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第四章

なるようにしかならない

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 たっぷりと張ったお湯で全身を清められ、肌や髪に香油を塗られ、何人ものメイドの手によって全身を着飾られていく。頭の先まで爪の先まで王妃である母よりも入念に飾り付けられたその姿は間違いなく今日のパーティーの主役だった。
 ドレスを着せられている途中でも若いメイドの何か言いたげな視線がアンジェリカを見る。それも一人や二人ではない。ここにいいる全員が主人の醜聞を知っているのだ。
 鏡に映る姿はどこからどう見ても一級品なのに、アンジェリカの表情がそこに陰を落とす。

「…ありがとう、もういいわ」

 その一言でメイド達は去って行き、部屋にはまたアンナと二人だけになる。

「…アンナも知っているんでしょう?」
「…騎士の入れ替えをされた方がよろしいかと」

 力なく笑ってアンジェリカは外を見た。
 広がるのは王家の管理する深い森、その奥にかつて問題を起こした王族を閉じ込めておくために建てられた塔がある。アルフレッドはそこにいた。

「……私ね、結婚が嫌なんじゃないのよ?」

 アンナの表情が怪訝そうに顰められる。当然の反応にアンジェリカは微笑み、口元を隠すように片手で覆った。

「私の結婚が国益になるならなんでもいいの。私にとって婚姻は国の繋がり、そこに私の意思なんていらないわ」

 アンジェリカとしても、ラファエルとして、そこに対する価値観は変わらない。婚姻関係はあくまで道具なのだ。互いに有利に働くのならそれでいいと思っている。
 けれど、恋は違うのだ。

「…好きなの、あの人のことが。ずっと前から好きなの。あの人しか、好きじゃないの」

 気を抜けば涙がこぼれてしまいそうになるのを気合で押し留める。泣けば折角整えてくれた化粧が台無しになってしまうから。
 化粧を崩さないために泣くのを我慢する、こんなことが出来るということもアンジェリカには嬉しい出来事のはずなのに心はずっと雨模様だ。

「……欲張って、しまったのかもしれないわね」

 アルフレッドと結婚ができるとはアンジェリカは露程も思ってはいなかった。けれど、側にいてくれるくらいならしてくれるかもと、そう思ってしまった。きっとその為に神はラファエルからアンジェリカにしてくれたのだと、そう思っていた。
 だけどきっと、現実はそうではないのだ。

(「俺にはもう決めた相手がいる。それはお前じゃない」)

 そんなことわかりきっていた。何年片想いしていると思っているのだろう。
 たった数年、されど数年だ。
 その間にアルフレッドは変わった。もうあの人はアンジェリカの知るアルフレッドではない。きっとアルフレッドは気づいていないのだ、あの日どんな顔でアンジェリカの告白を断ったのか。
 思い出すだけで笑えて来る、それくらいあの時のアルフレッドの顔は優しさかった。
 あんな風に見つめられたいと、何度思ったかわからない。

「…そろそろ時間ね、行かなくちゃ」

 アンジェリカは浅く腰掛けていた椅子から立ち上がり、今一度鏡で全身を見た。
 磨き上げられた肌に、たっぷりのフリルとレースをあしらった夢のようなドレス。キラキラと輝く瞼に、果実のように潤んだ唇。夢のようなお姫様の姿がそこにあった。

 ──これでもう十分じゃないか。

 頭の中で声がする。その通りだと、アンジェリカも思う。
 今自分は奇跡の只中にいるのだ、これ以上を望むべきではない。
 わかっている。けれど、でも。それでも、どうしても、この想いを断ち切ることなんてできない。

「……アンジェリカ様」

 不安だというのを隠しもしないアンナの声にアンジェリカは笑った。

「なに、アンナ」
「……とてもお綺麗です」

 きっと言いたいことは沢山あるだろうに、全てを押し殺して柔らかく微笑んで見せるアンナに無性に泣きたくなった。

「ありがとう」

 アンナが扉を開け、アンジェリカは進み出す。
 部屋から出るとすぐ様周囲を騎士が守るように固め、進む度に甲冑の擦れる音が廊下に響く。窓の外はすっかり暗くなっており、夜空には星が散っていた。
 移動の最中どこからかドン、と腹に響く音が鳴り数秒もせず空に大輪の花が咲く。それはパーティーの始まりの合図だった。



 △▼△



「なあ、旦那様よ」
「ミゲルでいい、ガランド。何度もいうが、元はあなたの方が爵位は上だ。本来なら私がこんな口を聞いていい人ではない」

 招待された貴族達が休憩するためにいくつか用意されている部屋のうちの一つにミゲルとガランドはいた。広い室内には二人以外には人がおらず、向かい合うようにして腰掛けた二人はソファに深く身体を預けていた。
 ミゲルの言葉にガランドはあからさまに口をへの字に曲げ面倒くさそうな顔をして足を組んだ。

「今はただのおっさんだ俺は。元々爵位なんていらねえっていったのにあの馬鹿がよ」
「お前くらいだぞ、陛下をお前だとか馬鹿だとかいうヤツは」
「いーや、宰相閣下もいってるな。なんせあそこは幼馴染だ。ラファエルとアルフレッドと同じだよ」

 ラファエル、その名前が出た瞬間空気が張り詰めた。
 それにガランドは目を細め、首を傾げてミゲルを見た。

「あの話、信じるか?」

 軽く目を伏せてガランドの鋭い視線から逃亡を試みる。けれど射抜くような視線の強さを否応でも感じてしまって苦く笑う。

「…信じているさ、俄には信じ難いけれど」
「まあ、そうだよな」

 夜空に花火が上がる。派手なその音は窓を揺らし、強烈な光が辺りを照らした。先程から何発も上がっているそれはパーティーの始まりの合図だが二人はまだそこから動こうとしない。

「…今日のこのパーティー、噂によるとアンジェリカ様の旦那候補を集めてるらしいぞ」
「⁉︎」

 ミゲルの眉が跳ね上がったのを見てガランドはゲラゲラと笑った。

「だはははは!お前本当にラファエルに甘々だな!他の兄弟達が泣くぞ」
「し、仕方がないだろう!ラファエルは一番ソフィアに似ているし、あんなに引っ込み思案で大人しくて…」

 尻すぼみになる声に鼻から息を吐き、ガランドは先に立ち上がった。

「ま、会えばどうにでもなる。アンジェリカ様と二人になれる時間は俺がなんとかして作ってやる。お前はお前のやるべきことをしろ」

 腰に剣を佩き、騎士としての正装に身を包んだガランドにミゲルが声を掛ける。

「アルフレッドはどうする」
「ああ?」

 一応ガランドの唯一人の弟子であるアルフレッドを救出する、というのが最優先事項のはずなのだがこの男はそんなこと知るかとばかりに顔を顰めた。

「アイツはやろうと思えば逃げられる。それをまごまごしてんだからそりゃアイツの甘さが原因だ、俺がどうこうすることじゃねえさ。それに俺が余計なことしなくてもアイツがなんとかする」

 アイツ、それが誰を指すのかを察してミゲルの表情が僅かに曇る。
 その表情の理由をガランドは正確には把握出来ない。把握しようとも思っていない男はあっけからんと言い放つ。

「男がうだうだ悩むんじゃねえ。こういうのはなるようにしかならん。それじゃあまた後でな」

 それだけ言ってガランドは去って行った。
 一人残されたミゲルはまた上がった花火を見上げて頬の肉を噛んだ。「しっかりしろ」そう自分に言い聞かせ、程なくして立ち上がる。向かうのは煌びやかなパーティー会場。そこでは既に余興が始まっているのか派手な音が鳴り響いていた。
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