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プロローグ
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初夏の丘で、ひとりの娘が花冠を作っている。
粗末なシャツとズボンを着ているせいか少年のようにも見えるが、顔立ちは可憐で大きな翡翠の瞳が美しい。時おり吹く風が、ポニーテールにした蜂蜜色の金の髪を揺らしていた。
ここは娘と老兵だけが知る、秘密の場所である。どこまでも続くツメクサの絨毯に娘ははしゃいでいた。白のツメクサも、桃色のツメクサもとり放題だ。今日は桃色のツメクサだけで冠を作ってみようかな。
桃色の花は数が少ないから、娘はあちこち移動しながら花を集めていった。遠くから「あまり離れないでくださいね」と声がし、娘は大きな声で「はぁい」と返事をする。
花を何本か手にした娘は、日差しを避けるためガジュマルの巨木の下に座った。この木は根っこが迷路のように入り組んでいて、登ったりぶら下がったりできる楽しい木である。
「やあ、こんにちは」
急に横から低い声がして、娘は飛び上がった。まさか先客がいるなんて―――この丘はいつ来ても誰もいなかったから、油断していた。
おそるおそる振り返ると、木の根に寄りかかるようにして一人の青年が座っている。年の頃は二十歳ぐらいだろうか。珍しい銀色の髪に目が奪われた。
鋭い目元には琥珀の瞳が光り、まるで銀色の狼みたいだ。とても顔が整っていて格好いい人だけど、体が大きいから少し怖い。
十二になったばかりの娘は背の高い男の人が苦手だった。娘の周囲には女性と老兵しかいないからである。
しかし無視するわけにもいかず、娘も挨拶を返す。
「こ、こんにちは」
向こうから挨拶してきたくせに、相手はまじまじと娘を見つめているだけだ。何かに驚いているような、不思議なものでも見るような顔で。
娘も不思議に思う。なんだってこの人は、こんな山すその辺鄙な場所に一人でやって来たのだろう。ここには花と木しかないのに。
「もしかしてお兄さん、迷子ですか?」
「迷子?」
怪訝そうな顔をされ、娘はますます居心地の悪さを感じた。よく考えれば、こんな立派なお兄さんが一人で迷子になるわけがない。失礼なことを言ってしまった。怒られるだろうか。
青年は娘から視線を外し、遠くにそびえる山々を眺めている。何か考えているようだった。
「そうだな、迷っている。持ち帰るべきかどうか」
「――え?」
持ち帰るって何を?
ここには、持ち帰るような値打ちのあるものはないと思うのだけど。
青年は再び娘を見つめたあと、「邪魔したな」と呟いて林の中に入っていった。獣道を一人でするすると歩いていく。その迷いのない足取りは、このあたりの地理を知り尽くしているように思えた。
青年の背中が見えなくなったあと、娘はまた花冠を作り出す。
変な人。何の用事でここに来たんだろう。
しばらくは青年のことを考えていたが、娘の迎えが来たことで完全に忘れてしまった。
やがてうだる様な暑い夏がきて、秋の涼しさと実りを喜び、厳しい冬が訪れて。十三、十四と年を重ねるたび、娘の周囲も少しずつ変化していった。
だけど毎日は穏やかだったから、このまま一生を終えるだろうと思っていたのだ。
十七になった年の、秋までは。
粗末なシャツとズボンを着ているせいか少年のようにも見えるが、顔立ちは可憐で大きな翡翠の瞳が美しい。時おり吹く風が、ポニーテールにした蜂蜜色の金の髪を揺らしていた。
ここは娘と老兵だけが知る、秘密の場所である。どこまでも続くツメクサの絨毯に娘ははしゃいでいた。白のツメクサも、桃色のツメクサもとり放題だ。今日は桃色のツメクサだけで冠を作ってみようかな。
桃色の花は数が少ないから、娘はあちこち移動しながら花を集めていった。遠くから「あまり離れないでくださいね」と声がし、娘は大きな声で「はぁい」と返事をする。
花を何本か手にした娘は、日差しを避けるためガジュマルの巨木の下に座った。この木は根っこが迷路のように入り組んでいて、登ったりぶら下がったりできる楽しい木である。
「やあ、こんにちは」
急に横から低い声がして、娘は飛び上がった。まさか先客がいるなんて―――この丘はいつ来ても誰もいなかったから、油断していた。
おそるおそる振り返ると、木の根に寄りかかるようにして一人の青年が座っている。年の頃は二十歳ぐらいだろうか。珍しい銀色の髪に目が奪われた。
鋭い目元には琥珀の瞳が光り、まるで銀色の狼みたいだ。とても顔が整っていて格好いい人だけど、体が大きいから少し怖い。
十二になったばかりの娘は背の高い男の人が苦手だった。娘の周囲には女性と老兵しかいないからである。
しかし無視するわけにもいかず、娘も挨拶を返す。
「こ、こんにちは」
向こうから挨拶してきたくせに、相手はまじまじと娘を見つめているだけだ。何かに驚いているような、不思議なものでも見るような顔で。
娘も不思議に思う。なんだってこの人は、こんな山すその辺鄙な場所に一人でやって来たのだろう。ここには花と木しかないのに。
「もしかしてお兄さん、迷子ですか?」
「迷子?」
怪訝そうな顔をされ、娘はますます居心地の悪さを感じた。よく考えれば、こんな立派なお兄さんが一人で迷子になるわけがない。失礼なことを言ってしまった。怒られるだろうか。
青年は娘から視線を外し、遠くにそびえる山々を眺めている。何か考えているようだった。
「そうだな、迷っている。持ち帰るべきかどうか」
「――え?」
持ち帰るって何を?
ここには、持ち帰るような値打ちのあるものはないと思うのだけど。
青年は再び娘を見つめたあと、「邪魔したな」と呟いて林の中に入っていった。獣道を一人でするすると歩いていく。その迷いのない足取りは、このあたりの地理を知り尽くしているように思えた。
青年の背中が見えなくなったあと、娘はまた花冠を作り出す。
変な人。何の用事でここに来たんだろう。
しばらくは青年のことを考えていたが、娘の迎えが来たことで完全に忘れてしまった。
やがてうだる様な暑い夏がきて、秋の涼しさと実りを喜び、厳しい冬が訪れて。十三、十四と年を重ねるたび、娘の周囲も少しずつ変化していった。
だけど毎日は穏やかだったから、このまま一生を終えるだろうと思っていたのだ。
十七になった年の、秋までは。
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