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第52話 八つ当たり
しおりを挟む不思議なことに、その日は一匹も魔獣の姿を見掛けなかった。ラドガンの光魔法で驚かせても何の反応もなく、ヴェントが風魔法で索敵しても引っ掛からない。
「どうやら昨日で狩り尽くしたようだな」
「肩透かしを喰らった感も否めないが、まあ何よりだ」
サイラスとエルガーも拍子抜けといった様子だが、遠征の目的である魔獣討伐を達成したからか表情は明るい。
周辺を巡回してから引き上げることになった。来年以降も使うため、仮設拠点の柵はそのまま残しておく。天幕を片付けて荷馬車に積み込む作業を全員で行い、昼過ぎにはエクソンに向けて出発した。
行きは何度か魔獣の襲撃があったが、帰りは何もない。この時期の国境付近では有り得ないほどに魔獣の姿が消えている。魔獣の森を叩くというサイラスの案が如何に的確であったかが分かる結果となった。
日が傾きかけた頃エクソンに到着した。隊員たちは夕食前に汗を流そうと、我先にと浴室に殺到している。仮設拠点では湯に浸した手拭いで汚れを落とすくらいしか出来なかったからだ。隊員はみな貴族の子息で、騎士団所属後に初めて風呂に入れないという経験をした。時には着替えすら出来ない日もあり、慣れるまでかなり辛い思いをしたという。
「ヒューリオン隊は明日王都へ帰還する」
両隊が揃った夕食の席で、エルガーが帰還を宣言した。もともとレイディエーレ隊と入れ替わりで帰る予定だったが、一斉掃討作戦に参加するため数日滞在を伸ばしてくれていたのだ。サイラスはヒューリオン隊の協力に感謝し、心から労った。今回の遠征でサイラスとエルガーの関係が少し良くなったと誰もが感じていた。
「それで、新入りを一緒に連れて行こうと思うのだが」
しかし、エルガーの発言で再び火花が散ることになる。
「リィはレイディエーレ隊の一員だ。なんでおまえと王都に行かなきゃならないんだよ」
「新入りは体調を崩したばかりだ。早く王都の医者に診てもらい、適切な治療と療養をしたほうが良いだろう」
額に青筋を浮かべたサイラスが食って掛かるが、エルガーは涼しい顔で淡々と説明を続けた。その態度が火に油を注いだようで、サイラスは眉間に刻まれたしわを更に深くした。
「もう治ったって言ってるだろ。さっき宿舎の医務室でも診てもらったから問題ない」
「治りかけが一番危ないと聞いたことがある。新入りはまだ体力がない。配慮が必要だ」
超至近距離で睨み合う二人に、周りにいる隊員たちは(またか)と内心溜め息をついた。ラドガンとヴェントは慣れており、わざわざ間に入って諫めるつもりはないらしい。端の席で黙々と食事を続けている。
「オレの配慮が足りないとでも?」
「ああ、その通りだ。レイディエーレ侯爵家の人間は短慮で想像力が足りん」
「なんだと?」
言い争いが過熱した頃、ダンッと強くテーブルを叩く音が食堂内に響いた。音の出所はリアンである。彼はサイラスの隣の席で食事をとっていたのだが、いつまで経っても終わりそうにない喧嘩についにキレた。
「……次に僕をケンカの口実に使ったら承知しませんって言いましたよね……?」
テーブルを叩いた拳を掲げ、ゆらりと立ち上がるリアンの姿に、サイラスとエルガーが震え上がった。いつもは優しく温和なリアンが険しい表情で睨み付けている。二人はちらりと視線を合わせ、すぐに頭を下げた。
「すまない、もうしないと誓う」
「リィ、悪かった。許してくれ」
平謝りする隊長の姿に居合わせた全員が驚愕する。一番怒らせてはいけない人は誰なのか、隊員たちは心に刻み付けた。
「リアンさん、ちょっと」
「ラドガン様」
騒ぎが収まった頃を見計らい、ラドガンがリアンに声を掛けた。呼ばれたリアンは彼らの席まで移動して空いている椅子に腰を下ろす。
「サイラス隊長にも困ったものですね」
「ホントですよ、なんとかしてくださいラドガン様」
「私はあまり関わりたくありません」
「見捨てないでくださいよぉ……」
傍観者の立場を崩さないラドガンにリアンが肩を落とす。エルガーがリアンに構う原因はサイラスだけではない。リアン自身を気に入っているからこそ過剰なまでに構うのだ。従兄弟同士、好みが似ているのかもしれないとラドガンは密かに思った。
「明日からの巡回なんですが、一度確認しておきたい場所がありまして」
「確認したい場所、ですか」
部下の前で隊長を叱りつけた件を怒られるのかと身構えていたが全く違う話をされ、リアンは目を丸くした。
「以前もお話しした、リアンさんのお母様が数年前まで住んでいたお屋敷です」
「母の? 任務中に良いんでしょうか」
「巡回経路上にある集落に建っておりますし、立ち寄っても問題はないと思いますよ」
ラドガンの提案に、リアンはうつむいた。仮設拠点に現れた謎の少女のこともある。他に情報がない今、ユニヴェール家の屋敷だけが唯一の手掛かりと言える。だが、リアンの個人的な事情に過ぎない話だ。任務中に他の隊員を付き合わせるとなると抵抗がある。
しかし、ラドガンは無関係だと考えていなかった。
「あの少女が現れた後、魔獣の姿を一匹も見ていないのです。もしかしたら関係があるかもしれません。ですから、これもれっきとした任務に関連する調査だと言えるでしょう」
リアンはまた黙り込んだ。母親かもしれない少女と魔獣の関連性。考えれば考えるほど意味が分からず、思考が悪いほうへと転がっていく。サイラスとエルガーの喧嘩に必要以上に憤ってしまった理由は、母親のことを考え過ぎて煮詰まっていたからかもしれない。完全な八つ当たりだ。
「難しく考えなくていいんじゃないかな。その屋敷って、つまりリアンさんが生まれた場所なんでしょ? 仕事のついでに里帰り出来るって考えればいいよ」
励ましているつもりなのか、明るい調子でヴェントがリアンの肩を叩く。それでもリアンの気持ちは晴れなかった。
食事と風呂を済ませたリアンが部屋に入ると、先に室内にいたサイラスがすぐに駆け寄ってきた。怒らせてしまったことを反省しているらしく、再度リアンに謝罪を始める。
「リィ、さっきは済まなかった。許してくれ」
「……別に、もう怒ってない」
涙目で必死に許しを乞う姿など隊員たちには見せられない。八つ当たりした自覚があるリアンは逆に申し訳ない気持ちになり、怒っていないと表すために笑ってみせる。途端、サイラスは思いっきりリアンに抱き着いた。
「リィ~、エルガーんとこなんか行くなよぉ」
「もう、行かないってば。ほら、隊長が泣いてたら示しがつかないでしょ」
昼間のカッコいい活躍っぷりからは想像出来ないほど今のサイラスは情けない。それでも、自分だけに飾らない姿を見せてくれているのだと思うと愛しくて、リアンはサイラスを抱き締め返した。
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