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第二章 ヒノデの国(下)

昇格

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 それから少しだけ日が過ぎて、龍を倒してから三日目のことだった。ラファエル達の身体はすっかり回復し、タリヤも以前と同じ状態に戻った。さすがに戦うことはまだ医者には止められているが、それでも日常を送ることに支障はない。
ラファエルとアルフレッドは自分達が取っている部屋でのんびりと寛いでいるのだが、二人の空気が以前とは少し変わっていた。二人、というか主にラファエルの空気なのだが。

「…エル」

 控えめな声でアルフレッドが名前を呼んでもラファエルは反応をしない。
 広縁の椅子に腰掛け、肘掛けに頬杖をついて窓の外を眺めているラファエルは遠くを見て何かを真剣に考えているようだった。こんなことが数日続いている。
 ヒノデの国に来てから確かに様子の変わったラファエルだったが、それとはまた違う変化にアルフレッドは正直戸惑っていた。人の都合など基本的には気にしないアルフレッドだがラファエルに対してだけはそうもいかず、今日も待てを食らった犬のように眉を下げてラファエルの反応を待っていた。

「……エル」
「…あ、ごめん。もしかして呼んでた?」

 それから少しして今度は少しだけはっきりと名前を呼んでみるとようやく気がついたラファエルの青い目が外から自分に移るのを見てアルフレッドは細く息を吐く。

「…なにかあるのか?」

 こんな時「考え事か」とすらアルフレッドは聞けないでいた。
 その言葉にラファエルの目が微かに大きく開き、小さな声で「こういうところもか」と呟いた。顎に手を当てて、眉間に深く皺を刻み何かと葛藤しているかのように唸って、やがてアルフレッドを見る。その表情はとても真剣だった。

「……自分のことを考えてた」

 今度はアルフレッドが目を見開く番だった。
 こんな時ラファエルはいつだって「なんでもない」と曖昧に笑って誤魔化していた。そうして二人は今まで過ごしてきた。お互いに踏み込み過ぎない、それがいつの間にか暗黙の了解となっていて、綱渡りというにはあまりに甘過ぎるが、それでもそんな曖昧な関係を続けていた。
 それが今、少しずつ変わろうとしている。

「…自分のこと?」

 聞き返した声は情けないほど細い。

「うん、アルフのことも考えてた。たくさん叱られたからねーオヅラ達に」

 眉を下げて情けないという風に笑うのに声音はどこか嬉しそうでアルフレッドの胸の内に靄が掛かったようになる。あの魔物と戦っている最中、ラファエルが戦闘に参加しない時間が確かにあった。どうやらそこで揉めたらしいが、アルフレッドはその時にどんな会話が交わされたのか知らない。
 気が付けばやけにラファエルがオヅラ達と打ち解けていて、今では普通に食事もする仲になっている。それが少し面白くないが、アルフレッドにはどうしようもなかった。

(こんなエルは久しぶりだ)

 確かに思い悩んでいるようだが表情は明るいし、何より目の光が違った。ここ数ヶ月、下手すれば一年以上ラファエルの目はどこか光が褪せていたし全てを諦めている世捨て人のような雰囲気もあった。湖を思わせるようだった青は、今や澄んだ青空のような光を宿している。

 こんな目をアルフレッドは確かに見たことがあった。ラファエルが初めて剣を握った時、初めて魔物を見た時、そして冒険を始めた時、ラファエルはこんな目をしていた。

「…エル、今楽しいか?」

 気がつくとそんな言葉を自然に投げかけていた。
 ラファエルの目が少し丸くなって、また少し考え込むように顎に手を当てやがてゆっくりと自分を納得させるように頷いた。

「……うん、楽しいと思う」
「その割には難しい顔してるな」
「あはは、そうだと思う。けど楽しいよ、うん。楽しい」

 ラファエルは自分の胸に手を当てて眩しがるように目を細めてそしてまた頷いた。まるで大事なものを確かめるようなその仕草が不思議ではあるが、あまりにその雰囲気が嬉しそうでアルフレッドの口角も自然と上がる。

「…ねえアルフ」
「ん?」

 柔らかい声で名前を呼ばれアルフレッドは首を傾げた。するとラファエルはどこか面映そうにはにかんだ。

「あのさ、この前──」
「ちょっとあんた達お客さんよ‼︎」

 スパァン!と勢いよく襖が開いて登場したマヅラによってラファエルの言葉は遮られ、アルフレッドは息を吐いた。「タイミングが悪い」そうこぼしながら顔を向けるといつ見てもギラギラしているマヅラを見て眉を寄せた。

「誰だ」
「あはああん!今日も素敵よアルフレッド様!あんたはいつも眩しい顔してるわねラファエル。で、そうよお客様!なんとびっくり、ギルドが訪ねて来てるわ」
「ギルドが?」

 ラファエルが意外そうに目を丸くした。ギルドが近い将来この国に視察に来るとは思っていたがもう来たのかと行動力の高さに驚くが、それならば何故訪ねて来るのだろうと新たな疑問が浮かぶ。

「因みに呼び出されてるのはあのバケモノとやり合ったアタシ達五人よ。多分バケモノについて聞きたいんじゃないかしら」
「…ああ、なるほどな」

 そういってアルフレッドが立ち上がり、それにつられてラファエルも立つとマヅラの後ろを着いて階段を降りていく。
あの騒動からまだ三日しか経っていないということもあってあまり被害の出ていない宿内も少し慌ただしくそうして一階にまで降りると見知った顔があるのにラファエルは目を丸くして笑みを浮かべた。

「マルルゥ!」
「!ラファエルさ、ああああああだめですなんで顔隠してないんですかああ!」

 番頭とにこやかに話していたギルド職員のマルルゥがラファエルの声に満面の笑みで顔を上げたかと思えば目を見開き、まるで跳ねたボールのような勢いで側までやって来るとラファエルの顔を隠そうと手を伸ばすが背が低いせいで届かずぷるぷると震えていた。

「大丈夫だよマルルゥ。ここの人達もう僕の顔見慣れてると思うし、襲って来るようなやつがいたら殴るし」
「アタシも殴るわね」
「俺は斬るな」
「あらそれは過剰防衛よアルフレッド様」

 目線を合わせるように背を丸めたラファエルの言葉と随分親しげな様子のアルフレッドとマヅラを見てマルルゥが目を瞬かせた。けれどそんな動揺も一瞬で、次にはいつも通りの柔和な笑みを浮かべて「そうですか」とラファエルを見る。

「おいテメエらいつまで待たせんだ」
「そうっすよー。今日の夕方からは宴なんですからね!」

 早く早くと捲し立てるオヅラとタリヤにラファエルは苦笑して、ここ数日慌ただしいからか少し老け込んだ番頭が「こちらへどうぞ」と歩き出し、六人でその後ろを着いていく。通された広い和室には低いテーブルが有り、それを囲むようにして腰を下ろすと静かにお茶が運ばれて来てその人達がいなくなってからマルルゥが控えめに咳払いをした。

「突然の訪問申し訳ありません。この度は」
「前置きはいいから結果だけ話せよ。長話は嫌いなんだ俺は」

 胡座をかいて心底面倒臭そうに先を促すオヅラに深く溜息を吐いてじとりとした視線をくれてやった後、マルルゥは再び気を取り直して五人を順番に見て、最後にアルフレッドを見た。

「この度アルフレッドさんをSクラスハンターに昇格することが決まりました」

 一拍。

「はああああああああ⁉︎」
「マジっすかああ⁉︎」
「さすがだわああああん!」
「遅かったくらいだねえ」
「…面倒臭え…」

 ギルドが創立されてから何百年という歴史の中、かつてSクラスになったハンターは十にも満たない。その中にアルフレッドが加わることにオヅラ達は宿を揺らす程の声で叫んでいた。
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