上 下
81 / 90
第四章

蛍火

しおりを挟む
 アンジェリカが会場に現われたのはパーティーが始まって程々に時間が経った頃だった。予定からすれば随分と遅い登場ではあるが、誰もがその美しさとどこか憂いを帯びた表情に感嘆の息を吐き、咎める者は誰一人としていなかった。

 滅多に社交界に出ることのない国王の宝のおでましとあって会場は色めき立ち、国王がアンジェリカの紹介をする際もそこかしこで囁き声が漏れる。その内容がアンジェリカの耳に届くことはないが、いわれている内容は大抵予想できる。
 好意的な声、面白がる声、そして蔑む声、そんなものだ。

 ラファエルであった頃ならその視線や言葉に深く傷つき枕を濡らしていただろうが、王族として育ったアンジェリカの十数年の意識がそれを許さない。今もアンジェリカは微笑みを絶やさず、王に求められるまま声を発し、一分の隙も無い所作で挨拶を終えると会場からは拍手が起こった。
 それに王が満足そうに頷いてパーティーは再開する。

 誰も彼もがアンジェリカに選ばれようと近づき、そして絵空事のような美辞麗句を垂れ流す。アンジェリカはそれらを全て笑顔で聞いていた。
 柔らかく言葉を交わし、ダンスが始まれば最初は兄弟と踊り、その次には申し込んで来た他国の王子とも踊る。
 煌びやかな世界、夢に見た世界、それなのに今のアンジェリカにはその全てが色褪せて見える。

 胸に巣食うものは喪失感や悲しみなどではない、ただ漠然とした不安だった。
 アルフレッドはもう手に入らない、そのことに対しての怒りや悲しみは不思議な程湧いてこない。寧ろ自分の前にラファエルが現われたことに安堵すらしている自分がいる。

 だが自分のアルフレッドに対する気持ちは本物だった。偽物のはずがない。そうでなければ──
 音楽が止まり、足も止まった。
 アンジェリカはハッとして手を離したところで低く掠れた声に呼ばれて振り返る。

「アンジェリカ様、お疲れなのでは?」
「……ガランド、様…」
「ガランドとお呼びください。…ああいけない王女はお疲れのようだ、少し休みましょう」

 さらりとアンジェリカの手を取り腰を抱いてエスコートするガランドにアンジェリカは何かをいう時間も与えられず足を前に出した。周囲はガランドの登場にざわつくがかつて国一番の騎士と謳われた男は歳を重ねても人気があるらしく男女問わず甘やかな視線が送られてくる。
 それらを全く意に介さず足を進めるガランドはさりげなくアンジェリカの耳元に顔を寄せた。

「手荒な真似をしました。少々お時間をいただきたくて」

 アンジェリカは何も言わなかった。沈黙を肯定と受け取ったガランドはそのままバルコニーにまで足を進め、アンジェリカから手を離した。
 ちらほらと視線が会場から送られてくるが声までは聞こえず、静かな環境に少し気分が落ち着く。

「連れて来たぞ。あとはどうにかしやがれ」

 それまで紳士然としていたガランドの口調が聞き慣れたものに代わり、またしてもアンジェリカの反応を確かめる前に踵を返す。どういうことだと目を白黒させるアンジェリカの前に人影が現われた。
 アンジェリカがその人物を見て目を見開くのと、ガランドがバルコニーの入り口をカーテンで遮ったのはほぼ同時。好奇の視線から逃れ、月明かりの下で代わりにアンジェリカを見るのは優しい青い目だった。

「…っ、ぁ…」

 声が漏れた。唇が戦慄き、自然と足が一歩後退る。

「…初めましてと、言った方が良いのかな」

 眉尻を下げ、少し困ったように笑うその人をアンジェリカは、ラファエルはよく知っていた。

 ──おとうさま

 ほとんど無意識に声に出し、ミゲルは複雑そうに微笑んだ。

「──ラファエル」

 穏やかで深みのある声にアンジェリカの瞳から涙がこぼれた。
 今日一日、ずっと堪えていたものが溢れ出す。

「…っ、ふ…ぅ…っ」

 泣いたら化粧が崩れてしまう。だから我慢しなくては駄目だ、そう思うと余計に涙が溢れ、ならばせめて声だけは出すまいと口を手で覆う。アンジェリカは何故今自分が泣いているかも曖昧だった。悲しいのか、苦しいのか、それとも嬉しいのか、もう何もわからなかった。

「…っ」

 ふわりと身体が暖かなもので包まれる。ミゲルから抱き締められているのだと気づくのにそう時間は掛からなかった。

「……こうしていたら良かった」

 宥めるように背中を撫でられる。
 ぎこちないその動きにこんなことをされたのは初めてだと思い出す。

「お前はなんでも一人で抱え込む子だと知っていたのに。いつも何かを伝えようとしているのだと、わかっていたのに」

 静かな声は意外なほどすとんとアンジェリカの中に落ちていく。

「…何もしてやれなくて、すまなかった」

 ふわりふわりと蛍が舞う。その一つが強く光ったと思えば懐かしいと思える記憶が蘇ってきた。
しおりを挟む
感想 28

あなたにおすすめの小説

悪役のはずだった二人の十年間

海野璃音
BL
 第三王子の誕生会に呼ばれた主人公。そこで自分が悪役モブであることに気づく。そして、目の前に居る第三王子がラスボス系な悪役である事も。  破滅はいやだと謙虚に生きる主人公とそんな主人公に執着する第三王子の十年間。  ※ムーンライトノベルズにも投稿しています。

国を救った英雄と一つ屋根の下とか聞いてない!

古森きり
BL
第8回BL小説大賞、奨励賞ありがとうございます! 7/15よりレンタル切り替えとなります。 紙書籍版もよろしくお願いします! 妾の子であり、『Ω型』として生まれてきて風当たりが強く、居心地の悪い思いをして生きてきた第五王子のシオン。 成人年齢である十八歳の誕生日に王位継承権を破棄して、王都で念願の冒険者酒場宿を開店させた! これからはお城に呼び出されていびられる事もない、幸せな生活が待っている……はずだった。 「なんで国の英雄と一緒に酒場宿をやらなきゃいけないの!」 「それはもちろん『Ω型』のシオン様お一人で生活出来るはずもない、と国王陛下よりお世話を仰せつかったからです」 「んもおおおっ!」 どうなる、俺の一人暮らし! いや、従業員もいるから元々一人暮らしじゃないけど! ※読み直しナッシング書き溜め。 ※飛び飛びで書いてるから矛盾点とか出ても見逃して欲しい。  

俺は好きな乙女ゲームの世界に転生してしまったらしい

綾里 ハスミ
BL
騎士のジオ = マイズナー(主人公)は、前世の記憶を思い出す。自分は、どうやら大好きな乙女ゲーム『白百合の騎士』の世界に転生してしまったらしい。そして思い出したと同時に、衝動的に最推しのルーク団長に告白してしまい……!?  ルーク団長の事が大好きな主人公と、戦争から帰って来て心に傷を抱えた年上の男の恋愛です。

悪辣と花煙り――悪役令嬢の従者が大嫌いな騎士様に喰われる話――

BL
「ずっと前から、おまえが好きなんだ」 と、俺を容赦なく犯している男は、互いに互いを嫌い合っている(筈の)騎士様で――――。 「悪役令嬢」に仕えている性悪で悪辣な従者が、「没落エンド」とやらを回避しようと、裏で暗躍していたら、大嫌いな騎士様に見つかってしまった。双方の利益のために手を組んだものの、嫌いなことに変わりはないので、うっかり煽ってやったら、何故かがっつり喰われてしまった話。 ※ムーンライトノベルズでも公開しています(https://novel18.syosetu.com/n4448gl/)

婚約破棄された俺の農業異世界生活

深山恐竜
BL
「もう一度婚約してくれ」 冤罪で婚約破棄された俺の中身は、異世界転生した農学専攻の大学生! 庶民になって好きなだけ農業に勤しんでいたら、いつの間にか「畑の賢者」と呼ばれていた。 そこに皇子からの迎えが来て復縁を求められる。 皇子の魔の手から逃げ回ってると、幼馴染みの神官が‥。 (ムーンライトノベルズ様、fujossy様にも掲載中) (第四回fujossy小説大賞エントリー中)

ゲームの世界はどこいった?

水場奨
BL
小さな時から夢に見る、ゲームという世界。 そこで僕はあっという間に消される悪役だったはずなのに、気がついたらちゃんと大人になっていた。 あれ?ゲームの世界、どこいった? ムーン様でも公開しています

王子と俺は国民公認のカップルらしい。

べす
BL
レダ大好きでちょっと?執着の強めの王子ロギルダと、それに抗う騎士レダが結ばれるまでのお話。

ラストダンスは僕と

中屋沙鳥
BL
ブランシャール公爵令息エティエンヌは三男坊の気楽さから、領地で植物の品種改良をして生きるつもりだった。しかし、第二王子パトリックに気に入られて婚約者候補になってしまう。側近候補と一緒にそれなりに仲良く学院に通っていたが、ある日聖女候補の男爵令嬢アンヌが転入してきて……/王子×公爵令息/異世界転生を匂わせていますが、作品中では明らかになりません。完結しました。

処理中です...