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55 ただいま
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とうとうメイドとして働く一年を終えた。季節は夏に変わり、強烈な日差しが木々の葉を照らしている。
ルルシェはメイド長に呼び出され、一年間お疲れ様でしたと挨拶を受けた。すでに伯爵家の馬車が迎えに来ているということで、足早に王宮の裏手――北門へ向かう。懐かしい紋章を刻んだ馬車が見えたときには、目から涙がにじんだ。
「お嬢さま、お疲れ様でした。さあ、どうぞお乗りください」
執事グレンの温度のない声も懐かしい。しかし今回ばかりは、少しだけ彼もうきうきしている様子である。ルルシェは「ありがとう」と伝えて馬車に乗った。
走り出した馬車はゆっくりと王宮の門を出て、スタレートンへ向けて進んでいく。グレンは馬車の中で、父と母が一年間どのように過ごしていたか詳しく教えてくれた。手紙のやりとりはあったけれど、細かいことはお互いに知らせていなかったのだ。
両親は領地内でとれるブドウの品種改良に取り組んでいるらしい。味にうるさい母は「もっと甘いブドウを」と父に頼み、領民と協同であれこれ試しているのだという。成功すれば美味しいワインを作ることも出来るだろう。但し、ルルシェは味見しようとは思わないが。
途中で昼食を取り、また馬車に乗る。日が暮れる頃にやっと屋敷が見えてきたが、農道に領民たちがずらりと並んでいた。なに事かと窓から覗くと、誰かが「おかえりなさい」と叫ぶ。
「お嬢さま、お帰りなさい!」
「お帰りなさい、ルルシェ様!」
「た、ただいま……。皆、ありがとう!」
ルルシェは泣きながら馬車の窓から手をふり続け、屋敷に入る頃には彼女の顔はびしょ濡れになっていた。屋敷の門にも使用人たちが並び、お帰りなさいませとルルシェを迎えてくれる。
玄関先には懐かしい父と母が――。
「おかえり、ルルシェ!」
「会いたかったわ、ルルシェ!」
「とっ、父さま、母さまぁ! いま、帰りました!」
ルルシェは父と母の胸に飛び込んでおいおいと泣いた。父も母も、使用人までもらい泣きのように涙を流し、しばらくのあいだ周囲からむせび泣く声が響いた。
屋敷に入った母はさっそく腕を振るったご馳走をテーブルに並べ、お腹がすいていたルルシェは遠慮なく頂く。父は「そろそろルルシェもワインをどうだ?」と言うが、酔うのが怖いので一口分だけにしてもらった。
初めて飲んだワインは渋く苦く、どうも美味しいと思えない。しかしそのおかげで飲みすぎるのを防げる訳だから、別にいいかと気にしない事にする。
食後にはルルシェの大好物、パンとブルーベリーを使ったプディングまで出てきた。太ってしまうかもという危惧も無視し、お腹いっぱいになるまで食べる。父と母は娘が食べる様子を満足そうに見ていた。
「陛下のおかげで、ルルシェも堂々と領地を継げるようになった。本当に有難いことだなぁ」
「そうね。陛下はやっぱり、ルルシェのことが好きだったのではないかしら? きっとルルシェのために、あの法案を作ってくださったのよ」
ルルシェは「ぐふっ」と呻き、料理をのどに詰まらせるところだった。メイドが用意した水を飲み、心を落ち着ける。やはり母は鋭い。
帰ってきた喜びで忘れかけていたが、ルルシェはその陛下から求婚されたのだ。イグニスから貰った真紅の薔薇は干して乾かし、今もカバンのなかに大切に仕舞っている。
娘が帰ってきた喜びにひたっている二人に話すのはかなり気が引ける――が、ここで誤魔化してしまうのはイグニスを裏切る行為だ。怖くても、話すべきだろう。
ルルシェは握っていたフォークをことりと置き、父と母をじっと見た。娘の真剣な表情に気づいた二人は首をかしげ、不思議そうな顔をしている。
「あのね、父さま、母さま。私――」
ルルシェは十日前に起こった出来事を話した。母の言うとおり、イグニスはルルシェのために法案を作ったことも。
話している内に涙が出てきて、声を詰まらせながら言葉を続ける。自分が「伯爵家を継ぐよ」と言ったくせに、その約束を自ら反故にしてしまうのが申し訳なくて、期待に応えられなくて、涙がとまらない。
話し終えてテーブルに突っ伏したルルシェを、父と母は優しく抱きしめた。
「いいんだよ。泣かなくていい。おまえには今までどれだけ救われたことだろう……。今度は私たちが返す番だ。どうかこれからは、自分の望む人生を歩んでおくれ」
「ルルシェ……今まで支えてくれてありがとう。あなたはわたくし達の希望そのものよ。だからあなたにも、大好きな人と望む結婚をして欲しいわ。どうか、幸せになってね」
「……っはい……。ありがとう、父さま、母さま…………」
親子三人の穏やかな夜は静かに過ぎていき、ルルシェは湯浴みで旅の疲れを落とした。一年ぶりの自分の部屋はやはり落ち着く。なんの悩みもなくなり、ぐっすりと眠ることが出来た。
しかし、翌朝からは妙に張りきる両親の姿を見ることとなる。なにしろ一人娘が王妃となるわけで、二人が張りきるのも無理はなかった。
母はさっそく嫁入りの用意を始め、ルルシェの体の採寸をし、父は「まだまだ現役で頑張らんとな」とやる気に満ちあふれている。
二人は笑顔で、
「陛下との間に生まれた子を、跡取りとして育てよう」
「ルルシェ、お願いね」
――と娘に告げた。
ということは、最低でも二人の子を産まねばならない。王家の世継ぎと、伯爵家の跡取りだ。
ルルシェは口元をひくつかせながら、「が、頑張ります……」と答えたのだった。
ルルシェはメイド長に呼び出され、一年間お疲れ様でしたと挨拶を受けた。すでに伯爵家の馬車が迎えに来ているということで、足早に王宮の裏手――北門へ向かう。懐かしい紋章を刻んだ馬車が見えたときには、目から涙がにじんだ。
「お嬢さま、お疲れ様でした。さあ、どうぞお乗りください」
執事グレンの温度のない声も懐かしい。しかし今回ばかりは、少しだけ彼もうきうきしている様子である。ルルシェは「ありがとう」と伝えて馬車に乗った。
走り出した馬車はゆっくりと王宮の門を出て、スタレートンへ向けて進んでいく。グレンは馬車の中で、父と母が一年間どのように過ごしていたか詳しく教えてくれた。手紙のやりとりはあったけれど、細かいことはお互いに知らせていなかったのだ。
両親は領地内でとれるブドウの品種改良に取り組んでいるらしい。味にうるさい母は「もっと甘いブドウを」と父に頼み、領民と協同であれこれ試しているのだという。成功すれば美味しいワインを作ることも出来るだろう。但し、ルルシェは味見しようとは思わないが。
途中で昼食を取り、また馬車に乗る。日が暮れる頃にやっと屋敷が見えてきたが、農道に領民たちがずらりと並んでいた。なに事かと窓から覗くと、誰かが「おかえりなさい」と叫ぶ。
「お嬢さま、お帰りなさい!」
「お帰りなさい、ルルシェ様!」
「た、ただいま……。皆、ありがとう!」
ルルシェは泣きながら馬車の窓から手をふり続け、屋敷に入る頃には彼女の顔はびしょ濡れになっていた。屋敷の門にも使用人たちが並び、お帰りなさいませとルルシェを迎えてくれる。
玄関先には懐かしい父と母が――。
「おかえり、ルルシェ!」
「会いたかったわ、ルルシェ!」
「とっ、父さま、母さまぁ! いま、帰りました!」
ルルシェは父と母の胸に飛び込んでおいおいと泣いた。父も母も、使用人までもらい泣きのように涙を流し、しばらくのあいだ周囲からむせび泣く声が響いた。
屋敷に入った母はさっそく腕を振るったご馳走をテーブルに並べ、お腹がすいていたルルシェは遠慮なく頂く。父は「そろそろルルシェもワインをどうだ?」と言うが、酔うのが怖いので一口分だけにしてもらった。
初めて飲んだワインは渋く苦く、どうも美味しいと思えない。しかしそのおかげで飲みすぎるのを防げる訳だから、別にいいかと気にしない事にする。
食後にはルルシェの大好物、パンとブルーベリーを使ったプディングまで出てきた。太ってしまうかもという危惧も無視し、お腹いっぱいになるまで食べる。父と母は娘が食べる様子を満足そうに見ていた。
「陛下のおかげで、ルルシェも堂々と領地を継げるようになった。本当に有難いことだなぁ」
「そうね。陛下はやっぱり、ルルシェのことが好きだったのではないかしら? きっとルルシェのために、あの法案を作ってくださったのよ」
ルルシェは「ぐふっ」と呻き、料理をのどに詰まらせるところだった。メイドが用意した水を飲み、心を落ち着ける。やはり母は鋭い。
帰ってきた喜びで忘れかけていたが、ルルシェはその陛下から求婚されたのだ。イグニスから貰った真紅の薔薇は干して乾かし、今もカバンのなかに大切に仕舞っている。
娘が帰ってきた喜びにひたっている二人に話すのはかなり気が引ける――が、ここで誤魔化してしまうのはイグニスを裏切る行為だ。怖くても、話すべきだろう。
ルルシェは握っていたフォークをことりと置き、父と母をじっと見た。娘の真剣な表情に気づいた二人は首をかしげ、不思議そうな顔をしている。
「あのね、父さま、母さま。私――」
ルルシェは十日前に起こった出来事を話した。母の言うとおり、イグニスはルルシェのために法案を作ったことも。
話している内に涙が出てきて、声を詰まらせながら言葉を続ける。自分が「伯爵家を継ぐよ」と言ったくせに、その約束を自ら反故にしてしまうのが申し訳なくて、期待に応えられなくて、涙がとまらない。
話し終えてテーブルに突っ伏したルルシェを、父と母は優しく抱きしめた。
「いいんだよ。泣かなくていい。おまえには今までどれだけ救われたことだろう……。今度は私たちが返す番だ。どうかこれからは、自分の望む人生を歩んでおくれ」
「ルルシェ……今まで支えてくれてありがとう。あなたはわたくし達の希望そのものよ。だからあなたにも、大好きな人と望む結婚をして欲しいわ。どうか、幸せになってね」
「……っはい……。ありがとう、父さま、母さま…………」
親子三人の穏やかな夜は静かに過ぎていき、ルルシェは湯浴みで旅の疲れを落とした。一年ぶりの自分の部屋はやはり落ち着く。なんの悩みもなくなり、ぐっすりと眠ることが出来た。
しかし、翌朝からは妙に張りきる両親の姿を見ることとなる。なにしろ一人娘が王妃となるわけで、二人が張りきるのも無理はなかった。
母はさっそく嫁入りの用意を始め、ルルシェの体の採寸をし、父は「まだまだ現役で頑張らんとな」とやる気に満ちあふれている。
二人は笑顔で、
「陛下との間に生まれた子を、跡取りとして育てよう」
「ルルシェ、お願いね」
――と娘に告げた。
ということは、最低でも二人の子を産まねばならない。王家の世継ぎと、伯爵家の跡取りだ。
ルルシェは口元をひくつかせながら、「が、頑張ります……」と答えたのだった。
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