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37 イグニスの決意

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 離宮でルルシェが女だと知ったときの感動は、とても言葉ではいい表せない。嬉しすぎて涙が目の奥からにじみ、手も声も震えたほどだ。

(良かった……! 俺が好きになった相手は女だった!)

 さらに嬉しいことに、ずっと不能だと思っていた体は復活し、イグニスが心身ともになんの異常もないことを教えてくれた。
 ずっとルルシェを男だと思い込んでいたので、体が無意識のうちに欲望を抑えこんでいたのだろう。

 残る問題はひとつだけ――イグニスの想い人が、「男として生きたい」と望んでいることである。ひとつだけの問題なのに絶望的に重い。
 もはやイグニスの恋が実ることはないと確定したも同然であり、彼は温泉に浸かりながら悩んでいた。

 この愛しい女をそばに置くにはどうしたらいいのか。しかもずっと置くわけにはいかず、いつかは彼女の望みも叶えなければならない。それにどうせなら、もう少しルルシェと恋人のような事をしてみたい。

 彼女と話しているうちに、自然とイグニスの女嫌いをなおすために協力するという結果になったが、あれは我ながら名案だった。期間限定の恋人ごっこだ。

 でもごっこだと思っているのはルルシェだけで、イグニスとしては本気のお付き合いだった。いつか別れる女でも、本気で愛していた。

(本気だから、失敗したんだけどな……)

 雨の日、大木の下で。触れたい、口付けたいという衝動を抑えきれなかった自分が憎たらしい。運が悪かった、のひと言ではすませないほど悔しい。

 ルルシェはイグニスと別れる前日、純潔を捧げている。あの夜は純粋に嬉しかったが、今では彼女がなんのつもりで純潔を自分に捧げたのか分かってしまった。

 もう会えないから、死ぬかもしれないから、最後の奉公のつもりでそんなことをしたのだろう。今まで「好き」のひと言もイグニスに言わなかったくせに、いきなり純潔を捧げるなんてあまりにも不自然だ。

 気づいてしまったイグニスは怒っている。そして同時に傷ついている。

(そんなことをして、俺が喜ぶとでも思ったか? なにも最後まで俺を主君扱いしなくてもいいだろうが。俺は……俺はひとりの男として、おまえに選んでほしかったのに)

 イグニスはすねてぶつぶつ言ったあと、目を閉じて偽りの美しい恋人を思い浮かべた。

 イグニスに嫌味を言われて半眼になっている顔。寛いだときに見せる自然な笑顔。そして二人きりの時にだけ見せる、快楽に溺れた色っぽい顔――。

 あの顔をもっと見たかった。
 思い出している内に眠くなり、イグニスはルルシェの寝台で寝てしまった。



 翌朝、侍従長に肩をぽんぽんとたたかれて目が覚めた。いつもと違う天井なのでどこかと思ったが、そういえば昨夜はルルシェの部屋で寝たのだった。

「殿下、ひとつ確認したいのですが」

「なんだ?」

 侍従長が用意した衣装を身につけながら、今日の予定でも聞きたいのかと予想する。しかし侍従長が発した言葉は、予想の斜め上を行くものだった。

「ルルシェ嬢と男女の関係にあったのですか?」

 イグニスはタイを締める姿勢のまま硬直した。今の自分はおそらく、鳩が豆鉄砲を食らったような顔をしていることだろう。でも顔を取りつくろう余裕もない。

(なんでだ。どうして分かったんだ?)

 イグニスは狼狽し、視線を侍従長から外した。

「その顔……やはりそうなのですね。おかしいと思ったのです。ルルシェ嬢が部屋を移ってから寝台のシーツがしわくちゃになっているし、ところどころ変な染みも付いているし……。まさか最後までやってしまったのですか?」

「…………」

 やってしまいました。でも中で出してはいないです――と報告していいのかどうか。
 赤子のころからイグニスに仕えている彼は父親のようなものであり、言ったら怒られるかなと少し不安である。

 侍従長はハァ、と深いため息をついてイグニスを見つめた。

「ルルシェ嬢が可哀相です。毎日殿下にしごかれて、嫌味を言われて。さらに夜の相手もさせられるなんて……。私が父親だったら泣いてますよ。貴族の令嬢なのに、王子に傷物にされたんですよ?」

 イグニスはぐっと言葉に詰まり、黙ってうつむくしかなかった。侍従長の言うとおりで、なんの弁明もできない。

「俺は……俺はあいつのために、なにかしてやれるだろうか? ルルシェは伯爵令嬢に戻っても、父親のあとを継ぐことは出来ないだろうし……」

 自信なく呟くと、侍従長はさらに深いため息をついた。

「何かもなにも、殿下は二ヵ月後に国王となられるのですよ! 出来ることなんて山ほどあるでしょう。優秀な人物なのに、女だからという理由で爵位や領地を継げないなんておかしいと思いませんか? この国は変わるべきです。殿下が王となって、変えてください」 

 イグニスはハッと顔を上げ、侍従長を見た。どうして今まで気づかなかったのだろう。自分が王になって、ルルシェを救ってやればいいのだ。

 しかしまだ問題は残っている。イグニスにとってはこの上なく重要な問題が。

「でもルルシェが父親のあとを継ぐことになったら、もう俺の妻にはなってくれないだろうな……」

「それは殿下の問題です。とにかくルルシェ嬢に誠意を見せ、おまえのために国を変えたぞとアピールなさったらいいでしょう。彼女の婿だって、殿下が信用できる者を用意してあげればいい。ただ、どうするか決めるのは本人ですからね。殿下が頑張っても、選んでもらえるかどうかは分かりませんよ」

 侍従長の容赦のない言葉にイグニスは苦笑した。確かにそのとおりだ。イグニスに出来るのは国を変えることだけ。ルルシェの心はどうにも出来ないから、本人に選んでもらうしかない。

「ギルトー」

「はい」

「礼を言う。おまえのおかげで目が覚めた」

 ふて腐れていた時間をようやく終わりに出来る。イグニスは改めて、この男が侍従長で良かったと思った。

「御心のままに。私はどこまでも、殿下について参りますよ」

 ギルトーはニヤリと口角を上げ、茶目っ気のある笑いを見せた。
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