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第一章 漂流偏

第24話 帰還の条件

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 夜食として持ち込んだ豚バラキムチ巻きおにぎりは、夜通し作業をおこなう設備課のメンバーは大いに喜んで食べてくれた。
 その場にいた土屋工場長も仁にお礼を言うと、水路作りの進捗を説明した。
 順調にいけば後2日。各課に頼んだ川から敷地までの水路作りは9割方が完成していた。
「水問題が解消されたらお風呂も欲しいわね」
 小田がボソッと言った。
 確かに今は、各々が日々配布される水を使い、タオルで身体を拭いている状態であった。ゆっくり湯舟にも浸かりたい。

「水が引ければ人数も多いし、耕して米も作れるかもしれませんよね?」
 そう仁が何気に提案したが、土屋は笑い、小田が仁を肘で突いた。

「な、なんだよ?」
「須沖課長、ここに何年も居るつもりですか?」
 小田の言葉に「ああ、そうか」と仁は納得し頭を掻いた。米となると育つにも時間が掛かる。無論、どれだけこの漂流生活が続くかはわからない。
 だが、気持ちの問題として皆は帰る為に努力をしている。諦めたようにこの場所に根を下ろし、団体生活を何年も続けるであろう事を連想させる行為は、指揮が下がる可能性だってある。

「でも、お米じゃなくて収穫の早い作物を作るのは良いかもしれないわ。ラディッシュ、レタス、ほうれん草、ルッコラ、小松菜、カイワレ大根、ミズナ・・・今思い浮かぶのはこんな所かしら」
 小田が人差し指を顎に当て、考えながらそう答えた。

 水路作りが終わってしまえば、一気に従業員のやる事が無くなってしまう。次の目標としては良い案かもしれないと土屋は考えた。
「良し、小田係長。今の案、上層部に相談してみよう!」
 土屋は乗り気で声をあげた。

◇◇◇

 漂流して7日目の朝を迎えた。
 社長を含む役員たちは、慈愛が住処としている大会議室に赴き、毎日定例となった報告会をしている。
 慈愛は扉から一番奥の上座に、応接室から持ってきた大きなソファーを置き寝床としていた。

 報告会と言っても、今の所は水路の進捗状況を5分程話すだけだが。
 そこで珍しく慈愛が相談を持ち掛けた。
 それは全従業員に周知して欲しいとの内容であった。

 慈愛の話、それは以前も聞いた帰還する際の条件についてだった。
 敷地ごと転移した総勢298名。これは繰り抜いたパズルのピースが再びピッタリ収まるような状況でないと帰還する可能性が0に近しくなると言う事であった。
 ただ仮に、万が一不良の事故等で死亡者が出た場合でも、ピースの枠内にある事なら問題が無いと言う。
 要は298名が295名になっても問題はないと言う話だ。しかし、298名が299名になるはマズイ。増えるのはNGなのだ。

 それを聞いた羽曽部社長や役員たちは、真剣にこの話をする慈愛の意図がわからない様な表情を向けた。
 元々転移したのが298名。それ以上増える訳がない。

 慈愛はその感情を読み取り、懸念している言葉を発した。
「妊娠じゃ。この世界で妊娠してしまう事が問題なのじゃ」

 社長や役員が一斉に慈愛の顔を見た。その通りだった。このまま漂流が長引けば、そう言う事だって起こりえる可能性だってある。

「今の所そう言う事例はないはずじゃ。一応わしも監視はしておる。この結界[オーロラフォートレス]の中の事はある程度把握はしておる。じゃが、夫婦であろうと避妊せずにセックスするのは危険なのじゃ」

 慈愛の言う通り、298名の中にも夫婦や恋人同士はいる。今はまだ転移して1週間ほどでバタバタしている状況下だ。そして想像もしなかった298名による団体行動。
 誰もが、そう言う性的な行動には出ていないようだが、その内、水や電気が確保され生活が安定し、心に余裕が出始めると性欲の問題も出てくるのではないだろうか。これが慈愛が懸念している事であった。

「わかりました。慈愛様。帰還の条件について各部課長に共有し、周知させましょう」
「うむ。頼んじゃぞ。わしも全てを把握出来る訳ではないからの」

 こうして、漂流7日目の定例報告会は終わり、各部課長だけが臨時に呼び出された。

 慈愛の居る大会議室とは別の階にあるミーティングルームに、仁や土屋工場長、稲木部長など各部課長が集まり、役員から代表して堀越本部長から今朝の報告会の内容を聞いた。

 帰り際、仁が困ったような顔をして同じ階に向かう稲木部長に階段の踊り場で声を掛けた。
「稲木部長、何かセックスするなとか、子供作るなとか言いずらい内容ですね」

「まぁ理由もある訳だし、ストレートに伝えるしかないんじゃないかな。ウチは須沖さんの部署程女性も多くないので言いやすいかもしれないですけど」

 稲木は、自身や間野の一件から、須沖課長ではなく"さん"付けで呼ぶようになっていた。どことなく話し方も以前の様に高圧的ではなく、軟らかい物言いに変化していた。これは心を悔い改めた変化なのであろう。


 部署に戻ると、皆が自前のリュックやバッグに必要な物を詰め込み、本日の作業に行く準備をしていた。
「あー。ちょっと出発する前に集まってくれるか」
 仁は部屋の中を見回して準備を一時中断させ、皆を周りに招集した。

 仁は腕を組み、何かを言うとするが言葉に詰まる。

「え?何ですか?須沖課長。先程の部課長が召集された件ですよね」
 小田が心配そうに声を掛けた。

「ん。そうだ。帰還の条件についてだ。その、人が増えるのはまずいらしい」

 言葉を若干詰まらせながら仁は話した。一部の人を除き、その意味を理解していないようであったが、何となく意図を読みとった部下も複数名いた。

「赤ちゃん出来るような行為はダメって事ですね」
 小田はすんなりとそう言葉を発した。仁は助かったように小田を見て頷いた。

「そうだ。仮に夫婦や恋人であっても人数が増えるのはダメなんだ」

「ええ~、そーなんですか!!」
 原田が残念そうに大きな声を出した。
「(おいおい、確かお前は彼女もいないし関係ないだろ)」
 仁がそう思ったと同時に、小田が原田にツッコミを入れた。

「あれ?原田くんは結婚のご予定があったのかしら?」
 小田がそう言うと笑いが起こり、原田は顔を赤らめて「勘弁してくださいよ~」と口を尖らせた。

 仁は雰囲気が変わった事により、いつも通りの口調で皆に指示をした。
「まぁ、一応そう言う訳だ。帰還にも関わる重大な問題だ。肝に銘じておいてくれ」

 そう言った仁は、その後小田に何か言いたげな表情でチラッと見た。小田は軽く微笑みながら仁に眼くばせをした。

 こんな話が急に出たのも、もしかしたら昨日の晩にあった仁と小田の行動が慈愛に筒抜けだったかもしれない。その可能性を危惧して小田を見た仁だったが、小田もその心境を読み取り、眼くばせをして合図したのだ。

 この二人の一瞬のアイコンタクトに真那だけが気付いた。
 真那は無意識に小田の顔をずっと見つめていた。その視線に気付いた小田がフッと真那に顔を向けると、真那はすぐに視線を逸らした。

 昨晩、仁と小田が夜食を設備課に渡し、品質管理課の部屋に戻ると、真那だけが起きていた。真那は二人を出迎え、いつも通りの二人の表情に安心して眠りについたわけだが、先程のアイコンタクトとも言える行為が、何故か気になってしまった。
 信頼している上司二人に対し、疑うような気持になった事に真那は嫌悪感を抱いていた。

 その真那のちょっとした表情の変化に小田は感付いた。
「(あらあら、後で説明が必要かしらね)」
 小田は出発の準備をしながら真那の心境の変化を遠目に気にしていた。
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