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九章 寝室へ突撃!
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「おはようございます、永都陛下!」
戦争の幕開けでも告げるかのような高らかすぎるほど高らかな声をあげ、ドアを蹴破る勢いでノウラが永都の寝室に入り込んできたのはまだほんの早朝。
古式ゆかしい日本のマンガであれば、カーテンを透かして朝の光が入り込みスズメがチュンチュン鳴いている……といった頃のことだった。
あいにく、太平洋上を回遊する氷の船にスズメはいないが。そのかわりと言うべきか、氷の船体が朝日を乱反射する幻想的な光景は世界的に広く知られ、観光価値のひとつとなっている。
『戦争の幕開けでも告げるかのような』というのは実のところ、まちがってはいない。ノウラにとってはまぎれもなく、自分の人生を懸けた一大勝負のはじまりだったのだから。
ノウラが勢い込んで寝室に入ってきたとき――と言うか、悪役レスラーの勢いで乱入してきたとき――永都は、当然と言うべきかまだベッドのなか。
国王の身でありながらごく庶民的な安物の寝間着を着込み、しっかりと寝るでもなく、かと言って起きているでもなく、うつらうつらとした状態で、半ば眠り込んだ意識のなかをさ迷っているところだった。
それだけに、突然の大声には驚いたし、すぐに反応して飛び起きることもできた。もっとも、このときのノウラの声であれば『死人だって飛び起きるだろう……』と、永都はのちに語ったものだが。
ともかく、未来の妻たるノウラの乱入を受けて、永都は寝そべった姿勢のまま文字通りに跳びはねた。七〇代とは思えない筋肉の反射だった。
このあたり、すっかりふさぎ込んでいるとはいっても、これまでの人生でいかに鍛えられてきたかがわかる。
「な、なんだ、いきなり……!」
ノウラは、驚いて叫ぶ永都にかまわず『ズカズカ』という擬音が背景いっぱいに描き込まれているような歩調で永都に近づいた。ベッドの脇に立つと『むんず』とばかりに永都の身を覆っているシーツを手でつかむ。
「お目覚めください。朝食の用意ができています」
その言葉と共にシーツを引っぺがす。
もし、永都が裸で寝る趣味のある人物だったならさぞかし気まずい思いをさせられたことだろう。
まあ、それが『世界で二番目の美女』として知られるノウラであれば、奇声をあげて欣喜雀躍する界隈もあるだろうが、七〇代の男が裸で寝ていても盛りあがる場所は地球上のどこにもないだろう。
と言うわけで、世間の期待を裏切らずにすんだ永都国王は、ごくありふれた寝間着姿で未来の妻を見上げた。その表情にはとまどいはもちろんだがそれ以上に、怒りの色がある。
「なんだ、いきなり⁉」
永都の罵声などノウラにとってはなんでもない。朝早くから殿方の寝室に入り込んできたのにはそれ相応の理由がある。
「ですから。朝食の用意ができたのでお呼びに来たのです」
「それは執事の役目だ! というか、なんでお前がこの部屋に入ってこられる⁉ 鍵はかけておいたはずだぞ」
ノウラは永都の糾弾に対し、胸を張って答えた。その姿勢のせいで美貌に劣らず有名な胸のふくらみがより一層、際だって見える。
「この国のいったいどこに、国王の妻たるわたしの前で閉ざされたままのドアがあると言うのでしょう?」
つまりは『マスターキーは入手ずみ』というわけだ。正確には前時代的な『鍵』などではなく、すべてのドアの電子ロックを解除することのできる特製アプリだが。
それにしても、ノウラのそのふんぞり返りっぷり。『国王の妻』という立場を利用して執事に圧力をかけまくり、むりやりアプリを手に入れたのだと一目でわかる。
もし、永都にいま少しの冷静さがあれば、そのときの執事の困り方を想像してしまい同情の涙を流していたことだろう。
「さあ、まいりましょう」
ノウラは永都の腕をむんずとつかみ、引っ張り起こす。
女と男、それも、王族の娘として生まれ、力仕事などなにひとつする必要のなかった身。それでも、二三歳の健康な女性と、七〇代、それも、ここ数年はほぼ寝室にこもりっぱなしの年寄りとではやはり、ノウラの方が力がある。
永都はとまどい、怒りを覚えながら、それでもノウラの力に抵抗できずにベッドのなかから引きずり出された。
勝手に着替えさせようとするノウラを、このときばかりはさすがに断固たる態度で追い出して、普段着に着替えた。
それから、不承不承、ノウラによりそわれて食堂に向かう。そのときの永都の表情ときたら一目、見た誰もが不吉な暗雲の存在を感じ、雲隠れしたくなるようなものだった。
しかし、そんなものはしょせん、一般庶民の反応。あいにくノウラは庶民などではない。生まれついての王女であり、未来の国王の妻である。ただ堂々と、あくまでも毅然として、背筋を伸ばして未来の夫によりそい、当たり前のように腕をからめる。
いきなり、二三歳の若い肢体を預けられた七〇男はまたも飛びあがった。
「なぜ、腕を組む⁉」
「夫婦だからです」
「夫婦ではない!」
「わたしを妻として迎え入れたのでしょう」
「あくまで政略結婚だ! 実際の関係はちがう! というか、なんでアラブの女がそんな態度をとる。アラブの女は男女関係にはもっと貞淑なんじゃないのか⁉」
永都のその言葉に――。
ノウラは『やれやれ』とばかりに首を横に振った。
「いつの時代のことを話しておられるのです? アラブの女だって進化します。いまでは、欧米の女性に劣らず活動的ですよ」
そのせいで婚約者に捨てられ、父王に売られたノウラが言うのだ。説得力がちがう。
「ええい、この世にはもうおしとやかな女はおらんのか⁉」
「大和撫子を廃れさせた日本の方に言われたくはないですね」
そう澄まし返って、永都の叫びに皮肉で返すノウラであった。
ともかく、ノウラと永都は食堂へとやってきた。
『食堂』とは言ってもごくこじんまりとした部屋である。王宮の一室とはとうてい思えないほどにせまく、天井も低く、飾り気ひとつない。小さな部屋のなかにテーブルが置かれている。ただ、それだけの部屋。
これなら、その辺の中小企業の社長の方がよっぽどいい部屋で食事をしているだろう。自分たちの生活をとことん切り詰めて、すべてを地球回遊国家の発展のために捧げてきた……というのが一目でわかる部屋だった。
実際、王宮内における永都と亡き妻である七海の居住空間などごくごくわずか。『せめて、六畳間をもうひとつ……』と言っていた頃の日本家屋程度の広さしかない。
生まれも育ちも日本であるふたりにとっては、それこそが馴染みのある落ち着ける環境だったのかも知れないが。
庶民的な部屋にあわせて、と言うべきか、テーブルの上に置かれているのはさして大きくもない茶碗に盛られた梅干し一個をのせただけの白粥ひとつ。あとは、湯気を立てる緑茶を入れた湯飲みだけ。王侯貴族らしい銀の皿もなければ、贅を凝らした料理もない。むしろ、日本の時代劇に出てくる貧乏浪人の朝食風景のようだった。
永都はムスッとしたまま茶碗を手にとると、いかにも食欲のなさそうな顔で白粥をすすりはじめた。そんな永都を見てノウラが苦言を呈した。
「最近はずっとこんな食事ばかりらしいですね。肉も魚も食べずに、野菜すらとらないとか。それでは、タンパク質もカルシウムも、ビタミンすらとれませんよ」
ノウラの言葉に永都はムッとした様子で答えた。
「おれはもう七〇過ぎだ。肉や魚など食べる歳ではない」
「お歳だからこそ充分な栄養が必要なのでしょう。高齢になればなるほど筋肉も骨密度も低下しやすくなるのですから、それを防ぐためにも充分な栄養と運動が……」
「ああ、うるさい! お前はおれの女房か⁉」
「そうです」
ノウラにきっぱりと答えられ、永都は言葉を失った。実際、結婚を承知して迎え入れたのだから、そう言われてしまえば反論のしようもない。
永都はいかにも不機嫌そうな様子で粥をすすった。ふと、ノウラの手前に目をやった。そこには自分と同じ、梅干しをのせた白粥と緑茶だけがおかれていた。
「……お前こそ、その若さでそんな食事では身がもたんだろう。肉でも魚でもちゃんとしたものを食え」
「わたしはあなたの妻です。夫と同じものをいただきます」
「……たしかに、おれは結婚を承知してお前を迎え入れた。その意味ではお前が王妃なのは確かだ。だが、妻ではない。おれはお前を妻として扱う気はない。すでにそう言った」
「それは、そちらのご都合。わたしはあなたの妻になりに来ました」
「おれの妻はひとりだけだ!」
世の女性すべてが感涙にむせびそうなその台詞を、しかし、ノウラは笑い飛ばした。
「一国の王ともあろうお方が、なにを小さいことをおっしゃる。『世界中の女をおれの嫁にしてやる!』と言うぐらいの気概はないのですか?」
「おれがそんな歳か⁉ というか、なんで女がそんなことを言うんだ」
「わたしは一夫多妻の本場とも言うべきアラブの女。夫が何人の妻をもとうと気にしたりはしませんよ。むしろ、大歓迎です。王家には子どもは多くいた方がいいですし、わたしひとりでそんなに産んでいられませんから」
「都合のいいときだけ『アラブの女』になるな!」
永都は怒鳴った。怒りが刺激となって胃腸の働きを活発にさせたものか、本人も気づかないうちに茶碗一杯の粥をすっかり平らげてしまった。
驚いたのは執事と料理人である。ここ最近は朝はずっとベッドのなかでうつらうつらとして過ごし、朝食を食べない日も多い。食べてもたいていは半分も食べればいいほう、残すのが当たり前……という状況だったのだから。
それが、きれいに平らげるなどいったい、いつ以来だろう。
「……ごちそうさま」
永都はいかにも不機嫌そうなムスッとした表情で、それでも、日本人らしい言葉を残して立ちあがった。
「寝る」
短く言って、寝室に向かおうとする。その永都の腕を、素早く立ちあがり追いかけたノウラが捕まえた。
「今度はなんだ⁉」
叫ぶ永都に、ノウラは毅然として言った。
「お散歩に行きましょう」
「散歩だと⁉」
「執事から聞きました。永都陛下、最近ではいつもベッドのなかだそうではありませんか。それも、お眠りになられるわけでもなく、うつらうつらとして過ごしていらっしゃるばかりとか。しかも、お食事もろくに召しあがらないそうではありませんか。
ろくに運動しないからそんなことになるのです。きちんと運動して体を使えば気持ちよく眠れるようになりますし、食事もできるようになりますよ」
ノウラはそう言ってからさらにつづけた。
「でも、だからと言って急に激しい運動は無茶というもの。ですから、まずは散歩からはじめましょう。散歩することで体が運動に慣れたら、徐々に強度を高めていきましょう」
「おれはもう七〇を過ぎているんだぞ! 運動なんかする歳じゃない」
「百歳児が何人いる時代だと思っているんですか。いまどき、七〇代なんてまだまだ若造ですよ。さあ、まいりましょう」
ノウラはそう言いながら永都をグイグイ引っ張っていく。かくして――。
地球回遊国家の国王陛下は未来の妻に引きずられていったのだった。
戦争の幕開けでも告げるかのような高らかすぎるほど高らかな声をあげ、ドアを蹴破る勢いでノウラが永都の寝室に入り込んできたのはまだほんの早朝。
古式ゆかしい日本のマンガであれば、カーテンを透かして朝の光が入り込みスズメがチュンチュン鳴いている……といった頃のことだった。
あいにく、太平洋上を回遊する氷の船にスズメはいないが。そのかわりと言うべきか、氷の船体が朝日を乱反射する幻想的な光景は世界的に広く知られ、観光価値のひとつとなっている。
『戦争の幕開けでも告げるかのような』というのは実のところ、まちがってはいない。ノウラにとってはまぎれもなく、自分の人生を懸けた一大勝負のはじまりだったのだから。
ノウラが勢い込んで寝室に入ってきたとき――と言うか、悪役レスラーの勢いで乱入してきたとき――永都は、当然と言うべきかまだベッドのなか。
国王の身でありながらごく庶民的な安物の寝間着を着込み、しっかりと寝るでもなく、かと言って起きているでもなく、うつらうつらとした状態で、半ば眠り込んだ意識のなかをさ迷っているところだった。
それだけに、突然の大声には驚いたし、すぐに反応して飛び起きることもできた。もっとも、このときのノウラの声であれば『死人だって飛び起きるだろう……』と、永都はのちに語ったものだが。
ともかく、未来の妻たるノウラの乱入を受けて、永都は寝そべった姿勢のまま文字通りに跳びはねた。七〇代とは思えない筋肉の反射だった。
このあたり、すっかりふさぎ込んでいるとはいっても、これまでの人生でいかに鍛えられてきたかがわかる。
「な、なんだ、いきなり……!」
ノウラは、驚いて叫ぶ永都にかまわず『ズカズカ』という擬音が背景いっぱいに描き込まれているような歩調で永都に近づいた。ベッドの脇に立つと『むんず』とばかりに永都の身を覆っているシーツを手でつかむ。
「お目覚めください。朝食の用意ができています」
その言葉と共にシーツを引っぺがす。
もし、永都が裸で寝る趣味のある人物だったならさぞかし気まずい思いをさせられたことだろう。
まあ、それが『世界で二番目の美女』として知られるノウラであれば、奇声をあげて欣喜雀躍する界隈もあるだろうが、七〇代の男が裸で寝ていても盛りあがる場所は地球上のどこにもないだろう。
と言うわけで、世間の期待を裏切らずにすんだ永都国王は、ごくありふれた寝間着姿で未来の妻を見上げた。その表情にはとまどいはもちろんだがそれ以上に、怒りの色がある。
「なんだ、いきなり⁉」
永都の罵声などノウラにとってはなんでもない。朝早くから殿方の寝室に入り込んできたのにはそれ相応の理由がある。
「ですから。朝食の用意ができたのでお呼びに来たのです」
「それは執事の役目だ! というか、なんでお前がこの部屋に入ってこられる⁉ 鍵はかけておいたはずだぞ」
ノウラは永都の糾弾に対し、胸を張って答えた。その姿勢のせいで美貌に劣らず有名な胸のふくらみがより一層、際だって見える。
「この国のいったいどこに、国王の妻たるわたしの前で閉ざされたままのドアがあると言うのでしょう?」
つまりは『マスターキーは入手ずみ』というわけだ。正確には前時代的な『鍵』などではなく、すべてのドアの電子ロックを解除することのできる特製アプリだが。
それにしても、ノウラのそのふんぞり返りっぷり。『国王の妻』という立場を利用して執事に圧力をかけまくり、むりやりアプリを手に入れたのだと一目でわかる。
もし、永都にいま少しの冷静さがあれば、そのときの執事の困り方を想像してしまい同情の涙を流していたことだろう。
「さあ、まいりましょう」
ノウラは永都の腕をむんずとつかみ、引っ張り起こす。
女と男、それも、王族の娘として生まれ、力仕事などなにひとつする必要のなかった身。それでも、二三歳の健康な女性と、七〇代、それも、ここ数年はほぼ寝室にこもりっぱなしの年寄りとではやはり、ノウラの方が力がある。
永都はとまどい、怒りを覚えながら、それでもノウラの力に抵抗できずにベッドのなかから引きずり出された。
勝手に着替えさせようとするノウラを、このときばかりはさすがに断固たる態度で追い出して、普段着に着替えた。
それから、不承不承、ノウラによりそわれて食堂に向かう。そのときの永都の表情ときたら一目、見た誰もが不吉な暗雲の存在を感じ、雲隠れしたくなるようなものだった。
しかし、そんなものはしょせん、一般庶民の反応。あいにくノウラは庶民などではない。生まれついての王女であり、未来の国王の妻である。ただ堂々と、あくまでも毅然として、背筋を伸ばして未来の夫によりそい、当たり前のように腕をからめる。
いきなり、二三歳の若い肢体を預けられた七〇男はまたも飛びあがった。
「なぜ、腕を組む⁉」
「夫婦だからです」
「夫婦ではない!」
「わたしを妻として迎え入れたのでしょう」
「あくまで政略結婚だ! 実際の関係はちがう! というか、なんでアラブの女がそんな態度をとる。アラブの女は男女関係にはもっと貞淑なんじゃないのか⁉」
永都のその言葉に――。
ノウラは『やれやれ』とばかりに首を横に振った。
「いつの時代のことを話しておられるのです? アラブの女だって進化します。いまでは、欧米の女性に劣らず活動的ですよ」
そのせいで婚約者に捨てられ、父王に売られたノウラが言うのだ。説得力がちがう。
「ええい、この世にはもうおしとやかな女はおらんのか⁉」
「大和撫子を廃れさせた日本の方に言われたくはないですね」
そう澄まし返って、永都の叫びに皮肉で返すノウラであった。
ともかく、ノウラと永都は食堂へとやってきた。
『食堂』とは言ってもごくこじんまりとした部屋である。王宮の一室とはとうてい思えないほどにせまく、天井も低く、飾り気ひとつない。小さな部屋のなかにテーブルが置かれている。ただ、それだけの部屋。
これなら、その辺の中小企業の社長の方がよっぽどいい部屋で食事をしているだろう。自分たちの生活をとことん切り詰めて、すべてを地球回遊国家の発展のために捧げてきた……というのが一目でわかる部屋だった。
実際、王宮内における永都と亡き妻である七海の居住空間などごくごくわずか。『せめて、六畳間をもうひとつ……』と言っていた頃の日本家屋程度の広さしかない。
生まれも育ちも日本であるふたりにとっては、それこそが馴染みのある落ち着ける環境だったのかも知れないが。
庶民的な部屋にあわせて、と言うべきか、テーブルの上に置かれているのはさして大きくもない茶碗に盛られた梅干し一個をのせただけの白粥ひとつ。あとは、湯気を立てる緑茶を入れた湯飲みだけ。王侯貴族らしい銀の皿もなければ、贅を凝らした料理もない。むしろ、日本の時代劇に出てくる貧乏浪人の朝食風景のようだった。
永都はムスッとしたまま茶碗を手にとると、いかにも食欲のなさそうな顔で白粥をすすりはじめた。そんな永都を見てノウラが苦言を呈した。
「最近はずっとこんな食事ばかりらしいですね。肉も魚も食べずに、野菜すらとらないとか。それでは、タンパク質もカルシウムも、ビタミンすらとれませんよ」
ノウラの言葉に永都はムッとした様子で答えた。
「おれはもう七〇過ぎだ。肉や魚など食べる歳ではない」
「お歳だからこそ充分な栄養が必要なのでしょう。高齢になればなるほど筋肉も骨密度も低下しやすくなるのですから、それを防ぐためにも充分な栄養と運動が……」
「ああ、うるさい! お前はおれの女房か⁉」
「そうです」
ノウラにきっぱりと答えられ、永都は言葉を失った。実際、結婚を承知して迎え入れたのだから、そう言われてしまえば反論のしようもない。
永都はいかにも不機嫌そうな様子で粥をすすった。ふと、ノウラの手前に目をやった。そこには自分と同じ、梅干しをのせた白粥と緑茶だけがおかれていた。
「……お前こそ、その若さでそんな食事では身がもたんだろう。肉でも魚でもちゃんとしたものを食え」
「わたしはあなたの妻です。夫と同じものをいただきます」
「……たしかに、おれは結婚を承知してお前を迎え入れた。その意味ではお前が王妃なのは確かだ。だが、妻ではない。おれはお前を妻として扱う気はない。すでにそう言った」
「それは、そちらのご都合。わたしはあなたの妻になりに来ました」
「おれの妻はひとりだけだ!」
世の女性すべてが感涙にむせびそうなその台詞を、しかし、ノウラは笑い飛ばした。
「一国の王ともあろうお方が、なにを小さいことをおっしゃる。『世界中の女をおれの嫁にしてやる!』と言うぐらいの気概はないのですか?」
「おれがそんな歳か⁉ というか、なんで女がそんなことを言うんだ」
「わたしは一夫多妻の本場とも言うべきアラブの女。夫が何人の妻をもとうと気にしたりはしませんよ。むしろ、大歓迎です。王家には子どもは多くいた方がいいですし、わたしひとりでそんなに産んでいられませんから」
「都合のいいときだけ『アラブの女』になるな!」
永都は怒鳴った。怒りが刺激となって胃腸の働きを活発にさせたものか、本人も気づかないうちに茶碗一杯の粥をすっかり平らげてしまった。
驚いたのは執事と料理人である。ここ最近は朝はずっとベッドのなかでうつらうつらとして過ごし、朝食を食べない日も多い。食べてもたいていは半分も食べればいいほう、残すのが当たり前……という状況だったのだから。
それが、きれいに平らげるなどいったい、いつ以来だろう。
「……ごちそうさま」
永都はいかにも不機嫌そうなムスッとした表情で、それでも、日本人らしい言葉を残して立ちあがった。
「寝る」
短く言って、寝室に向かおうとする。その永都の腕を、素早く立ちあがり追いかけたノウラが捕まえた。
「今度はなんだ⁉」
叫ぶ永都に、ノウラは毅然として言った。
「お散歩に行きましょう」
「散歩だと⁉」
「執事から聞きました。永都陛下、最近ではいつもベッドのなかだそうではありませんか。それも、お眠りになられるわけでもなく、うつらうつらとして過ごしていらっしゃるばかりとか。しかも、お食事もろくに召しあがらないそうではありませんか。
ろくに運動しないからそんなことになるのです。きちんと運動して体を使えば気持ちよく眠れるようになりますし、食事もできるようになりますよ」
ノウラはそう言ってからさらにつづけた。
「でも、だからと言って急に激しい運動は無茶というもの。ですから、まずは散歩からはじめましょう。散歩することで体が運動に慣れたら、徐々に強度を高めていきましょう」
「おれはもう七〇を過ぎているんだぞ! 運動なんかする歳じゃない」
「百歳児が何人いる時代だと思っているんですか。いまどき、七〇代なんてまだまだ若造ですよ。さあ、まいりましょう」
ノウラはそう言いながら永都をグイグイ引っ張っていく。かくして――。
地球回遊国家の国王陛下は未来の妻に引きずられていったのだった。
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