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序章

救国の聖女

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「しまったーーーーーー‼︎」

 見上げる程に天井が高く、窓は上部に円形のアーチが掛かっている長方形のステンドグラス。そこから降り注ぐ日差しは様々な色に染まり教会の床を照らしている。そんな荘厳な空気の漂う中、老齢の男性の声が盛大に響いた。

「どうなさいました猊下―⁉︎」

 その声を聞いてすっ飛んでやってきたのは補佐の枢機卿の一人。黒に金の縁取りがされたキャソックが翻っていた。

「聖女、男の子じゃって…」
「はい?」
「だから聖女、男の子じゃって!」
「はい?」
「だーかーらあ! 今神が! 聖女は男の子じゃって天啓が!」

 同じく金の縁取りがされた真っ白なキャソックに身を包み、同じ配色のミトラを被った優しげな顔にたっぷりの髭を蓄えた老人が見るからに狼狽えて枢機卿の肩を掴んでガクガクと揺らした。

「そ、それがどうなさってんです? 特に問題は無い気が。何代か前の聖女様は男性だったと記録もございますし」

 枢機卿、ガクガクと揺らされながら眼鏡が吹き飛ばないように中指で必死に押さえながら訊くと、教会の最高権力者であるリマは肩を揺らすのをやめて気まずそうに視線を左右に泳がせた。ちょんちょんと胸の前で人差し指をくっつけては離す仕草はとても教会の最高権力の持ち主とは思えない。

「猊下…」

 枢機卿は嫌な予感がした。

「もう臣民に女の子って言っちゃった」
「はい?」
「もう次の聖女も可愛い女の子じゃよって言っちゃったよー!」
「何やってんですかアンター‼︎」
「ごめえええん!」

 その日、大聖堂にどうしようもない悲痛な叫びが響いた。




 ──それから月日が流れて十八年後。

「聖女ちゃん! 戻って来たらちゃあんと男の子としての生活を保証するからね!」
「はあ」

 光沢のある髪は腰にまであるストレート。日の光に当たっても他の色に見えることのないその色は一切の混じり気のない黒。肌は日に当たったことが少ないのだと一目で分かる程白く、気のない返事をした唇は薄赤く色付いていた。おいおいと泣く教会の最高権力者の肩をぽんぽんと撫でる姿はどう見ても孫と祖父。だが孫(仮)の祖父(仮)を見る目は冷たい。瞳が冬の海を思わせる深い青なことも手伝って非常に冷たい。

 一見すると完全に女性なこの聖女、十八年前この世に生を受けた立派な男子である。そう男子なのである。
 例え祖父と同じ白に金の縁取りがされた明らかに女性物の修道服を着ていようとも、生まれつき骨格が細く儚げな印象を持たせる痩身だとしても、彼は、男子なのである!

「おじいちゃん、泣かないでください」
「無理じゃあ! 普通に心配じゃもん! 魔王討伐とか行かせたくないもん!」
「リマ様、聖女様をあまり困らせないでください。ただでさえ出立の時間押してるんですから」
「いやじゃああ」

 孫、否、聖女(男)の手を皺が刻まれた手で握って滂沱のごとく泣く最高権力者もとい教皇様。補佐役の眼鏡の男性が半ば無理矢理引き剥がすと聖女は息を吐きしゃんと背筋を伸ばした。
 その凛とした佇まいにさめざめと泣いていた教皇もそれを取り押さえていた枢機卿も居住まいを正して聖女を見る。彼の表情はいつもと変わらない。白波一つ立つことがない凪いだ顔で二人を見据えて、そして口を開く。

「聖女として、必ずや魔王を討ち果たしてみせます。ですのでどうか、私が戻るまでお元気でいてくださいね」

 普段微笑みの一つも見せない「氷の聖女」と名高いその人の口許が微かに緩んだのを見て二人は驚き、そして教皇もとい祖父は再び滂沱の如く涙した。

「ずっと元気でいるから早く帰ってくるんじゃよおおおお!」
「聖女様もどうかお気を付けてー!」
「はい」

 先程までの微笑みもすっかり隠れた聖女はしっかりと頷いた。

「──では、行って参ります」

 聖女は黒髪を翻し慣れ親しんだ大聖堂を後にした。
 聖女を迎え入れたのは今代の勇者と国一番の魔法使い、それと国で一番腕が立つと評判の戦士。この四人は今から約千年続く魔族との諍いに決着を付けるべく魔王の住む反転世界を目指して旅をするのだ。

 教皇を始めとした教会関係者、そして魔王討伐を支持した王国、それに連なる連盟国、果ては大多数の一般市民たちが勇者一行に希望を託したのだ。
 魔族と人との戦いは長く、千年の間いがみ合っている。長い歴史の中魔族が劣勢だった時、人が劣勢だった時と波があるがその天秤がどちらに傾いていようと確かな終息というのはなかった。

 なぜなら魔族は人を食うからだ。魔族の主食は人間だ。だから滅ぼす訳にはいかなかった。つまり人間はこの長い歴史の中、魔族のお情けで生きながらえていたのだ。
 だがしかし近年魔族側の動きが活発化し被害が甚大となっていた。それを食い止めるべく魔王討伐する為の人材が集められた。それが勇者たちだ。

 勇者を始めとする選ばれた者たちは普通の人間ではない。創造神である女神リーベの加護を受けた特別な存在なのだ。彼らは唯一魔王を殺し得る人物であり、世界の希望に違いなかった。
 一行は王国を出発し、魔族の発生を聞いては現場に向かい出現したそれらを滅ぼしてまた次の街へと進んで行った。途中魔族によって封じられていた精霊や神々を開放して新たな加護を授けられたり、秘境の地に住むと言われるドワーフ族やエルフ族とも親交を深めて特別な武器を授けられたりした。

 またある時は王国の地下に眠る古の神殿へと向かい、そこで千年もの間眠っていた「神殺しの剣」を手に入れた。そうして一行は着実に力を着けて行き、魔王すら討ち倒せるという確かな自信を手にしていた。
 最後の鍵である魔界へと向かうことの出来る魔法具を手にした一行は魔王の待つ反転世界へと飛び立った。

 出発からここまで、既に二年の月日が経過していた。

 誰もが勇者一行の勝利を信じて疑わなかった。そして事実、勇者一行は見事魔王を討ち果たして見せたのだ。魔王が世界にもたらしていた暗雲が霧のように晴れた時、人々は長きに渡る魔族との戦いに勝ったのだと確信した。
 勇者一行は始まりの王国へと戻って来た。途中仲間として迎え入れた多種族の者もいる中、それまで穏やかに一行を迎えていた教皇の目が見開かれる。

 ──いないのだ、どこにも。

「…ごめん」

 勇者が泣き崩れるのを、教皇はただ呆然と見ることしか出来なかった。

「ごめん、ごめんリマ様」

 教皇リマの頭の中に、冬の深い海の青が思い出される。どこまでも深く、冷たくもあるがそれでもきちんと温かいことを、リマは知っていた。

「死なせちまった…!」

 一行の全員が泣いていた。その様子を見て、リマは不思議と怒りも悲しみも湧いて来なかった。ショッキングな出来事の筈なのに心が凍ったかのように何も感じない。けれどその“なぜ”にリマはすぐに気がついた。

(受け入れ難いと思っているのか、このわしが)

 聖女を失ったという出来事に、精神が防衛本能を働かせているのだと理解した。そうまでして心を殺している自分にリマは驚いた。驚いて、そして、やがて微かに開いた唇から霞のような息が漏れた。

「──そうか」



 
 その日、世界は魔族との戦いに勝利した。
 暗雲と瘴気は消え失せ、これでもう新たな魔族が生まれることはなくなった。人々は魔族に怯えなくてもいい生活に歓喜し、日々喜びを表すかのように街は連日お祭り騒ぎだった。
 絶対的な恐怖の対象だった魔王が消えたことで世界は確実に平和になっている。
 魔族のせいで滞っていた貿易の道も元に戻り、怯えなくてよくなった分、人は更に大胆に商売を始めることが出来るようになって少しずつ世界が潤い始めていた。
 そんな中、王宮の下に広がる街の、最も人が集まる円形の広場。その中央に作られた噴水のその上に、一人の女性の像が作られた。
 膝をついて両手を組み、空を見上げるその像は平和の象徴として語り継がれていくことになる。

 その像はその身と引き換えに魔王を討ち果たした、救国の聖女の姿だった。

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