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第三章 

警鐘

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 こともなげに呟かれた言葉を理解するのに数秒要した。否、言葉としては理解したが、その真意までは理解が出来ない。
 ただ生温かい泥濘に足を突っ込んだ時のような気持ちの悪さが背筋を這って、自然とラファエルは王女から距離を取るように一歩後ろへと下がった。その様子にアンジェリカは一度瞬きをして、次の瞬間には柔らかく微笑む。完成されたその微笑みは確かに美しいのに、底知れぬ恐ろしさがあった。

「怯えないで。あなたに危害を加えるつもりは一切ありません」

 そう言われて初めてラファエルは自分が怯えていることに気が付いた。
 アンジェリカはそっと歩き出し、再び椅子に腰掛けた。髪色も顔のパーツひとつひとつも派手なのにそれでも品がある彼女がまとうドレスは淡い青色で、ラファエルはその色に少しだけ違和感を持つ。

「掛けて?お茶でも飲みながらお話ししましょう」

 洗練された仕草でカップとソーサーを持ち紅茶に口を付ける姿は絵画のように美しかった。言われるがままラファエルは頷いてアンジェリカの向かいに腰を下ろす。
 何故か喉が張り付いたように乾いていて声も出せなかった。

「…ローデン卿はお元気?」
「…はい」
「そう。あなたがここに来ることに良い顔をしなかったんじゃない?溺愛しているでしょう、あなたのこと」
「…いえ、そんなことは」

 また一つ、違和感。

「…父とは親しいのですか?」

 問いかけておきながらラファエルには答えがわかっていた。そんなことは有り得ないのだ。
 ローデン家の身分は貴族の中では至って平凡だ。領地が大きいわけでも経営が特別うまくいっているわけでもない、目立たない家なのだ。そんな家柄の人間が王族と親しくなれるわけもなければ、アンジェリカ自体が滅多に社交界に顔を出さないのだから親交を深められるわけもない。

「…そうですね」

 アンジェリカがそっとソーサーを置いた。再びラファエルを見据えたその顔はもう笑ってはいなかった。

「以前は親しかったといえば、わかりますか」
「以前、とは」

 警鐘が鳴る。耳の奥でキンと高い金属音が鳴って心臓が早鐘を打つ。

「私があなただった頃」

 ぶわりと強い風が窓から入り込んで繊細なレースのカーテンを膨らませた。

「…私はあなただった。あなたは誰?」

 躊躇することなく告げられた内容にやや遅れてラファエルの目が大きく見開かれた。

「随分と逞しくなったんだね。それに男性の服を着てる。冒険にも出ていて、ハンターもしているんだよね」

 先程までとは全く違う口調で話し出したアンジェリカにラファエルは混乱するが、それでも頭の冷静な部分がその口調を知っていると訴える。
 そうして本を開くようにして脳内に広がった記憶に息が乱れた。

「マリアは驚いたでしょう?急に人が変わったんだから当然だよね。…だけど、ローデンには今のあなたの方が相応しい」

 当然のように出てくるマリアの名前、そして全てを知っているかのような口調に、何もかもを諦めたような笑顔。ラファエルはその笑顔を知っていた。
 動悸は止まらず、背中には冷や汗が伝った。ぐっと拳を強く握り込んで痛みでどうにか平静を保とうとする。そうして情報が整理しきれない頭で考え至った言葉を口に出すのにラファエルは相当の覚悟を要した。

「……あなたは、ラファエル…?」

 掠れた声に、目の前の少女が眉を下げて微笑んだ。

「そうだよ」

 右手を胸元に当てて、少女はもう一度口を開いた。

「私はラファエル・ローデン。今は違うけど」

 ラファエルは何をいえばいいのか分からなかった。何をいえば正解なのか、むしろ何もいわないことがこの場を切り抜ける良策なのではとも思うが、そんなことは目の前の少女が許さない。

「驚くよね。私も驚いた、すごく。だって私は覚えていなかったんだもの、つい最近まで」

 少女は視線を窓へと向けた。外を見ているようで何も見ていないその目は、何かを思い出すように細められた。

「私が一ヶ月前に倒れたのは知ってる?」

 ラファエルは頷いた。

「その間にね、とても不思議なことが起きたの。前世と呼ぶべきなのか、魂の記憶と呼ぶべきなのか分からないけれど、私はそれを見た」
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