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始まり
始まりと旅立ち
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『あの身体の持ち主の魂は死んでる。お前にわかりやすく言えば植物状態ってやつだな。けど意識を取り戻すことは万に一つもありえねえ』
清々しい朝の気配に目を覚まして、一人で眠るには大き過ぎるベッドから起き上がる。ぐっと軽く伸びをしてベッドから降りて向かう先は部屋の窓。
レースカーテンの隙間から溢れる光が眩しくて目を細めた。
『空の器をそのままにしておけばいずれ魔が巣食う。そうなる前に丁度同じ時期に死んだお前の魂をあの身体に移そうって訳だ』
カーテンを掴みスッと引けば広がるのは見事としか言いようがない庭園。少しコツが要る開け方の窓を慣れた様子で開ければ、朝日同様清々しい風が頬を撫でる。
嫌な臭いの全くしない新鮮な空気を胸一杯に吸い込んで窓に背を向けるとそのままの足取りでクローゼットを開けた。
『そうすりゃこっちとしても手間が省けるし、お前も健康そのものの身体が手に入る』
所狭しと並ぶ豪華な衣装に眉を寄せながら、今日もその中からシンプルで動きやすいものを選んでベッドの上へと置いていく。そうでもしなければマリアやほかの侍女達に飾り付けられてしまうからだ。
『記憶はそのまま残してやる。それがきっとお前の助けになるだろうしな。好きなことして生きていけよ。何でも出来るぞ』
肌触りのいい寝巻きのボタンを外して脱いでいく。露わになった身体は相変わらず白いが見慣れたはずの注射の跡はない。それに以前程不健康そうでは無いし、何より薄っすらとではあるが肉付きも良くなって筋肉も付いた。
そのことに満足気に頷きながらシャツに袖を通してきっちりとした、だが動きやすい服に着替える。
『貴族として生きるも良し、冒険に出るのも良し、全部お前の好きなように出来る。ああそうだ、だけど前の名前は消させて貰う。そうしねえと世界に歪みが出来ちまう』
片腕ずつ袖を捲りながら部屋の扉を開けると洗面台の側に置いてある籠から紐を取り出し、慣れた動作で髪を結ぶ。手間取っていたあの頃が懐かしいなと思いつつ冷たい水で顔を洗えば自然と気持ちが引き締まった。
『拒否権?んなもんねえよ。一度決めたことは覆せねえ。運が悪かったと思って諦めるか全力で楽しめ』
タオルで水気を拭きながら鏡を見ると、そこに映る相変わらずの美貌に苦笑が漏れた。
だがその顔も以前に比べたら男らしさが見えてきた気がするが可愛らしさが減ると見るからに肩を落とした父親を思い出して溜息を吐くと雑に結っていた髪紐を解く。
男が鍛えてなにが悪い。
そんな愚痴を胸中で呟きながら髪に櫛を通すとそれだけで艶を取り戻すから、この身体の持ち主であるのに関心した。
改めて髪をしっかりと結び直すと、廊下へと続くドアからノックの音が聞こえる。
『せいぜい楽しめよ。あの世界にはお前の見たことも聞いたこともねえもんが沢山ある。特別に俺の加護を授けてあるから並大抵の事じゃ死なねえぞ』
いつもより少し早いその音に苦笑しながら洗面所から出るとドアから入って来た人を見て笑みを浮かべる。クラシカルなメイド服に身を包んだ恰幅の良い榛色の目を持った、この身体が幼い時から世話をしてくれている女性が、そんな彼の表情とは反対に不満気に眉を寄せていた。
『元気な身体に自由な人生。お前が欲しかったもんだろ?素直に受け取って楽しめ』
「おはようマリア。今日も僕の勝ちだね」
どこか得意気な笑みを浮かべてそう言う彼を見て、彼をここまで育てたと言っても過言では無いマリアはそっとため息を吐いた。
「おはようございます、坊っちゃま。…本当にお洋服の趣味が変わられたのですね。これじゃ飾りがいがありません。」
「あはは、言ったろ?生まれ変わったって。僕は男だからね。もう女の子と間違われるような服は着ない。だからクローゼットの中のものも寄付に出そうかなって思うんだ。孤児院の子達でも着やすいようにちょっと改良してさ」
この身体の持ち主だった人物は、記憶を遡る限りどこまでも女子だった。立ち居振る舞いも、仕草一つとっても、その全てに女性らしさがあった。心が女性であったかどうかはわからない。記憶は引き継いだが、これもVTRのようなもので、その人の感情まではわからないのだ。ただ情報として知っているというだけ。
記憶を引き継いだからと言って、そういうものも受け入れるという選択肢は彼の中にはなかった。
「今日は何をしようかな。剣術、弓術、そろそろ遠乗りとかも出来そうなんだよなぁ。あ、今度体術も教えて貰おう」
まだ成長しきっていないこの身体はまだまだ伸び代がある。声変わりすらまだ完全に終わっていないのだ。彼の口から出る言葉の数々にマリアがどこか戸惑うような視線を寄越すが、それを笑顔で受け流して外を見る。
どこまでも続く青い空、広大な大地。
この向こうには一体なにがあるのだろう。
今の自分にはどこまでも行ける身体がある。この気持ちを殺す理由も、出来ない理由も何も無い。
彼の目は、爛々と輝いていた。
「マリア、僕十六になったら冒険に出るよ」
なんでもないことかのように告げた言葉にマリアは目を点にする。そしてその言葉を理解するや否やあんぐりと口を開けて呆然とした目でこちらを見てきた。
そんな彼女に年相応の少年のような笑顔を向けるとするりと横を取り過ぎて部屋を出て、そろそろ食堂に朝食が並ぶ時間だと、どこか浮ついた気分のまま歩いていればふと窓ガラス越しに自分と目があって足を止める。
『お前にした理由?魂が気に入った。そんだけだ。それにな、神様ってのは案外我儘なんだよ』
脳裏に浮かぶ自称神様との会話、思い出せないかつての自分の名前。ふ、と口角を上げて自分の首筋へと指先を触れさせる。
とく、とく、とそこに触れる脈動に彼はゆっくりと目を伏せた。
「…今日も、生きてる」
彼がラファエル・ローデンとして生まれ変わって半年が経った。
ここは日本ではないし、それどころか地球でもない異世界。存在ごと変わってしまったけれど、それでも今日も彼、ラファエルは前を向いて生きている。
「……好きに楽しむよ、神様」
誰に言うでも無く小さく呟いた言葉に返事をする者は当然いない。伏せていた目を開けて後ろを振り返るとようやくショックから抜け出せたらしいマリアが血相を変えて追いかけて来る。そのことに楽しそうに笑いながらラファエルは食堂に向かって走った。
今日は何をしよう。
そんな風に思える幸せを噛み締めながら。
清々しい朝の気配に目を覚まして、一人で眠るには大き過ぎるベッドから起き上がる。ぐっと軽く伸びをしてベッドから降りて向かう先は部屋の窓。
レースカーテンの隙間から溢れる光が眩しくて目を細めた。
『空の器をそのままにしておけばいずれ魔が巣食う。そうなる前に丁度同じ時期に死んだお前の魂をあの身体に移そうって訳だ』
カーテンを掴みスッと引けば広がるのは見事としか言いようがない庭園。少しコツが要る開け方の窓を慣れた様子で開ければ、朝日同様清々しい風が頬を撫でる。
嫌な臭いの全くしない新鮮な空気を胸一杯に吸い込んで窓に背を向けるとそのままの足取りでクローゼットを開けた。
『そうすりゃこっちとしても手間が省けるし、お前も健康そのものの身体が手に入る』
所狭しと並ぶ豪華な衣装に眉を寄せながら、今日もその中からシンプルで動きやすいものを選んでベッドの上へと置いていく。そうでもしなければマリアやほかの侍女達に飾り付けられてしまうからだ。
『記憶はそのまま残してやる。それがきっとお前の助けになるだろうしな。好きなことして生きていけよ。何でも出来るぞ』
肌触りのいい寝巻きのボタンを外して脱いでいく。露わになった身体は相変わらず白いが見慣れたはずの注射の跡はない。それに以前程不健康そうでは無いし、何より薄っすらとではあるが肉付きも良くなって筋肉も付いた。
そのことに満足気に頷きながらシャツに袖を通してきっちりとした、だが動きやすい服に着替える。
『貴族として生きるも良し、冒険に出るのも良し、全部お前の好きなように出来る。ああそうだ、だけど前の名前は消させて貰う。そうしねえと世界に歪みが出来ちまう』
片腕ずつ袖を捲りながら部屋の扉を開けると洗面台の側に置いてある籠から紐を取り出し、慣れた動作で髪を結ぶ。手間取っていたあの頃が懐かしいなと思いつつ冷たい水で顔を洗えば自然と気持ちが引き締まった。
『拒否権?んなもんねえよ。一度決めたことは覆せねえ。運が悪かったと思って諦めるか全力で楽しめ』
タオルで水気を拭きながら鏡を見ると、そこに映る相変わらずの美貌に苦笑が漏れた。
だがその顔も以前に比べたら男らしさが見えてきた気がするが可愛らしさが減ると見るからに肩を落とした父親を思い出して溜息を吐くと雑に結っていた髪紐を解く。
男が鍛えてなにが悪い。
そんな愚痴を胸中で呟きながら髪に櫛を通すとそれだけで艶を取り戻すから、この身体の持ち主であるのに関心した。
改めて髪をしっかりと結び直すと、廊下へと続くドアからノックの音が聞こえる。
『せいぜい楽しめよ。あの世界にはお前の見たことも聞いたこともねえもんが沢山ある。特別に俺の加護を授けてあるから並大抵の事じゃ死なねえぞ』
いつもより少し早いその音に苦笑しながら洗面所から出るとドアから入って来た人を見て笑みを浮かべる。クラシカルなメイド服に身を包んだ恰幅の良い榛色の目を持った、この身体が幼い時から世話をしてくれている女性が、そんな彼の表情とは反対に不満気に眉を寄せていた。
『元気な身体に自由な人生。お前が欲しかったもんだろ?素直に受け取って楽しめ』
「おはようマリア。今日も僕の勝ちだね」
どこか得意気な笑みを浮かべてそう言う彼を見て、彼をここまで育てたと言っても過言では無いマリアはそっとため息を吐いた。
「おはようございます、坊っちゃま。…本当にお洋服の趣味が変わられたのですね。これじゃ飾りがいがありません。」
「あはは、言ったろ?生まれ変わったって。僕は男だからね。もう女の子と間違われるような服は着ない。だからクローゼットの中のものも寄付に出そうかなって思うんだ。孤児院の子達でも着やすいようにちょっと改良してさ」
この身体の持ち主だった人物は、記憶を遡る限りどこまでも女子だった。立ち居振る舞いも、仕草一つとっても、その全てに女性らしさがあった。心が女性であったかどうかはわからない。記憶は引き継いだが、これもVTRのようなもので、その人の感情まではわからないのだ。ただ情報として知っているというだけ。
記憶を引き継いだからと言って、そういうものも受け入れるという選択肢は彼の中にはなかった。
「今日は何をしようかな。剣術、弓術、そろそろ遠乗りとかも出来そうなんだよなぁ。あ、今度体術も教えて貰おう」
まだ成長しきっていないこの身体はまだまだ伸び代がある。声変わりすらまだ完全に終わっていないのだ。彼の口から出る言葉の数々にマリアがどこか戸惑うような視線を寄越すが、それを笑顔で受け流して外を見る。
どこまでも続く青い空、広大な大地。
この向こうには一体なにがあるのだろう。
今の自分にはどこまでも行ける身体がある。この気持ちを殺す理由も、出来ない理由も何も無い。
彼の目は、爛々と輝いていた。
「マリア、僕十六になったら冒険に出るよ」
なんでもないことかのように告げた言葉にマリアは目を点にする。そしてその言葉を理解するや否やあんぐりと口を開けて呆然とした目でこちらを見てきた。
そんな彼女に年相応の少年のような笑顔を向けるとするりと横を取り過ぎて部屋を出て、そろそろ食堂に朝食が並ぶ時間だと、どこか浮ついた気分のまま歩いていればふと窓ガラス越しに自分と目があって足を止める。
『お前にした理由?魂が気に入った。そんだけだ。それにな、神様ってのは案外我儘なんだよ』
脳裏に浮かぶ自称神様との会話、思い出せないかつての自分の名前。ふ、と口角を上げて自分の首筋へと指先を触れさせる。
とく、とく、とそこに触れる脈動に彼はゆっくりと目を伏せた。
「…今日も、生きてる」
彼がラファエル・ローデンとして生まれ変わって半年が経った。
ここは日本ではないし、それどころか地球でもない異世界。存在ごと変わってしまったけれど、それでも今日も彼、ラファエルは前を向いて生きている。
「……好きに楽しむよ、神様」
誰に言うでも無く小さく呟いた言葉に返事をする者は当然いない。伏せていた目を開けて後ろを振り返るとようやくショックから抜け出せたらしいマリアが血相を変えて追いかけて来る。そのことに楽しそうに笑いながらラファエルは食堂に向かって走った。
今日は何をしよう。
そんな風に思える幸せを噛み締めながら。
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