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第二章 ヒノデの国(上)

殴り合い─ステゴロ─

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 宿全体を揺らしたのではと思えるほどの声量にラファエルはわかりやすく両手で耳を押さえ、アルフレッドは眉を顰めた。番頭は顔面蒼白である。
 生家であるこの宿に戻ってきてもマヅラの服装は船で見た時と変わらず踊り子のようで、マヅラがアルフレッドを見て体をくねらせる度にフェイスベールが揺れる。

「も、もしかして、アタシに会いに来てくれたの…⁉︎」
「そうだよ」
「あんたに聞いてないのよお黙り不審者!」

 頬を薔薇色に染めて瞳を潤ませながら問いかけるマヅラの目にはアルフレッドしか映っておらず、念の為とラファエルが答えてみたが間髪入れずに言い返されたため視界には入っていたのだなと頷いた。

「本当はオヅラさんにも用があるんだけど今お風呂入ってるって聞いてどうしようかと思ってたんだ。帰って来てくれて良かったよ」
「ちょっとあんたアタシの話聞いてた!?」
「聞いてるけど僕もアルフも言うこと変わらないよ?」

 実際に出ている訳ではないけれど、マヅラの目からバチっと火花が上がった気がした。

「ま、マヅっ」
「ああん⁉︎」
「マロン様…」

 その空気を察知してか番頭が声を上げると名前の訂正を求めるように野太い声が這い、覇気なく可愛らしい名前が伝えられるとマヅラはふん、と鼻を鳴らして番頭に向き直った。

「なによ」
「そ、そちらの方々が、宿泊希望で…」
「なんですって⁉︎」

 カッとマヅラの目が見開いて再びアルフレッドを見て、そして番頭へ戻る。

「そんなのオッケーに決まってるじゃないのよ‼︎一番良いお部屋を用意なさい!勿論料理も最高級よ!お代はアタシが出すわぁ!今日は宴よおお‼︎」

 今にもその場で踊り出しそうな程上機嫌になったその様子にラファエルは笑った。

「本当?助かるよ」
「なに言ってんのアンタは駄目よ」
「ええ⁉︎」
「ええ⁉︎じゃないわよ!こっちがええ⁉︎よ!」

 戦場でされたようにビシィ!としっかり指をさされたラファエルがゴーグルの下で目を丸くして、マヅラは「良いこと!?」と声を張り上げた。

「どこの世界に!!恋敵に塩送るバカがいるのよ!!」

 しん、と静まり返った帳場でラファエルはゆっくりと自分自身を指差した。

「こいがたき…?」
「そうよ‼︎‼︎いつもいつもアルフレッド様にべったりのアンタが恋敵じゃなかったらなんだって言うのよ‼︎」

 再びしん、と静まり返った場の空気にラファエルはどう返事をしたものかと眉間に皺を寄せた。自分たちは恋人ではないが、かといって友人かと聞かれても違うと答えられる。それに「恋敵」という認識ならばラファエルがアルフレッドに想いを寄せていることになる。それは少し、違う気がした。
 想いを寄せているなんて、そんな綺麗なものではない気がするのだ。

「エルが駄目なら俺もここには泊まれない」
「ええ⁉︎」

 今にも食ってかかりそうだったマヅラから守るようにアルフレッドがラファエルの肩を引いて前に出る。広い背中に守られるようにして後ろに回ったことにラファエルは数度瞬きをしてアルフレッドを見上げる。

「アルフ」
「………そう、アルフレッド様はその不審者を取るのね…」

 しゅん、と肩を落としたその姿はあまりに哀愁が漂い過ぎていて胸が痛くなる程だった。けれど、マヅラはそこで挫けなかった。勢いよく顔を上げて目に爛々とした光を宿しアルフレッドの背に庇われているラファエルをキツく睨む。

「勝負よ不審者あ‼︎」

 怒号とも取れる覇気をまとった声に番頭が「ひっ」と怯えた声を上げてテーブルの下に隠れ、アルフレッドは眉を跳ねさせた。ラファエルは何故そうなるのかわからないでもなかったが、勝負という言葉に布の下で口角を上げる。

「いいよ。マヅラさんが勝ったらアルフレッドはここに置いていくし、僕が勝ったら僕もここに泊まる。それでいい?」
「次からアタシのことはマロンとお呼び不審者!」
「おいエル」
「大丈夫」

 咎めるような声で名前を呼ぶアルフレッドの肩を二回叩き再び前に出る。腰に佩ていた剣も一緒に渡して数歩前に進むと腕が届かないくらいのところで止まる。近づいてみればオヅラ同様背も高く、そして威圧感もあった。

「あと僕が勝ったらラファエルって呼んでよ、マロンさん」
「あら二つも望むなんて生意気ね。でもいいわ、もし勝てたら呼んであげる。アタシが勝ったら大人しくアルフレッド様置いて出ていきなさいよね!」
「わかった」

 マヅラはラファエルが快諾することが意外だったのか前に立った姿を見た時に僅かに目を開いていた。けれどすぐに余裕の笑みへと変わり、腰に両手をあてて遥かに背の低いラファエルを見下ろしている。体格差は例えるならゴリラとチンパンジー、それくらいの差が二人にはあった。

「で、勝負ってなにするの?」
「決まってるじゃない」

 マヅラの口角がつり上がり、右手を腰から離して拳を握った。

「──恋する乙女の勝負は昔からステゴロ殴り合いって決まってんのよ‼︎」

 背中から大砲の音でもするんじゃないかと思うほど勢い良く伝えられた内容にアルフレッドはこめかみを押さえ、番頭は頭を抱え、そしてラファエルは爆笑した。

「あっははははは‼︎す、ステゴロね、わかった。はー…面白い」
「なに笑ってんの不審者!良いこと、これは聖戦よ。アルフレッド様をかけた聖戦。おわかりい⁉︎」
「うん、わかってる。じゃあとりあえずどこでやろうか?お店の中はダメだから広いところでもいく?」
「店の外で十分よ。アンタみたいなひょろひょろ、愛の拳で一撃で仕留めてあげるわ」
「あは、楽しみだね」

 方や戦う気満々で己の右拳を左手に打ち付けて鈍い打撃音を立てる者、方やその様子をからからと楽しげに笑って観察する者、温度差のある二人の空気に番頭は恐る恐るアルフレッドを見た。

 番頭から見たらラファエルは痩せ型だ。アルフレッドやマヅラと並んだら華奢にさえ見える。とても力でマヅラに及ぶわけがないし、その他で特出している何かがあるようにも見受けられない。考えられる可能性としてはあるにはあるがそれは確証もなければ先程剣をアルフレッドに渡したことで0に近い。守るような素振りを見せていたアルフレッドがそれはさぞ心配そうな表情をしていると思ったのに、予想は外れた。

「…あの馬鹿…」

 呟かれた言葉と表情は確かに不安気ではあった。けれどそれはラファエルの怪我や負けを心配するような者ではなく、むしろその逆に捉えられた。

「……あ、あの方は、だ、大丈夫でしょうか?」

 それでも心配なことは変わらず、つかえながら出た言葉はアルフレッドの耳に届き斜め後ろにいる番頭を捉えて確かに頷いて見せた。

「大丈夫だ。間違いなく勝つ」

 暖簾を潜って外に出た二人の方へと視線を向けて澱みなく答えられた内容に驚くのは番頭で、今一度ラファエルの特徴を思い出す。
 細い体に、非力そうな印象がどうしても拭えない。それが、あの筋肉の塊のようなマヅラに殴り合いで勝てるだなんて、どうしてそう思えるのだろうか。

「…特殊なお力でも…!」

 瞬間、鈍い音が外から聞こえ、マヅラの奇天烈な呻き声がした。番頭は好奇心に駆られてそれまで身を隠すようにしていたテーブルから離れてそっと入り口の暖簾の隙間から外の様子を伺う。そして、驚愕に目を見開いた。

「──あれ、もう終わり?」

 そこには片膝をついて苦悶の表情を浮かべるマヅラと、両手を腰に当て不思議そうに首を傾げるラファエルがいた。
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