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第一章 北の国の美味しいもの編

旅の始まりと現在

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『ステラ! ステラ! 早くボクにそれちょうだい!』
「わ、わかりました。わかりましたからもう少しだけ我慢してください…!」
「はいよお兄さんお待ちどう、フロストベアの串焼きだよ! 三本で十五ベルだ!」
「ありがとうございますっ」
「はい十五ベル確かに。……ありゃ、でっかいやつはどっか行っちまったのかい? 姿が見えねえけど」
「!」

 ステラは慌てて後ろを向いた。そして色とりどりの髪色がいる人混みの中でも一人頭が飛び抜けている存在を見つけて声を張り上げた。

「リヴィ! 迷子になるから独り歩きしちゃダメって言ったでしょう!」

 店主から豪快に肉の塊が三つ刺さった串を受け取ったステラは挨拶もそこそこにリヴィウスの側に走った。ステラの声が聞こえたからか足を止めた存在が側に見知った気配が来たことで顔を向ける。その表情はどこまでも不満気で、だがその視線はステラの持つフロストベアの串焼きに釘付けだ。

「…お前はいつになったら俺に対するその扱いをやめるんだ」
「その扱いってどの扱いですか? 迷子扱いのことです? それならこの前行った街で迷子になって近所の子供たちに慰められてたのは一体どこの誰ですかね」
「あれはガキどもの相手をしてやっていたんだ」
『言い訳が苦しいぞ、リヴィ』
「丸焼きにしてくれるぞトカゲ」
『ステラー! リヴィがいじめるよー!』

 小さな子供の姿に変身したてぷがステラの腰に抱き付く。淡い紫色のふわふわとした髪に同じ色合いの瞳に見上げられてトス、と心臓に矢が刺さったような心地になるが今はとりあえず、とステラは息を吸った。

「あちらに座れる場所があったからいきましょう。これを食べるのはそれからです。てぷ様はリヴィと手を繋いでいてください」
『わかった!』

 魔王ことリヴィウスは心の底から納得していない顔をしつつ、それでも大人しくてぷと手を繋いでステラの後をついてくる。見た目は子供が逸れないように手を繋ぐ保護者のようだが、実態はリヴィウスが逸れないようにてぷが手を繋いであげている状態だ。
 何故こんな事態になっているのか。それは随分前のことである……。



 ───



 まだ三人が闇の神殿で暮らしていた頃だ。出会った当初感じていた主にステラとリヴィウスのギクシャクとした気まずさも幾分か取れ、お互いに気兼ねなく話せるようになった頃。
 どうやら魔王だったリヴィウスの体が魔族の象徴である角が取れたことで限りなく人間に近付いているということがわかったのだ。

「…人間というのはこうも腹が減るのか」
「一日三食は食べますからね」
「燃費が悪い…。それに毎日眠らないとふらつく」
「八時間睡眠が良いとされていますからね」
「何もしていないと体が鈍るぞ」
「そういうものですからね」

 リヴィウスは意外にも自身の体が人間に近付いているということをあっさりと受け入れた。どうやら角がなくなった時点でなんとなく理解はしていたらしい。彼曰く「死に戻ったのだからそれくらいの変化はあるだろう」とのことだったが、ステラが同じ立場だったならこんなには簡単に受け入れられないだろう。
 これも千年という果てしない時を生きてきた余裕なんだろうか。

 そんな風にゆっくりとリヴィウスが人間に近い体に慣れようとステラが作った食事を口に運んだ時だった。
 それまでリヴィウスは水や果物しか取っておらず、この時は満を持してようやくスープを食べるという段階だった。ほかほかと湯気の立つ、じゃがいもと葉野菜と屑肉を使用し塩胡椒だけで味付けをしたミルクスープ。木の器に盛られたそれをじっと見ていたリヴィウスがやけに慎重にスプーンでスープを掬い、まず鼻を近づけて香りを確かめる。
 ひくりと動く鼻先はまるで動物のようで、そして慣れない匂いに眉を顰める様は気位の高い猫のようにも見えた。そんな彼がまたしても慎重に口を開き、けれども上品にスプーンに口を付けた瞬間、俄に目が見開かれた。

「……」

 ステラはその様子に少しどぎまぎしていた。勇者一行との旅でステラは何度も食事当番になった。だから人に食事を振る舞うことに慣れてはいるが、それがかつての魔王相手となると話は別である。
 魔族は人間を捕食して生きてきた種族だ。それが体が人間に近付いたからといって急に人間の食事に慣れるものなのかと、そういった不安があった。けれどリヴィウスは意外にもまた一口、もう一口とスープを掬って口に運んでいる。
 心なしか嬉しそうだな、とステラは思った。

「……人間は」

 それから程なく綺麗に食べ終えたリヴィウスがぽつりと呟く。

「人間はいつもこれを味わっているのか」
「いつも同じスープではないですね。私が旅をしていた時は朝昼晩で三回食事があって、都度メニューは変えていました」
「これ以外にも作れるのか?」
「ええ、まあ。でも私の料理は本当に素人で、街に行けば料理屋があってもっと美味しいものを」
「街に行けば良いのか」

 リヴィウスの目が確かに輝いたのをステラは見た。そしてその顔に既視感を覚えたのだ。

(この顔、旅の途中で出会ったジョゼフに似ている……)

 ジョゼフとはステラが勇者一行と旅をしている最中に出会った長毛種の黒猫だ。魔物の出現する森で倒れていたのを保護して、次の街に到着するまでと世話をした経緯がある。その時にジョゼフに魚を分けた際、今のリヴィウスと同じ目をしていた。
 つまり、美味しかったのだろうなと、ステラは推測して微かに口許が緩む。

「はい。……魔族には調理という概念は無かったのですか?」
「あるにはあるが、俺は好きじゃなかった。そもそも人間を食うのは力の弱い下位の魔族だ。俺やかつての上位の魔族には食事すら必要ではなかった」
「……そうなのですか?」
「ああ、上位の魔族が人間を攫っていたのは下級の魔族に食わせる為だ。そうしなければ眷属が飢えて死ぬ。お前たち人間が生物を狩るように、俺たち魔族は人間を狩っていた。…まあ中には暇を持て余して人間と番う魔族もいれば、面白半分に食う奴らもいた」

 極めて平坦に、何事でもないように語られた内容にステラは薄情かもしれないがなんの感情も湧いては来なかった。これがきっと正義感に溢れる勇者リヒトであったなら、この場で激昂しリヴィウスを殺そうとするだろう。
 けれどステラはそうではないのだ。リヴィウスの言う通りだとすら思っていた。
 人間も魔族も生きる為に命を奪っている。ただ人間には知恵があるからそれに抗ったというだけ。そして、人間はそれに勝利したのだ。

 そう、勝利した。この世界にはもう魔王も存在しなければ、魔族を生み出す反転世界すらも魔王城が崩壊したのと同時に消滅した。だからこの世界にはもう新たな魔族は出現しない。
 ステラの目の前にいる白髪赤目の男も、もう魔族ではない。
 そんなはずないだろう、とかつての仲間たちなら言うだろう。けれど一度息絶えて蘇り、角を失くしたこの男をステラはもう魔王だとは思えなかった。

「──人間の食事が気に入ったのなら旅でもしますか?」
「……は?」
「私とリヴィとてぷ様の三人で世界を旅しながら美味しいものを食べるんです。復興途中の村の手伝いをするのも良いかもしれませんね」
「…正気か。俺は魔王だぞ」
「今のあなたはどう見ても人ですよ」

 そう言うとリヴィウスは押し黙り、ステラは僅かに息を吸った。

「もうあなたは魔王じゃないし、私も聖女じゃない。だから、好きに生きたって良いと思いませんか?」

 手を伸ばして空になった器を受け取り、そこにまたスープを注ぐ。じゃがいもが煮崩れたことでとろみが出ていてもっと美味しそうになっていた。

「どうせお互い一回失くした命ですし」

 そう言って器を差し出すと、リヴィウスは湯気の立つスープの次にじっとステラを見た。視線が交差してほんの数秒、涼やかな目元がふわりと和らいでいつも下がり気味な彼の口角が小さく上がった。

「──それもそうだな」

 伸ばされた手が器を受け取り、またリヴィウスは静かに食事を始めた。

「じゃあ、決まりですね」

 そう穏やかに宛てのない旅をすることになったのだが、現実はそう簡単にいかないのである。
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