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五. 多雨野界隈徘徊記
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さすが夏だ。午前五時なのに空が白みはじめる。
だが、Q市が目覚めるにはまだ早いようだ。人通りはない。遠くで車のクラクションが聞こえる。多雨野ならばまだ車は走っておらず、むしろ雀が一斉に騒ぎだす頃だろう。
夜明けの街で電柱にもたれ、少し離れたビルの様子を窺う。張り込み中の名探偵のようだ。
ビルの二階にある店からホストたちがわらわらと現れ、眩しそうに目を細めながら階段をおり、街へ散っていく。なかには外で待っていた女性と腕を組んで歩く者もいる。アフターというやつで、これから馴染みの客とデートのように行動を共にするのだろう。食事をするのか、あるいはカラオケにでもいくのだろうか。
多雨野にはカラオケも早朝から食事できる店もなく、バカヤスコンビニも夜十一時までの営業だ。早朝のデートとなると車で山道をドライブして自販機でジュースを買うのがせいぜいだ。町おこしでホストクラブをつくる計画を考えたが、やはり無理そうだ。
ホストの波が一旦途切れ、やや間が空いてまた男たちが店をでる。若手が店の片付けをしていたのだろう。手にゴミ袋を提げた者もいる。
そのうちのひとりがこちらへ向かって歩いてきた。そばまでくると私に気づいて足をとめた。
「なんでここがわかったの?」
「知り合いがこの店に入るおまえをみかけたそうだ」
「ああ、コータローさんか。何回かこの近くでみたよ。俺には気づかないだろうって高をくくってたんだけどな」
英太は顔をしかめ、髪を雑にかきむしった。むかしからの癖で、決まりが悪いときはいつもこうする。
「ずいぶん変わったからな、おまえは。南部さんはここで働いていると知っているのか」
「まさか。まだ営業職だと思ってるはずだよ。会社の業績が悪くなってクビ切られたんだ。まじめに頑張ってたんだよ、俺は。あのさ、頼むからおふくろには言わないでおいてよ。心配かけたくないんだ」
言うことで誰が幸せになる話でもない。「言わんさ」と私は頷いた。
「高校卒業してまで迷惑かけらんないんだ。大学まで行かせてもらった瑞海くんにはわかんないだろうけどさ」
毒を含んだ口ぶりだった。
「ふうん、だからホストか」
「多雨野にまともな仕事なんかないだろ。帰っても迷惑かけるだけだよ。伝手もない俺がこっちに残って稼ぐには他にないんだって。それをなに? わざわざ説教しにきたの? ホストなんか堅気の仕事じゃないとか言っちゃうつもり?」
「いいや。強請りたかりや無理強いを除けば、職業に貴賤などない。つらい日常を一時だけ忘れたいとか、夢をみたいっていう客の願望を満たして見合った対価を得るのならホスト業も立派なビジネスだ。ただ、あくまで客自身が求める範囲なら、だ。売り手が己の欲のために必要以上の金を貪れば、その瞬間から強請りたかりだ」
髪をかく仕草が激しくなり、先のとがった靴が忙しなくアスファルトを叩く。
「母親には正直に話しておけ」
「お客さん待たせてるんだよね。まだ一番下のペーペーだけど、ようやくひとりだけアフター指名してくれるようになったんだ。俺いくから」
英太はひとつ息を吐いて歩きだしたが、不意に立ち止まり振り返る。
「なんで、わざわざ探しにきたの。むかしみたいに親分気取り?」
「ただ気になったんだ。多雨野にいた頃のおまえはもっといい顔で、心から笑ってた。こっちで無理してるんじゃないのか。多雨野に戻ってくるならウエルカムだ。力になるぞ」
「むかしっからさ、意味のわからないことをよく言ってたけど、基本は正論投げつけるよね、瑞海くんは」
そう言って口元を歪める。背中と肩がすこし震えているようだった。
「それがいやなんだよね。こっちは反論もできやしないからね。でもさ、それって一番かんたんでえげつないやり方だよ。そもそも『力になる』ってどうやるの? 自分がなにかできるだなんて思いあがらない方がいいよ。一度多雨野から逃げたくせにさ……なんちゃって」
肩を竦めることでリセットしたつもりか、英太は私に背を向けた。
「逃げたのは俺もおんなじだね」
曲がり角まで歩くと、そこで待っていた女性と肩を並べ言葉を交わす。あれが英太を気に入っている女性客だろうか。おとなしそうな感じでホスト遊びにのめりこむタイプにはみえない。
英太が角を曲がって姿を消すと、女性は私に向かって一礼しあとを追っていった。駅のホームで英太と一緒にいた女性ではないだろうか。
私も深く息を吐きだし、踵を返した。
「まあ、無力だっていうのは純然たる事実だ」
なんちゃってもなにもない。たしかに私はまだなにも為していないのだ。私はまだ何者でもない。
とりあえずコータローの安アパートへ戻ることにする。酔いつぶれた旧友らはまだ材木の如く転がっているだろう。
ちなみに昨夜はコータローだけでなくバカヤスも影分身だった。
だが、Q市が目覚めるにはまだ早いようだ。人通りはない。遠くで車のクラクションが聞こえる。多雨野ならばまだ車は走っておらず、むしろ雀が一斉に騒ぎだす頃だろう。
夜明けの街で電柱にもたれ、少し離れたビルの様子を窺う。張り込み中の名探偵のようだ。
ビルの二階にある店からホストたちがわらわらと現れ、眩しそうに目を細めながら階段をおり、街へ散っていく。なかには外で待っていた女性と腕を組んで歩く者もいる。アフターというやつで、これから馴染みの客とデートのように行動を共にするのだろう。食事をするのか、あるいはカラオケにでもいくのだろうか。
多雨野にはカラオケも早朝から食事できる店もなく、バカヤスコンビニも夜十一時までの営業だ。早朝のデートとなると車で山道をドライブして自販機でジュースを買うのがせいぜいだ。町おこしでホストクラブをつくる計画を考えたが、やはり無理そうだ。
ホストの波が一旦途切れ、やや間が空いてまた男たちが店をでる。若手が店の片付けをしていたのだろう。手にゴミ袋を提げた者もいる。
そのうちのひとりがこちらへ向かって歩いてきた。そばまでくると私に気づいて足をとめた。
「なんでここがわかったの?」
「知り合いがこの店に入るおまえをみかけたそうだ」
「ああ、コータローさんか。何回かこの近くでみたよ。俺には気づかないだろうって高をくくってたんだけどな」
英太は顔をしかめ、髪を雑にかきむしった。むかしからの癖で、決まりが悪いときはいつもこうする。
「ずいぶん変わったからな、おまえは。南部さんはここで働いていると知っているのか」
「まさか。まだ営業職だと思ってるはずだよ。会社の業績が悪くなってクビ切られたんだ。まじめに頑張ってたんだよ、俺は。あのさ、頼むからおふくろには言わないでおいてよ。心配かけたくないんだ」
言うことで誰が幸せになる話でもない。「言わんさ」と私は頷いた。
「高校卒業してまで迷惑かけらんないんだ。大学まで行かせてもらった瑞海くんにはわかんないだろうけどさ」
毒を含んだ口ぶりだった。
「ふうん、だからホストか」
「多雨野にまともな仕事なんかないだろ。帰っても迷惑かけるだけだよ。伝手もない俺がこっちに残って稼ぐには他にないんだって。それをなに? わざわざ説教しにきたの? ホストなんか堅気の仕事じゃないとか言っちゃうつもり?」
「いいや。強請りたかりや無理強いを除けば、職業に貴賤などない。つらい日常を一時だけ忘れたいとか、夢をみたいっていう客の願望を満たして見合った対価を得るのならホスト業も立派なビジネスだ。ただ、あくまで客自身が求める範囲なら、だ。売り手が己の欲のために必要以上の金を貪れば、その瞬間から強請りたかりだ」
髪をかく仕草が激しくなり、先のとがった靴が忙しなくアスファルトを叩く。
「母親には正直に話しておけ」
「お客さん待たせてるんだよね。まだ一番下のペーペーだけど、ようやくひとりだけアフター指名してくれるようになったんだ。俺いくから」
英太はひとつ息を吐いて歩きだしたが、不意に立ち止まり振り返る。
「なんで、わざわざ探しにきたの。むかしみたいに親分気取り?」
「ただ気になったんだ。多雨野にいた頃のおまえはもっといい顔で、心から笑ってた。こっちで無理してるんじゃないのか。多雨野に戻ってくるならウエルカムだ。力になるぞ」
「むかしっからさ、意味のわからないことをよく言ってたけど、基本は正論投げつけるよね、瑞海くんは」
そう言って口元を歪める。背中と肩がすこし震えているようだった。
「それがいやなんだよね。こっちは反論もできやしないからね。でもさ、それって一番かんたんでえげつないやり方だよ。そもそも『力になる』ってどうやるの? 自分がなにかできるだなんて思いあがらない方がいいよ。一度多雨野から逃げたくせにさ……なんちゃって」
肩を竦めることでリセットしたつもりか、英太は私に背を向けた。
「逃げたのは俺もおんなじだね」
曲がり角まで歩くと、そこで待っていた女性と肩を並べ言葉を交わす。あれが英太を気に入っている女性客だろうか。おとなしそうな感じでホスト遊びにのめりこむタイプにはみえない。
英太が角を曲がって姿を消すと、女性は私に向かって一礼しあとを追っていった。駅のホームで英太と一緒にいた女性ではないだろうか。
私も深く息を吐きだし、踵を返した。
「まあ、無力だっていうのは純然たる事実だ」
なんちゃってもなにもない。たしかに私はまだなにも為していないのだ。私はまだ何者でもない。
とりあえずコータローの安アパートへ戻ることにする。酔いつぶれた旧友らはまだ材木の如く転がっているだろう。
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