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本編

61話:運命は誰かの采配で作られています 2

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 人前で涙を流すなどいつ以来だろうと思いながら、ローガンは目の前にいる令嬢を見つめた。

 王族の披露宴に招待されているから貴族だとは分かる。これくらいの年頃ならば貴族学院に通っているはずだ。

 しかし、ブリムンド王国の学院内で彼女を見掛けた記憶はない。


 とりあえず衝立ついたての陰から出て、ソファーに並んで座る。そこで、女性に泣き顔を見られた事実に気付き、ローガンは気恥ずかしさで顔から火が出そうになっていた。
 涙を拭こうにも、ハンカチは上着ごと給仕係が持って行ってしまっている。シャツの袖で拭おうとしたら、隣に座る令嬢がクラッチバッグからハンカチを取り出して貸してくれた。

「す、済まない」
「いえ。どうぞ」

 お互い変なところを見られたばかりだ。
 しばらく沈黙が続いた。

「……貴女は、何故あんなところに?」

 気まずい空気を取り払うため、ローガンから声を掛けた。見知らぬ相手だ。話題がない。だから、見て見ぬ振りをした方が良かったであろう先ほどのことをつい尋ねてしまった。

 パーティーに招待されていながら隠れて本を読んでいた令嬢は、それを指摘されて言葉を詰まらせた。だが、今更取り繕うのもおかしな気がして、正直に話すことにした。

「実は、私、こういった場がニガテなんです。この年齢になってもまだ婚約者がいなくて、だから会場でも一人になっちゃって……招待してくれたのは学友なんですけど、彼女たちはエスコートしてくれる相手がいるので……」

 婚約者がいないと聞いて、自分と同じだとローガンは思った。口は挟まず、相槌を打って続きを促す。

「それで、挨拶が終わってから控え室で隠れていたんです。そこで、パーティーが始まる前に本を頂いてたことを思い出して、読み始めたら夢中になってしまって……」
「なるほど」

 ハンカチを取り出す際に開けてそのままになっているクラッチバッグからは上等な装丁が施された小さな本が覗いている。

「それは何の本──」
「よくぞ聞いてくださいました! これはここ数年で近隣諸国の乙女のハートを鷲掴みにした恋愛小説シリーズの限定小冊子なのです! 発売するころ、色々ありまして王都を離れていて買い逃してしまったのですが、今日譲っていただいたのです! 数量限定の超希少本で、内容は本編の追加エピソードとも言うべき素晴らしいお話で!!」

 軽い気持ちで尋ねたら物凄い勢いで返されて、ローガンは面喰らった。その反応を見て、令嬢も我に返った。顔を真っ赤にして、乗り出していた身体をそっと離す。

「も、申し訳ありません。はしたないところを」
「いや、構わない。それくらい夢中になれるものがあるのは良いことだと思う」

 恐縮しまくる令嬢を、ローガンはフォローした。

 ブリムンド王国に来てから、こんな風に誰かと一対一で会話をしたことがあっただろうか。
 完全無欠な令嬢のフィーリアとは違い、どこか抜けている彼女が可愛らしく見えて、ローガンは自然と笑顔になっていた。

「明日のパーティーにも参加するのか?」
「はい、何故か招かれてます……」
「ではその時にハンカチを返そう。代わりのものを用意してくる」
「あ、いえっ、わざわざそんな」
「だが、このままでは俺の気が済まん」
「そんなの、逆に申し訳なくなりますので!」

 もっと話がしたくて切っ掛けを作ろうとするが、彼女は遠慮してなかなか承諾してくれない。
 取り入ろうとする下心が全く感じられないその態度に更に好感を抱き、ローガンは無理やり約束を取り付けた。

「では明日、控え室ここで」
「は、はい」

 ちょうど話が終わった頃を見計らうように、控え室の扉がノックされた。

「お待たせ致しました~、処置が早かったのでキレイに落ちましたよ~!」
「ああ、助かった」

 笑顔の給仕係から上着を受け取る。
 そのやり取りの間に、令嬢はぺこりと頭を下げて出て行ってしまった。





「……名前を聞くのを忘れていたな」

 残念そうに呟きながら上着を羽織る。
 その胸元にはアイデルベルド王国の紋章と徽章が輝いていた。
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