上 下
46 / 79

第46話 贖罪の口付け

しおりを挟む

 小さな天幕を一つ占領し、サイラスはリアンの服を脱がしにかかった。土で汚れているのは表面だけだったが、中に着ていた肌着が汗を吸って肌に張り付いており、これも全て取り去った。

 すぐにヴェントが湯を張った木桶を持ってきたので、湯に浸して固く絞った手拭いで顔や首筋を拭いていく。全身を拭き終える前にラドガンが着替えを手に戻ってきた。新しい服を着せる間もリアンは目を覚まさない。先ほどより少し呼吸は落ち着いているが、まだ体温は高いままだ。

「気休め程度ですが、熱冷ましを飲ませてみますか」

 ラドガンが携帯している薬袋には用途に応じた何種類かの薬が入っている。その中から蝋紙に包まれた粉薬を取り出した。柳の葉から抽出した成分で作られた解熱剤である。それを小さな器に入れた水に溶く。サイラスがリアンを抱き起こして飲ませようとするが、意識のない状態では飲み込めないのか何度も咳き込んで薬を吐き出してしまう。

「サイラス隊長、なんとか飲ませておいてください」
「俺たち後始末してくるから」
「あ、ああ」

 ラドガンとヴェントが天幕から出て行った。ゲラートが荒らした天幕を片付けるためだ。魔獣の森にいる隊員たちが戻ってくるまでに使用人たちの手を借りて穴を埋め戻しておかねばならない。

 サイラスは腕の中のリアンを見下ろした。

 着替えのために脱がせた時、細くて頼りない体を見て思わず言葉を失った。エルガーから言われた通り、戦闘に不向きな彼は宿舎で待たせておくべきだった。いや、遠征になど連れてこなければ、と自分の過去の選択を後悔した。一緒にいたいと願い、他者に嫉妬した結果、一番大事にしたいはずのリアンを危険な目に遭わせている。厄介な男ゲラートを捕まえるためとはいえ、わざとそばから離れたことも悔やんでいた。

「……リィ、リィ。すまない」

 汗で張り付いた前髪を手のひらでそっとけてから、サイラスは器をあおって薬を口に含んだ。そして、リアンの唇に自分の唇を押し当て、口内へと流し込む。吐き出してくれるなと願いながら唇を重ね続け、リアンの喉がこくりと小さく鳴ったのを確認してから顔を離した。顎に伝う滴を指先で拭う。

 眠るリアンを見つめるうちに、サイラスの胸が締め付けられるように痛んだ。

 ずっとこのまま自分の腕の中にいてほしい。早く目を覚まして元気に笑ってほしい。手の届くところに置いておきたくて、誰の目にも触れさせたくなくて、でも彼の自由を奪いたいわけではない。リアンの意志でそばに居て欲しいのだと、サイラスは己の身勝手な望みを自覚した。

「リィ、早く目を覚ましてくれ」

 小さな声で囁くように懇願するが、リアンは目を覚まさない。薬は全て飲ませ終えたというのに、サイラスは再び眠るリアンの唇に口付けた。口移しではなく、愛情を伝えるための接触。悪意がリアンを蝕んだのなら、逆の感情をぶつければ相殺されるのではないかという願望がサイラスを駆り立てていた。

「うっ……」
「リィ!」

 不意に、リアンが呻いた。意識が戻ったわけではない。熱にうなされている。サイラスの声に反応するでもなく、譫言うわごとのように何か呟いていた。耳を寄せて聞いてみれば、それは人の名前だった。

「……エルガー、さま、あぶない……」

 リアンの意識は倒れる直前、つまりエルガーが魔獣に飛び掛かられた場面で止まっている。うなされながら、ずっとエルガーの身を案じていたのだ。

 リアンの口から他の男エルガーの名前が出た瞬間、サイラスの中にどろりとした黒いものが湧き上がった。本来ならば、リアンの不安をやわらげるためにエルガーの無事を伝えてやるべきだと分かっているのに、あらゆる負の感情をぐちゃぐちゃに混ぜたような醜い感情が込み上げて身を焦がしてゆく。

 しかし、暗い方へと向かいかけたサイラスの気持ちは予期せぬ出来事によって吹き飛ばされた。自分とリアンの二人しかいないはずの小さな天幕の中に突然見知らぬ少女が現れたからである。

「だ、誰だ……?」

 栗色の長く艶やかな髪を巻いたドレス姿の少女が目の前の床にぺたりと座り込んでいた。まるで最初からそこにいたかと思わせるほどの自然体で傍らに座り、眠るリアンに気遣わしげな瞳を向けている。少女はそっと手を伸ばしてリアンの頬に触れ、輪郭をなぞるように優しく撫でた。

 その時、初めて少女の顔をまともに見たサイラスが息を飲んだ。髪や瞳の色こそ違うが、顔立ちがリアンによく似ていたからだ。リアンに姉か妹がいるなんて話は聞いたことがないが、血縁だと言われたら信じてしまうほどだった。

「サイラス隊長、どうかしましたか」
「なんかあった?……って、えええ? 誰!?」

 異変に気付いたのか、外で待機していたヴェントとラドガンが天幕に入ってくる。そして、少女の姿を見て足を止めた。何者かが近付いたり侵入した形跡はないにも関わらず天幕の中に人が増えていたのだから、驚くのも無理はない。

 エクソンに建つ宿舎ならともかく、現在地ここは今の時期最も危険な魔獣の森に程近い騎士団の仮設拠点。こんな場所に不釣り合いなドレス姿で歩いていれば拠点を警備している衛兵が必ず気付く。運良く魔獣に襲われずに辿り着いたとしても、誰にも見咎められずに天幕に入り込むなど不可能だ。

 三人に一瞥もくれず、少女はリアンの頭や顔、体をぺたぺたと触っている。その様子を見ても、サイラスは何故か腹が立たなかった。キャリーには即座に嫉妬心と対抗心を抱いた癖に、この少女の行為は少しも不快に思えない。顔立ちがリアンに似ているからなのか、初対面の少女に対して警戒すらしていない自分にサイラスは驚いていた。

しおりを挟む
感想 21

あなたにおすすめの小説

君のことなんてもう知らない

ぽぽ
BL
早乙女琥珀は幼馴染の佐伯慶也に毎日のように告白しては振られてしまう。 告白をOKする素振りも見せず、軽く琥珀をあしらう慶也に憤りを覚えていた。 だがある日、琥珀は記憶喪失になってしまい、慶也の記憶を失ってしまう。 今まで自分のことをあしらってきた慶也のことを忘れて、他の人と恋を始めようとするが… 「お前なんて知らないから」

【完結】我が国はもうダメかもしれない。

みやこ嬢
BL
【2024年11月26日 完結、既婚子持ち国王総受BL】 ロトム王国の若き国王ジークヴァルトは死後女神アスティレイアから託宣を受ける。このままでは国が滅んでしまう、と。生き返るためには滅亡の原因を把握せねばならない。 幼馴染みの宰相、人見知り王宮医師、胡散臭い大司教、つらい過去持ち諜報部員、チャラい王宮警備隊員、幽閉中の従兄弟、死んだはずの隣国の王子などなど、その他多数の家臣から異様に慕われている事実に幽霊になってから気付いたジークヴァルトは滅亡回避ルートを求めて奔走する。 既婚子持ち国王総受けBLです。

期待外れの後妻だったはずですが、なぜか溺愛されています

ぽんちゃん
BL
 病弱な義弟がいじめられている現場を目撃したフラヴィオは、カッとなって手を出していた。  謹慎することになったが、なぜかそれから調子が悪くなり、ベッドの住人に……。  五年ほどで体調が回復したものの、その間にとんでもない噂を流されていた。  剣の腕を磨いていた異母弟ミゲルが、学園の剣術大会で優勝。  加えて筋肉隆々のマッチョになっていたことにより、フラヴィオはさらに屈強な大男だと勘違いされていたのだ。  そしてフラヴィオが殴った相手は、ミゲルが一度も勝てたことのない相手。  次期騎士団長として注目を浴びているため、そんな強者を倒したフラヴィオは、手に負えない野蛮な男だと思われていた。  一方、偽りの噂を耳にした強面公爵の母親。  妻に強さを求める息子にぴったりの相手だと、後妻にならないかと持ちかけていた。  我が子に爵位を継いで欲しいフラヴィオの義母は快諾し、冷遇確定の地へと前妻の子を送り出す。  こうして青春を謳歌することもできず、引きこもりになっていたフラヴィオは、国民から恐れられている戦場の鬼神の後妻として嫁ぐことになるのだが――。  同性婚が当たり前の世界。  女性も登場しますが、恋愛には発展しません。

お決まりの悪役令息は物語から消えることにします?

麻山おもと
BL
愛読していたblファンタジーものの漫画に転生した主人公は、最推しの悪役令息に転生する。今までとは打って変わって、誰にも興味を示さない主人公に周りが関心を向け始め、執着していく話を書くつもりです。

巻き戻りした悪役令息は最愛の人から離れて生きていく

藍沢真啓/庚あき
BL
婚約者ユリウスから断罪をされたアリステルは、ボロボロになった状態で廃教会で命を終えた……はずだった。 目覚めた時はユリウスと婚約したばかりの頃で、それならばとアリステルは自らユリウスと距離を置くことに決める。だが、なぜかユリウスはアリステルに構うようになり…… 巻き戻りから人生をやり直す悪役令息の物語。 【感想のお返事について】 感想をくださりありがとうございます。 執筆を最優先させていただきますので、お返事についてはご容赦願います。 大切に読ませていただいてます。執筆の活力になっていますので、今後も感想いただければ幸いです。

私が出て行った後、旦那様から後悔の手紙がもたらされました

新野乃花(大舟)
恋愛
ルナとルーク伯爵は婚約関係にあったが、その関係は伯爵の妹であるリリアによって壊される。伯爵はルナの事よりもリリアの事ばかりを優先するためだ。そんな日々が繰り返される中で、ルナは伯爵の元から姿を消す。最初こそ何とも思っていなかった伯爵であったが、その後あるきっかけをもとに、ルナの元に後悔の手紙を送ることとなるのだった…。

ツンデレ貴族さま、俺はただの平民です。

夜のトラフグ
BL
 シエル・クラウザーはとある事情から、大貴族の主催するパーティーに出席していた。とはいえ歴史ある貴族や有名な豪商ばかりのパーティーは、ただの平民にすぎないシエルにとって居心地が悪い。  しかしそんなとき、ふいに視界に見覚えのある顔が見えた。 (……あれは……アステオ公子?)  シエルが通う学園の、鼻持ちならないクラスメイト。普段はシエルが学園で数少ない平民であることを馬鹿にしてくるやつだが、何だか今日は様子がおかしい。 (………具合が、悪いのか?)  見かねて手を貸したシエル。すると翌日から、その大貴族がなにかと付きまとってくるようになってーー。 魔法の得意な平民×ツンデレ貴族 ※同名義でムーンライトノベルズ様でも後追い更新をしています。

嫁側男子になんかなりたくない! 絶対に女性のお嫁さんを貰ってみせる!!

棚から現ナマ
BL
リュールが転生した世界は女性が少なく男性同士の結婚が当たりまえ。そのうえ全ての人間には魔力があり、魔力量が少ないと嫁側男子にされてしまう。10歳の誕生日に魔力検査をすると魔力量はレベル3。滅茶苦茶少ない! このままでは嫁側男子にされてしまう。家出してでも嫁側男子になんかなりたくない。それなのにリュールは公爵家の息子だから第2王子のお茶会に婚約者候補として呼ばれてしまう……どうする俺! 魔力量が少ないけど女性と結婚したいと頑張るリュールと、リュールが好きすぎて自分の婚約者にどうしてもしたい第1王子と第2王子のお話。頑張って長編予定。他にも投稿しています。

処理中です...