67 / 105
第三章 東の国の大きなお風呂編
よく似た少年
しおりを挟む
けれどそれはステラに触れることなく弾かれた。
「ぎゃっ!」
ばちん、と目に見えない膜が張られ、それが衝撃を吸収してそのままかそれ以上の威力を犯人に叩き付けた。その結果その人は弾き飛ばされ、床に叩きつけられた。ステラはなにが起こったのかわからず目を見開いていたが、はっとして右腕を持ち上げた。
その手首にはまっているのは華奢な腕輪だが、煌めくアメジストが嵌め込まれている。脳裏に浮かんだのはてぷの姿だった。
(これが守ってくれたんだ…)
再び安堵に息を吐くが床に蹲った人が咳き込む音を聞いてステラは全身に力を入れて体を起こした。何かを飲まされたのか嗅がされたのか、体が異常なほど重い。けれどそれらはステラに関係無いものだ。
小さな声で癒しの魔法を唱え、光の粒子がステラを包む。その光が収束したと同時に体の重たさは消えてステラはすぐさまベッドから降りてその人に近付いた。
「大丈夫ですか?」
ステラと同じ黒髪で、体は心配になるほど痩せているのが服越しからでもわかる。骨が浮いている背中に触れながら声を掛けると、その人は獣のように唸ってステラの腕を振り解いた。
「オレに触るな!」
振り返ったその人に、ステラは言葉を失った。
胸の辺りにまで伸ばされた艶のある黒髪に、きちんとした服を着ているのに痩せた体。年齢は十代の前半かそれよりももう少し上か、旅を始めた時のステラより少し幼いかもしれない。けれどステラが言葉を失ったのはそれらが原因ではない。
顔が、よく似ていると思った。目の色こそ髪と同じ黒だから違うけれども、顔立ちはステラが毎日鏡で見ているものと、よく似ていると思った。互いに数秒ほど見合って、敵意を剥き出しにしていた表情を崩したのは少年だった。
苛立ちと怨嗟の念すら感じた目が潤み、その場にまた蹲ってしまった。ぐずぐずと体を震わせて明らかに泣いている少年を見てステラは困り果ててしまった。きっとこの子はなにを聞いても答えてはくれないだろうし、かといってこんな状態の子供を置いてステラはどこかにいけない。
せめてここがどこかだけでもわかれば、と室内を見渡すと自分が寝かされていたのがベッドではなくいくつもの敷布が重ねられた布団だというのがわかった。先入観で床だと思っていたものは畳だし、室内の装飾も全てがアズマヒの国特有のものだ。
そして聞こえてきた音に、ステラはびくっと体を大きく跳ねさせた。そして、理解した。
「……ここはタカマガハラですか?」
少年はなにも答えない。けれどその沈黙が答えだとステラは確信した。
「……あなたの名前は? 私は、……」
ステラは名乗ることを躊躇した。この子はもしかしなくともキースの手下だろう。一緒にいたのが何よりもの証明だ。けれど、ステラの顔を見た途端泣き崩れたこの子が完全な悪だとはステラはとても思えなかった。
「……私はステラといいます。よかったら、あなたの名前を教えてもらえませんか?」
「……」
のろのろと顔を上げた少年の顔はやはり泣き濡れている。その涙がどこから来るものなのか、ステラにはわからない。けれど途方に暮れた子供のようなその表情に胸が痛くなり、再び背中に触れると今度は振り払われなかった。
「……ない」
小さな声だから聞き間違いかと思った。けれど少年は底の見えない沼のように濁った目でステラを見た。
「ない。オレに名前、ない」
表情を変えないよう努めるのが精一杯だった。ここでほんの少しでも哀れみを見せたら、きっとこの少年は二度とステラを見ない。なんの根拠もなくそう思った。
「……そうですか」
その言葉も、そして無表情にも見えるステラの顔にも少年は意外そうに目を丸くした。相変わらず濁っているが、その目はステラを探っているようにも思える。
仕草が幼いと思った。ステラを見る視線の動きも、不安を感じているのか服を強く握っている姿も思っていることを上手く言語化出来ずに唇を引き結んでいる姿も、見た目から推測される年齢より幼く見えた。
じっと見つめていると、少年の顔が歪む。それは苛立ちというよりは困惑のそれに近いような気がした。
「……おまえ、聖女なんだろ……?」
疑問というよりは確認をしている響きだった。
「……以前は。今はもう違います。どうして私が聖女だと?」
化け物じみた執着をステラに向けるキースはともかくとして、目の前の少年がステラを聖女だと思うのは素直に疑問だった。なぜならステラの今の姿は女性でも無ければ、当時の面影もほとんどないからだ。
「そ、れは」
「余計なこと喋んないでよねぇ」
毒花の蜜のような声がした瞬間、少年の体がステラの視界から消えた。
「ぎゃっ!」
ばちん、と目に見えない膜が張られ、それが衝撃を吸収してそのままかそれ以上の威力を犯人に叩き付けた。その結果その人は弾き飛ばされ、床に叩きつけられた。ステラはなにが起こったのかわからず目を見開いていたが、はっとして右腕を持ち上げた。
その手首にはまっているのは華奢な腕輪だが、煌めくアメジストが嵌め込まれている。脳裏に浮かんだのはてぷの姿だった。
(これが守ってくれたんだ…)
再び安堵に息を吐くが床に蹲った人が咳き込む音を聞いてステラは全身に力を入れて体を起こした。何かを飲まされたのか嗅がされたのか、体が異常なほど重い。けれどそれらはステラに関係無いものだ。
小さな声で癒しの魔法を唱え、光の粒子がステラを包む。その光が収束したと同時に体の重たさは消えてステラはすぐさまベッドから降りてその人に近付いた。
「大丈夫ですか?」
ステラと同じ黒髪で、体は心配になるほど痩せているのが服越しからでもわかる。骨が浮いている背中に触れながら声を掛けると、その人は獣のように唸ってステラの腕を振り解いた。
「オレに触るな!」
振り返ったその人に、ステラは言葉を失った。
胸の辺りにまで伸ばされた艶のある黒髪に、きちんとした服を着ているのに痩せた体。年齢は十代の前半かそれよりももう少し上か、旅を始めた時のステラより少し幼いかもしれない。けれどステラが言葉を失ったのはそれらが原因ではない。
顔が、よく似ていると思った。目の色こそ髪と同じ黒だから違うけれども、顔立ちはステラが毎日鏡で見ているものと、よく似ていると思った。互いに数秒ほど見合って、敵意を剥き出しにしていた表情を崩したのは少年だった。
苛立ちと怨嗟の念すら感じた目が潤み、その場にまた蹲ってしまった。ぐずぐずと体を震わせて明らかに泣いている少年を見てステラは困り果ててしまった。きっとこの子はなにを聞いても答えてはくれないだろうし、かといってこんな状態の子供を置いてステラはどこかにいけない。
せめてここがどこかだけでもわかれば、と室内を見渡すと自分が寝かされていたのがベッドではなくいくつもの敷布が重ねられた布団だというのがわかった。先入観で床だと思っていたものは畳だし、室内の装飾も全てがアズマヒの国特有のものだ。
そして聞こえてきた音に、ステラはびくっと体を大きく跳ねさせた。そして、理解した。
「……ここはタカマガハラですか?」
少年はなにも答えない。けれどその沈黙が答えだとステラは確信した。
「……あなたの名前は? 私は、……」
ステラは名乗ることを躊躇した。この子はもしかしなくともキースの手下だろう。一緒にいたのが何よりもの証明だ。けれど、ステラの顔を見た途端泣き崩れたこの子が完全な悪だとはステラはとても思えなかった。
「……私はステラといいます。よかったら、あなたの名前を教えてもらえませんか?」
「……」
のろのろと顔を上げた少年の顔はやはり泣き濡れている。その涙がどこから来るものなのか、ステラにはわからない。けれど途方に暮れた子供のようなその表情に胸が痛くなり、再び背中に触れると今度は振り払われなかった。
「……ない」
小さな声だから聞き間違いかと思った。けれど少年は底の見えない沼のように濁った目でステラを見た。
「ない。オレに名前、ない」
表情を変えないよう努めるのが精一杯だった。ここでほんの少しでも哀れみを見せたら、きっとこの少年は二度とステラを見ない。なんの根拠もなくそう思った。
「……そうですか」
その言葉も、そして無表情にも見えるステラの顔にも少年は意外そうに目を丸くした。相変わらず濁っているが、その目はステラを探っているようにも思える。
仕草が幼いと思った。ステラを見る視線の動きも、不安を感じているのか服を強く握っている姿も思っていることを上手く言語化出来ずに唇を引き結んでいる姿も、見た目から推測される年齢より幼く見えた。
じっと見つめていると、少年の顔が歪む。それは苛立ちというよりは困惑のそれに近いような気がした。
「……おまえ、聖女なんだろ……?」
疑問というよりは確認をしている響きだった。
「……以前は。今はもう違います。どうして私が聖女だと?」
化け物じみた執着をステラに向けるキースはともかくとして、目の前の少年がステラを聖女だと思うのは素直に疑問だった。なぜならステラの今の姿は女性でも無ければ、当時の面影もほとんどないからだ。
「そ、れは」
「余計なこと喋んないでよねぇ」
毒花の蜜のような声がした瞬間、少年の体がステラの視界から消えた。
95
お気に入りに追加
282
あなたにおすすめの小説
幽閉王子は最強皇子に包まれる
皇洵璃音
BL
魔法使いであるせいで幼少期に幽閉された第三王子のアレクセイ。それから年数が経過し、ある日祖国は滅ぼされてしまう。毛布に包まっていたら、敵の帝国第二皇子のレイナードにより連行されてしまう。処刑場にて皇帝から二つの選択肢を提示されたのだが、二つ目の内容は「レイナードの花嫁になること」だった。初めて人から求められたこともあり、花嫁になることを承諾する。素直で元気いっぱいなド直球第二皇子×愛されることに慣れていない治癒魔法使いの第三王子の恋愛物語。
表紙担当者:白す(しらす)様に描いて頂きました。
転移したらなぜかコワモテ騎士団長に俺だけ子供扱いされてる
塩チーズ
BL
平々凡々が似合うちょっと中性的で童顔なだけの成人男性。転移して拾ってもらった家の息子がコワモテ騎士団長だった!
特に何も無く平凡な日常を過ごすが、騎士団長の妙な噂を耳にしてある悩みが出来てしまう。
【BL】こんな恋、したくなかった
のらねことすていぬ
BL
【貴族×貴族。明るい人気者×暗め引っ込み思案。】
人付き合いの苦手なルース(受け)は、貴族学校に居た頃からずっと人気者のギルバート(攻め)に恋をしていた。だけど彼はきらきらと輝く人気者で、この恋心はそっと己の中で葬り去るつもりだった。
ある日、彼が成り上がりの令嬢に恋をしていると聞く。苦しい気持ちを抑えつつ、二人の恋を応援しようとするルースだが……。
※ご都合主義、ハッピーエンド
死に戻り騎士は、今こそ駆け落ち王子を護ります!
時雨
BL
「駆け落ちの供をしてほしい」
すべては真面目な王子エリアスの、この一言から始まった。
王子に”国を捨てても一緒になりたい人がいる”と打ち明けられた、護衛騎士ランベルト。
発表されたばかりの公爵家令嬢との婚約はなんだったのか!?混乱する騎士の気持ちなど関係ない。
国境へ向かう二人を追う影……騎士ランベルトは追手の剣に倒れた。
後悔と共に途切れた騎士の意識は、死亡した時から三年も前の騎士団の寮で目覚める。
――二人に追手を放った犯人は、一体誰だったのか?
容疑者が浮かんでは消える。そもそも犯人が三年先まで何もしてこない保証はない。
怪しいのは、王位を争う第一王子?裏切られた公爵令嬢?…正体不明の駆け落ち相手?
今度こそ王子エリアスを護るため、過去の記憶よりも積極的に王子に関わるランベルト。
急に距離を縮める騎士を、はじめは警戒するエリアス。ランベルトの昔と変わらぬ態度に、徐々にその警戒も解けていって…?
過去にない行動で変わっていく事象。動き出す影。
ランベルトは今度こそエリアスを護りきれるのか!?
負けず嫌いで頑固で堅実、第二王子(年下) × 面倒見の良い、気の長い一途騎士(年上)のお話です。
-------------------------------------------------------------------
主人公は頑な、王子も頑固なので、ゆるい気持ちで見守っていただけると幸いです。
転生令息は冒険者を目指す!?
葛城 惶
BL
ある時、日本に大規模災害が発生した。
救助活動中に取り残された少女を助けた自衛官、天海隆司は直後に土砂の崩落に巻き込まれ、意識を失う。
再び目を開けた時、彼は全く知らない世界に転生していた。
異世界で美貌の貴族令息に転生した脳筋の元自衛官は憧れの冒険者になれるのか?!
とってもお馬鹿なコメディです(;^_^A
竜王陛下、番う相手、間違えてますよ
てんつぶ
BL
大陸の支配者は竜人であるこの世界。
『我が国に暮らすサネリという夫婦から生まれしその長子は、竜王陛下の番いである』―――これが俺たちサネリ
姉弟が生まれたる数日前に、竜王を神と抱く神殿から発表されたお触れだ。
俺の双子の姉、ナージュは生まれる瞬間から竜王妃決定。すなわち勝ち組人生決定。 弟の俺はいつかかわいい奥さんをもらう日を夢みて、平凡な毎日を過ごしていた。 姉の嫁入りである18歳の誕生日、何故か俺のもとに竜王陛下がやってきた!? 王道ストーリー。竜王×凡人。
20230805 完結しましたので全て公開していきます。
龍は精霊の愛し子を愛でる
林 業
BL
竜人族の騎士団団長サンムーンは人の子を嫁にしている。
その子は精霊に愛されているが、人族からは嫌われた子供だった。
王族の養子として、騎士団長の嫁として今日も楽しく自由に生きていく。
【完結】最強公爵様に拾われた孤児、俺
福の島
BL
ゴリゴリに前世の記憶がある少年シオンは戸惑う。
目の前にいる男が、この世界最強の公爵様であり、ましてやシオンを養子にしたいとまで言ったのだから。
でも…まぁ…いっか…ご飯美味しいし、風呂は暖かい…
……あれ…?
…やばい…俺めちゃくちゃ公爵様が好きだ…
前置きが長いですがすぐくっつくのでシリアスのシの字もありません。
1万2000字前後です。
攻めのキャラがブレるし若干変態です。
無表情系クール最強公爵様×のんき転生主人公(無自覚美形)
おまけ完結済み
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる