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喫茶カメリア

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「店長、あの人からお笑いライブのチケット貰ったんですけど」

 大都会東京、23区の中でも結構な賑わいを見せる街。大きな駅からは徒歩15分と離れた場所にある今時珍しい24時間営業の喫茶店で俺は働いていた。
 ビルの一階に店を構えていて入口は表と裏の二つ。どちらにも昭和レトロな看板があって夜になるとネオンで彩られる。内装も今時のオシャレって感じではなくて、なんかイタリアとかヨーロッパとかそこら辺の老舗喫茶店みたいだ。曖昧なのは俺がそういうのに詳しくないから。

 でもオシャレよりお洒落って感じの店である。
 俺のお店の好きポイントはめちゃくちゃ座り心地のいいソファ。めちゃくちゃ高いらしくてたまに傷が付いたりしていると店長がめちゃくちゃ不機嫌になる。

 さて、そんなお洒落な喫茶店で働いている俺が今手に持っているのは大人気お笑い芸人の漫才ライブのチケットだ。俺は結構前からこの人たちのファンなんだけど全然チケットが取れなくて、いつか行けたら良いなぁと思っていたある意味夢のチケットである。
 夢を片手に満面の笑みで告げた俺を見る店長の顔は無表情から一気に険しいものに変わって俺はあれ? と瞬きをした。

「返してこい」
「え」
「返してこいって言ってんだよアホンダラ」
「えええでも俺この人たちすげえ好きで」
「んなこたぁ関係ねェんだよ。いいか、それ絶対に使うなよ」

 尚も食い下がろうとする俺を今度こそ店長は睨んだ。
 もう還暦を越しているまさにダンディって言葉が何よりも似合う店長は眉間に深く皺を刻んで鋭い目で俺を見据える。

「…で、でも、ほら、あの人良い人じゃないっすか…」

 へら、と引き気味に笑って一歩後ろに下がった俺を見て低い声で「アホンダラ」と店長が呟いた。

「人殺してそれを“無かったこと“に出来る連中が良い人な訳ねえだろうが」

 あまりに現実味の無いことを言われてフリーズした俺に溜息を吐いて店長はサイフォンの方に向き直った。丁度上がり始めた湯を眺め、専用の木べらで珈琲を混ぜて放置する。

「わかったらそれ返しとけよ。明日も来るだろ、あのにいちゃんは」

 固まっている俺に目もくれず店長は珈琲と店内に気を配り、時間が来たらもう一度木べらで混ぜてゆっくりと濃い茶色の液体が降りて来るのを待つ。フラスコの真ん中より少し上まで珈琲が溜まるとそれが出来上がりの合図だ。

「おらボケっとしてんじゃねえ。これA5卓のお客様の分だ、へますんじゃねえぞ」
 渡された物を受け取って返事をして、なんとなく足が浮いたような心地のまま仕事に戻った。

 
 俺の働く喫茶店、喫茶カメリアは今時珍しい24時間営業の喫茶店だ。
 そして今時珍しい喫煙可能な喫茶店でもある。
 大都会東京の中でも指折りの繁華街の近くにあるこの店には様々なお客さんがやって来る。それこそ年齢性別職業問わず様々な人が。
 あ、値段は大都会価格でお高めだから学生はそう頻繁には来ないかも。

 それでもドリンクもフードも美味いと評判で内装も映えるとかなんだとかで連日連夜忙しいこの店だが、緊張が走る一幕が度々ある。
 それがやってきたのはチケットの話をした翌日だった。

 ジリリリリ。ジリリリリ。

 年代物にも程がある電話の音が店内に響き、受話器を取る。そして低く荒い声が端的に用件を伝えてきて俺は「少々お待ちください」と受話器の片側を手で押さえて店長を見る。
 それだけで誰からの電話でなんの要件か理解したらしく他の従業員に指示を飛ばした。それを見てからもう一度受話器を耳にあて何度か受け答えをして、通話が終了したのを確認してから受話器を元の位置に戻す。

「何時に来るって?」

 サイフォンと向き合いながら店長が声を掛けてきた。

「30分後っすね」
「来たらこの前のやつ返しとけよ」

 未だに俺がチケットのことを渋っているのを見越してか念を押すように告げられた言葉に「はい」と苦い声で返して俺は他の従業員と一緒にテーブルをセッティングし始めた。
 この店のテーブルのほとんどが移動可能で今用意しているのは10名以上が座ることのできる大テーブルだ。4名席をふたつと2名席をひとつを合わせて完成となる。

 内装に合うようにと店長が選んだ赤みの強い大理石風の化粧板があしらわれたテーブルを丁寧に拭いて椅子を整える。普通なら置いておくメニュー表をあえて置かないようにするのはすでに注文する品が決まっているからだ。

「ブレンドが3、アイコが3、オレが1、ココアのクリーム無しが1とチョコパが1、あとなんだ」
「あとピザトーっす漆間うるしまさん。あ、チョコソース多めのが良いっすよ」
「カフェオレは珈琲強めで良いって?」
「いつもと同じで大丈夫っす」
「わかった」

 にわかに慌ただしくなる俺たちを一週間前に入ったばかりの新人が目を瞬かせながら見ていて俺はいけね、とバックヤードに手招きした。
 調理場も全てが客席から見えるようになっているこの店で唯一お客さんからの視界を気にしないで良い場所がこのバックルームだ。表はそれは綺麗に丁寧に整理されているがバックヤードは物がとにかく多くて乱雑だ。おまけにめちゃくちゃ狭い。
 二人横並びになれないくらい狭い。
 そんな場所に呼び出された新人の女の子はまだ慣れない様子で俺のことを伺っていた。

「まだ慣れないっすよね。今日で何回目っすか?」
「さ、3回めです」
「おーピッチピチの新人だ。あ、ドリンクとかちゃんと飲んでる? ドリンカーの人に言ったらアイコかアイティーくれるから好きなの頼んでくださいね」
「あ、アイスコーヒーとアイスティーですね…!」
「そうそう、最初この略し方違和感しか無いっすよね。でもまあそのうち慣れますよ。で、どっち飲みます?」
「アイスティーがいいです」
「おっけ。店長、新人ちゃんアイスティー飲みたいってー」

 俺の言葉が聞こえたらしい店長はドリンク用のグラスを持ってアイスティーを淹れた。それを調理担当の漆間さんに渡して、今度は俺が受け取る。

「シロップとかいらなかった?」
「大丈夫です。ありがとうございます」

 俺もアイスコーヒーを淹れて貰って一口飲み、そもそもここに連れてこられた理由を問うような視線を新人ちゃんが向けているのに気がついて眉を下げながら笑う。

「そうだったそうだった、普通に一服しちゃってたわ。驚かずに聞いて欲しいんすけど」

 フロアからは他の従業員の元気の良いオーダーの声が聞こえてくる。それに返す「かしこまりました」の声が渋くて笑いそうになるのは仕方がないことのような気がする。
 天気も良く人通りも多い。常連さんの中にはブライダル系の社長だったりちょっと怪しげなコンサルの人だったり、多分アーティストの人もいる。けれどそういった普通の人だけが常連様ということはなくて。
 たまに怖い人もいるのだ。

「今からヤクザ来るんすよ」

 目を大きく開き口をぽかんと開けた新人ちゃんはそのまま数秒固まり、そして「え」とだけ呟いた。
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