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第四章

蛍火

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 アンジェリカが会場に現われたのはパーティーが始まって程々に時間が経った頃だった。予定からすれば随分と遅い登場ではあるが、誰もがその美しさとどこか憂いを帯びた表情に感嘆の息を吐き、咎める者は誰一人としていなかった。

 滅多に社交界に出ることのない国王の宝のおでましとあって会場は色めき立ち、国王がアンジェリカの紹介をする際もそこかしこで囁き声が漏れる。その内容がアンジェリカの耳に届くことはないが、いわれている内容は大抵予想できる。
 好意的な声、面白がる声、そして蔑む声、そんなものだ。

 ラファエルであった頃ならその視線や言葉に深く傷つき枕を濡らしていただろうが、王族として育ったアンジェリカの十数年の意識がそれを許さない。今もアンジェリカは微笑みを絶やさず、王に求められるまま声を発し、一分の隙も無い所作で挨拶を終えると会場からは拍手が起こった。
 それに王が満足そうに頷いてパーティーは再開する。

 誰も彼もがアンジェリカに選ばれようと近づき、そして絵空事のような美辞麗句を垂れ流す。アンジェリカはそれらを全て笑顔で聞いていた。
 柔らかく言葉を交わし、ダンスが始まれば最初は兄弟と踊り、その次には申し込んで来た他国の王子とも踊る。
 煌びやかな世界、夢に見た世界、それなのに今のアンジェリカにはその全てが色褪せて見える。

 胸に巣食うものは喪失感や悲しみなどではない、ただ漠然とした不安だった。
 アルフレッドはもう手に入らない、そのことに対しての怒りや悲しみは不思議な程湧いてこない。寧ろ自分の前にラファエルが現われたことに安堵すらしている自分がいる。

 だが自分のアルフレッドに対する気持ちは本物だった。偽物のはずがない。そうでなければ──
 音楽が止まり、足も止まった。
 アンジェリカはハッとして手を離したところで低く掠れた声に呼ばれて振り返る。

「アンジェリカ様、お疲れなのでは?」
「……ガランド、様…」
「ガランドとお呼びください。…ああいけない王女はお疲れのようだ、少し休みましょう」

 さらりとアンジェリカの手を取り腰を抱いてエスコートするガランドにアンジェリカは何かをいう時間も与えられず足を前に出した。周囲はガランドの登場にざわつくがかつて国一番の騎士と謳われた男は歳を重ねても人気があるらしく男女問わず甘やかな視線が送られてくる。
 それらを全く意に介さず足を進めるガランドはさりげなくアンジェリカの耳元に顔を寄せた。

「手荒な真似をしました。少々お時間をいただきたくて」

 アンジェリカは何も言わなかった。沈黙を肯定と受け取ったガランドはそのままバルコニーにまで足を進め、アンジェリカから手を離した。
 ちらほらと視線が会場から送られてくるが声までは聞こえず、静かな環境に少し気分が落ち着く。

「連れて来たぞ。あとはどうにかしやがれ」

 それまで紳士然としていたガランドの口調が聞き慣れたものに代わり、またしてもアンジェリカの反応を確かめる前に踵を返す。どういうことだと目を白黒させるアンジェリカの前に人影が現われた。
 アンジェリカがその人物を見て目を見開くのと、ガランドがバルコニーの入り口をカーテンで遮ったのはほぼ同時。好奇の視線から逃れ、月明かりの下で代わりにアンジェリカを見るのは優しい青い目だった。

「…っ、ぁ…」

 声が漏れた。唇が戦慄き、自然と足が一歩後退る。

「…初めましてと、言った方が良いのかな」

 眉尻を下げ、少し困ったように笑うその人をアンジェリカは、ラファエルはよく知っていた。

 ──おとうさま

 ほとんど無意識に声に出し、ミゲルは複雑そうに微笑んだ。

「──ラファエル」

 穏やかで深みのある声にアンジェリカの瞳から涙がこぼれた。
 今日一日、ずっと堪えていたものが溢れ出す。

「…っ、ふ…ぅ…っ」

 泣いたら化粧が崩れてしまう。だから我慢しなくては駄目だ、そう思うと余計に涙が溢れ、ならばせめて声だけは出すまいと口を手で覆う。アンジェリカは何故今自分が泣いているかも曖昧だった。悲しいのか、苦しいのか、それとも嬉しいのか、もう何もわからなかった。

「…っ」

 ふわりと身体が暖かなもので包まれる。ミゲルから抱き締められているのだと気づくのにそう時間は掛からなかった。

「……こうしていたら良かった」

 宥めるように背中を撫でられる。
 ぎこちないその動きにこんなことをされたのは初めてだと思い出す。

「お前はなんでも一人で抱え込む子だと知っていたのに。いつも何かを伝えようとしているのだと、わかっていたのに」

 静かな声は意外なほどすとんとアンジェリカの中に落ちていく。

「…何もしてやれなくて、すまなかった」

 ふわりふわりと蛍が舞う。その一つが強く光ったと思えば懐かしいと思える記憶が蘇ってきた。
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