上 下
8 / 52

7 大ぼら

しおりを挟む
 翌日の日曜日、私は母が入院する病院を訪れた。ナースセンターで見知った看護士さんたちに会釈し、母の病室に行くと叔母がすでに来ていた。二人で楽しそうにお喋りしている。

「来たよ、お母さん。涼子おばさんもお久しぶりです」

「元気そうね、真梨花ちゃん。ちょうど良かったわ。退院後のことを姉さんと話してたの」

 私はうなずきを返し、叔母の横に置かれた椅子に座る。母と叔母はよく似ているし、私の顔も母に酷似しているのでいかにも親族という雰囲気があった。
 母は俊子で、叔母は涼子という。母の実家は京都で旅館を営んでおり、涼子おばさんはそこの女将さんなのだった。もうすぐ女将の座を娘さんに渡し、引退するつもりのようだ。

「雄二さんも了承してくれたし、お母さんは涼子のところでお世話になろうと思うわ。その方が真梨花の負担にもならないでしょ?」

「負担だなんて思ったことないよ。お母さんは頑張って私を育ててくれたんだから」

 これは紛れもない本心だ。父も母も、人生ががらりと変わったのに泣き言ひとつ漏らさずに私を育ててくれた。本当に感謝している。
 母は働き者の荒れた手で私の手を握った。

「私の方こそありがとうね。真梨花がいてくれたから、今まで頑張ってこれたんだわ……。でもね、そろそろあなたの幸せも考えたいのよ。ね、涼子」

「そうそう。母親とふたり暮らしだと、恋愛しにくいんじゃないかって姉さんと話してたのよ。真梨花ちゃんも今まで何か我慢してたんじゃない?」

「……え? いや、我慢なんかしてないよ」

 話が妙な方向に進み、私は慌てて首を横に振った。先ほどまでしんみりしていたのに、どうして私の恋愛の話になっているのか。今は母のことを話したいのに。しかし二人の口は止まらない。

「そういうけど、真梨花ちゃんももう二十五歳でしょ。そろそろ結婚を考えてもいい年じゃないかしら? 私が結婚したのも二十五だったし」

「こういうのは焦っても仕方ないと分かってるけど、真梨花って浮いた話がひとつもなかったでしょう。私のせいだったんじゃないかって心配なのよ。お付き合いしてる男性とかいないの? 東京にひとり残すなんて心配だわ……」

「付き合ってる男性ぐらいいるよ。だから一人でも大丈夫!」

 盛大な大ボラを吹いておきながら、この口はどうして勝手に動くのかと憎たらしくなった。どうしてこんな白々しい嘘をついてしまうんだろう。私は昔から、両親を心配させまいと空回りして余計な嘘をついてしまう。後から苦しむのは自分だと分かっているのに……。
 私の心情とは裏腹に、母と叔母は嬉しそうな顔をした。

「あらまぁ、そうなの。お名前は? 何歳ぐらいの方? 結婚の約束はしてる?」

「ちょっと姉さん、一度に訊きすぎよ。で、どうなの真梨花ちゃん。今の部屋は出て、新しくどこかに部屋を借りるんでしょう? それともその彼と同棲する予定とか?」

 矢継ぎ早の質問に、逃げ場がないと悟る。付き合ってる男性がいると言ったくせに、同棲の予定はないと言ったら母と叔母は落胆するだろうか。心配して実家に戻りにくくなるだろうか?
 私は絞りだすような声で言った。

「ど、同棲……するかも。一緒に住んでもいいよって、言われてるから……。でも結婚の約束はしてないよ」

 母と叔母は「まあぁっ」と沸き立った。一つの嘘が、また一つの嘘を生む。誰か止めてと思うのに、母と叔母の喜ぶ顔をみたら止められない。

 北条さんのマンションに移ったとしたら、住所が変わったと母に知らせないといけないわけだ。今は住所を検索するだけでどんなマンションか分かるのだから、一人暮らしと嘘をつくのは無理に決まっている。あんな高級マンション、私一人で借りるのはどう足掻いても不可能だ。誰かと同棲すると伝えるしかないのは理解できるけど、あれを見たら二人は驚くだろうな……。

「とうとう娘の口から同棲のひと言が聞けたわ……。もう思い残すことはない」

「姉さんたら大げさよ。でもその感じだと、真梨花ちゃんの彼氏さん結婚も考えてくれてそうよね。本当に良かった。誠実そうな人?」

「うん。すごく優しくて、誠実な人」

 優しそうに見えて、実はちょっと腹黒そうな人。二人が想像するような甘い同棲じゃなくて、私はただ家政婦として同居するんだよ――なんて口が裂けても言えない。
いずれは同棲じゃなかったとバレるだろうけど、母が安心して京都に行けるなら今はそれでいい。

「できれば写真でも見たいわねぇ。真梨花、その彼氏さんの写真をあとで送ってちょうだいよ」

「そうね、見たいわね。どんなお顔の人? イケメン?」

「イケメン……だけどさ。すごく恥ずかしがり屋だから、写真は嫌がると思う。それにまだ、結婚が決まったわけじゃないし。親に画像を送るなんて言ったら、重たいって思われるよ」

 御曹子のプライベート写真なんて、そう簡単に撮れるわけがない。下手したら個人情報の漏洩になってしまうんじゃないだろうか。あとから訴えられても困るし、無理無理と念派を送ると母は分かってくれたようだった。

「それもそうね。結婚が決まったら顔合わせするんだから、焦らなくてもいいわよね。二人の邪魔をしないように、大人しく京都で待ってるわ」

「イケメンならお会いするのが楽しみねぇ。京都に来た際には、ウチの旅館に泊まってもらいましょう。露天つきのお部屋にするからね」

「う、うん……ありがとう。私そろそろ帰るね。退院のときにまた来るから」

 どこまで話が大きくなるのかと怖くなり、私は逃げるように椅子から立った。そそくさと病室を後にし、ナースセンターの前で会釈し、病院の相談窓口を訪ねる。母の入院費用について相談すると、分割払いにして貰えるようでホッとした。病院の自動ドアを出た瞬間、どっと疲れが押し寄せる。

(お母さんたちに大ぼら吹いちゃったよ……。もう同居するしかないじゃないの。私ってば何やってんだろ)

 ぼろアパートまでの帰り道、途切れることなくため息がもれた。私はいつも自分の嘘で首を絞めている。嘘はすぐに私を追い詰めるわけではないが、真綿で首を締めるようにじわじわと息苦しくなっていくのだ。

 アパートに帰る前に、スーパーから段ボールを貰って帰宅した。箱を組み立てて私と母の私物を詰めていく。母は退院したその日に京都へ向かうと言っていたから、今のうちに荷造りしたほうがいいだろう。タンスなどの家具は引越し屋さんに処分を頼むことにする。食器や鍋類は少しずつ捨てていたのでほとんど残っていない。

 私も母も無駄な買い物はしない主義だから荷物は驚くほど少なかった。コンビニから伝票をもらってきて京都の住所を書いておく。私の荷物の伝票は空欄のまま段ボールの上に置いた。

 北条さんのマンションの住所は知っているけど、明日会社で会ったら「やっぱり同居はなしで」と言われる可能性もあるからだ。今ごろ冷静になって、あんな地味女と同居なんてとんでもないと考えを改めてるかもしれない。でもそう言われても困るんだけど。同居したいのかしたくないのか、自分でもよく分からない。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

冷徹御曹司と極上の一夜に溺れたら愛を孕みました

せいとも
恋愛
旧題:運命の一夜と愛の結晶〜裏切られた絶望がもたらす奇跡〜 神楽坂グループ傘下『田崎ホールディングス』の創業50周年パーティーが開催された。 舞台で挨拶するのは、専務の田崎悠太だ。 専務の秘書で彼女の月島さくらは、会場で挨拶を聞いていた。 そこで、今の瞬間まで彼氏だと思っていた悠太の口から、別の女性との婚約が発表された。 さくらは、訳が分からずショックを受け会場を後にする。 その様子を見ていたのが、神楽坂グループの御曹司で、社長の怜だった。 海外出張から一時帰国して、パーティーに出席していたのだ。 会場から出たさくらを追いかけ、忘れさせてやると一夜の関係をもつ。 一生をさくらと共にしようと考えていた怜と、怜とは一夜の関係だと割り切り前に進むさくらとの、長い長いすれ違いが始まる。 再会の日は……。

ミックスド★バス~家のお風呂なら誰にも迷惑をかけずにイチャイチャ?~

taki
恋愛
【R18】恋人同士となった入浴剤開発者の温子と営業部の水川。 お互いの部屋のお風呂で、人目も気にせず……♥ えっちめシーンの話には♥マークを付けています。 ミックスド★バスの第5弾です。

【R18】豹変年下オオカミ君の恋愛包囲網〜策士な後輩から逃げられません!〜

湊未来
恋愛
「ねぇ、本当に陰キャの童貞だって信じてたの?経験豊富なお姉さん………」 30歳の誕生日当日、彼氏に呼び出された先は高級ホテルのレストラン。胸を高鳴らせ向かった先で見たものは、可愛らしいワンピースを着た女と腕を組み、こちらを見据える彼の姿だった。 一方的に別れを告げられ、ヤケ酒目的で向かったBAR。 「ねぇ。酔っちゃったの……… ………ふふふ…貴方に酔っちゃったみたい」 一夜のアバンチュールの筈だった。 運命とは時に残酷で甘い……… 羊の皮を被った年下オオカミ君×三十路崖っぷち女の恋愛攻防戦。 覗いて行きませんか? ※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※ ・R18の話には※をつけます。 ・女性が男性を襲うシーンが初回にあります。苦手な方はご注意を。 ・裏テーマは『クズ男愛に目覚める』です。年上の女性に振り回されながら、愛を自覚し、更生するクズ男をゆるっく書けたらいいなぁ〜と。

性欲の強すぎるヤクザに捕まった話

古亜
恋愛
中堅企業の普通のOL、沢木梢(さわきこずえ)はある日突然現れたチンピラ3人に、兄貴と呼ばれる人物のもとへ拉致されてしまう。 どうやら商売女と間違えられたらしく、人違いだと主張するも、兄貴とか呼ばれた男は聞く耳を持たない。 「美味しいピザをすぐデリバリーできるのに、わざわざコンビニのピザ風の惣菜パンを食べる人います?」 「たまには惣菜パンも悪くねぇ」 ……嘘でしょ。 2019/11/4 33話+2話で本編完結 2021/1/15 書籍出版されました 2021/1/22 続き頑張ります 半分くらいR18な話なので予告はしません。 強引な描写含むので苦手な方はブラウザバックしてください。だいたいタイトル通りな感じなので、少しでも思ってたのと違う、地雷と思ったら即回れ右でお願いします。 誤字脱字、文章わかりにくい等の指摘は有り難く受け取り修正しますが、思った通りじゃない生理的に無理といった内容については自衛に留め批判否定はご遠慮ください。泣きます。 当然の事ながら、この話はフィクションです。

極上の一夜で懐妊したらエリートパイロットの溺愛新婚生活がはじまりました

白妙スイ@書籍&電子書籍発刊!
恋愛
早瀬 果歩はごく普通のOL。 あるとき、元カレに酷く振られて、1人でハワイへ傷心旅行をすることに。 そこで逢見 翔というパイロットと知り合った。 翔は果歩に素敵な時間をくれて、やがて2人は一夜を過ごす。 しかし翌朝、翔は果歩の前から消えてしまって……。 ********** ●早瀬 果歩(はやせ かほ) 25歳、OL 元カレに酷く振られた傷心旅行先のハワイで、翔と運命的に出会う。 ●逢見 翔(おうみ しょう) 28歳、パイロット 世界を飛び回るエリートパイロット。 ハワイへのフライト後、果歩と出会い、一夜を過ごすがその後、消えてしまう。 翌朝いなくなってしまったことには、なにか理由があるようで……? ●航(わたる) 1歳半 果歩と翔の息子。飛行機が好き。 ※表記年齢は初登場です ********** webコンテンツ大賞【恋愛小説大賞】にエントリー中です! 完結しました!

ワケあり上司とヒミツの共有

咲良緋芽
恋愛
部署も違う、顔見知りでもない。 でも、社内で有名な津田部長。 ハンサム&クールな出で立ちが、 女子社員のハートを鷲掴みにしている。 接点なんて、何もない。 社内の廊下で、2、3度すれ違った位。 だから、 私が津田部長のヒミツを知ったのは、 偶然。 社内の誰も気が付いていないヒミツを 私は知ってしまった。 「どどど、どうしよう……!!」 私、美園江奈は、このヒミツを守れるの…?

処理中です...