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第二章 ヒノデの国(下)

強いのはいつだって

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  殺気立つ住人たちの間をまろび出るように現れた女性はラファエル達を背にして両手を広げた。

「待ってください!」
「…おみつさん?」

 辺りはしんと静まってラファエルの驚きの声がよく響き、振り返ったおみつがにこりと明るく笑って見せて、すぐにまた正面を向く。

「やめてください。この人達は恩人です」

 はっきりとした声に誰もが虚を突かれていた中、生贄をと叫んでいた男が持っていた鍬をおみつに向けた。

「っ、おい」

 オヅラが止めに入ろうとするよりも早く、おみつの右手が鍬の柄を掴む。

「な、なにを…!」

 見るからに狼狽えた男を見ておみつは目を細めた。

「…これは、人を殴る武器ではありません。これは人を生かすための大事な道具です。違いますか」

 それを掴んだままおみつは一歩前に出て、それに圧されるように男は一歩後ろへ下がる。

「あれは神様なんかじゃありません」

 ざわ、と空気が揺れる。「なにをバカな」「罰当たりめ」そんな声がおみつを襲うが、怯んだりはしなかった。左手で子の宿る腹を撫でて、見知った人たちの顔をゆっくりと見渡す。

「町を壊したり、人を食べるようなものは、神様なんかじゃない。そんなの私は認めません。皆さんも見たでしょう?突然大雨が降って、雷が落ちて、もう何軒も家が無くなりました。言い伝え通りだったら、きっとあのまま町もなくなっていた。そんなことをするのが神なんですか?私は、絶対に違うと思います」

 おみつは右手を鍬から離して腹の前で両手を揃えた。
 華奢な身体なのに、その背中がやけに大きく見える。ラファエルはその姿にまた既視感を覚えた。

「きっとご先祖さまもあんなどうしようもない生き物を見て、私達みたいに怯えていたと思います。なす術もなく全部無くなって、でもそれをただの「運が悪かった出来事」にしたくなかったんだと思います。だからあれを神様に仕立て上げて、ものすごく悲しかった出来事が起きた理由が欲しくて、責める理由が欲しくて、それで外の人と外に出ようとする人のせいにした」
「…そ、そんなのおめえの想像だろうが!」
「はい、そうです。だけど人って理由を欲しがる生き物だから、そう思うと納得できませんか?」

 こんな状況なのにおみつはこてんと首を傾げて可愛らしく笑って見せた。

「そして皆さんも今、起きるかわからないもしものことを想像して「もしそれが起こった時に責める対象」を作ろうとしていませんか?」

 一人、また一人と握っていた物を下ろしていくのが見えた。

「私たちは感謝をするべきだと思います。オヅラさんとマヅラさんはともかく、それ以外の方は外の人達です。外の人が、こんなにボロボロになってまで私達を助けてくれたんです。それに感謝もせず、あまつさえ怪我をさせようだなんて…」

 それまで気丈に振る舞っていたおみつが俯いて細い肩を震わせているのを見て、遂におみつの目の前で鍬を構えていた男も腕を下ろした。
 それを視界の端で捉えていたおみつは瞬時に顔を上げ、声を上げる。

「そんなの、ヒノデの国の名折れです!」

 てっきり泣いていたとばかり思っていた男は目を丸くし、おみつは強い意思の宿る瞳で群衆を見返し、その場から一歩も退かないと表すように胸を張った。その姿に男が困惑したことは簡単に見て取れたが、男も退けないと思ったのかもう一度鍬を握り直す。

「女が偉そうなこと言ってんじゃねえぞ!」
「そいつは聞き捨てならないねえ‼︎」

 太い女性の声が群衆の後ろから聞こえておみつは息をのみ、そして目を潤ませた。

「おばちゃん…!」

 その声に全員の視線が集まると、声のした方には女性達がぞろりと並び立っていた。
 それにラファエル達は何度目かの驚きに目を丸くし、何が起きているのだろうかと瞬きを繰り返す。

「げ」

 どこからともなく男の声がした。

「あんた達!こんなところでなーにやってんだい‼︎」

 四十くらいだろうか、恰幅のいい女性の怒鳴り声に数名の男が飛び上がる。

「大雨で雨漏りはするわ雷で家も店も壊れるわで大騒ぎだよ!騒ぎが収まった途端外に行ったと思ったらなんだい、そんなぼろぼろの子達囲んで情けないことしてんじゃないよドラ息子共!あんた達が握ってるその農具!それも安かないんだからね!それ持ってる男共、ちゃあんと嫁さんに許可取ったんだろうねえ?あたしゃ知らないよ。なんせ女ってのは喋らないと死んじまうからね。今頃こっちに包丁持って走って来てるんじゃないかい?」

 群衆から「ヒイ」と情けない声が上がり、すでに自分の嫁や母親を見つけた人達は顔を青くしている。

「け、けどよお母ちゃん!こいつら海神様を」
「祟られるかもしんねえんだぞ」
「バカじゃないのかいあんた達は!そりゃああたしにだってその気持ちはわかるさ、けど今は神だのなんだの言ってる場合じゃないってのはわかるだろ。神は祈ったって何にもしちゃくれないよ。どうにかするのはいつだって生きてる人間様さ、そうだろう」

 女性の一瞥に男は肩を落として視線を下げる。

「……そりゃあね、あたしだって神様の祟りが怖くないのかって言われたらそりゃあ怖いさ。けどそんな目に見えないもんを怖がったって仕方がないじゃないか。あたし達は今目の前のやれることをやる。それ以外は二の次三の次さ。なんたって毎日忙しいからね、神様なんて気にしてる場合じゃないよ」

 恰幅のいい女性はぱんぱんと手を叩いた。

「さあさあヒノデの男達がこんな若い女の子に説教されたまま黙ってるつもりかい?体力が有り余ってるならさっさと家に戻ってやれることをおしよ!さあ行った行った!」

 女性の一喝によって群衆は去って、残されたのはラファエル達とおみつのみ。
 何が起きたのかいまいち分かっていない四人は沈黙したまま、やはりおみつに促されて宿屋へと向かい、そして宿屋に入った途端また驚くことになる。
 そこには既に医者と思われる人が数名待機していて、いつでも怪我人を診ることの出来る体制が整っていた。

「ああ、女性達の言う通りだ。早速手当をしましょう」
「え、あ、よろしくお願いします…?」

 ようやく出た声は随分と疲労の色が濃く滲んでいた。


 △▼△


「うおおおおお、おみっちゃあああああん!オラァ、オラァ生きた心地がしなかったよお!」
「ごめんなさい団吉さん、でもああするしかないって思って」
「そりゃオラァ南の玄さんや北のスエ婆を助けてたけどよお、その間におみっちゃんがそんな危険な真似してるとは思わねえじゃねえか!」

 宿屋の一室で眠っていたラファエルが目を覚ました時一番最初に聞いた会話がそれだった。

「団吉さんが人助けをしてるように、私も私の手の届く範囲の人のことを助けたいって思ったの。…そりゃあ、ちょっとは無理をしちゃったけど」
「ちょっとじゃ」
「僕達のためですよね」
「ラファエルさん⁉︎」

 突然聞こえた声に二人が目を丸くしてラファエルを上から覗き込んだ。その勢いに数回瞬きをした後にラファエルは笑みを浮かべる。肘をついて上半身を起こし、なんとか座る。

「あいたたた、さすがに身体痛いな…」
「無理して起き上がらないでください」
「そうだぜラファエルさん、あんただって相当怪我してんだからな!」
「あはは、まあ結構無茶したからなあ。他のみんなは無事ですか?」
「おう、あの細い兄ちゃんはまだ寝てるが他の三人はもう目ぇ覚ましてる。けどそれぞれ医者から無理は厳禁だって言われてたぜ。もちろんアンタもだ」

 ビシッと指差されて告げられた言葉に苦笑するが確かに動けるような状態ではないし、何より皆が無事なことに気が抜けたのかまたラファエルは布団に横になった。というか倒れたという言葉の方が正しい。

「だ、大丈夫ですか?」

 覗き込んでくる大きな黒目にラファエルは懐かしいなと思った。
 黒髪黒目はこの世界では珍しくない。けれどおみつの表情や仕草は、やっぱりどうしたって懐かしい。

「…助けてくれて、ありがとうございました」
「え?」

 おみつが目を丸くした。

「ああ、さっきの。気にしないでください。勝手に身体が動いちゃったんです。そのせいで団吉さんから怒られちゃったけど」
「そりゃあそうだ。おみっちゃん、もう一人の身体じゃあないんだ。俺のためを思って安全なところにいてくれよ」
「それは聞けないわ団吉さん。だって私はこの子のためにも格好いいお母さんでいたいんだもの」

 おみつはそう言って腹を大事そうに撫でていた。やはり平らで、そこに命が宿っているなんてとても思えないが、その表情がそこに宝物がいるのだと物語っていた。

「それにお礼をいうなら私たちの方ですよ、ラファエルさん」

 再び寝入ろうとして瞼が落ちかけているラファエルをおみつは優しい笑顔で見つめていた。

「私達の町を助けてくれて、本当にありがとうございます」

 助けられたのは、果たしてどちらだろうか。
 また眠りの世界へと旅立つ時、ラファエルは感じていた。もう以前のような疎外感を感じないことに。ふわふわと糸のついた風船のように浮いて揺れていた身体が、足が、きちんと地面についているような、そんな感覚を。
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