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15 笑顔の裏

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「騎士団長さまは、何がお好きなんでしょうか?」

 夕食後の、いつもの時間。今日なにがあったとか、誰がどうしたと報告する時間である。

 アイリスは食後のお茶を飲みながらヨシュアに質問をぶつけていた。本当は騎士の誰かに聞けばいいのかもしれないが、レッスン後、彼らはすぐにいなくなってしまうので尋ねる余裕がない。そういう訳で王様に聞くことにした。この人なら口も固そうだし。

 ヨシュアは向かい側で目を丸くしている。ややあって、彼はにこにこしながら言った。

「何だって? 聞こえなかったな」

 この距離で、この静かな部屋で聞こえないはずがないのに。何か考え事でもしてたのかな、仕方ないなと思いながらもう一度尋ねる。

「騎士団長さまは、」

「もう一度言ってもらえないか?」

 声を被せるようにしてヨシュアが言った。気のせいか、声にトゲがあるような―――いや、気のせいではない。よく見れば顔も怒っている。彼は怒っているとき、無理やり笑顔を振りまくクセがあるのだ。

 それは積年の恨みに精神を支配されまいと彼が努力してきた成果なのだが、むしろその笑顔がヨシュアの深い怒りを見事に表現していた。
 しかしそんな事をアイリスが知るよしもない。彼女に分かるのは、ヨシュアが不自然に笑うのは彼が怒りを隠している時ということだけだった。

 ど、どうして怒っているの?
 わたし、怒られるようなことした?

 今日は何も聞かない方が良さそうだと判断し、アイリスは早口で「おやすみなさい」と告げて立ち上がった。同時に、向かい側の男も立ち上がる。彼の体からオーラのような熱波を感じとり、口から「ひぃ」と情けない声が出た。怖い。

 アイリスが進む方向に、ヨシュアが立ち塞がる。右へ行っても左へ行っても動きを読まれていて、とうとう部屋の角に追い詰められてしまった。
 涙目で震えるアイリスをヨシュアは不気味な笑顔で見下ろしている。

「どっどど、どして、怒ってっ……」

「どうして、だと? 婚約者の口から他の男の話をされて、怒らずにいられると思うか?」

 そんな事を言われたら、報告だって出来ないではないか。まさか王様にこんな子供っぽい一面があるとは知らなかった。理不尽すぎてもう何がなにやら―――とりあえず謝っておけば怒りは収まるだろうか。

「ご、ごめんな、さい」

「駄目。許さない」

 駄目だった。もう泣きそう。

 はくはくと口を動かしている間に、ヨシュアは婚約者をひょいと抱き上げた。そのままソファへ移動し、彼の膝の上に乗せられる。
 子供のように男の人の膝に乗るなんて恥ずかしい。だけど今は、ヨシュアの怒りをどう静めるかで頭が一杯だった。

「それで? なぜ急にデレクのことを聞きたくなったんだ?」

 どうやら騎士団長の名はデレクというらしい。そのデレクを、パトラが慕っていると言ってもいいのかどうか……。

「……誰にも言いませんか?」

「ひとに言えないような事なのか?」

 琥珀の瞳がぎらぎらと光っている。顔は笑ったままなので、その不自然さが余計にこわい。

「ひ、うぅ……あの、知り合いの女性が……」

「貴女の知り合いの女性となると、メリンダとパトリシアぐらいだな。そのどちらかに、デレクのことを聞いて欲しいと頼まれた?」

「…………」

 自分の浅はかさに絶望したくなってきた。なんでよりにもよって、この人に相談してしまったのか。
 わたしは馬鹿だ。愚か者だ。

 自己嫌悪でしょぼんとしていると王様が優しく背中を撫でてくる。こわごわと顔を上げれば、彼の表情からすでに怒りは消えていた。
 もう本当に何なんだろうこの人は。大人なのか子供なのかよく分からない。

「なるほど、パトリシアはデレクをしたっているのか。だから貴女にも協力的だったんだな」

 誰もパトラのことですなんて言ってないのに、ヨシュアは一人で勝手に納得している。
 悔しい。でもそれ以上に自分の浅慮さが恨めしい。

「陛下、このことは誰にも―――」

「ヨシュア」

「……ヨシュア様。お願いですから、誰にも言わないでください」

「いいとも。俺と貴女だけの秘密にしよう」

 ささやくように言って、顔を寄せてくる。アイリスは彼の肩に両手をついて距離をとろうと踏んばった。

「な、なんですか。何をしようとしてるんです?」

「口止め料を貰おうかと」

「口止め料!? 王様のくせに、せこい!」

「これぐらいは許してくれ。もうずっと貴女に口付けていないし、もうそろそろ――」

 ―――限界なんだ。

 言葉は熱い吐息と一緒に流れ込んできた。

 がぶ、と噛み付くように口を塞いでくる。唇に熱く柔らかなものが触れ、驚いて口を開いた途端それは中にも入ってきた。

「ん、んーっ」

 硬い胸板をどんどん叩いても離れてくれない。アイリスは強い刺激から逃れるように体を後ろへ動かしたが、ヨシュアはその動きを逆手にとって彼女をソファへ押し倒した。
 苦しい。背筋がぞわぞわして息が勝手に上がってくる。でも口を塞がれているせいで呼吸もままならない。

 もう無理……!

 酸欠になる寸前、ようやくヨシュアは唇を離してくれた。アイリスが暴れたから彼のシャツはくしゃくしゃになり、ボタンはいくつか外れている。開いたシャツの隙間から鍛えられた肉体が見えた。そして、大小さまざまな傷跡も……。

 アイリスの赤くなった頬を撫でながら「すまない」とかすれた声で呟き、ぎゅっと抱きしめてくる。大切そうに触れてくるヨシュアの仕草が何だか切なかった。

 ―――そんなに大事そうにしないで。あなたはもっと、わたしを恨んでもいいのに。

 逞しい体に走る無数の傷跡がショックだった。あれは本来なら、付くはずの無かったもの。アイリスの父が王座を奪ったりしなければ、ヨシュアは王子として穏やかな人生を歩んでいただろうから。
 彼の傷だらけの体は、彼が歩んできた道が多難だったことをそのまま表している。

 アイリスだって王宮から追放された身ではあるが、命を狙われながら生きてきた訳ではない。離宮での生活は貧しくても、明るい使用人たちに囲まれ幸せな十二年を過ごした。

 申し訳なくて、後ろめたくて、ヨシュアの顔を見ていられない。アイリスは広い肩に額をつけて彼の体を抱きしめ返した。
 ごめんなさい、ごめんなさいと心の中で呟きながら。
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