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黒狼との対面

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 式の当日。私はウエディングドレスを着たあと、エマとメルロに仕上げのヘアメイクをしてもらっていた。

「メルロ様が仰るとおり、御髪がお綺麗ですので、編み込みがとってもお似合いですわ、レイチェル様」 

 エマは編み込みを作りながら、そう言った。

「ふふ、ありがとう。嬉しいわ」

 普段、私は胸下までの長さの髪をただ下ろしているだけで、凝った髪型にはしない。しかし今回はメルロの提案により、編み込みのハーフアップの髪型になったのだ。ドレスに合わせて、パールのヘッドドレスも付ける予定だ。これだけ着飾るのは人生で初めてのことなので、何だかくすぐったい気分である。

「それでは、メイクのほう始めさせていただきますね」

 スキンケアを終えたあと、メルロは私の顔に化粧下地を塗り始めた。その手つきは、とても手慣れたものである。

「お肌がお綺麗なので、厚塗りは必要ありませんわね」

 メルロはそう言いながら、ファンデーションを薄く顔に伸ばし始めた。

 しかしその手は、ほんの少しだけ震えていた。彼女なりに、責任を感じて緊張しているのだろう。

「メルロ」

「は、はい……?」

「いつもどおりで、大丈夫だから」

 そう言って、私はメルロに笑いかけた。

 確かに、女性は花嫁衣裳を着た姿が人生で一番美しい……という言葉もある。そして私が今から会いに行くのは、大国の王である。けれども、だからといってメルロに変なプレッシャーを与えたくなかったのだ。

「……っ、ありがとうございます」

 今にも泣きそうな顔で、彼女は頷いたのだった。

 その後メルロは、順調に化粧を仕上げていった。チークもリップも、彼女が選んだものはどれも自分にぴったりな色ばかりであった。

 そして、ちょうどヘアセットが終わったタイミングで、メイクも完成したのである。

「お待たせしました、レイチェル様」

「二人とも、ありがとう」

 席を立ってから、私はあらためてメルロに向き直った。彼女も結婚式に参列することが許されているため、このあとは私の家族と合流する予定だ。

 つまり、彼女とはここでお別れなのである。

「素敵に仕上げてくれて、ありがとう、メルロ」

「……っ、申し訳ございません、本当は、もっと上手に、させていただきたかったのですが……これで最後と思ったら、手が震えてしまって……」

 メルロはとうとう、涙を流し始めてしまった。慌ててエマがハンカチを差し出したものの、彼女の嗚咽は止まらなかった。

「何言ってんの、今日だって完璧じゃない。貴女に任せて本当に良かったわ」

「うう……っ、げほっ」

「貴女の花嫁姿が見れないのは残念だけど、貴女も幸せになってよ」

 メルロの薬指には、婚約指輪が光っている。彼女はだいぶ前から婚約者がおり、結婚間近なのである。

「じゃあ、元気でね」

「っ、レイチェル様も、どうか、お達者で……」

 名残惜しく感じながらも、私はメルロと別れ、エマと共に部屋を出たのだった。

「……ところで、エマ」

「? 如何なさいましたか?」

「私ね、何事にも嘘偽りなく、正直であるべきだと思うのよ」

 やや苦しさを感じる胸元をちらりと見ながら、私は言った。

「あら、レイチェル様の魅力を引き出しただけで、嘘も偽りもございませんわ」

「引き出したと言うよりも、って言った方が正しいんじゃなくて?」

「ふふふふ、時には‘‘魅せ方’’も大事ですので」

 今宵迎える初夜に一抹の不安を抱きながら、私は宮殿の長い廊下を進んだ。

+

 やがて私たちは、宮殿の応接室へとたどり着いた。そこでようやく、ヴィルヘルムと対面するのだった。

「ヴィルヘルム国王陛下もお着替えがお済みで、既に中でお待ちとのことでした。こちらのお部屋で、お時間になるまでお待ちいただきますようお願いします」

「分かったわ」

 つまりは、式場に向かう時間になるまでは、自己紹介したあとヴィルヘルムと歓談しなければならないのだ。事前に話す話題は考えてきたものの、何せ彼とは初対面。不安がないと言えば、嘘になる。

「レイチェル様、準備はよろしいですか?」

「ええ、もちろんよ」

 不安を振り切るように、私はエマに笑いかけた。

「失礼します。レイチェル様をお連れしました」

 ノックしたあと、エマは部屋の扉を開いた。

「お待たせ致しました、陛下」

 部屋のソファに座っていたのは、黒髪の背が高い男であった。そして彼は、私を見るや否や、すぐさま立ち上がったのだった。

「初めまして、レイチェル王女」

「は、初めまして。私、テルクスタの国王が末妹、レイチェルと申します」

 きちんとカーテシーで挨拶したものの、それがヴィルヘルムの目にどう映ったかは分からない。それほどに、彼の顔には何の感情も読み取れなかったのだ。

 とはいえ。私のあとに続くように、ヴィルヘルムは挨拶を返してくれたのだった。

「こちらこそ。リュドミラの現国王、ヴィルヘルムと申します」

 ヴィルヘルムは落ち着いた口調で、そう言った。彼が軽く会釈した時、胸元に付けられたいくつもの金属製の略綬が、ぶつかり合ってしゃらりと音を立てたのだった。

 聞いた話によると、リュドミラでは、国王は王立騎士団の元帥も兼任するのが通例である。政治の面でも武力の面においても、ヴィルヘルムはこの国の頂点に君臨しているのだ。それもあってか、彼はタキシードではなく騎士服を着用していた。ボタンや金具は金色だが、布の色はもちろん黒である。

「どうぞ、お座りください」

「それでは、失礼します」

 ヴィルヘルムに促され、私は彼の正面のソファに座った。

「紅茶も、どうぞ遠慮なく」

「お気遣いありがとうございます」

 話す話題を考える時間稼ぎのために、私は一旦紅茶を飲むことにした。そしてティーカップを傾けるふりをして、こっそりヴィルヘルムの顔を盗み見た。

 彼は前髪を撫で付けた髪型なので、髪により額や眉間が隠されることはない。しかしそれが一層、彼の威圧感を増しているような気がした。皺一つ刻まれていないこともあり、人間味を感じないのだ。狼と呼ばれるような獰猛さはなくとも、彼を見て怖いと思う人がいるのも頷ける。

 とはいえ、そんな強面な彼を目の前にしても、私はやけに落ち着いていた。父上も兄上も、実はあまり愛想が良い顔つきではないのだ。本人たちもそれを自覚しているので、言葉遣いがきつくならないようかなり気を使っている。子供の頃は、兄上の眉間のシワをつついて、よく遊んでいたものだ。

「紅茶はお口に会いましたか?」

「はい、とっても美味しいですわ」

「そうか。なら良かった」

(もしかして、透明な鉄仮面を数枚被ってらっしゃる?)

 紅茶を啜りながらそんなことを考える余裕があるのは、父上と兄上のお陰だろう。

 内心二人に感謝していると、部屋の扉がノックされたのだった。
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