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狼の怒り
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「今日のラフタシュでの大夜会は参加する予定になっているが、体調は問題ないか?」
「ええ。しっかり休ませていただきましたので、ご心配なく」
倒れてから十日後。私は無事公務に復帰することとなった。呪いの件については内密になっており、対外的には体調不良による静養と説明が成されていた。
ヴィルヘルムが言ったとおり呪いが解けたせいか、今まで感じていた身体の不調はすべて消えた。喀血を伴う咳もなくなり、身体もとても軽く感じられた。
そして本当は、倒れた三日後には公務に復帰するつもりでいた。しかし、念のため長く休むようにとヴィルヘルムに言われたことにより、休養期間が昨日までに延長されていたのである。
「そうか。大規模な夜会だから大変かもしれないが、無理はするな」
「お気遣い、ありがとうございます」
静養期間中、ヴィルヘルムは私のことを気にかけていてくれていたが、彼との関係は相変わらずであった。軽い雑談をして、同じベッドで眠るだけ。そこに肌の触れ合いが生まれることはなかった。
話す内容も、その日起きたことなど当たり障りのない内容ばかり。そこから話を広げてみようとしても、すべて失敗に終わった。それは彼と子作りを始めるまで、時間がかかることの裏返しのようにも思えた。
しかし私は、ヴィルヘルムと会話を続けることを諦めてはいなかった。呪いが解けたことについて聞きたいから……というのもあったが、倒れた日を境に、彼に対する興味が一段と湧き上がっていたのだ。
(一歩ずつ、毎日の積み重ねが大事と言うものね)
「? どうした」
「いいえ、何でもありませんわ」
目の前にいるのは、やはり感情の起伏が少ない‘‘鉄仮面’’。しかし、私は臆することなく笑いかけたのだった。
+
「わぁ……」
大夜会の会場となるラフタシュ王室の宮殿の広間を見渡して、私は感嘆の声を上げた。‘‘大’’夜会と言われるだけあり、広間には大勢の招待客が歓談していたのだった。
ラフタシュはリュドミラと並ぶ大国であり、今回の夜会はラフタシュとその周辺国の懇親が目的とされていた。同盟の有無に関わらず様々な国から王族や有力貴族が招かれているため、幸運にもお茶会の時のような、私にとっての‘‘敵ばかり’’の状況ではなかった。
「こういった場に参加するのは、もしかして初めてか?」
「はい……恥ずかしながら。でも、とっても楽しみですわ」
デビュタントを飾るより前に隠居していたため、こういった社交の場に参加するのは初めてである。しかし不安よりも、私はワクワク感のほうが勝っていたのだった。好奇心旺盛な性格は、こういう時に役立つものである。
「そうか、なら良かった」
「ふふっ」
私たちが会の主催者であるラフタシュの国王夫妻に挨拶したあと、慌てた様子でヴィルヘルムの執事が一人駆け寄ってきたのだった。
「陛下、お忙しいところ失礼します」
「ああ、どうした?」
「実は……」
執事は何かをヴィルヘルムに耳打ちした。私には聞き取れなかったが、何か急を要することが起きたらしい。
「ああ、分かった。すぐ行く。レイチェル。済まないが少しの間だけ、エマと一緒に待っててくれないか? すぐ戻る」
「は、はい。承知しました」
私が頷くや否や、ヴィルヘルムは執事と共に早足でどこかに歩いて行った。大国の国王ともなると、こういうことも儘あることなのかもしれない。
(こう言ったらなんだけど……少しだけ、寂しいわね)
「レイチェル様?」
「え、あっ、ごめんなさい。ぼーっとしてて」
「いえ、私がお傍におりますので、どうかご安心くださいませ」
そう言って、傍に控えていたエマは笑いかけてくれたのだった。
「ありがとう。とっても頼もしいわ」
「もったいないお言葉、ありがとうございます」
私はエマと共に、広間の壁際へと移動した。こういった社交の場でエスコート役の男性が席を外した場合、壁際やバルコニーで待っているのがマナーなのである。
するとすぐに、一人の女性が私に声を掛けてきたのだった。
「あら、お久しぶりね。レイチェル妃殿下」
「貴女は、松の実の……!!」
話しかけてきたのは、お茶会で松の実を出してきた王太子妃だった。反射的に私がそう口にすると、彼女は苦笑いを浮かべた。
「その言い方は、さすがにお止めなさいな」
「失礼しました、妃殿下」
「本当に、良くも悪くも素直ですこと。まあ……」
どんな嫌味が飛び出すかと身構えていると、王太子妃は意外な言葉を口にした。
「素直なのが、貴女の長所なんでしょうけど」
「え……?」
遠回しな貶し文句か、と内心首を傾げていると、彼女は先回りするように言葉を続けた。
「言葉そのままの意味よ。回りくどい嫌味じゃないから安心なさい」
「は、はい」
「私ね、子供の頃から与えられた身分に相応しい振る舞いをするように、と厳しく躾られてきたの」
そう言った彼女は、どこか遠い目をしていた。
「たしかに、高貴な身分ならば堂々とするべきだし、身だしなみもマナーも完璧にしないといけない。でもね、両親の言葉をいつからか拡大解釈して、子供じみた弱い者いじめをしていることにやっと気づいたのよ……貴女を見て。それに松の実が悪くない味なのも、初めて知ったわ」
「もしかして、妃殿下も松の実を召し上がったのですか!?」
「ひ、一粒だけよ! っ、とにかく」
こほん、と咳払いをしてから、王太子妃は言った。
「意地悪をして、ごめんなさいね。私が悪かったわ。今度お茶会する時は、一緒にケーキを食べましょうね?」
「!!」
それは、私が王太子妃に存在を認められた瞬間だった。彼女に対して不思議と怒りはなく、私は嬉しさのあまり頬が緩むのを感じた。
「はい、喜んで」
「松の実の食べ過ぎだけには注意なさいね。じゃあ、ごきげんよう」
そこまで言って、王太子妃は去って行ったのだった。
(そのうち彼女ともお友達に、なれるかしら?)
そんなことを考えていると、王太子妃の姿が見えなくなったタイミングで、私は三人のご令嬢に声をかけられたのだった。
「何、にやにやしちゃって。妃殿下に話しかけられたからって、調子に乗ってるんじゃないわよ」
「あら、貴女たちは……」
彼女たちの顔にも、私は見覚えがあった。なぜなら三人共、あのお茶会に参加していたからである。
「失礼しました。気が緩んでいたみたいで、恥ずかしいばかりですわ」
「本当にね。洗練された立ち振る舞いも身についていないのに、結婚はできるのね」
「今後、努力していきたいと考えております」
「随分とのんびりした性格でいらっしゃるのね。それに結婚してすぐに公務をしばらく休むだなんて、図々しいですこと」
王太子妃とは真逆で、令嬢たちの言葉は悪意の塊であった。呪いにより短命ならば適当に聞き流していれば良いが、今の私にその逃げ道はない。彼女らがリュドミラの友好国の王族である以上、ある程度仲良くしていかなければなるまい。
ならば、仲良くするための糸口を探さねば。そう思って、私は彼女らの嫌味に全て答えていくことにしたのである。
「たしかに、マイペースだとは家族にもよく言われていましたわ」
「な、なに? 生意気に口答えしてるんじゃないわよ!」
しかし、嫌味が効いていないというような振る舞いは、かえって令嬢たちを苛立たせてしまったようだった。
「そうよ。所詮、第二王妃の娘のクセに」
「っ、レイチェル様」
「貴女は黙ってて。王族ではなく使用人でしょう? 自分の立場を考えてから口を開くことね」
「……大変、失礼いたしました」
ヒートアップしていく三人を見かねて、エマが止めに入ろうとしたものの、それより先に、令嬢が彼女を黙らせてしまった。
こうなると、自分だけでなくエマの立場が危うい。私は口を閉ざし、今回は大人しく袋叩きになることに変更した。
……が、しかし。
バシャッ。
「っ、黙ってないで、何か言いなさいよ!!」
黙りこくった態度も癪に触ったようで、一人の令嬢がグラスに入ったシャンパンを私に浴びせかけたのだった。
「……そういうことか」
「え……?」
令嬢たちは、三人一斉に振り向いた。そこには、なんとヴィルヘルムが立っていたのである。
そして彼は、眉間に皺を寄せて令嬢たちを睨みつけていた。それはまるで、獲物を狙う猛獣のように鋭い目つきであった。
(め、めちゃくちゃ怒ってる……!!)
「悪いが、今後妻に対して意見があるならば、私に言ってもらおうか。だがしかし、妻への暴言は私に対しての暴言と同義と見なすことを覚えておけ」
「っ、ひっ……陛下、これは、その……」
「後ほど、文面でも通達させてもらう。では失礼」
「陛下!」
しどろもどろになる令嬢たちを振り切って、ヴィルヘルムは私を連れて、広間の出口に向けて歩き出したのだった。
「ヴィルヘルム様、その……夜会は?」
「今日はもう帰る。……とても気分が悪い」
「で、でも……」
「いいから」
シャンパンを浴びせられた私の髪をハンカチで拭きながら、ヴィルヘルムは淡々と言った。そして私は、それ以上何も言えなかったのである。
「ええ。しっかり休ませていただきましたので、ご心配なく」
倒れてから十日後。私は無事公務に復帰することとなった。呪いの件については内密になっており、対外的には体調不良による静養と説明が成されていた。
ヴィルヘルムが言ったとおり呪いが解けたせいか、今まで感じていた身体の不調はすべて消えた。喀血を伴う咳もなくなり、身体もとても軽く感じられた。
そして本当は、倒れた三日後には公務に復帰するつもりでいた。しかし、念のため長く休むようにとヴィルヘルムに言われたことにより、休養期間が昨日までに延長されていたのである。
「そうか。大規模な夜会だから大変かもしれないが、無理はするな」
「お気遣い、ありがとうございます」
静養期間中、ヴィルヘルムは私のことを気にかけていてくれていたが、彼との関係は相変わらずであった。軽い雑談をして、同じベッドで眠るだけ。そこに肌の触れ合いが生まれることはなかった。
話す内容も、その日起きたことなど当たり障りのない内容ばかり。そこから話を広げてみようとしても、すべて失敗に終わった。それは彼と子作りを始めるまで、時間がかかることの裏返しのようにも思えた。
しかし私は、ヴィルヘルムと会話を続けることを諦めてはいなかった。呪いが解けたことについて聞きたいから……というのもあったが、倒れた日を境に、彼に対する興味が一段と湧き上がっていたのだ。
(一歩ずつ、毎日の積み重ねが大事と言うものね)
「? どうした」
「いいえ、何でもありませんわ」
目の前にいるのは、やはり感情の起伏が少ない‘‘鉄仮面’’。しかし、私は臆することなく笑いかけたのだった。
+
「わぁ……」
大夜会の会場となるラフタシュ王室の宮殿の広間を見渡して、私は感嘆の声を上げた。‘‘大’’夜会と言われるだけあり、広間には大勢の招待客が歓談していたのだった。
ラフタシュはリュドミラと並ぶ大国であり、今回の夜会はラフタシュとその周辺国の懇親が目的とされていた。同盟の有無に関わらず様々な国から王族や有力貴族が招かれているため、幸運にもお茶会の時のような、私にとっての‘‘敵ばかり’’の状況ではなかった。
「こういった場に参加するのは、もしかして初めてか?」
「はい……恥ずかしながら。でも、とっても楽しみですわ」
デビュタントを飾るより前に隠居していたため、こういった社交の場に参加するのは初めてである。しかし不安よりも、私はワクワク感のほうが勝っていたのだった。好奇心旺盛な性格は、こういう時に役立つものである。
「そうか、なら良かった」
「ふふっ」
私たちが会の主催者であるラフタシュの国王夫妻に挨拶したあと、慌てた様子でヴィルヘルムの執事が一人駆け寄ってきたのだった。
「陛下、お忙しいところ失礼します」
「ああ、どうした?」
「実は……」
執事は何かをヴィルヘルムに耳打ちした。私には聞き取れなかったが、何か急を要することが起きたらしい。
「ああ、分かった。すぐ行く。レイチェル。済まないが少しの間だけ、エマと一緒に待っててくれないか? すぐ戻る」
「は、はい。承知しました」
私が頷くや否や、ヴィルヘルムは執事と共に早足でどこかに歩いて行った。大国の国王ともなると、こういうことも儘あることなのかもしれない。
(こう言ったらなんだけど……少しだけ、寂しいわね)
「レイチェル様?」
「え、あっ、ごめんなさい。ぼーっとしてて」
「いえ、私がお傍におりますので、どうかご安心くださいませ」
そう言って、傍に控えていたエマは笑いかけてくれたのだった。
「ありがとう。とっても頼もしいわ」
「もったいないお言葉、ありがとうございます」
私はエマと共に、広間の壁際へと移動した。こういった社交の場でエスコート役の男性が席を外した場合、壁際やバルコニーで待っているのがマナーなのである。
するとすぐに、一人の女性が私に声を掛けてきたのだった。
「あら、お久しぶりね。レイチェル妃殿下」
「貴女は、松の実の……!!」
話しかけてきたのは、お茶会で松の実を出してきた王太子妃だった。反射的に私がそう口にすると、彼女は苦笑いを浮かべた。
「その言い方は、さすがにお止めなさいな」
「失礼しました、妃殿下」
「本当に、良くも悪くも素直ですこと。まあ……」
どんな嫌味が飛び出すかと身構えていると、王太子妃は意外な言葉を口にした。
「素直なのが、貴女の長所なんでしょうけど」
「え……?」
遠回しな貶し文句か、と内心首を傾げていると、彼女は先回りするように言葉を続けた。
「言葉そのままの意味よ。回りくどい嫌味じゃないから安心なさい」
「は、はい」
「私ね、子供の頃から与えられた身分に相応しい振る舞いをするように、と厳しく躾られてきたの」
そう言った彼女は、どこか遠い目をしていた。
「たしかに、高貴な身分ならば堂々とするべきだし、身だしなみもマナーも完璧にしないといけない。でもね、両親の言葉をいつからか拡大解釈して、子供じみた弱い者いじめをしていることにやっと気づいたのよ……貴女を見て。それに松の実が悪くない味なのも、初めて知ったわ」
「もしかして、妃殿下も松の実を召し上がったのですか!?」
「ひ、一粒だけよ! っ、とにかく」
こほん、と咳払いをしてから、王太子妃は言った。
「意地悪をして、ごめんなさいね。私が悪かったわ。今度お茶会する時は、一緒にケーキを食べましょうね?」
「!!」
それは、私が王太子妃に存在を認められた瞬間だった。彼女に対して不思議と怒りはなく、私は嬉しさのあまり頬が緩むのを感じた。
「はい、喜んで」
「松の実の食べ過ぎだけには注意なさいね。じゃあ、ごきげんよう」
そこまで言って、王太子妃は去って行ったのだった。
(そのうち彼女ともお友達に、なれるかしら?)
そんなことを考えていると、王太子妃の姿が見えなくなったタイミングで、私は三人のご令嬢に声をかけられたのだった。
「何、にやにやしちゃって。妃殿下に話しかけられたからって、調子に乗ってるんじゃないわよ」
「あら、貴女たちは……」
彼女たちの顔にも、私は見覚えがあった。なぜなら三人共、あのお茶会に参加していたからである。
「失礼しました。気が緩んでいたみたいで、恥ずかしいばかりですわ」
「本当にね。洗練された立ち振る舞いも身についていないのに、結婚はできるのね」
「今後、努力していきたいと考えております」
「随分とのんびりした性格でいらっしゃるのね。それに結婚してすぐに公務をしばらく休むだなんて、図々しいですこと」
王太子妃とは真逆で、令嬢たちの言葉は悪意の塊であった。呪いにより短命ならば適当に聞き流していれば良いが、今の私にその逃げ道はない。彼女らがリュドミラの友好国の王族である以上、ある程度仲良くしていかなければなるまい。
ならば、仲良くするための糸口を探さねば。そう思って、私は彼女らの嫌味に全て答えていくことにしたのである。
「たしかに、マイペースだとは家族にもよく言われていましたわ」
「な、なに? 生意気に口答えしてるんじゃないわよ!」
しかし、嫌味が効いていないというような振る舞いは、かえって令嬢たちを苛立たせてしまったようだった。
「そうよ。所詮、第二王妃の娘のクセに」
「っ、レイチェル様」
「貴女は黙ってて。王族ではなく使用人でしょう? 自分の立場を考えてから口を開くことね」
「……大変、失礼いたしました」
ヒートアップしていく三人を見かねて、エマが止めに入ろうとしたものの、それより先に、令嬢が彼女を黙らせてしまった。
こうなると、自分だけでなくエマの立場が危うい。私は口を閉ざし、今回は大人しく袋叩きになることに変更した。
……が、しかし。
バシャッ。
「っ、黙ってないで、何か言いなさいよ!!」
黙りこくった態度も癪に触ったようで、一人の令嬢がグラスに入ったシャンパンを私に浴びせかけたのだった。
「……そういうことか」
「え……?」
令嬢たちは、三人一斉に振り向いた。そこには、なんとヴィルヘルムが立っていたのである。
そして彼は、眉間に皺を寄せて令嬢たちを睨みつけていた。それはまるで、獲物を狙う猛獣のように鋭い目つきであった。
(め、めちゃくちゃ怒ってる……!!)
「悪いが、今後妻に対して意見があるならば、私に言ってもらおうか。だがしかし、妻への暴言は私に対しての暴言と同義と見なすことを覚えておけ」
「っ、ひっ……陛下、これは、その……」
「後ほど、文面でも通達させてもらう。では失礼」
「陛下!」
しどろもどろになる令嬢たちを振り切って、ヴィルヘルムは私を連れて、広間の出口に向けて歩き出したのだった。
「ヴィルヘルム様、その……夜会は?」
「今日はもう帰る。……とても気分が悪い」
「で、でも……」
「いいから」
シャンパンを浴びせられた私の髪をハンカチで拭きながら、ヴィルヘルムは淡々と言った。そして私は、それ以上何も言えなかったのである。
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