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始まり

始まりと旅立ち3

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 ダンッ、と机を拳で叩きつける音が響いた。

「……ラファエル、もう一度言ってみなさい」

 狩りから戻ったラファエルは簡単に湯浴みをして身支度を整え、その足で父がいるであろう執務室へと向かった。扉をノックし、自分であることを告げるとそのまま部屋に入る。一目で上等とわかる調度品や本の数々。父が座っている机の上に広がる書類はきっと重要なものなのだろう。
 そんな父は今、ラファエルの発言により絶対零度の微笑みを浮かべていた。

「十六になったら旅に出ます。ハンターライセンスはもう習得済みですし、クエストももう何度もこなしてる。ギルドに知り合いも出来たし、僕は外の世界が見たい」

 ラファエルとは全く違う冷たさと逞しさ、そして色気の香る顔をこれでもかというくらいに歪めて父はため息を吐いた。

「貴族がハンターになるなんてどうかしてる。お前にはエドウィンの補佐もお願いしたいし、何より大事な息子だ。そんな危ない場所に行かせる気は無い」
「エドウィン兄さんは素晴らしい才能をお持ちです。それにサポートというならもう手は足りてるでしょう?僕に残されている道は政略結婚かな。けどお父様はそんなことさせないでしょ?」

 ローデン、という家名はこの国では貴族に当たる。
 だがそこまで格式の高いものではなく、貴族界の中でも中の中。所謂平凡な位置だ。
 父が治めるこの領地の跡取りももう長兄であるエドウィンと決まっているし、何よりラファエルは五人兄弟の末っ子。貴族においてはあまり利用価値のないポジションにあった。

「それにね、お父様。僕は一生帰ってこないなんて言ってないんだよ?外の世界を見て、知識を得て、それをこの領地にもって帰る。貿易だけじゃ手が回らないことでも、冒険者って立場なら細かい所まで見ていけると思うんだ。冒険者は野蛮だって言うかもしれないけど、その人達のお陰で回っている経済があることだってお父様も知ってるでしょ?僕はそういうところも見て、自分の見聞を広げたいんだ」
「……騎士学校へ行くという選択肢は無いのか」

 机に身を乗り出し、目を輝かせながら語る息子を見て父は言葉に詰まった。言いたい事は十分に理解できる、だがしかしと眉間に深く皺を刻んで低く呟いてもその提案は天使よりも愛らしく可愛らしい息子によって一蹴される。

「あっはは、あんななよなよしたエリートコース真っしぐらの学校絶対楽しくない。どうせ騎士になるなら冒険者として経験を積み、一般の士官兵から登り詰めます」

 貴族ではまずあり得ないあっけらかんとした物言いと笑い方に注意しようかと口を開きかけるが、彼はそれをしなかった。

 この変化は望ましい事なのかもしれない、と幾分か前の目の前の息子を思い出して緩く頭を振った。人が変わったかのように活発になった末の息子は、それでも彼にとってかけがえのない大切な家族だった。
 生きながら死んでいたあの時よりは、ずっと良い。
 その思いから彼の口元に柔らかな笑みが浮かぶ。

「…私の天使は一度言い出したら聞かないからな。止めたとしても無理矢理にでも発つ気だっただろう、ラファエル?」
「ええ、勿論」
「……はー…、一体誰に似たんだこの頑固さと行動力は」

 これ以上ないほどの重く深い溜息を吐く父の姿にエルはそこでようやく眉を下げた。

「…我儘を言っている自覚はあるんだ。けど、僕はどうしても外の世界を見たい。この世界にどんな人達が生きていて、どんな生活をしているのか、どんな景色があるのか、僕は自分の目で見たい。どうしても行きたいんだ。だから、お父様、お願いします」
『…ねえお父様、どうして私は…。…いいえ、なんでもありません。』

 自分に対してラファエルが何かをお願いしてきたことなど、ただの一度もありはしなかった。あれはそういう性格だった。その内に抱えたものを誰に打ち明かすことなく、愛息子は倒れ、そして目覚めた息子はまるで別人だった。
 今まで一切興味を示さなかった剣術に興味を示し、得意としていた楽器の演奏がまるでできなくなっていた。
 目覚めた息子に何があったと問うた時は、彼は笑って「生まれ変わっただけだよ」と感情も読み取れない声音で告げるのみ。そんな馬鹿なことが、と激昂したことも一度や二度では無い。

 けれど、ラファエルは確かに生きていた。

 日々何かに追いかけられているかのように課題に励み、そして家族として常に中心で笑っていた。今にも消えてしまいそうな儚げな笑みではなく、希望に満ちた輝く笑顔を見たとき、泣きそうになったのを今でも覚えている。

「……わかった、許可しよう」

 必死に頭を下げる愛息子の姿にわざとらしい溜息を吐きながら告げると、パッと顔を上げた天使がその顔に満面の笑みを浮かべるのを見て思わずつられる。
 だがはっとして表情を引き締めると咳を一つ。

「んんっ、ただし!十六の誕生日までは絶対に屋敷にいてもらう。そして旅は一人では行かせん、誰か一人私の信用に足るものを連れて来て」
「あ、それはもうアルフに話を付けてあります」

 ひくりと口角が引き攣るのがわかった。
 アルフというのはラファエルの剣術指導者の弟子で、その腕前は確かだ。いつのまにそんな話を、と眉間に深く刻まれた皺をほぐすように揉んでいると愛息子が得意げに笑うのが視界の端に映った。

「ラファエル、」
「ありがとう、お父様。僕お父様の息子で良かった!」

 そう言って去って行った息子の背中を見て、父は思う。

「……やっぱり取り消し、」
「されない方がよろしいかと、旦那様」

 そばに控えていた家令であるセバスが音もなく机にハーブティーを置くのを見て、またしても深い溜息を吐くのであった。
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