33 / 62
33 ケイトリンの趣味
しおりを挟む
ケイトリンは王都のすみに小さな部屋を借りて住んでいる。
彼女はベーカリーで働いており、稼いだお金のほとんどを本につぎ込むような本の虫であった。そのため視力は低下し、いつも分厚いメガネを愛用している。
ミステリーもホラーも何だって読むが、いちばん好きなのは恋愛小説だ。組み合わせは男女でもいいし、男同士でもいい。ケイトリンは趣味でこっそり小説を書いているので、街ゆくカップルを眺めるのが好きだった。
この国はいちおう同性愛は恥ずべきものとしているが、内密に付き合っている男同士のカップルは少数ながら存在している。彼らがどれだけ隠そうと、長年観察してきたケイトリンの目はごまかせない。
貴族だって表向きは「国教の教えに反する」なんて言っているが、彼らの中にも同性愛者はいる。実際に馬車の中でキスをしている貴人と侍従を見たことがあるし、間違いない。
(でも、なぁんか物足りないのよね)
ケイトリンの目はかなり肥えている。これまで数え切れないほどの男女のペア、数組の男性同士のペアを見てきたが、心が萌えるような――ケイトリンは心がきゅんとする瞬間を“萌える”と表現している――組み合わせに出会っていない。日々、萌えるカップルを探して街をうろついている。
春と夏が混じる季節、ケイトリンは友人の家へ遊びに出掛けた。友人はマラハイドの端にある小さな村で暮らしていて、今では一男一女の母である。彼女も無類の本好きであった。
友人は異国の本を翻訳する仕事をしており、その日も珍しい本を紹介してくれたので何冊か借りて帰るところだった。雨が振っていたから泊まってもいいよと言ってくれたが、小さい子がいるので遠慮し、背中に荷物を担いで家を出た。
「うわ。道がぬかるんでる」
家を出て数分で歩くのが嫌になった。が、今さら戻るわけにはいかないと歩みを進める。しかし数十分後にはさらに深く後悔することになった。あまり来ない場所だし、雨で景色が変わったせいか迷子になってしまったのだ。
泥まみれの地面はどこが道なのかも分からず、ケイトリンは途方に暮れて山の坂道を登った。高いところから見下ろせば、何とかなるだろう……という希望的観測のもとに。しかし、彼女の目は別のものに釘付けになった。
森の中にまぎれるようにして、二人の男性が雨宿りをしている。一人は黒髪の凛々しい青年。もう一人は紫がとけ込んだ銀髪の、人形かと見紛うほどの美少年だ。
(まあ、まぁあ! なんて美しく、絵になる二人なの!)
ケイトリンは時間も忘れてふたりに見入った。青年は少年の銀髪を手に取り、丁寧に結い上げている。大切そうに、愛おしそうに。
(萌える。最高に萌える……!)
ケイトリンはメガネにあたる雨を拭きながら、食い入るように美しいカップルを観察した。
ルルシェはキスを目撃されたと勘違いしたが、実はケイトリンは二人のキスを見ていなかった。ただ二人のあいだに漂う親密で愛にあふれた空気を感じとり、この二人は出来ているのではないかと思っただけだ。
運が悪いことに、ルルシェとイグニスは普段は着ない服を身につけていた。橋を見に行くだけだから、かなり簡素な身なりをしていたのだ。だから貴族には見えず、ケイトリンもふたりが貴人だと気づかなかった。
満足いくまで美しいペアを観察したケイトリンは、意気揚々と坂道をくだる。坂の上からだと村の全体像が把握でき、帰り道も見つけることが出来た。
(この坂を登って正解だったわ。帰り道も分かったし、最高の萌えを堪能できたし!)
王都に戻ったケイトリンは早速ペンを取り、情熱のままに文字を綴る。この萌えを表現せずに人生を終えてたまるものか。これは傑作よ、大傑作よ!
ケイトリンは書き上げた原稿を商社に持ち込み、恋愛小説の賞に応募した。小説は見事に新人賞を勝ち取り、印刷までとんとん拍子に話が進み――。
ケイトリンがマラハイドに住んでいれば、黒髪の青年が領主だと知っていたかもしれない。しかし王都で暮らし、王室の事情に詳しくもない彼女は、青年が王子だとは知らなかった。
そして自分が書いた小説が大ヒットし、誰かの人生を歪めることになるなんて、夢にも思っていなかったのだ。
彼女はベーカリーで働いており、稼いだお金のほとんどを本につぎ込むような本の虫であった。そのため視力は低下し、いつも分厚いメガネを愛用している。
ミステリーもホラーも何だって読むが、いちばん好きなのは恋愛小説だ。組み合わせは男女でもいいし、男同士でもいい。ケイトリンは趣味でこっそり小説を書いているので、街ゆくカップルを眺めるのが好きだった。
この国はいちおう同性愛は恥ずべきものとしているが、内密に付き合っている男同士のカップルは少数ながら存在している。彼らがどれだけ隠そうと、長年観察してきたケイトリンの目はごまかせない。
貴族だって表向きは「国教の教えに反する」なんて言っているが、彼らの中にも同性愛者はいる。実際に馬車の中でキスをしている貴人と侍従を見たことがあるし、間違いない。
(でも、なぁんか物足りないのよね)
ケイトリンの目はかなり肥えている。これまで数え切れないほどの男女のペア、数組の男性同士のペアを見てきたが、心が萌えるような――ケイトリンは心がきゅんとする瞬間を“萌える”と表現している――組み合わせに出会っていない。日々、萌えるカップルを探して街をうろついている。
春と夏が混じる季節、ケイトリンは友人の家へ遊びに出掛けた。友人はマラハイドの端にある小さな村で暮らしていて、今では一男一女の母である。彼女も無類の本好きであった。
友人は異国の本を翻訳する仕事をしており、その日も珍しい本を紹介してくれたので何冊か借りて帰るところだった。雨が振っていたから泊まってもいいよと言ってくれたが、小さい子がいるので遠慮し、背中に荷物を担いで家を出た。
「うわ。道がぬかるんでる」
家を出て数分で歩くのが嫌になった。が、今さら戻るわけにはいかないと歩みを進める。しかし数十分後にはさらに深く後悔することになった。あまり来ない場所だし、雨で景色が変わったせいか迷子になってしまったのだ。
泥まみれの地面はどこが道なのかも分からず、ケイトリンは途方に暮れて山の坂道を登った。高いところから見下ろせば、何とかなるだろう……という希望的観測のもとに。しかし、彼女の目は別のものに釘付けになった。
森の中にまぎれるようにして、二人の男性が雨宿りをしている。一人は黒髪の凛々しい青年。もう一人は紫がとけ込んだ銀髪の、人形かと見紛うほどの美少年だ。
(まあ、まぁあ! なんて美しく、絵になる二人なの!)
ケイトリンは時間も忘れてふたりに見入った。青年は少年の銀髪を手に取り、丁寧に結い上げている。大切そうに、愛おしそうに。
(萌える。最高に萌える……!)
ケイトリンはメガネにあたる雨を拭きながら、食い入るように美しいカップルを観察した。
ルルシェはキスを目撃されたと勘違いしたが、実はケイトリンは二人のキスを見ていなかった。ただ二人のあいだに漂う親密で愛にあふれた空気を感じとり、この二人は出来ているのではないかと思っただけだ。
運が悪いことに、ルルシェとイグニスは普段は着ない服を身につけていた。橋を見に行くだけだから、かなり簡素な身なりをしていたのだ。だから貴族には見えず、ケイトリンもふたりが貴人だと気づかなかった。
満足いくまで美しいペアを観察したケイトリンは、意気揚々と坂道をくだる。坂の上からだと村の全体像が把握でき、帰り道も見つけることが出来た。
(この坂を登って正解だったわ。帰り道も分かったし、最高の萌えを堪能できたし!)
王都に戻ったケイトリンは早速ペンを取り、情熱のままに文字を綴る。この萌えを表現せずに人生を終えてたまるものか。これは傑作よ、大傑作よ!
ケイトリンは書き上げた原稿を商社に持ち込み、恋愛小説の賞に応募した。小説は見事に新人賞を勝ち取り、印刷までとんとん拍子に話が進み――。
ケイトリンがマラハイドに住んでいれば、黒髪の青年が領主だと知っていたかもしれない。しかし王都で暮らし、王室の事情に詳しくもない彼女は、青年が王子だとは知らなかった。
そして自分が書いた小説が大ヒットし、誰かの人生を歪めることになるなんて、夢にも思っていなかったのだ。
12
お気に入りに追加
2,244
あなたにおすすめの小説
【完結】優しくて大好きな夫が私に隠していたこと
暁
恋愛
陽も沈み始めた森の中。
獲物を追っていた寡黙な猟師ローランドは、奥地で偶然見つけた泉で“とんでもない者”と遭遇してしまう。
それは、裸で水浴びをする綺麗な女性だった。
何とかしてその女性を“お嫁さんにしたい”と思い立った彼は、ある行動に出るのだが――。
※
・当方気を付けておりますが、誤字脱字を発見されましたらご遠慮なくご指摘願います。
・★が付く話には性的表現がございます。ご了承下さい。
天才と呼ばれた彼女は無理矢理入れられた後宮で、怠惰な生活を極めようとする
カエデネコ
恋愛
※カクヨムの方にも載せてあります。サブストーリーなども書いていますので、よかったら、お越しくださいm(_ _)m
リアンは有名私塾に通い、天才と名高い少女であった。しかしある日突然、陛下の花嫁探しに白羽の矢が立ち、有無を言わさず後宮へ入れられてしまう。
王妃候補なんてなりたくない。やる気ゼロの彼女は後宮の部屋へ引きこもり、怠惰に暮らすためにその能力を使うことにした。
【完結】誰にも相手にされない壁の華、イケメン騎士にお持ち帰りされる。
三園 七詩
恋愛
独身の貴族が集められる、今で言う婚活パーティーそこに地味で地位も下のソフィアも参加することに…しかし誰にも話しかけらない壁の華とかしたソフィア。
それなのに気がつけば裸でベッドに寝ていた…隣にはイケメン騎士でパーティーの花形の男性が隣にいる。
頭を抱えるソフィアはその前の出来事を思い出した。
短編恋愛になってます。
年上幼馴染の一途な執着愛
青花美来
恋愛
二股をかけられた挙句フラれた夕姫は、ある年の大晦日に兄の親友であり幼馴染の日向と再会した。
一途すぎるほどに一途な日向との、身体の関係から始まる溺愛ラブストーリー。
【R18】記憶喪失の僕に美人妻は冷たい
無憂
恋愛
戦争で片目と記憶を失い、妻のもとに戻った僕。見知らぬ美しい妻も、使用人たちもなんとなく僕に冷たい。以前の態度が悪かったらしいけど、憶えてないんだからしょうがなくない?
*クズ男が幸せになるのが許せない人は栄光ある撤退を。*他サイトにも掲載しています。
公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-
猫まんじゅう
恋愛
そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。
無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。
筈だったのです······が?
◆◇◆
「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」
拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」
溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない?
◆◇◆
安心保障のR15設定。
描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。
ゆるゆる設定のコメディ要素あり。
つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。
※妊娠に関する内容を含みます。
【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】
こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)
孕まされて捨てられた悪役令嬢ですが、ヤンデレ王子様に溺愛されてます!?
季邑 えり
恋愛
前世で楽しんでいた十八禁乙女ゲームの世界に悪役令嬢として転生したティーリア。婚約者の王子アーヴィンは物語だと悪役令嬢を凌辱した上で破滅させるヤンデレ男のため、ティーリアは彼が爽やかな好青年になるよう必死に誘導する。その甲斐あってか物語とは違った成長をしてヒロインにも無関心なアーヴィンながら、その分ティーリアに対してはとんでもない執着&溺愛ぶりを見せるように。そんなある日、突然敵国との戦争が起きて彼も戦地へ向かうことになってしまう。しかも後日、彼が囚われて敵国の姫と結婚するかもしれないという知らせを受けたティーリアは彼の子を妊娠していると気がついて……
サラシがちぎれた男装騎士の私、初恋の陛下に【女体化の呪い】だと勘違いされました。
ゆちば
恋愛
ビリビリッ!
「む……、胸がぁぁぁッ!!」
「陛下、声がでかいです!」
◆
フェルナン陛下に密かに想いを寄せる私こと、護衛騎士アルヴァロ。
私は女嫌いの陛下のお傍にいるため、男のフリをしていた。
だがある日、黒魔術師の呪いを防いだ際にサラシがちぎれてしまう。
たわわなたわわの存在が顕になり、絶対絶命の私に陛下がかけた言葉は……。
「【女体化の呪い】だ!」
勘違いした陛下と、今度は男→女になったと偽る私の恋の行き着く先は――?!
勢い強めの3万字ラブコメです。
全18話、5/5の昼には完結します。
他のサイトでも公開しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる