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1 男装令嬢、殿下とお忍び中にケンカを売られる

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「決闘だ! 街外れで貴族が決闘してるぞ!」

 店が立ち並ぶ通りで誰かが声高に叫ぶと、店主や買い物客の間にざわめきが広がった。

「物騒なことだねぇ。流血騒ぎなんて御免だよ」

「オレは見に行ってくるぜ! どんな奴らか興味あるしな」

 ある者は眉をひそめて不快げな顔をし、ある者は興奮した様子で決闘の会場へ走り出す。結局、その場に残った人間は少数だった。平民のほとんどが「血は嫌だ」と言いながらも嬉しそうにしている。彼らは平穏を持て余しているのだ。

 そうして街外れに着いた彼らが目にしたのは、華奢な少年とガタイのいい青年が剣を抜いて対峙している場だった。

 ――なんて綺麗な少年だろう……!

 細身の少年を目にした者は誰もが感嘆し、思わずため息を漏らす。

 年の頃は十七か、十八か。一つにくくられた少年の髪は珍しい紫銀。瞳は宝石のように透きとおる紺碧。涼やかな目元は長い銀の睫毛に縁取られ、日の光を浴びても焼けることのない白い肌に影を落としている。

 薄紅色の小さな唇は少女のようでもあるが、きりりとした眉がその儚さを打ち消し、男とも女ともつかない魅力を放っていた。

 ――この子が負けるだろうなぁ。

 少年を目にした者は皆そう思った。彼の前に立ちはだかる青年は背が高く、ゴツゴツと逞しい体をしている。顔立ちは粗野で、血の気の多そうな印象があった。

「おまえみたいな女顔の弱そうな奴が殿下の側近だなんて、この国の恥だ。俺が勝ったら大人しく領地に引退しろ。そして女のようにドレスを着て、刺繍でもするんだな」

 粗野な青年が吐き捨てるように言うと、華奢な少年は余裕の表情で笑う。

「文句は僕に勝ってから言うんですね。時間が勿体ないので、さっさと終わらせたいんですけど?」

「こっ、この野郎……! 死ねぇ!」

 青年が真っ赤な顔で剣を振り上げた。
 ああ可哀相に、綺麗な子が惨めに負けてしまうに違いない――固唾を飲んで見守っていた彼らは次の瞬間、あっと声を上げた。

「ぐあぁっ!」

 何が起こったのか、気が付いた時には粗野な青年が地面に倒れ伏している。華奢な少年が疾風のように素早く彼の背後に回って急所を攻撃したのだが、その瞬間を目にしたものはほとんどいなかった。動きが速すぎるのだ。

「勝負あったな。この決闘、勝者はルルシェ・ニール・コンウェイだ」

 離れたところから決闘を眺めていた黒髪の青年が告げると、割れるような拍手がわき起こった。青年が勝利した少年――ルルシェに歩み寄ると、自然と人垣が割れる。
 ルルシェは剣を鞘に収め、倒れ伏した男へ冷ややかに言った。

「いくら力が強くても、剣の軌道が単純すぎて動きがバレバレです。実戦向きじゃないですね。今回は剣の柄だけで倒してあげましたけど、また僕を女顔だと言ったらもう容赦はしません。死を覚悟してください」

「ち、畜生……。なんでそんな細いくせに、化け物みたいに強いんだよ……!」

 力の差を痛感した男は地面に倒れたまま呻いている。痛みが強くて動けないらしい。

「ルルシェ、その辺にしておけ。あまり騒ぎを大きくするな」

 黒髪の青年に言われたルルシェは「はい」と返事をし、彼と一緒にその場を離れた。今さらのようにマントを羽織り、フードを深く被って、馬を預けた店を目指して歩く。
 早く城に戻らないと、こっそり抜け出したことがばれてしまう――いや、騒ぎを起こした時点で詰んでいるが。

「ったく、ギルトーに叱られたらおまえのせいだぞ。あれぐらいの嫌味、聞き流したらいいだろ」

「駄目ですよ。ああいう筋力だけに頼りきったバカは早めに潰しておかないと、増長してある事ない事いいふらすんですから。イグニス殿下だって、弱そうな側近つれてるとか言われたら嫌でしょ」

「……まぁな」

 イグニスは苦虫を噛み潰したような顔で言った。まだ何か納得できないらしい。

「そもそも街まで出る事になったのは殿下のせいでしょ。侍従長から預かったものをすぐに失くすから、城を抜け出す羽目になるんですよ。絹のハンカチちゃんと買いました?」

「言われるまでもなく買った。あまりぐちぐち言うな、さっさとズラかるぞ」

 イグニスは王宮を出て長いせいか、言葉遣いも素行もよろしくない。「ズラかる」なんて言葉を口にする王子は彼ぐらいのものだろう。

 ルルシェは嘆息し、小走りで王子を追いかけた。この街を含む広大な領地マラハイドはイグニスのもので、彼は八年前の十四歳の時から領主としてこの地に君臨している。
 ルルシェはこの見目麗しい青年――ブロンテ王国の王弟殿下の側近なのだった。

 店主に声を掛けて預かってもらっていた馬に跨り、二人で城に戻る。今ごろ侍従長はこめかみをピクピクさせているかもしれない。

(ほんと手の掛かる王子さまなんだから)

 ルルシェは密かに口をとがらせ、前を行く青年の背中を睨んだ。
 マラハイド公爵――イグニス・ルース・ヴェルトーラム・ブロンテは自領を治めるかたわら、兄王を支えるため国政にも深く関わっている。

 彼の側近であるルルシェも、国内では知らぬ者がいないほど優秀な人材であった。馬術にも弓術にもすぐれ、学んだことは砂のようになんでも吸い込む賢さもあわせ持つ。

 多忙を極める王子に付いて行けるのはルルシェ卿しかいないと貴族の誰もが認めているし、顔の整った二人が並んでいる姿は絵のように美しく、他の者が入り込む隙など感じさせない完璧さであった。

 が、当事者であるルルシェは、その事実を鬱陶しいと思っている。

(殿下が僕を選ばなければ、今ごろ父さまの跡を継いでいたかもしれないのに)

 いや、そもそもお披露目会に行かなければ良かったのか。

(僕は何事もなく、望む人生をまっとう出来るだろうか?)

 いくどとなく考えてきた事が、また頭の中にぼんやりと浮かび上がってくる。馬の背で揺られながら、ルルシェの思考は遠い過去へ飛んでいた。
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