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第三章 

アンジェリカ

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 麗らかな午後、洗練された室内にあるテーブルの上に一つの新聞が置かれていた。
 その一面には数十年ぶりにSクラスハンターが誕生したと書かれており、魔術によって印刷された記事には黒髪赤目の美丈夫が載っている。この新聞が出回った時、世間は大いに賑わった。

 S級の魔物が実在していることに恐れを抱く人もいれば、記事に写る美丈夫に目を奪われている人も。そこそこ名の知れた人物だったということもあり、とある街では祝杯だとお祭り騒ぎになって結構な経済効果をもたらしているとか。
 そんな記事が何故この部屋に置かれているのかと問われたら、答えは一つだ。
 その部屋の主人がそれを望んだからである。

「アンジェリカ様、ご気分はいかがですか?」

 繊細なレースで出来たカーテンが少しだけ開けられた窓から入り込む風によって揺れて、柔らかく入り込む陽光が床に木漏れ日のような模様を作る。穏やかと呼ぶに相応しい室内にメイドがお茶を用意する音が時折耳に届き、名前を呼ばれた部屋の主人は伏し目がちだった瞼をそっと上げた。

「…大丈夫よ、アンナ。もう起き上がることだって出来るわ」

 嫋やかにに微笑んだ主人、アンジェリカの表情にアンナは目尻に一層深く皺を寄せて微笑み、温かなお茶をカップに注いでいく。
 腰程にまである蜂蜜色の髪は緩くウェーブが掛かっていてその豊かさと色彩を引き立てる。シミひとつない白磁の肌に、頬は薄く桃色で唇も潤んで果実のよう。髪と同じ色の睫毛も長く、目を伏せただけで顔に影が出来る。アンナの仕える主人、アンジェリカは誰がどう見たって文句無しの美貌を持っていた。

「それはようございました。ですがアンナは生きた心地がしませんでしたわ、アンジェリカ様がお倒れになられてから目が覚める日まで、本当に心臓が凍りついておりました」

 音も無くアンジェリカの前にティーカップが置かれ、それに優雅な動作で口を付ける。
 アンナの言葉にアンジェリカは曖昧に笑って、テーブルに置かれた新聞に視線を向けた。

「心配をかけたわね」
「いいえ、いいえ、アンナには心配することしか出来ませんでした。毎日神に祈りましたわ姫様をお助けくださいと」

 眉を下げ、淑女らしく静かに微笑んでいるアンジェリカはつい先日までベッドに寝たきりだった。一ヶ月程前急に倒れてそれからずっと意識が戻らず昏睡状態が続いていたのだ。
 医者も魔術師も原因がわからないと匙を投げ、もうこのまま目覚めないのではと誰もが不安に暮れていた時、なんの前触れもなくアンジェリカが目を覚ましたのだ。
 その日は城中が歓喜に震えた。

「ふふ、ありがとうアンナ。おかげでとても元気よ、私は」

 目覚めたといってもまだ油断は出来ないと父からも医者からも外出を控えよと言われているアンジェリカは今日もずっと部屋の中で過ごすことになるだろう。

「…ねえアンナ、我儘を言ってもいいかしら」
「まあ珍しい。なんでしょう?」
「あなたのクッキーが食べたいわ。小さい頃内緒で作ってくれたでしょう?」
「あらあら、まあまあ。覚えておいでだったのですか」
「忘れるわけがないわ。とても大切な思い出だもの。…だけど強請るものはしたないでしょう?ずっと我慢していたの」

 内緒話をするように声を潜めて伝えた言葉にアンナは目を丸くして、次第に感激で潤ませる。感激屋な彼女にアンジェリカは優しく微笑んだ。

「きっとこんな機会じゃないと言い出せないと思って。…ダメかしら?」
「いいえそんなことは!お待ちください姫様、アンナが腕によりをかけて作ってまいりますわ!」

 そう言って早速部屋を出るアンナを見送って、部屋にはアンジェリカ一人となった。性悪には扉の側にも護衛は控えているが、そんなものは瑣末なことだ。
 テーブルに広げられた新聞に手を伸ばし、Sランクハンターとして大々的に載っている男の輪郭を手入れの行き届いた指でそっと撫でる。
 赤い宝石のような目は紙の上だとその輝きを欠片も生かせていなくてもどかしい。

「……アルフレッド…」

 恍惚と目を細め、ほう、と熱の籠った吐息と一緒にその名を囁いた。
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