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第四章
呆気ない程簡単に
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声を聞いたアンジェリカの目もラファエルと同様大きく開かれた。
「…何故、あなたがここに…?その服は」
「服は、まあ、その、色々ありまして…」
ラファエルは今女性用の服を着ているし髪は走り過ぎてボサボサだしよくわからない眼鏡までつけている。正直声だけでよくわかったものだと感心しながらも顔は苦笑いだ。ゆっくりと姿勢を正し眼鏡を取るとレンズ越しに見るよりもずっと綺麗なアンジェリカの姿にこんな状況だというのに見入ってしまった。
「……お姫様みたいだ」
思わず漏れた声にアンジェリカの柳眉が寄った。その表情の変化に口を滑らせたかと思ったが、どうやらそうではないらしい。
彼女は苦しげに表情を歪めて綺麗なドレスの生地をぎゅっと握っていた。
「…なぜ、ここにいるの…?」
始めと同じことを問いかけられてラファエルは一度深く呼吸した。
心臓は緊張でいつもより早く脈打っているが、そこに不安はなかった。まだ何の情報も得られてもいないし、この場でアンジェリカが大声を上げれば一発で牢屋行きだという状況なのにラファエルは不思議なほど落ち着いていた。
「アルフレッドを探しに来ました」
目を逸らすことなく告げた言葉にますますアンジェリカの表情が歪む。
唇を強く噛んで、怒りの炎を瞳に宿した。
「…あの時、あなたは何も言わなかったでしょ…?」
「はいともいいえとも言ってないですね。あんまりにも突然だったんで混乱してました」
「な…っ」
アンジェリカの頬が赤く染まる。キツく睨み付けられて、美人の怒った顔は怖いななんて場違いなことを思いながらラファエルは緩く笑って見せた。
「そもそもずっとわかんなかったんです、僕」
ぼさぼさになった三つ編みを解いて適当に手櫛で整える。
「この感情が自分の物なのか、あなたの物なのか、ずっとわからなかった。僕にはあなたがラファエルとして生きた記憶があります。だから僕はあなたがアルフレッドを特別に思っていたことも知ってる」
記憶にあるラファエルの視線は事あるごとにアルフレッドを追っていた。どれだけ冷たくあしらわれても、興味を持たれていなくても、それでも接点が欲しくてアルフレッドの視界に入ろうとしたことを知っている。
「だから僕がアルフレッドに抱く感情も、きっとあなたの記憶からくる残滓のようなものだと思ってた。だってそうじゃないと僕には説明ができなかった。僕、前の身体の時も恋愛できなかったから」
しなかったのではなく、できなかった。その言葉に違和感を覚えたのか射殺さんばかりの強い目でラファエルを睨んでいたアンジェリカの表情が少しだけ変わる。
「アンジェリカ様言ってましたよね、前の自分に戻りたいのかって。今でもはっきりとした答えは出てないけど、多分戻れるなら戻ると思うんですよね。だけど、戻ったって僕は何もできないんです」
右手を首筋に触れさせる。人差し指と中指の腹を首の太い筋の内側に入れると数秒も経たないうちに脈動が触れる。生きていると知らせてくれる動きにラファエルは一度瞼を伏せて、そして上げる。怪訝な顔をしているアンジェリカを見てやわらかく微笑んだ。
「僕死んでるので」
滑らせるように首から手を離す。空気のようなアンジェリカの声が静かな部屋に落ちた。
「自分の意思であれこれしたいって思えるようになった頃にはもう病院の住人だったから恋どころか普通のこともできなかった。自分の足で立つことだって無理でした。でも僕それなりに楽しく生きていたと思うんです。……最期は泣かせちゃったけど」
今でも思い出すだけで胸が締め付けられるように痛む。どれだけ時間が経ってもあの日の家族の声を忘れることはないと言い切れる。
だけどもし、もし健康な身体で戻れるとするなら、きっとラファエルはそれを選んでしまう。戻って、沢山ありがとうとお礼を言って、父親とキャッチボールをして、青山のおじさんのりんご農園に行って家族とりんご狩りをして、母と姉の荷物持ちを父とする。学校にも行きたい。沢山友達を作ってゲームセンターにだって行きたい。やりたいことなんて少し考えただけで山のように浮かんでくる。
だけど。
「だけど僕は戻れない。僕も、ラファエルとして生きていくしかない」
自称神様の力を介して己の命の終わりを見た。
もうかつての自分は死んでいる、かつての自分が帰る場所はもう存在しない。ラファエルの居場所は、ラファエルが居場所だと声に出せるのはたった一つだけだ。
「僕にはアルフレッドしかいない」
名前を口にするだけで泣きそうになる。
当たり前なんてものは想像しない、ありとあらゆることにはいつか必ず終わりが訪れる。ラファエルはそれを痛い程理解していた。それなのにどこかで思っていたのだ。
アルフレッドが自分の側からいなくなるはずがないと。けれど終わりは突然やって来た。なす術もなく引き離されて、絶望して、色々な人に迷惑を掛けて、そしてようやく思い知った。
「僕はアルフレッドが好きだ。だから、やっぱりあなたには渡せません」
声に出すとなんて呆気ないのだろう。
好きというたった二文字を認めるのにこんなにも時間が掛かってしまった。
もうラファエルには迷いはない。真っ直ぐとアンジェリカを見据える瞳は目を背けたくなるほど煌めいていた。
「……森が見えるでしょう」
アンジェリカの指が窓を指した。それが何を意味するのか、何を言われているのか理解できず一瞬反応が遅れる。
「…あの森を進んだ先に、王族を幽閉するために作られた塔がある。アルフレッドはそこにいる」
「…ぇ」
予想外の出来事にラファエルの目が丸くなる。
「さっさと行って。……もう、二度と現れないで」
全てを押し殺したような声にラファエルは何も言えなかった。話しかけようとも思わなかった。否、自分に掛けられる言葉なんて無いと思った。
そっと扉を開けて廊下へと出る。扉が閉まる直前に見えたのはアルフレッドのいる森を望むアンジェリカの華奢な背中だった。
「…何故、あなたがここに…?その服は」
「服は、まあ、その、色々ありまして…」
ラファエルは今女性用の服を着ているし髪は走り過ぎてボサボサだしよくわからない眼鏡までつけている。正直声だけでよくわかったものだと感心しながらも顔は苦笑いだ。ゆっくりと姿勢を正し眼鏡を取るとレンズ越しに見るよりもずっと綺麗なアンジェリカの姿にこんな状況だというのに見入ってしまった。
「……お姫様みたいだ」
思わず漏れた声にアンジェリカの柳眉が寄った。その表情の変化に口を滑らせたかと思ったが、どうやらそうではないらしい。
彼女は苦しげに表情を歪めて綺麗なドレスの生地をぎゅっと握っていた。
「…なぜ、ここにいるの…?」
始めと同じことを問いかけられてラファエルは一度深く呼吸した。
心臓は緊張でいつもより早く脈打っているが、そこに不安はなかった。まだ何の情報も得られてもいないし、この場でアンジェリカが大声を上げれば一発で牢屋行きだという状況なのにラファエルは不思議なほど落ち着いていた。
「アルフレッドを探しに来ました」
目を逸らすことなく告げた言葉にますますアンジェリカの表情が歪む。
唇を強く噛んで、怒りの炎を瞳に宿した。
「…あの時、あなたは何も言わなかったでしょ…?」
「はいともいいえとも言ってないですね。あんまりにも突然だったんで混乱してました」
「な…っ」
アンジェリカの頬が赤く染まる。キツく睨み付けられて、美人の怒った顔は怖いななんて場違いなことを思いながらラファエルは緩く笑って見せた。
「そもそもずっとわかんなかったんです、僕」
ぼさぼさになった三つ編みを解いて適当に手櫛で整える。
「この感情が自分の物なのか、あなたの物なのか、ずっとわからなかった。僕にはあなたがラファエルとして生きた記憶があります。だから僕はあなたがアルフレッドを特別に思っていたことも知ってる」
記憶にあるラファエルの視線は事あるごとにアルフレッドを追っていた。どれだけ冷たくあしらわれても、興味を持たれていなくても、それでも接点が欲しくてアルフレッドの視界に入ろうとしたことを知っている。
「だから僕がアルフレッドに抱く感情も、きっとあなたの記憶からくる残滓のようなものだと思ってた。だってそうじゃないと僕には説明ができなかった。僕、前の身体の時も恋愛できなかったから」
しなかったのではなく、できなかった。その言葉に違和感を覚えたのか射殺さんばかりの強い目でラファエルを睨んでいたアンジェリカの表情が少しだけ変わる。
「アンジェリカ様言ってましたよね、前の自分に戻りたいのかって。今でもはっきりとした答えは出てないけど、多分戻れるなら戻ると思うんですよね。だけど、戻ったって僕は何もできないんです」
右手を首筋に触れさせる。人差し指と中指の腹を首の太い筋の内側に入れると数秒も経たないうちに脈動が触れる。生きていると知らせてくれる動きにラファエルは一度瞼を伏せて、そして上げる。怪訝な顔をしているアンジェリカを見てやわらかく微笑んだ。
「僕死んでるので」
滑らせるように首から手を離す。空気のようなアンジェリカの声が静かな部屋に落ちた。
「自分の意思であれこれしたいって思えるようになった頃にはもう病院の住人だったから恋どころか普通のこともできなかった。自分の足で立つことだって無理でした。でも僕それなりに楽しく生きていたと思うんです。……最期は泣かせちゃったけど」
今でも思い出すだけで胸が締め付けられるように痛む。どれだけ時間が経ってもあの日の家族の声を忘れることはないと言い切れる。
だけどもし、もし健康な身体で戻れるとするなら、きっとラファエルはそれを選んでしまう。戻って、沢山ありがとうとお礼を言って、父親とキャッチボールをして、青山のおじさんのりんご農園に行って家族とりんご狩りをして、母と姉の荷物持ちを父とする。学校にも行きたい。沢山友達を作ってゲームセンターにだって行きたい。やりたいことなんて少し考えただけで山のように浮かんでくる。
だけど。
「だけど僕は戻れない。僕も、ラファエルとして生きていくしかない」
自称神様の力を介して己の命の終わりを見た。
もうかつての自分は死んでいる、かつての自分が帰る場所はもう存在しない。ラファエルの居場所は、ラファエルが居場所だと声に出せるのはたった一つだけだ。
「僕にはアルフレッドしかいない」
名前を口にするだけで泣きそうになる。
当たり前なんてものは想像しない、ありとあらゆることにはいつか必ず終わりが訪れる。ラファエルはそれを痛い程理解していた。それなのにどこかで思っていたのだ。
アルフレッドが自分の側からいなくなるはずがないと。けれど終わりは突然やって来た。なす術もなく引き離されて、絶望して、色々な人に迷惑を掛けて、そしてようやく思い知った。
「僕はアルフレッドが好きだ。だから、やっぱりあなたには渡せません」
声に出すとなんて呆気ないのだろう。
好きというたった二文字を認めるのにこんなにも時間が掛かってしまった。
もうラファエルには迷いはない。真っ直ぐとアンジェリカを見据える瞳は目を背けたくなるほど煌めいていた。
「……森が見えるでしょう」
アンジェリカの指が窓を指した。それが何を意味するのか、何を言われているのか理解できず一瞬反応が遅れる。
「…あの森を進んだ先に、王族を幽閉するために作られた塔がある。アルフレッドはそこにいる」
「…ぇ」
予想外の出来事にラファエルの目が丸くなる。
「さっさと行って。……もう、二度と現れないで」
全てを押し殺したような声にラファエルは何も言えなかった。話しかけようとも思わなかった。否、自分に掛けられる言葉なんて無いと思った。
そっと扉を開けて廊下へと出る。扉が閉まる直前に見えたのはアルフレッドのいる森を望むアンジェリカの華奢な背中だった。
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