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24 過去の男1
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十月の下旬、私はオフィスビル内の会議室でミーティングに参加していた。社内広報には主に二種類あり、web媒体を使ったものと紙の社内報がある。今回は自社で活躍する社員をwebサイトで紹介するためのミーティングだった。どんな社員が活躍しているのかは社外に伝わりにくいので、こまめに情報を発信する必要があるのだ。
「お時間いただき、ありがとうございました」
ミーティングを終えて廊下に出ると、少し離れた場所にあるドアから十名ほどの社員が出てきた。あちらも会議をしていたらしい。このまま歩いていくと彼らとぶつかりそうなので、廊下の端に寄ってしばらく待つ事にする。
「あれ? 真梨花じゃないか」
室内から出てきた一人の男性が立ち止まって私の名前を呼んだ。いきなりの名前呼び捨てにムッとしながら顔を上げると、少し目じりの垂れたくせっ毛の男性社員と目が合う。その瞬間、私は凍りついた。
「ま……松本さん……?」
なんの冗談なのか、私にトラウマを植えつけた張本人がそこにいる。よく似た別人かとも思ったが、やはりなんど見ても過去に嫌悪を感じたあの顔と同じだ。
付き合っていた頃は根掘り葉掘り情報を聞き出すのは失礼だと思ったから、彼が北条建設の社員だなんて知らなかった。暮らしぶりから大企業に勤めるサラリーマンだとは何となく気づいていたけれど。
「お、お久しぶりです。松本さんも同じ会社だったんですね」
会議に参加していたメンバーは私たちが気になる様子だったが、自分のデスクに戻ろうと歩き始めている。そのまま足を止めないでほしい。本当は松本さんを無視したい気持ちもあったが、社内とあっては目立つわけにはいかなかった。プライベートだったら聞こえない振りができたのに……。
「そうみたいだな。俺は各地を転々としてたから、真梨花が同じ会社に入ってたなんて知らなかったなぁ」
いつまで馴れ馴れしく名前を呼び捨てにするつもりなのか。過去にされた仕打ちはいまだに私を苛んでいて、綾太さんを拒絶する原因にもなったというのに。
でも会社の廊下で騒ぎを起こすわけには行かず、私は黙ったまま松本さんを睨んでいた。が、その時。
「恩田さんと松本さんは知り合いだったのか? ふたりの間に親しい雰囲気を感じるけど」
会議室のドアの向こうから、綾太さんが出てきたのだ。彼の後ろには私に彼氏がいると勘違いした小森さんまでいて、私は自分が窮地に立たされたことを悟った。このままでは松本さんが私の恋人だと勘違いされてしまうかもしれない。
(お願いだから、余計なこと言わないで……!)
私は眼差しで必死に訴えたが、松本さんはそれにまったく気づく気配もなく――
「親しいっていうか……恩田さんは俺の元カノって奴ですかね。ハハハ!」
彼が言い放った瞬間、その場の気温が急激に下がったように感じた。気のせいだと思いたいけど、松本さんの後ろに立つ綾太さんは氷のような眼差しで私たちを見ている。明らかに顰蹙を買ってしまったようだ。しかも小森さんは「なるほど」と何かを納得したような表情をしており、私をさらに追い詰めた。
「あっそうだ。私、広報の仕事で松本さんに訊きたいことがあったんです。今ちょっといいですか?」
「え、今? まぁ少しならいいけど」
「では会議室を使いましょう。廊下では何なので」
これ以上余計なことを言われてたまるものか。過去のプライベートを社内で流布されるなんて、たまったものじゃない。あの時もひどい人だと思ったけれど、公私混同する人だと知ってさらに失望してしまう。
私はぐつぐつと煮えたぎるマグマを体内に抱えながら会議室へ入った。後ろから松本さんも入室し、ドアが閉じられる。会議室の大きな机には誰かが忘れたファイルが置いてあったが、今はそれを届けてあげようとも思えなかった。
「過去のプライベートを社内でバラさないでください! 私とあなたはもう赤の他人なんだから」
会話が聞こえないようにドアから離れ、小声で松本さんに苦情をいう。声は小さいが、口調には怒りを混ぜた。今なら松本さんに怒りをぶつけても許されるはずだ。私たちの声も外には聞こえないだろう。
自分でもひどい顔で松本さんを睨んでいる自覚があったが、彼はどこ吹く風で涼しい顔をしている。そうだった、こういう人だった。プライベートでは他人の話なんてほとんど聞かない人だった。
怒りを隠さない私を松本さんは楽しげに見下ろし、ふざけた口調で言う。
「冷たいこと言うなよ。短い期間だったとは言え、俺たちは恋人になった仲だろ?」
「恋人になったと思ったのは私だけで、松本さんは全然その気はなかったでしょう。ひどい態度で私を傷つけたくせに、よくも堂々とそんなこと……」
「悪かったよ。今は反省してるって。それよりさ、おまえってお坊ちゃまといい関係なのか?」
「そんなわけないでしょう! なにを勘違いしてるんですか」
「お時間いただき、ありがとうございました」
ミーティングを終えて廊下に出ると、少し離れた場所にあるドアから十名ほどの社員が出てきた。あちらも会議をしていたらしい。このまま歩いていくと彼らとぶつかりそうなので、廊下の端に寄ってしばらく待つ事にする。
「あれ? 真梨花じゃないか」
室内から出てきた一人の男性が立ち止まって私の名前を呼んだ。いきなりの名前呼び捨てにムッとしながら顔を上げると、少し目じりの垂れたくせっ毛の男性社員と目が合う。その瞬間、私は凍りついた。
「ま……松本さん……?」
なんの冗談なのか、私にトラウマを植えつけた張本人がそこにいる。よく似た別人かとも思ったが、やはりなんど見ても過去に嫌悪を感じたあの顔と同じだ。
付き合っていた頃は根掘り葉掘り情報を聞き出すのは失礼だと思ったから、彼が北条建設の社員だなんて知らなかった。暮らしぶりから大企業に勤めるサラリーマンだとは何となく気づいていたけれど。
「お、お久しぶりです。松本さんも同じ会社だったんですね」
会議に参加していたメンバーは私たちが気になる様子だったが、自分のデスクに戻ろうと歩き始めている。そのまま足を止めないでほしい。本当は松本さんを無視したい気持ちもあったが、社内とあっては目立つわけにはいかなかった。プライベートだったら聞こえない振りができたのに……。
「そうみたいだな。俺は各地を転々としてたから、真梨花が同じ会社に入ってたなんて知らなかったなぁ」
いつまで馴れ馴れしく名前を呼び捨てにするつもりなのか。過去にされた仕打ちはいまだに私を苛んでいて、綾太さんを拒絶する原因にもなったというのに。
でも会社の廊下で騒ぎを起こすわけには行かず、私は黙ったまま松本さんを睨んでいた。が、その時。
「恩田さんと松本さんは知り合いだったのか? ふたりの間に親しい雰囲気を感じるけど」
会議室のドアの向こうから、綾太さんが出てきたのだ。彼の後ろには私に彼氏がいると勘違いした小森さんまでいて、私は自分が窮地に立たされたことを悟った。このままでは松本さんが私の恋人だと勘違いされてしまうかもしれない。
(お願いだから、余計なこと言わないで……!)
私は眼差しで必死に訴えたが、松本さんはそれにまったく気づく気配もなく――
「親しいっていうか……恩田さんは俺の元カノって奴ですかね。ハハハ!」
彼が言い放った瞬間、その場の気温が急激に下がったように感じた。気のせいだと思いたいけど、松本さんの後ろに立つ綾太さんは氷のような眼差しで私たちを見ている。明らかに顰蹙を買ってしまったようだ。しかも小森さんは「なるほど」と何かを納得したような表情をしており、私をさらに追い詰めた。
「あっそうだ。私、広報の仕事で松本さんに訊きたいことがあったんです。今ちょっといいですか?」
「え、今? まぁ少しならいいけど」
「では会議室を使いましょう。廊下では何なので」
これ以上余計なことを言われてたまるものか。過去のプライベートを社内で流布されるなんて、たまったものじゃない。あの時もひどい人だと思ったけれど、公私混同する人だと知ってさらに失望してしまう。
私はぐつぐつと煮えたぎるマグマを体内に抱えながら会議室へ入った。後ろから松本さんも入室し、ドアが閉じられる。会議室の大きな机には誰かが忘れたファイルが置いてあったが、今はそれを届けてあげようとも思えなかった。
「過去のプライベートを社内でバラさないでください! 私とあなたはもう赤の他人なんだから」
会話が聞こえないようにドアから離れ、小声で松本さんに苦情をいう。声は小さいが、口調には怒りを混ぜた。今なら松本さんに怒りをぶつけても許されるはずだ。私たちの声も外には聞こえないだろう。
自分でもひどい顔で松本さんを睨んでいる自覚があったが、彼はどこ吹く風で涼しい顔をしている。そうだった、こういう人だった。プライベートでは他人の話なんてほとんど聞かない人だった。
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「冷たいこと言うなよ。短い期間だったとは言え、俺たちは恋人になった仲だろ?」
「恋人になったと思ったのは私だけで、松本さんは全然その気はなかったでしょう。ひどい態度で私を傷つけたくせに、よくも堂々とそんなこと……」
「悪かったよ。今は反省してるって。それよりさ、おまえってお坊ちゃまといい関係なのか?」
「そんなわけないでしょう! なにを勘違いしてるんですか」
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