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第二章 ヒノデの国(上)

賑やかな予感

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 二人が通された部屋は畳が敷いてあり、座椅子や座卓のあるこれぞ和室。といった部屋だった。鼻に届いたい草の香りは遠い記憶の中で一度嗅いだことがあるかないか、それくらいの認識だがそれでも懐かしいと思う香りだった。
 広さも申し分なく、装飾も落ち着いていてどこか大人な雰囲気が漂っており確かにこの部屋ならばそれなりの値段がするのだろうと納得できた。そんな部屋で、ラファエルとアルフレッドは向き合っていた。
 畳に膝を突き合わせるのではなく、ラファエルが壁に追いやられる形として。

「あ、アルフさん、近いんじゃないですかねー…?」
「そうか。気にするな」
「無理があるよ。うわあちょっと待ってってば…っ!」

 ラファエルの背中がとん、と壁にぶつかり逃げ場がなくなって、それを見てからアルフレッドの腕が伸びてラファエルの顔を隠すゴーグルとストールを多少雑に剥ぎ取っていく。そうして現れた顔にアルフレッドは盛大に眉間に皺を寄せこれ以上ない程の大きな溜息を吐いた。

「……あ、はは…そんなにひどい?」

 思わず苦笑いしたラファエルの頬をアルフレッドが触れた時ぴりっとした鋭い痛みが走って肩が跳ねる。

「…口の端が切れて、目の周りは明日には痣になるな。こんな顔旦那様に見せたら俺の首が飛ぶぞ」
「う…」
「…お前は自分の怪我に無頓着過ぎる。避けられただろ、全部」

 傷を負っているのはラファエルなのにアルフレッドの方が酷く傷ついた顔をして繊細なものに触れるようにラファエルの頬を撫でた。ラファエルはこんな時、毎回どんな反応をしたらいいか分からず無言になってしまう。
 否、伝えるべき言葉はわかっている。「ごめん」ただ一言そういえば目の前の男は悲しそうな顔をしたまま「次から気をつけろ」と続けるのだ。こんなやり取りも何回もしてきたけれど、過ごす時間が長くなればなる程その「ごめん」が簡単に出てこなくなってしまった。
 
 だって、この「ごめん」には謝罪の気持ちなんて欠片も入ってなんていないのだ。
 ラファエルはきっとこれから先もずっと、この身体の命が続く限り似たような状況を作り出して、そしてその度に傷を負うような真似をする。
 痛みによって今自分が間違いなくここに存在していると実感したいなんて、ラファエルにはとても目の前の相棒に伝えることなんてできない。そんなことを言えば異常者だと思われる。全てを伝えなければならなくなってしまう。そんなことをしたら、どうなってしまうのだろう。
 
 アルフレッドはラファエルをラファエル自分として受け入れてくれるだろうか。
 もし、受け入れられなかったら…?

 喉が異様に渇いた気がした。足の先からさあっと血の気が引いて、心臓が凍りつきそうになる。耳の奥でドクドクと鼓動の音がして、キン、と嫌になるほど高い音が聞こえた気がした。

「……ごめん」

 情けない程小さな声で紡がれた言葉は酷く掠れていた。

「……次から気をつけろ」

 後頭部に手が回って抱き締められる。胸元に耳を寄せるとアルフレッドの心臓の音がした。自分と同じ音がして、ラファエルは自然と止めていた息を吐き出して広い背中に腕を回した。
 少しだけ身体が痛んだが動かすには問題は無い程度で、その体勢のままもう一度「ごめん」と呟くと今度はアルフレッドは何も言わなかった。その代わりつむじに唇が押し当てられた気がしてラファエルの口元が緩むが、それにも痛みが走って思わず「いてっ」と口に出したら頭上から呆れたような息が吐かれてそれにはラファエルも苦笑で返す他なかった。

「…風呂でも入るか?温泉とかいうのが貸切になるんだろ?」

 相変わらず抱き締められたまま少しだけ身体が離れてアルフレッドの表情が見えるようになり、ラファエルはああ、と思い出したように頷いた。
 ラファエルがマヅラを負かしたことによって宿屋の営業は通常通り行われるようになったそうだ。その見返りとして先にラファエルが提示していた通り二人が温泉を使用している間は貸切になる権利を得たわけだが、すぐに首を縦には振らなかった。
 いつもならすぐさま食い付くであろう提案に珍しく難色を示す様子にアルフレッドが「どうした?」と問いかける。

「…今行ったら嫌な予感がする…」
「予感?」

 ラファエルは難しい顔をして頷いた。

「…すんごいめんどくさいことになりそうな予感。えー…やだな、僕のこういう感当たるんだよ」

 「ね」と言い切るより先に二人が泊まる部屋の扉がスパァン!と開け放たれた。

「アルフレッド様あああ!お背中お流し致しますわあああっ!」
「あああああ駄目ですってマロンさん駄目ですってえええ!」

 雪崩れ込むようにやってきたマヅラとタリヤに二人は目を見開き、アルフレッドは結構な速度でラファエルの顔を自分の熱い胸板に抱き込んで隠すように扉から背を向けた。けれど視線だけは鋭くそちらを見ており、威嚇のような低い声が発せられる。

「…行くまでもなくお前の感が当たったな」
「…あはは、そうだね」
「ちょっとラファエル!アンタ!アンタなに抱き締められてんのよ!」
「マロンさん!邪魔だから!オレたち絶対に邪魔だから!風呂は俺と入りましょ?ね!ねえってばああ!」

 今すぐにでも飛びかかって来そうなマヅラの腕を掴んでどうにか止めているタリヤの表情は焦りに焦っていた。それもその筈で、きっとタリヤはこの中で唯一アルフレッドの機嫌が急降下しているのをまともに察知できる人物だったからである。マヅラがそんなことに気が付いているわけがないし、そもそも庇護対象であるラファエルはその不機嫌が向けられることはない。つまりだ、今最もアルフレッドの怒りを受けているのはタリヤという事になる。

「マロンさあん、お願いですから出直しましょうよお!このままじゃ俺が消されるからあああ!」

 ほとんど半泣きと言ってもいいタリヤの声に、思わぬ所から助太刀が入る。

「アルフ、そんなに威嚇しなくてもいいよ。寧ろやり過ぎ」

 その言葉にアルフレッドは渋々といった様子で怒気を収め、マヅラは何様なのよと吠え、タリヤは目をこれでもかと言う程見開いた。

「……え、ルナ様…?」

 今度はラファエルの身体がビキッと硬直し、再びアルフレッドの怒気がタリヤを襲い、マヅラは「はあ?」と声を上げた。

「こんなとこにアンタの女神様がいるわけないでしょ」
「いやでも今の声絶対ルナ様っすよ!え、てことは⁉︎アルフレッドさんルナ様抱き締めてんすか⁉︎いやちょ、それは、それは駄目っすよ!」

 マヅラはアルフレッドを風呂に誘い、タリヤはアルフレッドの腕の中にいる人物の顔を見ようと躍起になっている。さながら動物園のような騒がしさ、混沌、それが何よりしっくり来る空間にラファエルとアルフレッドは同時に溜息を吐いて、そして二人ともほぼ同じタイミングで頷きあった。

「……じゃ、じゃーん…どうもー…ラファエルでーす…」

 おずおずとこれ以上の苦笑いはないというくらいの笑顔を顔に貼り付けてアルフレッドの横から顔を出したラファエルを見て、マヅラは目も口もぱかんと開け広げ、タリヤはさながらムンクの絵のように顔を両手で押さえた。

「る、ルナ様のご尊顔があああああああーーーーーーーーー‼︎」

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