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54 大切な夜
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湯浴みも終わったし、もう寝ようと思っていたのに。来てほしくなかったのに。
ルルシェは寝台に腰かけ、隣に座る男を恨めしくちらりと見る。相手もなぜか緊張している様子で、自分から訪ねてきたくせに何も言おうとしない。手に握った細長い布の包みをくるくる回しながら、どう言おうかと悩んでいる様子だ。
ルルシェはたまりかね、自分から口を開いた。
「陛下。何のご用でいらしたんですか」
声を掛けた瞬間、イグニスはびくりと震えて背をぴんと伸ばした。先生に怒られた子供みたいである。
「あまり言いたくはありませんが、夜間に女性の部屋を訪ねるのはどうかと思います」
「……すまん。でも夜じゃないと目立つだろ。俺がこれから言うことは、おまえ以外の人間には聞かせたくないんだ」
(私以外の人には聞かせたくないこと? なにを言うつもりなのよ。そんなこと言われたら、一人で聞くのが怖くなるじゃないの)
ルルシェはびくびくしながらイグニスの言葉を待った。酒に酔ったことを叱られるのか。酔ったおまえは酷かったと愚痴られるのか。
どうしてよりにもよって、好きな人の前で酔っ払ってしまったのだろう。今さらながら悔やまれる。
怯えるルルシェの前でイグニスは深呼吸をし、布の包みを開いた。中には一本の真っ赤な薔薇が入っている。棘まできれいに取り去ってある薔薇だ。彼はそれを壊れ物でも扱うようにそっと持ち、ルルシェの方へ向けた。
そして――。
「愛している。俺と、結婚してほしい」
ルルシェはぽかんとし、イグニスと薔薇を見比べた。
愛してる? 結婚?
確かに真紅の薔薇の花言葉は「あなたを永遠に愛す」だったと思うが、酔っぱらった事実確認をすっ飛ばして求婚というのは何なのか。あの夜になにがあったのか、めちゃくちゃ気になる。
それにもう一つ、彼に聞いておかねばならない事があった。
「私を傷物にしたことを気にして、責任を取ろうとしてるんですか?」
今度はイグニスがぽかんとした。彼の手が震え、薔薇までぶるぶると揺れている。やがてイグニスはがくっと肩を落とし、うつむいて床の一点を凝視した。
その格好はぽきりと折れた花のようだったが、獣の唸り声のような低い響きがどこからか伝わってくる。
「…………けんなよ」
「えっ?」
「ふざけんなよ! 俺がいつからおまえを好きだったと思ってんだ!? 十五だぞ、十五歳! 俺はもう、九年間も初恋を引きずってんだよ!」
「じゅ、十五!? そのとき私はまだ十歳じゃないですか。あなたの気のせいじゃ――」
「気のせいじゃない! おまえ、十歳のときに熱を出しただろ。あの日からおまえのことを、弟だと思えなくなったんだ」
イグニスは何があったのかを話し出した。十歳のルルシェを彼が看病した話だ。有難いと思う反面、もう少しで女だとバレていたかもしれないと怖くなった。
「熱を出して寝ているおまえは綺麗だった。俺はおまえの顔に見とれて、ドキドキして……でもあの頃は男だと思っていたからな。それから何年も、俺は男が好きなのかと悩んだよ」
「……すみません」
イグニスの女嫌いは、ルルシェのせいでもあったのだ。好きな相手が少年だなんて、十五歳のイグニスは相当悩んだに違いない。
「謝るなよ。もういいんだ、おまえが女だと知ったんだから。なあ……どうか、俺の初恋を叶えてほしい。あの夜みたいに、素直に応えてくれよ」
「――“あの夜”? それってまさか……」
「おまえが酔っぱらった夜だ。酔ったおまえはめちゃくちゃ可愛くてな。俺がどこかへ行こうとすると、行かないでと泣いてすがり付いたり、結婚しちゃうの?と訊いてきたりして」
「…………」
ルルシェは愕然とし、デレデレするイグニスから視線を外した。どれだけ彼が喜ぼうと、自分の失態を恥じずにはいられない。
(もう二度と、絶対に、酒なんか飲まない!)
固く心に誓う。
「あの夜なら、おまえは何の抵抗もなく花を受け取ってくれたんだろうな。リョーシィも言っていたが、おまえは精神が強すぎて自分さえ騙している。本当はどうしたいのか、ちゃんと分かってるか?」
「わ、分かってますよ。私は、スタレートンの領主になって……」
「ほら、やっぱり食い違ってる。酔ったときは『僕にスタレートンへ帰ってほしいの?』と俺に言って、泣いていたじゃないか」
「そんな……そんなこと言われても、覚えてない。私、本当に…………」
追い詰められたルルシェは泣き出してしまった。悲しいのではない。悔しいわけでもない。ただどうしたらいいのか分からず、心細くて涙が出てくる。
うつむいて顔をこすっていると、長い腕が伸びてきてルルシェの体を包み込んだ。よしよしと背中を撫でられる。
「責めているわけじゃない。でもそろそろ本心を聞かせてくれてもいいだろう? 俺のことをどう思っているのか、教えてほしい」
「…………。私、あなたのことが好きです。リョーシィ姫が来たときも、あなたと姫が婚約するんだと思って悲しかった」
「うん」
「ずっとあなたの傍にいたい。でも、スタレートンのことも見捨てられない。父と母の期待に応えなきゃって、思って……」
「俺の妻になっても――王妃になったとしても、スタレートンの領主はおまえだ。ただ、領地を実際に管理するのはおまえの父になるだろう。それでは駄目か? 俺は……おまえに傍にいてほしい。どうか俺を選んでくれ」
イグニスの顔が近づいてきても、ルルシェは避けなかった。彼の口付けを受けいれ、大きな体を抱きしめる。唇が離れたときには彼の手から薔薇を受けとった。
「あなたの求婚はお受けします。でも、一度スタレートンへ戻って両親と話をさせてください。今度こそ必ず、あなたの元へ戻ってきます」
「……分かった。おまえが戻ってくるのを、ずっと待っているよ」
イグニスはもう一度キスをして部屋を出て行った。真紅の薔薇を花瓶にいけて窓辺に飾ると、質素な部屋が急に華やいだようだった。
好きな人から求婚されたことが嬉しくてたまらず、いつまでも薔薇を見つめてしまう。自分は意外と現金な人間だったらしい。ルルシェは寝台に寝転び、ニヤニヤしながら眠りについた。
ルルシェは寝台に腰かけ、隣に座る男を恨めしくちらりと見る。相手もなぜか緊張している様子で、自分から訪ねてきたくせに何も言おうとしない。手に握った細長い布の包みをくるくる回しながら、どう言おうかと悩んでいる様子だ。
ルルシェはたまりかね、自分から口を開いた。
「陛下。何のご用でいらしたんですか」
声を掛けた瞬間、イグニスはびくりと震えて背をぴんと伸ばした。先生に怒られた子供みたいである。
「あまり言いたくはありませんが、夜間に女性の部屋を訪ねるのはどうかと思います」
「……すまん。でも夜じゃないと目立つだろ。俺がこれから言うことは、おまえ以外の人間には聞かせたくないんだ」
(私以外の人には聞かせたくないこと? なにを言うつもりなのよ。そんなこと言われたら、一人で聞くのが怖くなるじゃないの)
ルルシェはびくびくしながらイグニスの言葉を待った。酒に酔ったことを叱られるのか。酔ったおまえは酷かったと愚痴られるのか。
どうしてよりにもよって、好きな人の前で酔っ払ってしまったのだろう。今さらながら悔やまれる。
怯えるルルシェの前でイグニスは深呼吸をし、布の包みを開いた。中には一本の真っ赤な薔薇が入っている。棘まできれいに取り去ってある薔薇だ。彼はそれを壊れ物でも扱うようにそっと持ち、ルルシェの方へ向けた。
そして――。
「愛している。俺と、結婚してほしい」
ルルシェはぽかんとし、イグニスと薔薇を見比べた。
愛してる? 結婚?
確かに真紅の薔薇の花言葉は「あなたを永遠に愛す」だったと思うが、酔っぱらった事実確認をすっ飛ばして求婚というのは何なのか。あの夜になにがあったのか、めちゃくちゃ気になる。
それにもう一つ、彼に聞いておかねばならない事があった。
「私を傷物にしたことを気にして、責任を取ろうとしてるんですか?」
今度はイグニスがぽかんとした。彼の手が震え、薔薇までぶるぶると揺れている。やがてイグニスはがくっと肩を落とし、うつむいて床の一点を凝視した。
その格好はぽきりと折れた花のようだったが、獣の唸り声のような低い響きがどこからか伝わってくる。
「…………けんなよ」
「えっ?」
「ふざけんなよ! 俺がいつからおまえを好きだったと思ってんだ!? 十五だぞ、十五歳! 俺はもう、九年間も初恋を引きずってんだよ!」
「じゅ、十五!? そのとき私はまだ十歳じゃないですか。あなたの気のせいじゃ――」
「気のせいじゃない! おまえ、十歳のときに熱を出しただろ。あの日からおまえのことを、弟だと思えなくなったんだ」
イグニスは何があったのかを話し出した。十歳のルルシェを彼が看病した話だ。有難いと思う反面、もう少しで女だとバレていたかもしれないと怖くなった。
「熱を出して寝ているおまえは綺麗だった。俺はおまえの顔に見とれて、ドキドキして……でもあの頃は男だと思っていたからな。それから何年も、俺は男が好きなのかと悩んだよ」
「……すみません」
イグニスの女嫌いは、ルルシェのせいでもあったのだ。好きな相手が少年だなんて、十五歳のイグニスは相当悩んだに違いない。
「謝るなよ。もういいんだ、おまえが女だと知ったんだから。なあ……どうか、俺の初恋を叶えてほしい。あの夜みたいに、素直に応えてくれよ」
「――“あの夜”? それってまさか……」
「おまえが酔っぱらった夜だ。酔ったおまえはめちゃくちゃ可愛くてな。俺がどこかへ行こうとすると、行かないでと泣いてすがり付いたり、結婚しちゃうの?と訊いてきたりして」
「…………」
ルルシェは愕然とし、デレデレするイグニスから視線を外した。どれだけ彼が喜ぼうと、自分の失態を恥じずにはいられない。
(もう二度と、絶対に、酒なんか飲まない!)
固く心に誓う。
「あの夜なら、おまえは何の抵抗もなく花を受け取ってくれたんだろうな。リョーシィも言っていたが、おまえは精神が強すぎて自分さえ騙している。本当はどうしたいのか、ちゃんと分かってるか?」
「わ、分かってますよ。私は、スタレートンの領主になって……」
「ほら、やっぱり食い違ってる。酔ったときは『僕にスタレートンへ帰ってほしいの?』と俺に言って、泣いていたじゃないか」
「そんな……そんなこと言われても、覚えてない。私、本当に…………」
追い詰められたルルシェは泣き出してしまった。悲しいのではない。悔しいわけでもない。ただどうしたらいいのか分からず、心細くて涙が出てくる。
うつむいて顔をこすっていると、長い腕が伸びてきてルルシェの体を包み込んだ。よしよしと背中を撫でられる。
「責めているわけじゃない。でもそろそろ本心を聞かせてくれてもいいだろう? 俺のことをどう思っているのか、教えてほしい」
「…………。私、あなたのことが好きです。リョーシィ姫が来たときも、あなたと姫が婚約するんだと思って悲しかった」
「うん」
「ずっとあなたの傍にいたい。でも、スタレートンのことも見捨てられない。父と母の期待に応えなきゃって、思って……」
「俺の妻になっても――王妃になったとしても、スタレートンの領主はおまえだ。ただ、領地を実際に管理するのはおまえの父になるだろう。それでは駄目か? 俺は……おまえに傍にいてほしい。どうか俺を選んでくれ」
イグニスの顔が近づいてきても、ルルシェは避けなかった。彼の口付けを受けいれ、大きな体を抱きしめる。唇が離れたときには彼の手から薔薇を受けとった。
「あなたの求婚はお受けします。でも、一度スタレートンへ戻って両親と話をさせてください。今度こそ必ず、あなたの元へ戻ってきます」
「……分かった。おまえが戻ってくるのを、ずっと待っているよ」
イグニスはもう一度キスをして部屋を出て行った。真紅の薔薇を花瓶にいけて窓辺に飾ると、質素な部屋が急に華やいだようだった。
好きな人から求婚されたことが嬉しくてたまらず、いつまでも薔薇を見つめてしまう。自分は意外と現金な人間だったらしい。ルルシェは寝台に寝転び、ニヤニヤしながら眠りについた。
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