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身代わりの花嫁
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次の日。私は朝食を終えて身支度をしたあと、宮殿の食堂へと向かった。
色々思考を巡らせてみたものの、結局それといった心当たりは無かった。しかし、私まで呼び出されるというのは、よほど重大なことなのだろう。
とはいえ、悶々と考え続けるのが苦手な性格なので、こんなアホらしいことも頭の片隅で考えていたのだった。
(……もしかして、夜会でナマコのお土産をいただいた……とか? 生なら日持ちがしないから、今日の昼食に食べようってなってるのかしら)
はっきり言って、ナマコをもらったからみんなで食べようと誘われたならば、断っていた可能性も無きにしも非ず……だ。とはいえ、可愛い姪っ子をがっかりさせる訳にもいかないので、覚悟を決めねばなるまい。
口に入れる時は、ナマコの姿を想像しないようにしよう。そう思いながら、私は食堂の扉を開いた。
「失礼します。お待たせしました」
私以外は皆そろっており、既に着席していた。その席順を見て、私は事の重大さをようやく理解したのだった。
昨日のお茶会など気軽な集まりであれば、長テーブルに向かい合うように全員座り、最奥のホスト席には誰も座らない。しかし今日は、ホスト席に兄上が座っていたのである。
異様なまでの緊張感が漂う空間を前に立ち尽くしてると、兄上が私に声をかけたのだった。
「朝から来てもらってすまないな、レイチェル。とりあえず座ってくれ」
そう言った兄は、娘のワガママに振り回される子煩悩な父親ではなく、大国を統べる国王の顔となっていた。
「は、はい……」
私が席に着いて紅茶が用意されたところで、兄上は話し出したのだった。
「お集まりいただき、ありがとう。それでは本題に入らせてもらう」
兄上はテーブルの上に、一つの真っ黒な封筒を置いた。
「これは昨日の夕方頃、リュドミラのヴィルヘルム国王から届いた手紙だ」
リュドミラ。その国名を聞いて、私は無意識に背筋が伸びるのを感じた。
我が国テルクスタとリュドミラは、共に海上貿易により発展してきた国である。そして、長年敵対してきた者同士でもあった。今でこそ目に見えた争いは行われないものの、歴史を遡れば、海上貿易の覇権を争っていた時代もあるのだ。
特別な理由がない限り、封筒は白色というのがテルクスタの作法である。それもあり、机上に置かれた真っ黒な封筒は、酷く気味悪いものに見えたのだった。
「リュドミラでは王妃を選ぶ際、占いが用いられるらしい。その結果、当家の名が挙がったようだ」
「え……?」
「結論から言うと……ヴィルヘルム国王陛下は、テルクスタ王室の者との結婚をお望みだ。そしてこれにより、長年の敵対関係を解決に導きたいとお考えのようだ」
兄上の一言で、みなが一斉に息を呑む音が聞こえた。
ちらりと視線を移すと、姉上の顔色はとても悪くなっていた。その身体は、遠目で見ても分かる程に震えている。
それもそのはず。彼女は既に、とある同盟国の王太子と恋仲にあるのだ。
テルクスタ王室では、三年ルールというものが存在する。成人を迎えて三年を過ぎれば、政略に寄らない恋愛結婚が許されるのだ。平和な世であるため、兄と義姉はそれにより夫婦となった。当然、姉上も同様になるだろうと家族全員が考えていた。
奇しくも、姉上は成人してから三回目の誕生日を一ヶ月後に控えていた。つまりは、現段階では政略結婚を優先せねばならないのだ。
姉と王太子は、子どもの頃からずっと仲の良い幼なじみである。そして密かに手紙を送り合いながら、愛を育んでいたことも私は知っていた。
そして不運なことに、兄上は優秀だが恋愛については恐ろしく疎い人である。察するに、姉上の事情もまったく知らないのだろう。
しかし、話は意外な方向に転がっていったのだった。
「とはいえ、占いによりリュドミラ側が指名できるのは家のみで、誰を嫁に出すかは私に一任するとのことだった」
つまりは、テルクスタ王室の血を引く者であれば、姉上以外でも良いという意味である。
とはいえ、特別な理由が無い限りはきょうだいの中で年長者から結婚していくのが通例だ。それに、「王族は国民のために役目を果たさねばならない」というのがテルクスタ王室の家訓である。となると、兄上は姉上を指名するのは明白だ。
だが私は、姉上には自らの幸せを選んでほしいと思い始めていた。しかし、敵国との和解という目に見えたメリットを前にして、縁談自体を断るのは難しいことだ。
ならば、誰かが姉上の身代わりにならねばなるまい。
姉上以外で、嫁に出せる存在。そんなの、一人しか思い浮かばなかった。
「……お兄様。そのお役目、私にお任せしてはいただけませんか?」
「レイチェル!?」
その一言で、みんなの視線が一斉に自分に集まる。しかし、私は臆することなく続けた。
「私にもテルクスタの血は流れておりますので、相手方の提示した条件にもきっちり当てはまるでしょう? こんな私でも歓迎されて結婚できる、良い機会ではないですか」
「……本当に良いのか? レイチェル」
「ダメよ、レイチェル! そんなの……ルフィナに……貴女の母上に申し訳が立たないわ!」
そう言ったのは、義母上だった。彼女からすれば、実の子を嫁に出さなくて済む絶好の機会だ。けれども優しい義母は、私の心配をしてくれていたのである。
「今の情勢で、私を嫁にもらってくださる方はいらっしゃらないわ。でも今回の場合は、相手方と私で利害が一致してる。……そうでしょう?」
「……っ、それは」
「それにね。私……人生で一度は着てみたかったのよ、花嫁衣裳」
言い募る義母上の言葉を遮るように、私は笑顔で言った。
「分かった。だったら一旦それで、話を通してみよう」
この場のトップである兄上がそう言ってしまえば、みな黙る他ない。義母上も何か言いたげだった姉上も、口を閉ざしたのだった。
「ありがとうございます、セルゲイ兄様」
こうして、私は思いもよらぬ形で宮殿を出ることになったのである。
色々思考を巡らせてみたものの、結局それといった心当たりは無かった。しかし、私まで呼び出されるというのは、よほど重大なことなのだろう。
とはいえ、悶々と考え続けるのが苦手な性格なので、こんなアホらしいことも頭の片隅で考えていたのだった。
(……もしかして、夜会でナマコのお土産をいただいた……とか? 生なら日持ちがしないから、今日の昼食に食べようってなってるのかしら)
はっきり言って、ナマコをもらったからみんなで食べようと誘われたならば、断っていた可能性も無きにしも非ず……だ。とはいえ、可愛い姪っ子をがっかりさせる訳にもいかないので、覚悟を決めねばなるまい。
口に入れる時は、ナマコの姿を想像しないようにしよう。そう思いながら、私は食堂の扉を開いた。
「失礼します。お待たせしました」
私以外は皆そろっており、既に着席していた。その席順を見て、私は事の重大さをようやく理解したのだった。
昨日のお茶会など気軽な集まりであれば、長テーブルに向かい合うように全員座り、最奥のホスト席には誰も座らない。しかし今日は、ホスト席に兄上が座っていたのである。
異様なまでの緊張感が漂う空間を前に立ち尽くしてると、兄上が私に声をかけたのだった。
「朝から来てもらってすまないな、レイチェル。とりあえず座ってくれ」
そう言った兄は、娘のワガママに振り回される子煩悩な父親ではなく、大国を統べる国王の顔となっていた。
「は、はい……」
私が席に着いて紅茶が用意されたところで、兄上は話し出したのだった。
「お集まりいただき、ありがとう。それでは本題に入らせてもらう」
兄上はテーブルの上に、一つの真っ黒な封筒を置いた。
「これは昨日の夕方頃、リュドミラのヴィルヘルム国王から届いた手紙だ」
リュドミラ。その国名を聞いて、私は無意識に背筋が伸びるのを感じた。
我が国テルクスタとリュドミラは、共に海上貿易により発展してきた国である。そして、長年敵対してきた者同士でもあった。今でこそ目に見えた争いは行われないものの、歴史を遡れば、海上貿易の覇権を争っていた時代もあるのだ。
特別な理由がない限り、封筒は白色というのがテルクスタの作法である。それもあり、机上に置かれた真っ黒な封筒は、酷く気味悪いものに見えたのだった。
「リュドミラでは王妃を選ぶ際、占いが用いられるらしい。その結果、当家の名が挙がったようだ」
「え……?」
「結論から言うと……ヴィルヘルム国王陛下は、テルクスタ王室の者との結婚をお望みだ。そしてこれにより、長年の敵対関係を解決に導きたいとお考えのようだ」
兄上の一言で、みなが一斉に息を呑む音が聞こえた。
ちらりと視線を移すと、姉上の顔色はとても悪くなっていた。その身体は、遠目で見ても分かる程に震えている。
それもそのはず。彼女は既に、とある同盟国の王太子と恋仲にあるのだ。
テルクスタ王室では、三年ルールというものが存在する。成人を迎えて三年を過ぎれば、政略に寄らない恋愛結婚が許されるのだ。平和な世であるため、兄と義姉はそれにより夫婦となった。当然、姉上も同様になるだろうと家族全員が考えていた。
奇しくも、姉上は成人してから三回目の誕生日を一ヶ月後に控えていた。つまりは、現段階では政略結婚を優先せねばならないのだ。
姉と王太子は、子どもの頃からずっと仲の良い幼なじみである。そして密かに手紙を送り合いながら、愛を育んでいたことも私は知っていた。
そして不運なことに、兄上は優秀だが恋愛については恐ろしく疎い人である。察するに、姉上の事情もまったく知らないのだろう。
しかし、話は意外な方向に転がっていったのだった。
「とはいえ、占いによりリュドミラ側が指名できるのは家のみで、誰を嫁に出すかは私に一任するとのことだった」
つまりは、テルクスタ王室の血を引く者であれば、姉上以外でも良いという意味である。
とはいえ、特別な理由が無い限りはきょうだいの中で年長者から結婚していくのが通例だ。それに、「王族は国民のために役目を果たさねばならない」というのがテルクスタ王室の家訓である。となると、兄上は姉上を指名するのは明白だ。
だが私は、姉上には自らの幸せを選んでほしいと思い始めていた。しかし、敵国との和解という目に見えたメリットを前にして、縁談自体を断るのは難しいことだ。
ならば、誰かが姉上の身代わりにならねばなるまい。
姉上以外で、嫁に出せる存在。そんなの、一人しか思い浮かばなかった。
「……お兄様。そのお役目、私にお任せしてはいただけませんか?」
「レイチェル!?」
その一言で、みんなの視線が一斉に自分に集まる。しかし、私は臆することなく続けた。
「私にもテルクスタの血は流れておりますので、相手方の提示した条件にもきっちり当てはまるでしょう? こんな私でも歓迎されて結婚できる、良い機会ではないですか」
「……本当に良いのか? レイチェル」
「ダメよ、レイチェル! そんなの……ルフィナに……貴女の母上に申し訳が立たないわ!」
そう言ったのは、義母上だった。彼女からすれば、実の子を嫁に出さなくて済む絶好の機会だ。けれども優しい義母は、私の心配をしてくれていたのである。
「今の情勢で、私を嫁にもらってくださる方はいらっしゃらないわ。でも今回の場合は、相手方と私で利害が一致してる。……そうでしょう?」
「……っ、それは」
「それにね。私……人生で一度は着てみたかったのよ、花嫁衣裳」
言い募る義母上の言葉を遮るように、私は笑顔で言った。
「分かった。だったら一旦それで、話を通してみよう」
この場のトップである兄上がそう言ってしまえば、みな黙る他ない。義母上も何か言いたげだった姉上も、口を閉ざしたのだった。
「ありがとうございます、セルゲイ兄様」
こうして、私は思いもよらぬ形で宮殿を出ることになったのである。
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