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等価交換

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 片方の手を繋いだまま、ヴィルヘルムは私をシーツの上に組み敷いた。薄暗闇の中で、自然と身体的な距離は縮まっていく。しかし、不思議なことに恐怖は感じなかった。

 それはきっと、彼の穏やかな性格を知った上で、ことに及んでいるからだろう。

「……レイチェル」

「っ、ん」

 引き寄せられるかのように、私たちは唇を重ねた。

 初めは唇の柔らかさを感じただけなのに、口付けは手繋ぎよりも一段深い‘‘触れ合い’’の始まりであった。ヴィルヘルムが、舌を口内にゆっくりと滑り込ませてきたのである。

「ん……っ、う」

 舌が絡まり合うたびに、鳥肌が立つのが分かる。どうするのが正解なのかが分からず、私は内心焦りを募らしていた。

(キスの時の呼吸の仕方も、舌の絡め方も、閨の授業では習ってないわよ……!)

 とりあえず私は、息を止めて彼に身を任せる形で、ファーストキスを乗り切ることにした。しかし、大きく息を吸っている訳でもないので、すぐに息苦しさがやってきたのだった。

 いきなり崖っぷちに立たされた……と思った矢先、ヴィルヘルムは唇の繋がりを絶ったのだった。

「……っ、はっ……はっ、はっ、けほっ」

 反射的に激しく息を吸うと、途中でむせてしまった。すると彼は、半ば呆れたように言った。

「そんなに無理をするな。……今、息を止めてただろ」

「っ、申し訳、ございません」

「初めからこの調子だと、身が持たんぞ?」

 ヴィルヘルムの言うとおりだ。夫婦の時間は始まったばかりなのに、我ながら酷い有様である。すでに私は、穴があったら入りたい気分であった。

(こ、ここから、巻き返さなきゃ……!)

 内心焦りつつ呼吸を整えていると、ヴィルヘルムは私の頬を撫でてきたのだった。

「レイチェル」

「っ……」

「慌てる必要はないし、初めから上手くだなんて目指さなくていい。分かったか?」

「っ、ありがとうございます」

 先程までの会話では自分が主導権を握っていたはずなのに、いつの間にか私は、ヴィルヘルムのペースに呑まれ始めていた。とはいえそれは不快ではなく、むしろ夜会でエスコートしてもらうような安心感を、私は抱き始めていた。

 私が頷いたところで、ヴィルヘルムは寝着のシャツのボタンを外し始めた。鍛えられた厚い胸板が顕になるにつれて、心臓の鼓動がうるさくなっていく。

 脱いだシャツをベッドの隅に放ってから、彼は私のナイトドレスに手をかけた。一抹の不安を感じつつも、私はそれを止めることはなかった。暗闇に近い状況ならば、きっと大丈夫と思えたのだ。

「……ところで、レイチェル」

「はい?」

 ナイトドレスとドロワーズを脱がせてから、ヴィルヘルムは‘‘私がもっとも恐れていた’’一言を口にしたのだった。

「夜灯石は器に三つ用意させてるはずなんだが……いつも夜になると、一つしかないんだ。残り二つ、どこにあるか知らないか?」

「!!」

 そう。初夜以降、彼が寝室に来る前に夜灯石を隠すのは、もはや日課となっていた。朝になったらこっそり器に戻していたのだが、どうやらバレてしまったらしい。

 無論、何も手につかなかった今夜も忘れることなく、私は夜灯石二つをサイドテーブルの引き出しに隠していた。

「さ、さあ……?」

 動揺を悟られないように顔を背けるものの、ヴィルヘルムはさらに続けた。

「枕の下か。……もしかして、ゴミ箱の中か?」

「……分かりません」

「ふむ。だったらベッドの下か……さては、サイドテーブルの引き出しの中か?」

 そこまで言われても、私は口を割らなかった。シーツにあずけた背中には、冷や汗がじっとりと滲んでいた。

「よし分かった、引き出しだな」

「な、何で分かったの!?」

 不運なことに、ヴィルヘルムは隠し場所を一回で当ててしまったのである。つい敬語を忘れてしまうほど、私はびっくり仰天してしまったのだった。

「何でだろうな、番の勘といったところか」
 
 ヴィルヘルムは引き出しから夜灯石を取り出し、器に戻した。すると室内は、互いの表情まではっきり見える明るさになったのである。

「これで、互いによく見えるな」

 再び私を組み敷いたヴィルヘルムの表情は、口角が上がっているからか、やけに楽しげに見えた。

「っ、こ、こんな身体……み、見ないでください……っ!」

 何も身に着けていない胸元を腕で隠しながら、私は嫌だ嫌だと身体を捩った。

 服を着た状態ならば、厚めの肌着を着れば貧相な胸も幾分かマシに見える。しかし、裸となればそうはいかない。私はもはや、焦りを通り越してパニックになっていた。

「それはなぜだ?」

「……っ、きっとヴィルヘルム様に、幻滅されてしまいますから……」

 そこまで言ったところで、私は強く目を瞑った。寄せ上げという‘‘魔法’’の解かれた胸を目の当たりにして絶句する彼を想像するだけで、すでに泣きそうである。

「……よし、分かった」

「っ、申し訳ございません」

「だったら、等価交換というのはどうだ?」

「……え?」

 今日は部屋を暗くしよう、と言われるかと思いきや、ヴィルヘルムは想定外の提案をしてきたのだった。

「私だって、全部脱いだらお前をがっかりさせる可能性も十分にある。だから、不安なのはお互い様じゃないのか?」

「そ、それは……」

 石像のごとく身を固くする私を、そのままヴィルヘルムは包み込むように抱きしめた。そして幼子をあやすように背中をポンポンとしてから、私に言い聞かせるように彼は続ける。

「とはいえ、お前になら全てを晒しても構わないとも、実は思ってるんだ。さらけ出す不安と自分を知ってほしいという欲を天秤に掛けてみると、後者を選びたいというのが私の気持ちだ」

「……っ」

「だが、お前が私という存在にさほど興味がないならば、無理して恥をかけというのは酷な話だ。レイチェル。お前はどうしたい?」

 興味がないどころか、彼については知りたいことばかりである。それは趣味嗜好を知りたいなどという内面的なことに限らず、‘‘身体的な’’ことも込みで、だ。

 当然ながら、男性の身体など人生で一度も目にしたことがない。医学書で男の裸体が描かれたページは見たことがあるものの、それは平面的で無機質なものであり、興奮を煽るようなものではなかった。ひょっとしたら、自分は性欲というものが弱いのかもしれない、とすら思った程である。

 それが、どうしたことか。ヴィルヘルムに与えられた抱擁の熱は、私のいやらしい欲求を呼び覚ますものであった。彼の匂いが鼻を掠め、声を聞くたびに、身体の奥が切なく疼くのが嫌でも分かる。

 夫の裸が見てみたいだなんて、口が裂けても言えない不埒な欲だ。しかし今、ヴィルヘルムは‘‘お互いを知るため’’という大義名分を用意してくれている。

「……っ、でしたら」

 ヴィルヘルムの腕の中で、私はおそるおそる胸を隠していた腕を解いたのだった。
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