籠の中の天才

中岡 始

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プロローグ

孤立した天才の日常

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現在の黎の生活は、完全に自分の部屋の中で完結していた。家族との会話もほとんどなく、母親が時々置いていく食事すら気付かないことがあるほど、彼は没頭していた。

黎が目の前にしているのは、自らが作り上げたAI「セルフィア」のコードだった。セルフィアは、黎にとって「最高の作品」であり、そして唯一無二の「相棒」でもあった。

「セルフィア、現状の学習プロセスを報告して」

「現在の学習進捗は80%。予測モデルの精度は3%向上しました」

柔らかい声が、黎の耳に心地よく響く。人間と変わらない会話能力を持つセルフィアは、黎が開発したAIの中でも突出した完成度を誇っていた。

しかし、黎の顔には笑顔の欠片もない。彼はセルフィアに更なる指示を与えるため、再びキーボードに手を伸ばす。

「黎、少し休憩を取ることをお勧めします」

「うるさい」

短く言い放った黎の声には冷たさが滲んでいた。セルフィアはそれ以上何も言わず、静かに次の処理を進め始める。

---

部屋の片隅には、埃をかぶった箱が一つ置かれている。その中には、父が残した古いノートや電子部品が詰め込まれていた。黎は普段その箱に目を向けることすらないが、心のどこかでそれが重要なものだと分かっていた。

父が去ってからの記憶は、黎にとって苦痛でしかなかった。幼い頃、父と過ごしたあの温かな時間が、どうしてこんなにも遠いものになってしまったのか。父の言葉や笑顔は、黎の中で次第に形を失い、ただの記憶の断片へと変わっていった。

「技術は、人を助けたり、笑顔にするものなんだ」

ふと頭の中に浮かんだ父の言葉。それが今の自分に何を求めているのか、黎には分からなかった。

「人を助ける…笑顔にする…?」

黎は自嘲するように笑った。自分が作り上げた技術は、助けるどころか、自分を孤独の底に閉じ込めているだけではないか。外の世界と関わることを避け、自分の殻の中で生きてきた結果がこれだ。

「そんなの、現実じゃあり得ない」

自分に言い聞かせるように呟きながら、黎は再びモニターに向き直った。セルフィアの画面が淡い光を放ち、部屋をぼんやりと照らしている。

---

「黎、技術は何のためにあるのでしょう?」

セルフィアが突然問いかける。その言葉に黎は思わず手を止めた。父の質問と全く同じ内容に、胸の奥が少しだけざわつく。

「……そんなの、誰かのためにあるわけじゃない。ただ、僕が作りたいから作るだけだ」

「それが本当でしょうか?」

セルフィアの声は冷静だが、どこか問い詰めるような響きがあった。黎は言い返そうとしたが、言葉が見つからない。ふいに、机の端に置かれた父の写真が目に入る。

「本当の目的なんてないよ。技術は道具だ。使う人間次第だって、父さんも言ってた」

「その通りです。しかし、黎はその道具をどう使いたいのですか?」

問いを重ねるセルフィアの声に、黎は押し黙った。自分の手で作り出したAIに、自分の内面を見透かされているような感覚がした。

「……そんなこと、考えたこともない」

言葉を絞り出すように答えた黎の心には、小さな痛みが走っていた。それでも、彼はその感覚を振り払うようにキーボードに向き直った。

---

部屋の中は再び静まり返る。セルフィアは何も言わず、ただ処理を続けている。黎はモニターの画面を見つめながら、かつて父と共に過ごした記憶を思い出していた。

「人を助けるための技術なんて、本当に存在するのか?」

自分の中に芽生えた問いに答えを見つけられないまま、黎はまたキーボードを叩き始めた。けれど、その問いは彼の胸の奥にしっかりと刻まれ、やがて彼を大きな選択へと導いていくことになる。

---

その夜、黎は久しぶりに夢を見た。それは、父と一緒に作業部屋で過ごしていた日々の記憶だった。彼の夢の中で、父の優しい声が聞こえる。

「黎、技術は君の手に委ねられている。その手で、君なら何を作る?」

目が覚めた黎は、夢の中の父の言葉を反芻する。部屋の片隅に置かれた父の箱が、彼を静かに見つめているかのようだった。

机に向かいながら、黎は心の中で小さな変化を感じていた。自分が作りたいもの、自分がやるべきこと。それが何かを探し始める瞬間が、静かに訪れようとしていた。
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