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34 二人きりの旅行1

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 冬に入り、気温がぐっと低くなってきた。息が白くなるほどではないが、温かいお風呂が恋しい季節だ。

 私と綾太さんは週末の休みと有給休暇を繋げて、二泊三日の温泉旅行に出かけることになった。同時に有給を取るのは不安もあったけど北条建設はとにかく従業員数が多いので、休みが被ったとしても私たちの関係が露見することはまずあり得ない。社内恋愛をしている人は他にもいるし、家族で旅行に行く人もいるからだ。

 東京駅から新幹線に乗り、駅に着いたらそこからはタクシーを使う。飛行機でも良かったけれど、目的地の旅館から空港がかなり遠かったので今回は陸路にした。

「わあ……。部屋の窓から海が見えるんだ」

 案内された客室は露天風呂付きだった。畳ではなく板の間に二つの大きなベッドが置かれ、ワイドになった広い窓からは海が一望できる。

 窓のすぐ外にお風呂場がある作りになっていて、長方形の浴槽からお湯が滔々とうとうと静かにあふれ出ていた。手すりの向こうに広がる大海原は、どこまでも果てしなく続いているように見える。海を見ながら入浴できるという素晴らしい設計だ。私の隣で綾太さんも海を眺めている。

「こんなに近くで海を見たのは初めてかも」

 ぽつりと漏らすと、綾太さんが私に視線を移した。

「そうなのか?」

「うん。うちは旅行といえばどこかの温泉に泊まるぐらいで、海や山で遊ぶ機会は少なかったんだよね。それに私が12歳になった頃に、経済的に余裕がなくなったから……。海っていいね。見てるだけで穏やかな気持ちになる。いつまでも眺めていたくなる感じ」

「僕も海は好きだな。海が見える場所に別荘があるんだけど、子供のころはそこに行くたびに部屋の窓から海を眺めてた。太陽の傾きで海が青くなったり橙色に染まったりするのがすごく綺麗なんだ」

「海って本当に、空と同じ色なんだね……綺麗な色」

 眼前に広がる海は、夕焼けの光を浴びて金色に輝いている。水平線から顔を覗かせる太陽は宝石みたいだ。綾太さんが私の手をそっと握った。

「夏になったら海へ遊びに行こう。僕は真梨花と泳いでみたい」

「いや、泳ぐのはいいけど……私カナヅチだよ? 泳ぐ機会がほとんどなかったから。学校のプールでも溺れかけてたし。ちょっと、なに笑ってるの」

「ご、ごめん。泳げない人もいるんだよな……。それはそうか。じゃあ大きな浮き輪を持っていこう。僕が引っ張ってあげるから」

「完全に子ども扱いしてるじゃないの。こうなったらジムのプールで特訓してやる」

 先ほどまでのしんみりした空気はどこかへ吹き飛んだようで、いつもの会話に戻ってしまった。でも綾太さんも楽しそうだ。

「ひとりでジムに行ってるのか。なにか練習してるとか?」

 分かっているくせに、綾太さんはニヤニヤ笑いながら私に問い掛けてくる。

「秘密。今にびっくりさせてあげるからね。私には助っ人がいるんだから」

「助っ人? ジムのトレーナーとか?」

「まあそんな感じかな。でも男の人じゃないよ。ユキっていう女の人」

 男性に手取り足取り指導を受けていると誤解されるのは嫌だった。だからユキさんの名前を出したが、綾太さんはふいに無表情になる。

ゆき……」

「どうかした?」

「いや。真梨花が楽しそうで良かったなと思って」

「楽しいよ。そうだ、またこんど一緒にスカッシュやろうよ。レベルアップした私を見せてあげる」

「それは楽しみだ」

 一瞬だけ顔を強張らせたものの、綾太さんはすぐにいつもの穏やかな表情に戻った。過去にユキという名前の女性と嫌な思い出があったのかもしれない。でも日本には数え切れないほどユキさんがいるはずだから、私が知るユキさんと綾太さんは知り合いではないだろう。

 私自身もユキさんの視線に怖いものを感じるときがあったが、今では気にしないように心がけていた。彼女もあのマンションに住みたいのかもしれない。マンションの住民であればすぐにジムに行くことが出来て便利だから。
 でも何がしかの事情があって無理なため、私に対して羨む気持ちがあるのだろう。今は彼女とスカッシュの練習ができればそれでいいと思っている。

 豊かな海の幸と和牛の夕食に舌鼓を打ち、ようやくお風呂に入ろうという段階で問題が起きた。綾太さんが一緒に入ろうと言い出したのだ。私たちは部屋の隅にある脱衣スペースで、ああでもないこうでもないと議論を始めてしまった。

「いやでも、ちょっとさ。お風呂となると体がよく見えるじゃない? 観察する感じになるというか」

「今さらだろ。もう何度も見てるんだから、気にする必要もないと思うけど。ほら、手を上げて」

「だからなんで、子供みたいに脱がせようとするのよ。私はひとりで脱げる!」

「そうそう、その調子。一緒に入ろうよ」

「…………」

 駄目だ。なにを言っても敵いそうにない。せっかくの旅行で押し問答してるのも嫌だし、ここは私が譲るべきだろう。

「いいよ、一緒に入る。でも変なことしないでね?」

「お風呂でそんなことしないよ。ベッドの上でやった方がいいと思う」

「ベっ……!!」

 真っ赤になって固まる私の服を、彼はいともたやすく剥いでいった。そして私は子供のように体を洗われ、気がついたら温かいお湯のなかにいる。隣には当然のように綾太さん。

「ほら、真梨花。あそこに灯台があるよ」

「本物の灯台だ……! 初めて見た! 本当に光を出してる」

 こういうことを言うから子ども扱いされるのに、思わず感動のままに口走ってしまった。初めて見た灯台は予想よりもずっと小さくて、頼りない光にみえる。でも黒々とした海の中では頼りにされる存在なんだろう。
 気温が低くなったからか、少し熱めの温泉はとても気持ちが良かった。
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