」
「おお、その通りだ。あの生意気な娘がはじめてかわいく思えてきたぞ」
わっーはっはっはっ。
はははははっ。
うふふふふっ。
陽光が入り込み、高価な美術品に埋め尽くされた明るい部屋。その雰囲気にあまりにも似つかわしくない暗い笑い声が三つ、高らかに響いたのだった。
ノウラの生国であるナフード王国では未来への展望などまるで無縁な会話がなされていた。広く、天井が高く、ふかふかの絨毯が敷かれ、陽光が燦々と入り込む。高価な美術品が惜しげもなく飾られた、雰囲気の暗さなど微塵もない部屋のなかで。
ノウラの実父である――ノウラ自身は『父親』などと思っていないが――ナフード国王アブドゥル・ラティフ。
妹の――やはり、ノウラは『妹』などと思ってはいないが――『世界一の美女』ズフラ。
そして、かつてはノウラの婚約者であり――これまた、ノウラ自身は『婚約者』などと思ったことは一度もないが――現在はズフラの婚約者である内務大臣アブドゥル・アルバル。
その三人が明るく豪奢な部屋に集まり、漆黒の水色も美しい苦みばしったコーヒーを前に、数千万もの価値があるアンティークなテーブルについている。
一見すれば、産油国の国王一家らしい裕福かつ優雅なコーヒータイム。人口のほとんどを占める一般庶民には夢見ることさえできないような贅をつくした一時。
そう思える。しかし、そこでの会話の内容は明るさや未来への希望などとはまったく無縁だった。まして、家族の親密さなど欠片もない。そこで語られているのは、ただひたすらに自分自身の立場を守るための後ろ向きで、薄汚れた欲望の会話だった。
「地球回遊国家が石油生成菌の大規模培養計画を再開するそうですな」
「うむ。国王直々の命令を受けて、閣僚どもが準備に大わらわだそうだ」
娘婿たる内務大臣の言葉を受けて、国王アブドゥル・ラティフはコーヒーよりもなお苦い虫を一〇〇万匹ほどまとめて噛みつぶした。
「五年もの間、中断しておったのだ。そのまま廃止しておれば、我ら産油国の立場は安泰だったものを。ノウラのやつがよけいな口をきいて国王をその気にさせたらしい」
アブドゥル・ラティフの声はどこまでも苦い。
砂漠の小国とはいえ、れっきとした独立国家。である以上、諜報活動は当たり前に行っている。当然、地球回遊国家にもスパイのひとりやふたり、常に潜伏させている。
しかし、このところ、スパイたちからもたらされる報告はアブドゥル・ラティフにとって気分の悪いものばかりだった。
「そもそも、地球回遊国家の国王はもう歳だ。その上、五年前に妻を亡くしたことですっかり老け込んでいた。最近ではほとんど一日中、ベッドのなかだったそうだからな。そのまま永遠の眠りにつけばよかったものを、ノウラのやつがよけいな手出しをして、やる気にさせたらしい。
まったく、親不孝な娘だ。地球回遊国家の好きにさせておけば、我ら産油国の立場はなくなる。そうなれば、われらの権勢もそれまでだ。自分のしていることがどんなに親を苦しめることになるかもわからんのか、あの馬鹿娘は」
馬鹿娘、と、アブドゥル・ラティフはそう吐き捨てた。
『もはや、娘ではない』と五〇歳以上も歳上の男のもとに売り払っておいて、そうのたまうアブドゥル・ラティフであった。
そんな父のぼやきに対しノウラの妹、いまやナフード王国の第一王女にして『世界一の美女』と称される弱冠一九歳のズフラは、その外見にふさわしい華やかな笑い声を立てた。
「お姉さまらしいこと。子どもの頃から女の身であることもわきまえず、なんにでも口出ししてばかりの出しゃばりでしたものね。永都陛下もさぞかし困っておいででしょう」
そんな意地の悪い笑い声でさえ玲瓏と響き、なんとも蠱惑的なものに思えてしまう。
それが『世界一の美女』と称される美貌の功徳。たとえ、どんなにズフラのことを嫌おうとも、その美しさと魅力とを否定できる人間はこの世にはいない。
実際、どんな男でもこの笑顔を見れば心を動かされ、ズフラによろめいてしまうことだろう。男という男をそれだけ捕えてはなさない『悪女の魅力』が、ズフラには確かにあった。
「まったくだ」
ふたりの父であるアブドゥル・ラティフはため息をつきながら言った。
「その点、お前は幼い頃から女の身であることをわきまえて常に奥ゆかしく、男を立ててきたというのに。なぜ、あやつはああも生意気なのだ。まったく、姉妹とは思えん」
「しかたありませんわ。お姉さまは生まれつきの鬼子ですもの。伝統的な女の美徳など求めるだけ無駄。お父さまもそれがわかっておられたからこそ、縁を切ったのでしょう?」
「ああ、そのとおりだ」
アブドゥル・ラティフは娘に言われて少しだけ機嫌を直したらしい。ノウラの生意気なふるまいに対して『縁を切る』という罰を与えてやったことを思い出して、気が晴れたのだろう。その『罰』が、ノウラ本人にとってはこの上ない喜びであることなどこの父親にわかるはずもない。
ともあれ、アブドゥル・ラティフは自分ひとり悦に入りながらつづけた。
「それに、結局のところ、あやつはきちんと役割を果たしているわけだしな」
「さよう、さよう。結婚式も着実に近づいておりますからな」
ズフラの婿、次期国王――あくまでも、操り人形としての――たる内務大臣アブドゥル・アルバルもそう声をあげて嘲笑った。
アブドゥル・ラティフは、娘婿の言葉にますます機嫌を良くしたようだった。
「そういうことだ。あの出しゃばり娘のこと。いつ永都を怒らして婚約破棄されるかと心配しておったが、それだけはなかったようだ。まあ、ジャパニメーションの世界ではあるまいし、国と国の約束を反故になどできるはずもないわけだがな」
と、王宮に積んだジャパニメーションの円盤をむさぼるように見ている国王陛下は、笑いながらおっしゃられた。
「あやつもしょせん女よ。自分では頭が良いつもりらしいが、自分が永都のもとに送り込まれた本当の理由などわかるはずもない。せいぜい、邪魔な娘を政略結婚に利用した、程度にしか思っていまい」
「本当。お姉さまのこれからを思うと、不憫でなりませんわ」
ズマラはそう言って、心の底から楽しそうに笑った。
「笑うのはまだ早いぞ、ズフラよ。計画の成否はそなたにかかっておるのだからな」
「わかっておりますわ、お父さま」
ズフラはそう言って右手をもちあげ、クルクルとまわして見せた。薬指に飾り気のない無骨な指輪をつけた、その右手を。
「我が王家は毒を操り政治を支配した、古の砂漠の一族の秘技を伝えておりますもの。わたしもその末裔として見事、役割を果たしてご覧に入れますわ」
「そのあとのことは、私めにお任せを」
内務大臣のアブドゥル・アルバルもそう言って、胸を張った。
「準備は万端、整っております。すべてはあの出しゃばり女が地球回遊国家の実権を握るために仕組んだこと。そう世界中が納得することになりましょう」
「うむ。実に愉快。永都は毒殺され、その罪はすべて、あの生意気な娘がかぶることになる。そうなれば、国王を失った地球回遊国家は瓦解。石油生成菌の大規模培養などできなくなり、我が国は産油国としての立場を保持できる。我々の権勢も安泰。まさに、めでたし、めでたしというわけだ」
「ええ、その通りですわ。お父さま。お姉さまも喜ばれることでしょう。なんと言っても、生まれてはじめてお父さまのお役に立てるのですから」
「おお、その通りだ。あの生意気な娘がはじめてかわいく思えてきたぞ」
わっーはっはっはっ。
はははははっ。
うふふふふっ。
陽光が入り込み、高価な美術品に埋め尽くされた明るい部屋。その雰囲気にあまりにも似つかわしくない暗い笑い声が三つ、高らかに響いたのだった。
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