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三.教えてケローッ!
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「お願いします、誰にも言わないでください」
私は土下座せんばかりに深々と頭をさげた。
「わかっていますよ。誰にも言いません」
人差し指を軽く唇にあて、八重樫アナが微笑んだ。女神さまだ、と思った。
「ありがとうございます。こいつは馬鹿な河童ですが、いいところもあります……ちょっとすぐには思いつきませんが」
「おい」河童がすねる。
「ああ、そうだ。むかし雨のなかで捨てられた猫を拾って育てようとしたことがありました。ですが猫に嫌われ頬っぺたを目いっぱい引っかかれたのです。この頬の傷跡はそのときできたものです」
「おめぇ、フォローになってないぞ」
「ふん、だいたい働きもせず川で遊び呆けているおまえが悪いのだ」
「馬鹿か。河童を雇う会社がどこにある。と言うよりなぜ河童が働かねばならん。定職に就いて雇用保険とか年金に加入している河童など聞いたこともない」
「河童さんに会えるなんて感動です。嬉しいです。わたしともぜひ友達になってくださいね。あ、ここにサインください」
「あ、はい」
緊張で声が裏返ってしまった河童だが、器用にサインペンを走らせ、手帳に『ジロウ』とカタカナで書いた。読み書きはむかし私が教えてやった。いつか役に立つと思ってのことだが、女子アナに河童がサインする未来図は想像できなかった。
不意に気配を感じてあたりを見渡した。
「どうしました」
「いえ、なにも」
気のせいだろうか。どこかから視線を浴びた気がしたのだが、一瞬で消えてしまった。
「あ、それと、葦原さん」
「はい?」
「役場で撮影したときのコメントですけど、あれはまずいと思います」
「まるっきりの嘘じゃないですよ。私の頭のなかにある無数のアイデアの、ほんの一握りです」
あれこれアイデアをとっさに並べたのだが、それぐらいのことをしなければ多雨野の未来はないと思っている。
「ですけど、さすがにメイドカフェはちょっと古いですよぉー」
うふふと微笑んで八重樫アナが肩を竦めた――ああ、そっち?
「萌え狙いイコールメイドさんというのはいまさらで安直ですから、ちょっと捻って『ヴァージョン・大和なでしこ』とかどうでしょう。女の子たちに江戸時代をイメージした奥女中の格好をしてもらうんですよ。もちろん髪も結って、笑うときは口元を袖で隠しながら『おーほほほっ』みたいな。これで他所との差別化もばっちりじゃないですか」
さらに、そっちですか。
「あ、帯持って引っぱってグルグル回るのとかどうです? 『あーれー、お代官さまぁー』とか」
たぶんダメです。ダメなやつです、それ。
しばらく二人と一匹で談笑し、八重樫アナを公用車で駅へ送った。
ロケの放送は撮影の翌週であった。
その日は家族三人、テレビのまえに正座して待った。
「お兄ちゃん、いっぱい映るかなあ」
「当たり前だろう。なにせ主役だからな、主役」
「あらあら、愉しみですねぇ」
そんな調子で、葦原家全員が瞬きすらすまいと目ん玉をひん剥き、ワクワクドキドキしながら『教えてケローッ』を観た。
不思議なことに、私の姿は微塵も映らなかった。
なぜかはわからぬ。
まったくもって不思議であった。しつこいようだが、微塵も、だ。
私は土下座せんばかりに深々と頭をさげた。
「わかっていますよ。誰にも言いません」
人差し指を軽く唇にあて、八重樫アナが微笑んだ。女神さまだ、と思った。
「ありがとうございます。こいつは馬鹿な河童ですが、いいところもあります……ちょっとすぐには思いつきませんが」
「おい」河童がすねる。
「ああ、そうだ。むかし雨のなかで捨てられた猫を拾って育てようとしたことがありました。ですが猫に嫌われ頬っぺたを目いっぱい引っかかれたのです。この頬の傷跡はそのときできたものです」
「おめぇ、フォローになってないぞ」
「ふん、だいたい働きもせず川で遊び呆けているおまえが悪いのだ」
「馬鹿か。河童を雇う会社がどこにある。と言うよりなぜ河童が働かねばならん。定職に就いて雇用保険とか年金に加入している河童など聞いたこともない」
「河童さんに会えるなんて感動です。嬉しいです。わたしともぜひ友達になってくださいね。あ、ここにサインください」
「あ、はい」
緊張で声が裏返ってしまった河童だが、器用にサインペンを走らせ、手帳に『ジロウ』とカタカナで書いた。読み書きはむかし私が教えてやった。いつか役に立つと思ってのことだが、女子アナに河童がサインする未来図は想像できなかった。
不意に気配を感じてあたりを見渡した。
「どうしました」
「いえ、なにも」
気のせいだろうか。どこかから視線を浴びた気がしたのだが、一瞬で消えてしまった。
「あ、それと、葦原さん」
「はい?」
「役場で撮影したときのコメントですけど、あれはまずいと思います」
「まるっきりの嘘じゃないですよ。私の頭のなかにある無数のアイデアの、ほんの一握りです」
あれこれアイデアをとっさに並べたのだが、それぐらいのことをしなければ多雨野の未来はないと思っている。
「ですけど、さすがにメイドカフェはちょっと古いですよぉー」
うふふと微笑んで八重樫アナが肩を竦めた――ああ、そっち?
「萌え狙いイコールメイドさんというのはいまさらで安直ですから、ちょっと捻って『ヴァージョン・大和なでしこ』とかどうでしょう。女の子たちに江戸時代をイメージした奥女中の格好をしてもらうんですよ。もちろん髪も結って、笑うときは口元を袖で隠しながら『おーほほほっ』みたいな。これで他所との差別化もばっちりじゃないですか」
さらに、そっちですか。
「あ、帯持って引っぱってグルグル回るのとかどうです? 『あーれー、お代官さまぁー』とか」
たぶんダメです。ダメなやつです、それ。
しばらく二人と一匹で談笑し、八重樫アナを公用車で駅へ送った。
ロケの放送は撮影の翌週であった。
その日は家族三人、テレビのまえに正座して待った。
「お兄ちゃん、いっぱい映るかなあ」
「当たり前だろう。なにせ主役だからな、主役」
「あらあら、愉しみですねぇ」
そんな調子で、葦原家全員が瞬きすらすまいと目ん玉をひん剥き、ワクワクドキドキしながら『教えてケローッ』を観た。
不思議なことに、私の姿は微塵も映らなかった。
なぜかはわからぬ。
まったくもって不思議であった。しつこいようだが、微塵も、だ。
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