29 / 60
互いの距離
3
しおりを挟む広い庭園を一通り見て周り、車を停めた駐車場へと戻る。
屋外の平面駐車場は、梅雨の晴れ間の日差しで温度を上げていた。そうなることを見越して、隅の木陰になる場所に停めたとはいえ、やはり車内は暑かった。
エンジンを掛けた日向が、エアコンの設定温度を下げる。すぐに車を出さないのは、車内が冷えるのを待つつもりなのだろう。
「今日の椿さん、いつもと違いますね」
ふいに言われて、ドキッとした。新に芽生えた感情を、悟られたのではないかと思ったから。
「もしかして、悩み解決しました?」
悩み? 言われた意味がわからないでいると、少し気まずそうな顔を見せ。
「ほら、この前。悩んでるふうだったから」
もしかして、キスのときの話だろうか。
あの日は、日向の話を聞いただけで終わっていた。涼しい冷気が頬を撫でる。
悩みなんて、大袈裟なものはなにもない。だけど、あのキスの言い訳をするチャンスは今しかない気がした。
「あ、いや、言えってことじゃないですよ。今日は、思い詰めた感じがないなって。思い詰めてるって言い方も変ですけど……もしかして、胸に溜まってることがあるのかなって」
今日はそれがないということだろうか。確かに、ここ最近の咲久は、気持ちの変化により前のように不満ばかりを感じているわけじゃない。それがいいのかは別だけど。
「悩みってほどのことじゃないんです」
大丈夫だ。日向は何を聞いても、表面上は優しい言葉を掛けてくれる。
「僕、本当に自分に自信がなくて……だから、いつも何をしてても、上手く出来ない自分が情けなくなるんです。きっと、優人もそんな僕が嫌なんだろうなって思うんですけど、じゃあどうしたらいいかもわからないし」
明確な言葉にならない、取りとめのない悩みは伝えるのが難しい。
「優人や、日向さんのような人と一緒にいると、そういう自分が、より感じられるっていうか」
「鬼塚さんや俺?」
「小鳥遊さんも……なんて言うのか、ちゃんと自分を持ってる人達です。でもそうなれない僕は、嫉妬するくらいしか出来なくて」
日向がハンドルに腕を置き、咲久の方を見る。
「よくわからないな。鬼塚さんのような、出来過ぎた人に愛されてるのに自信がないんですか? だいたい、誰だってそんなものじゃないですか。俺も自信ありませんよ? さっき言ったじゃないですか」
確かに聞いたけど、それは仕事の話であって、咲久のように人生すべての話ではない。
「愛されてる、って感じたことがなくて……」
「鬼塚さんに?」
咲久の言っていることが、いまいちわからないという顔の日向が前を向く。
「うーん、考えすぎじゃないですか?」
「でも、特にここ最近は……そうなんじゃないかって」
そうかなぁと呟く日向から、顔を逸らすように窓の外を見た。
「そうなんです。だって、もう何か月も……僕に触れて来ないから」
身体の接触がなくなると、心の距離が見えてくる。
接触がある間は、きっと心の距離が見えていなかったのだ。当然、心も繋がっていると思い込んでいただけで、実際はそうではなかったことに気付かされた。
「きっと欲求不満だったんです。だから、日向さんにキスなんか……日向さんたちは上手く行ってると思うと、羨ましくて嫉妬したんです」
今では反省もしているし、もうしないとは思っているけれど、あのときは確かにそう思っていたのだ。
「わかってます。最低だってこと。日向さんの優しさに甘えようとしたことも。でも、そうでもしないと、自分があまりにも意味のない存在に思えて……」
こんな話をされても、返す言葉がないのだろう。日向は黙ったまま。
沈黙になってしまった車内で、まだ言い訳を続けるべきなのか、もうやめておくべきなのかを考えていると、日向がふいに声を出した。
「喉、乾きません?」
「え……ああ、はい」
「そこ、自販機ありましたよね。お茶でいいですか?」
重くなった空気を変えようとしているのだろう、咲久の返事を待つことなく車を降りる。ポケットに入ってるらしい小銭を確認しながら、自販機へと歩いて行く。
わかっている。きっと引かれたのだ。欲求不満なんて、気持ち悪いと思われたのかもしれない。さすがの日向でもフォロー出来ないし、したくもないのだろう。
自販機でペットボトルを2本買った日向が戻ってくる。この場合、何事もなかったように振る舞うのが正解なはずだ。どうせ、許されない想いなのだ。引かれようと気持ち悪がられようと、結果は同じだと思えばいい。
咲久が勝手に恋心を抱いただけで、日向は今もこれからもそんなところにはいないのだ。
運転席のドアが開き、シートに座る。一本をボトルホルダーに置き、ドアをバタンと閉じた。
咲久の分だろうペットボトルが差し出されるので、ありがとうございますと呟きながらボトルを掴むと、何故か手を離さない日向がその手を自分の方へと引いた。
掴んでいたボトルごと引かれた咲久の身体は、嫌でも運転席の方へと傾く。
ちょっとした悪ふざけだろうと思った咲久が、傾いた体勢を戻そうとしたとき、ボトルを持っていない方の腕が咲久の身体を抱き寄せた。抱き寄せた、のかどうかすらその時の咲久にはわからなかった。あまりに唐突な展開に、頭が付いて行かない。
なかったことにするはずの車内の空気が、一瞬で変わる。
ボトルの重みが増したのは、日向が手を離したから。水滴に濡れた冷たい指が咲久の顔を掬いあげると、近い距離で視線が合った。
一瞬、何かを言いかけた日向は、結局何も言わないまま、咲久の唇に唇を重ねた。
キスしている、と認識するのに、少しかかった。
認識したときには、胸がパニックになったようにドクドクと鼓動を打ち、一気に全身の体温が上がる。長いようで短い、触れただけのキスが静かに離れた。
「マズイな……」
そう呟き、何とも言えない微妙な表情をした日向の視線は、咲久の唇を捉えていた。
マズイというのが、何に対して言った言葉なのかわからない。ただ、再び唇が重なったとき、咲久の身体はその先の濃厚なキスを期待していた。
開いた唇が咲久の口を覆う。食むように角度を変える柔らかいキスが続いたかと思うと、ふいに唇を舐められ、ゾワリと背中が湧き立った。温かく濡れた舌が、閉じた唇を割り中へと入ってくる。けして強引なわけではないけれど、明確な意思を持つ日向の舌が咲久の舌を探す。
触れるだけのキスから、絡み合うキスへ。
確かに、これはマズイと思った。日向にとってはどうかわからないけれど、咲久にとっては間違いなくマズイ。
餓えていた身体に、欲望の火が灯るのを自覚する。厚い質感の舌が、咲久の舌を探し出しヌルリと絡み合う。下半身がズクリと疼いた。
絡んでいた舌を、自分の方へと誘導する日向に、音を立ててネットリと吸い上げられると、思わず声が漏れた。
「んぁ……」
鼻に掛かる、喉から湧き上がった甘い声は自分でも驚くほど媚びていた。
もっとして、嬉しい、気持ちいい。日向のニットを縋るように掴む。
このまま離れないで、まだ終わりたくない。乱れ始める呼吸。より深いキスを求め、ベストな角度を探す日向の手が、咲久の顎を手のひら全体で包む。
求められていると感じた瞬間、下半身が僅かに反応した。
駄目だ。これ以上は、本当にマズイ。
疼きだす腰が無意識に揺れ始める前に、日向の身体を何とか押し返した。理性を総動員して、唇を離す。そうした咲久を日向がジッと見つめ。
「そんな顔する恋人に手を出さないなんて、鬼塚さん、どっかおかしいんじゃないですか」
自分かどんな顔をしているのかわからない。だから、答えようがなく。いまだニットを掴んでいる咲久の手を、日向がゆっくりと離し、大きく息を吐き出した。
「すみません、今のは完全に俺が悪い」
手を返され、助手席の正常な位置へと戻った咲久は、ブンブンと首を振った。どっちが悪いもない。
「何やってんだ……俺」
困ったように呟く日向が、ボトルホルダーからペットボトルを取る。一口、二口飲んで、再び大きく息を吐いた。
「すみません」
「謝らないでください……」
わかっている。日向が謝る理由も、我に返り後悔していることも。だから謝らなくていい。
「気にしないでください。僕も気にしませんから」
これくらいの嘘は咲久にだって吐ける。せっかく、咲久と来て正解だったと言ってくれたのだ。ふたりで来たことを、後悔して欲しくなかった。
0
お気に入りに追加
47
あなたにおすすめの小説
恭介&圭吾シリーズ
芹澤柚衣
BL
高校二年の土屋恭介は、お祓い屋を生業として生活をたてていた。相棒の物の怪犬神と、二歳年下で有能アルバイトの圭吾にフォローしてもらい、どうにか依頼をこなす毎日を送っている。こっそり圭吾に片想いしながら平穏な毎日を過ごしていた恭介だったが、彼には誰にも話せない秘密があった。
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
いっぱい命じて〜無自覚SubはヤンキーDomに甘えたい〜
きよひ
BL
無愛想な高一Domヤンキー×Subの自覚がない高三サッカー部員
Normalの諏訪大輝は近頃、謎の体調不良に悩まされていた。
そんな折に出会った金髪の一年生、甘井呂翔。
初めて会った瞬間から甘井呂に惹かれるものがあった諏訪は、Domである彼がPlayする様子を覗き見てしまう。
甘井呂に優しく支配されるSubに自分を重ねて胸を熱くしたことに戸惑う諏訪だが……。
第二性に振り回されながらも、互いだけを求め合うようになる青春の物語。
※現代ベースのDom/Subユニバースの世界観(独自解釈・オリジナル要素あり)
※不良の喧嘩描写、イジメ描写有り
初日は5話更新、翌日からは2話ずつ更新の予定です。
獅子王の番は雪国の海賊に恋をする
純鈍
BL
※オメガバース・BL・R18/
予知能力を持って生まれた人間のナキ(Ω)は太陽の国、アルシャムスで暮らしていた。ある時、友人であるロタスの危機を予知し城に向かったナキは、その能力を欲する獅子王ルマン(α)に番にされてしまう。
城の監視から逃れ雪国、アルカマルに向かおうとするナキだったが、その途中には凍った海があり……/
・アキーク(雪豹α、雪国の海賊キャプテン、自由人)
・ナキ(人間Ω、予知能力を持つ、ライオンの王ルマンの番)
・ルマン(獅子王α、冷酷)
ハイスペックストーカーに追われています
たかつきよしき
BL
祐樹は美少女顔負けの美貌で、朝の通勤ラッシュアワーを、女性専用車両に乗ることで回避していた。しかし、そんなことをしたバチなのか、ハイスペック男子の昌磨に一目惚れされて求愛をうける。男に告白されるなんて、冗談じゃねぇ!!と思ったが、この昌磨という男なかなかのハイスペック。利用できる!と、判断して、近づいたのが失敗の始まり。とある切っ掛けで、男だとバラしても昌磨の愛は諦めることを知らず、ハイスペックぶりをフルに活用して迫ってくる!!
と言うタイトル通りの内容。前半は笑ってもらえたらなぁと言う気持ちで、後半はシリアスにBLらしく萌えると感じて頂けるように書きました。
完結しました。
その溺愛は伝わりづらい!気弱なスパダリ御曹司にノンケの僕は落とされました
海野幻創
BL
人好きのする端正な顔立ちを持ち、文武両道でなんでも無難にこなせることのできた生田雅紀(いくたまさき)は、小さい頃から多くの友人に囲まれていた。
しかし他人との付き合いは広く浅くの最小限に留めるタイプで、女性とも身体だけの付き合いしかしてこなかった。
偶然出会った久世透(くぜとおる)は、嫉妬を覚えるほどのスタイルと美貌をもち、引け目を感じるほどの高学歴で、議員の孫であり大企業役員の息子だった。
御曹司であることにふさわしく、スマートに大金を使ってみせるところがありながら、生田の前では捨てられた子犬のようにおどおどして気弱な様子を見せ、そのギャップを生田は面白がっていたのだが……。
これまで他人と深くは関わってこなかったはずなのに、会うたびに違う一面を見せる久世は、いつしか生田にとって離れがたい存在となっていく。
【7/27完結しました。読んでいただいてありがとうございました。】
【続編も8/17完結しました。】
「その溺愛は行き場を彷徨う……気弱なスパダリ御曹司は政略結婚を回避したい」
https://www.alphapolis.co.jp/novel/962473946/911896785
↑この続編は、R18の過激描写がありますので、苦手な方はご注意ください。
魔力ゼロの無能オメガのはずが嫁ぎ先の氷狼騎士団長に執着溺愛されて逃げられません!
松原硝子
BL
これは魔法とバース性のある異世界でのおはなし――。
15歳の魔力&バース判定で、神官から「魔力のほとんどないオメガ」と言い渡されたエリス・ラムズデール。
その途端、それまで可愛がってくれた両親や兄弟から「無能」「家の恥」と罵られて使用人のように扱われ、虐げられる生活を送ることに。
そんな中、エリスが21歳を迎える年に隣国の軍事大国ベリンガム帝国のヴァンダービルト公爵家の令息とアイルズベリー王国のラムズデール家の婚姻の話が持ち上がる。
だがヴァンダービルト公爵家の令息レヴィはベリンガム帝国の軍事のトップにしてその冷酷さと恐ろしいほどの頭脳から常勝の氷の狼と恐れられる騎士団長。しかもレヴィは戦場や公的な場でも常に顔をマスクで覆っているため、「傷で顔が崩れている」「二目と見ることができないほど醜い」という恐ろしい噂の持ち主だった。
そんな恐ろしい相手に子どもを嫁がせるわけにはいかない。ラムズデール公爵夫妻は無能のオメガであるエリスを差し出すことに決める。
「自分の使い道があるなら嬉しい」と考え、婚姻を大人しく受け入れたエリスだが、ベリンガム帝国へ嫁ぐ1週間前に階段から転げ落ち、前世――23年前に大陸の大戦で命を落とした帝国の第五王子、アラン・ベリンガムとしての記憶――を取り戻す。
前世では戦いに明け暮れ、今世では虐げられて生きてきたエリスは前世の祖国で平和でのんびりした幸せな人生を手に入れることを目標にする。
だが結婚相手のレヴィには驚きの秘密があった――!?
「きみとの結婚は数年で解消する。俺には心に決めた人がいるから」
初めて顔を合わせた日にレヴィにそう言い渡されたエリスは彼の「心に決めた人」を知り、自分の正体を知られてはいけないと誓うのだが……!?
銀髪×碧眼(33歳)の超絶美形の執着騎士団長に気が強いけど鈍感なピンク髪×蜂蜜色の目(20歳)が執着されて溺愛されるお話です。
【BL】嘘でもいいから愛したい
星見守灯也
BL
奇言(カタラ)と呼ばれる力のある世界。ミツキは友人の彼氏を好きになった。しかし彼は行方不明になり、友人は別の人と付き合い始めた。ところが四年後、その彼が帰ってきて…。
ヒナギ→リツ×ソウタ←ミツキ からの リツ×ヒナギとミツキ×ソウタ
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる