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第四章

揶揄ではなく、本当に。

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 ラファエルが目を覚ました時には外はもう明るく、窓の外からは活気に溢れる声が聞こえていた。目を覚ましたと言っても意識が覚醒したわけではなく、うつ伏せの状態からぼんやりと窓を見ているだけでまだうんともすんとも言っていない。
 そんな状態でいること数分、徐々に意識がはっきりして来たラファエルが一番に探したものはアルフレッドだ。

「…ある、」

 声を出した途端信じられない程自分の喉が渇いていることに気がついて思い切り咳き込む。そうすれば酷使した身体の節々が悲鳴を上げ、もう咳き込んだらいいのか悲鳴を上げたらいいのかわからなくなる。

「いっ、げっほ!ぐ、いだ、ゲホぉ!」
「悪い流石に無茶させすぎた。ほら、顔向けろ」

 どうやらすぐ隣にいたらしいアルフレッドはラファエルの覚醒に合わせて起き上がり、ベッドのすぐそばに置いてあった水差しからグラスに水を注ぎ、その中身を自身で煽るとそのままラファエルに口付けた。

 触れ合った唇から少しずつ流れ込んでくる水分は今まで飲んだどんなものよりも美味しく感じて夢中で喉を上下させる。唇が離れ掠れた声で「もっと」と呟くとアルフレッドは甲斐甲斐しく再びラファエルに水を飲ませた。
 満足したのはグラスの水が空になる頃で、口移しから少し深い口付けになったことで終わりを告げる。
 顎を引いて唇を離し、ようやくはっきりとした視界でアルフレッドを捕らえたラファエルは怠い腕を伸ばして頬に触れた。

「どうした…?」

 距離が近いからだろう、囁くような声にラファエルは目を細めた。

「夢じゃなかったと思って」

 頬に伸ばした腕をそのまま首に回して抱き着いた。きちんとアルフレッドがここにいる、目が覚めても、ちゃんとラファエルの側にいる。

「これで夢だったらさすがに心折れてたよ、僕」

 作戦も何もない荒唐無稽で無謀な特攻で城に侵入し、アンジェリカと会って、ガランドに助けられて、そして今アルフレッドと宿屋にいる。いっそ夢だと言ってくれた方が現実味があるとすら思った。
 だけどこれは間違いなく現実だ。

「…ねえアルフ」

 アルフレッドが体勢を変え、ベッドの上に胡座を組む。その上にラファエルを横に座らせてしっかりと抱き込んだ。包まれるような状態にほっと息を吐き、ラファエルは首から腕を離す。すぐ側でアルフレッドが続きを促すように「ん?」と囁いた。

「……アンジェリカ様からどこまで聞いた?」
「…あいつがラファエルだってことだけだな。それ以上は聞いてない」
「……そっか」

 一番大きな秘密はもう知られているのがわかり、ラファエルは目を伏せた。
 アルフレッドは何も言わず、ラファエルの様子を伺う。

「…まだ全然まとまってないけど、聞いてくれる?僕と、本当のラファエルのこと」

 ヒノデの国で祭りの最中ラファエルが言ったことだ。あの時はまさかこんなにも早く打ち明けることになるなんて夢にも思わなかったが、きっとラファエルの準備ができるのを待っていたら二人とも年老いてしまっていただろう。
 いいタイミングなんだ。ラファエルは静かに語り出した。

「僕は本当はラファエルじゃない。じゃあ誰なんだって言われたら、答えられないんだ。神様から前の名前は消されちゃったから。なんか世界が歪むんだって。詳しいこと聞いてないから、全然わからないけど」

 思い出すのはもう随分昔のことのように感じるあの日。目が覚めたら見知らぬ金髪の少年になっていて、そしてマリアに出会った。夢だと思っていたのにラファエルの記憶が流れ込んできて、あんまりに痛いから大声で叫んだら誰かが抱き締めてくれた。今思えばあれはミゲルだったなと思い出し笑いする。
 意識を失って目が覚めたらまた違う場所にいた。全てが真っ白で、何もない場所。そこで自称神様と出会った。

「僕が生まれたのはこの世界じゃない。僕がいた世界には魔物もいないし魔術もない、貴族社会はあるけどそれは遠い国での話だ。僕は一般家庭に生まれたんだ。あ、前の顔の印象はね、ヒノデの国の人達と似てるよ。町並みはなんか随分昔って感じだったけど。……味噌汁美味しかったなぁ。もう二度と食べられないと思ってたから嬉しかった」

 ああ脱線しちゃったね。そう言ってラファエルは笑った。

「…この身体になったのは、前の持ち主…アンジェリカ様だね。アンジェリカ様の魂が死んじゃって身体が空いたからって理由だったかな。そのまま放置してたらダメなんだって、そこで丁度よく死んじゃった僕に神様がお節介焼いたみたい」
「……待て、今なんて言った」
「一回死んでるんだよ、僕」

 驚愕に目を瞠るアルフレッドを見上げながらラファエルは素肌のままの心臓に手を当てた。視線をそこに下げ、手のひらに感じる鼓動に目を細めた。

「心臓が弱かったんだ、生まれつき。治療はしてたんだけどね、治らなかった」

 泣いていた家族を思い出すと胸が痛い。表情を暗くしたラファエルをアルフレッドの腕が力強く抱き締めた。

「…今は元気だよ、知ってるでしょ?」

 笑ったラファエルの声にアルフレッドは答えない。まるで存在を確かめるように身体を拘束する腕が少し苦しいが、その強さがアルフレッドの気持ちなのだと思うと嬉しくもあった。

「…そうやって僕はラファエルになった。前のラファエルの記憶はあるから人の名前とか関係性はわかってた。だからその頃から薄々とは気づいてたんだ、ラファエルがアルフレッドのことを好きだったんじゃないかって」

 記憶にあるラファエルはいつだってアルフレッドを追っていた。以前はその理由を推測することしかできなかったけれど、今ならはっきりとわかる。

「でも今ならはっきり言えるよ、ラファエルはアルフレッドのことが好きだったんだ」

 目で追ってしまうのも、その人の言動が気になるのも、ほんの少しの触れ合いが嬉しいのも、今の自分ならそれがどうしてなのかわかる。

「僕はずっとこの気持ちを前のラファエルのものだと思ってた。記憶の中でずっとアルフレッドを追っていたから、だからきっとその延長線で僕もそう感じているだけなのかもって思ってた」

 だけどそうじゃないとわかったのは本物のラファエルに会ったあの日。

「アンジェリカ様にアルフをちょうだいって言われて、僕はその時何も言えなかった。その時ですら僕はまだ自分の感情がわからなかった。だってこの身体は僕のじゃない。だから僕は、アンジェリカ様の言っていることの方が正しいって思った」

 気が昂って少し早口になり、それを抑える為に深呼吸する。

「……だけどアルフがいなくなって気づいたんだ」

 あの時の感情は思い出すのも躊躇する程の痛みをラファエルに植え付けた。喪失感なんて言葉で表せられないほどの暗い感情が押し寄せて、ラファエルから全ての気力を奪っていった。アンジェリカがアルフレッドの名前を呼ぶだけで耳を塞ぎたくなる、その手が触れたらと想像しただけで心が引き裂かれるようだった。
 そこにまで至って、ようやくわかったのだ。

「…僕はアルフが好きだ。君のことが世界でいちばん好きだよ」

 揶揄ではなく、本当に。
 数年前ラファエルとして生きることを決め、それから殆どの時間をアルフレッドと過ごして来た。最初は友達だった。喧嘩をして二人で悪戯をして大人を困らせて、そしてハンターになって旅をした。毎日が楽しくてしょうがなかった、アルフレッドといれば世界がいつだって輝いて見えた。
 思えばその時にはもう好意を寄せていたんだと思う。

「……時間掛かっちゃったな」

 戯けるように笑うラファエルを抱く腕の力が少し緩む。
 自分を抱き締める人を見上げ、初めて見る表情にラファエルは笑った。泣き笑いのような顔だった。
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