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38 不安

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 しばらく愛しい婚約者さまを待ってみたが、一向に戻ってくる気配がないので私もバルコニーを離れることした。
 しかし手すりから体を起こした途端、黒髪の青年が扉から現れる。

「ララシーナ、すまない。急な用事が出来たんだ。俺と一緒に来てほしい」

「え?」

 フェリオスらしき人物は私の手をとり、庭へとつながる階段のほうへ向かった。
 月光が届かないせいで彼の表情が見えない。

「ま、待って……! フェリオ――」

 なんだろう、この違和感。
 先ほどから肌がピリピリとあわ立つような感覚がある。

 ちがう、この人じゃないと、頭の奥底から声が聞こえてくる。

「あなた誰!? フェリオス様じゃないでしょう! 手をはなして!」

 大声でさけび、握られていた手を振りほどいた。先を進んでいた青年がゆっくりとこちらを向いた時、雲の境目から月光があふれ出して私たちを照らした。

「……え? フェリオス様?」

 目の前に立つ青年はフェリオスそのものだった。
 本人だと言っても差し支えないほど酷似しているが、青年のほうが少しだけ年上に見える。

「ど、どなたですか?」

「よく気づいたね……。イスハーク陛下がきみたちを認めるわけだ」

 声まで似ている。

 どういうことだろう。
 フェリオスは双子だったのか。

「あの、レクアム様でいらっしゃいますか? まさかお二人が、双子のように似ているなんて……」

「私たちは双子ではないよ。私もフェリオスも、たまたま父に似ただけだ。でも初対面で違いが分かったのはきみが初めてだな……。イリオンでさえ間違うときがあるのに」

 夜会の挨拶をした皇太子の影は、たしかに髪の長い人物だった。私のために変装したのかも知れないけれど、いま前に立つレクアム様はフェリオスと同じ髪型だ。

 少し長い前髪のすき間から、髪とおなじ漆黒の瞳がのぞいている。

「どうしてフェリオス様の振りなんてなさったんですか?」

「少し試してみたくてね。イスハーク陛下を疑うわけではないが、きみとフェリオスがどれだけ深い仲なのか知りたかったんだ。すまなかったね。さあ、戻ろうか」

 レクアム様は私に右手を差し出し、手をとるように促す。
 また、違和感。

「左手をどうかされたのですか?」

「…………左手? 私の手が気になるのかい?」

「ええ。バルコニーへ出た時から、ずっと左手をかばう様に動いていますよね? 怪我でもされているのですか?」

 レクアム様はハッとし、私の顔をまじまじと見つめた。
 なにかに驚いたように目を見ひらいている。

「驚いたな……。そうか、ロイツの聖職者は薬師でもある。素晴らしい観察眼だ」

「あの……?」

「合格だ、巫女姫よ。きみとフェリオスの婚姻を認めよう。――ただ、皇帝陛下はまだ納得していないからね。油断しないように」

 「わあ」と喜びかけた私に向かって、レクアム様は容赦なく告げた。
 お祝いされてるのか脅されてるのか分からない。

「きみは面白い姫だね。正直というか……顔にすべて出るタイプだ。無表情な弟にはちょうどいいかもしれない」

「…………」

 とうとう三人目だ、私を「正直」と言ったのは。
 でもフェリオスに合うと褒めてもらったからよしとしよう。

「フェリオスから毒の話は聞いたかい?」

「はい。伺いました」

「私も弟たちと同じように、毒の訓練を受けて育った。でも途中で麻痺が残ってしまってね。左手はうまく動かないんだ」

「そう、ですか……。変なことを言って、申し訳ありませんでした」

「構わないよ。体の異常が気になるのは、薬師として当然のことだ。私たちは皆、体の一部に傷を抱えている。フェリオスは肩に火傷、イリオンは脚にひどい傷がある」

「イリオン様も?」

「ああ。あの子は毒で幻覚を見たとき、正気を保つためにペンを脚に突き刺したらしい。だからイリオンの脚には、蜂の巣のような傷跡があるんだよ」

「そんな……」

「ひどい話だろう? 私はこの異常な風習を終わりにしたい。生まれてくる子供たちには、毒の苦しみを知らずに育ってほしい。そのためには何だってする覚悟だ。――ララシーナ」

「は、はい」

「きみは、私に協力してくれるか?」

 レクアム様は私に向かって右手を差し出した。
 黒い瞳には真摯な光が宿り、追い詰められたような痛々しさを感じる。

「……ええ。協力いたします」

「ありがとう」

 ほほ笑む彼と握手を交わす間も、なぜか不安でたまらなかった。

 この人はなにか重大なことを隠しているのではないか。
 私は止めたほうがいいのではないか?

 協力すると言ったのに、とんでもない約束をしてしまったような後悔が胸にうず巻いていた。
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