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10 執念が怖い

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「それよりお前、どうしてシュウにベッドの熱風処理なんか頼んだんだ?」

「えっ。だってあのベッドで寝たらダニに刺されましたよ。体に赤いあとが付いてましたもん。シュウが治してくれたけど」

「ああ、そういう……」

 ジオルドはニヤニヤしながらわたしを見ている。何だか腹が立つ顔だ。思いっきり引っ叩《ぱた》いてやりたくなる。

 わたしは奴を無視して問題を解くことにした。公爵さまはしばらくわたしの横に立って何やら考えこみ、部屋から出て行った。
やれやれ、これで勉強に集中できる。わたしは安堵のため息を漏らした。

 しかしジオルドはすぐに戻ってきた。手に櫛と髪飾りを持ち、わたしの後ろで何かごそごそやっている。髪の毛をとかしたり、いじくったり。

 もうホント何なのだろう、この男は。
 あんたが試験を受けろってわたしに命令したくせに、言った本人が勉強の邪魔するとか意味不明。

 いやいや、負けてる場合じゃない。
 集中。
 集中するんだ。

 わたしは一回分の過去問を全て解いた。ふう、と息をはいて顔を上げると後ろから手鏡を渡される。

「見てみろ、上手くできた」

「はぁ……」

 鏡に映ったわたしの髪は、まるで夜会へ行くかのように煌びやかなスタイルに変わっていた。ルビーとエメラルドの髪飾りが漆黒の髪を彩っている。
 今日はもう夕食を食べて寝るだけだと思うんですが。

 顔を横に向けると丁寧な編み込みが見えた。どうしよう。お礼を言うべき?

「あ、ありがとうございます?」

「疑問符を付けるな。普通にお礼を言えよ」

ジオルドはわたしの手を取り、椅子から立つように促した。何を始める気なんだろう。

「オルタ大学には貴族も多い。平民のお前に対して偉そうに振る舞う奴もいるだろう。お辞儀ぐらいは練習したほうがいいぞ」

「はぁ」

 最も偉そうに振る舞うあなたがそれを言うのですか。

 ジオルドは「よく見てろ」と言ってわたしの前で礼をした。カーツィという女性専用のお辞儀なのに、完璧な美しさでちょっと見惚れてしまう。
 一瞬だけジオルドがものすごい美女に見えた。肩幅や身長から考えてもあり得ない事なんだけど。

「やってみろ」

「はい」

 両手でスカートを少しつまみ上げ、左足を少し後ろに……。
 うう、バランスが取れない。倒れる、転ぶぅ。

「もっと右足に重心を乗せろ。顔は上げたまま!」

 ジオルドがわたしのあごを掴んで上を向かせる。辛うじて保っていたバランスが崩れ、よろけて尻餅をついた。

「お前……筋力が無さすぎるぞ」

「……すみません」

 三年間、ほぼ引き篭りだったものですから。さる公爵さまに見つからないように生きてきたもので。

 それからしばらくの間、ジオルドの容赦ないレッスンが続いた。奴は何度かわたしにカーツィをやらせた後、「あまりにも筋肉が衰えている」と呟いて足腰を鍛える方法を教えた。

 簡単に言うと、ゆっくりしゃがみ、ゆっくり立ち上がる動きを繰り返す運動だ。この運動も背筋は伸ばしたまま、出来るだけ時間をかけて行うように言われた。
 何度もやってると脚がぶるぶる震えてくる。

「も、もう立てませ、うう……」

「信じられないぐらい軟弱だな。脚が柔らかすぎる」

「きゃあっ」

 いきなり太ももをわし掴みされた。

「い、嫌がらせ反対! 断固抗議します!!」

「俺の脚も触ればいいだろ。遠慮なく触れ。なぁ、ほら触っていいぞ」

「いいです、結構です。ちょ、近付いて来ないで!」

 ジオルドはわたしの手を取って無理やり脚に近づけて行く。わたしは腕に力を込め、奴の膝あたりに手を移動させた。脚の付け根なんて死んでも触りたくない。

「うわ、硬っ。なるほど、鍛えるとこんなに硬くなるもんなんですね」

「そうだろう」

 満足そうに頷くジオルド。
 褒めてほしかったんですか。寂しい人ですね、あなたは。

 疲れきったわたしは何とか脚を動かしてソファへ歩き、倒れこむように座った。脚全体に痺れるような感覚がある。太ももやふくらはぎを揉んでいると、ジオルドがわたしの前にしゃがみ込んで「俺が揉んでやる」などと言い出した。

「いいです! 自分で、やるからっ……!」

「遠慮するな」

「遠慮じゃないの!」

 脚に向かって伸ばされた大きな手を掴んで必死に抵抗していると、シュウが部屋の中へ入ってきた。「夕食です」と事務的に告げ、淡々と料理をテーブルに並べていく。助かった……。

 用意された食事は二人分。予想はしていたけどジオルドもここで食べるらしい。もういいけどね。
 サラダから食べ始めていると、魚料理の皿を目の前に置かれた。

「食べろってことですか?」

「そうだ。お前はもっと蛋白質を取った方がいいぞ。パンは少しにして、肉と魚を食え」

 ジオルドはパンが入った籠をわたしから遠ざけ、代わりに自分の皿の肉を切り分けてわたしへ寄こした。ついこの間まで粗食だったのに、いきなり蛋白質を山盛りにされても。

 結局、食べきれずに残してしまった。ジオルドは「もったいない」と言ってわたしが残した料理を食べていた。奴は意外と大食いだ。筋力も魔力も高いから、燃費の悪い体なんだろう。

 夕食のあとは昨日と同じだった。お風呂のあとに本を読んでいたら、いつの間にか猫になっているという流れだ。おかげでアレクサンドラの本はほとんど進んでいない。もう少しで彼女が後宮入りする場面だったのに。

 ジオルドの腕に抱かれながら提案してみた。

「たまには猫以外もいいんじゃニャいですか」

「猫以外? 例えば?」

「虫とかニャ」

「……お前、虫と一緒に寝たいか?」

「ニャ、ご冗談を」

「お前こそ冗談を言うな」

 あんたなんか存在自体が冗談みたいなものじゃないか。現実味がないほど整った顔とか優秀な頭とか、色々と出来すぎなのよ。与えられすぎなの。―――と心の中で愚痴ってみる。

 それにしても変身魔術というのはどういう仕組みなんだろう。
 人間の体と猫では明らかに質量が違うのに、魔力で無理やり辻褄を合わせてるのかな。だから高い魔力が必要になるんだろうか。

 わたしの首もとで光っている黒い魔石は恐らく、家一軒と同じような値段だと思われる。しかも小さい家ではなく、中堅規模レベル。

 考えていたら急に背筋が冷たくなってきた。この首輪に対する、ジオルドの執念が恐ろしすぎて。

 そっと顔を上げるとジオルドは白金の髪をシーツに散らして眠っていた。寝顔は驚くほど穏やかであどけなく、つまらない女に執着しているような青年には見えない。

 ジオルドはわたしに「俺の人生を狂わせた女」と言っていた。あの時は腹が立っていたから何となく聞き流したけれど、彼はきっと本気で恨みを晴らすつもりなんだろう。

 それなのにどうして、食事の世話をしたり勉強を教えたり、髪を飾ったりしてくるの?
 ジオルドの行動は矛盾だらけで、彼が何を狙っているのか全然わからない。

 たっぷり情けをかけた後、絶望のどん底に突き落として殺すつもりなんだろうか。

 分からない。
 ジオルドのことが分からない……。
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