上 下
3 / 52

身代わりの花嫁

しおりを挟む
 次の日。私は朝食を終えて身支度をしたあと、宮殿の食堂へと向かった。

 色々思考を巡らせてみたものの、結局それといった心当たりは無かった。しかし、私まで呼び出されるというのは、よほど重大なことなのだろう。

 とはいえ、悶々と考え続けるのが苦手な性格なので、こんなアホらしいことも頭の片隅で考えていたのだった。

(……もしかして、夜会でナマコのお土産をいただいた……とか? 生なら日持ちがしないから、今日の昼食に食べようってなってるのかしら)

 はっきり言って、ナマコをもらったからみんなで食べようと誘われたならば、断っていた可能性も無きにしも非ず……だ。とはいえ、可愛い姪っ子をがっかりさせる訳にもいかないので、覚悟を決めねばなるまい。

 口に入れる時は、ナマコの姿を想像しないようにしよう。そう思いながら、私は食堂の扉を開いた。

「失礼します。お待たせしました」

 私以外は皆そろっており、既に着席していた。その席順を見て、私は事の重大さをようやく理解したのだった。

 昨日のお茶会など気軽な集まりであれば、長テーブルに向かい合うように全員座り、最奥のホスト席には誰も座らない。しかし今日は、ホスト席に兄上が座っていたのである。

 異様なまでの緊張感が漂う空間を前に立ち尽くしてると、兄上が私に声をかけたのだった。

「朝から来てもらってすまないな、レイチェル。とりあえず座ってくれ」

 そう言った兄は、娘のワガママに振り回される子煩悩な父親ではなく、大国を統べる国王の顔となっていた。

「は、はい……」

 私が席に着いて紅茶が用意されたところで、兄上は話し出したのだった。

「お集まりいただき、ありがとう。それでは本題に入らせてもらう」

 兄上はテーブルの上に、一つの真っ黒な封筒を置いた。

「これは昨日の夕方頃、リュドミラのヴィルヘルム国王から届いた手紙だ」

 リュドミラ。その国名を聞いて、私は無意識に背筋が伸びるのを感じた。

 我が国テルクスタとリュドミラは、共に海上貿易により発展してきた国である。そして、長年敵対してきた者同士でもあった。今でこそ目に見えた争いは行われないものの、歴史を遡れば、海上貿易の覇権を争っていた時代もあるのだ。

 特別な理由がない限り、封筒は白色というのがテルクスタの作法である。それもあり、机上に置かれた真っ黒な封筒は、酷く気味悪いものに見えたのだった。

「リュドミラでは王妃を選ぶ際、占いが用いられるらしい。その結果、当家の名が挙がったようだ」

「え……?」

「結論から言うと……ヴィルヘルム国王陛下は、テルクスタ王室の者との結婚をお望みだ。そしてこれにより、長年の敵対関係を解決に導きたいとお考えのようだ」

 兄上の一言で、みなが一斉に息を呑む音が聞こえた。

 ちらりと視線を移すと、姉上の顔色はとても悪くなっていた。その身体は、遠目で見ても分かる程に震えている。

 それもそのはず。彼女は既に、とある同盟国の王太子と恋仲にあるのだ。

 テルクスタ王室では、三年ルールというものが存在する。成人を迎えて三年を過ぎれば、政略に寄らない恋愛結婚が許されるのだ。平和な世であるため、兄と義姉はそれにより夫婦となった。当然、姉上も同様になるだろうと家族全員が考えていた。

 奇しくも、姉上は成人してから三回目の誕生日を一ヶ月後に控えていた。つまりは、現段階では政略結婚を優先せねばならないのだ。

 姉と王太子は、子どもの頃からずっと仲の良い幼なじみである。そして密かに手紙を送り合いながら、愛を育んでいたことも私は知っていた。

 そして不運なことに、兄上は優秀だが恋愛については恐ろしく疎い人である。察するに、姉上の事情もまったく知らないのだろう。

 しかし、話は意外な方向に転がっていったのだった。

「とはいえ、占いによりリュドミラ側が指名できるのは家のみで、誰を嫁に出すかは私に一任するとのことだった」

 つまりは、テルクスタ王室の血を引く者であれば、姉上以外でも良いという意味である。

 とはいえ、特別な理由が無い限りはきょうだいの中で年長者から結婚していくのが通例だ。それに、「王族は国民のために役目を果たさねばならない」というのがテルクスタ王室の家訓である。となると、兄上は姉上を指名するのは明白だ。

 だが私は、姉上には自らの幸せを選んでほしいと思い始めていた。しかし、敵国との和解という目に見えたメリットを前にして、縁談自体を断るのは難しいことだ。

 ならば、誰かが姉上の身代わりにならねばなるまい。

 姉上以外で、嫁に出せる存在。そんなの、一人しか思い浮かばなかった。

「……お兄様。そのお役目、私にお任せしてはいただけませんか?」

「レイチェル!?」

 その一言で、みんなの視線が一斉に自分に集まる。しかし、私は臆することなく続けた。

「私にもテルクスタの血は流れておりますので、相手方の提示した条件にもきっちり当てはまるでしょう? こんな私でも歓迎されて結婚できる、良い機会ではないですか」

「……本当に良いのか? レイチェル」

「ダメよ、レイチェル! そんなの……ルフィナに……貴女の母上に申し訳が立たないわ!」

 そう言ったのは、義母上だった。彼女からすれば、実の子を嫁に出さなくて済む絶好の機会だ。けれども優しい義母は、私の心配をしてくれていたのである。 

「今の情勢で、私を嫁にもらってくださる方はいらっしゃらないわ。でも今回の場合は、相手方と私で利害が一致してる。……そうでしょう?」

「……っ、それは」

「それにね。私……人生で一度は着てみたかったのよ、花嫁衣裳」

 言い募る義母上の言葉を遮るように、私は笑顔で言った。

「分かった。だったら一旦それで、話を通してみよう」

 この場のトップである兄上がそう言ってしまえば、みな黙る他ない。義母上も何か言いたげだった姉上も、口を閉ざしたのだった。

「ありがとうございます、セルゲイ兄様」

 こうして、私は思いもよらぬ形で宮殿を出ることになったのである。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【キスの意味なんて、知らない】

悠里
BL
大学生 同居中。 一緒に居ると穏やかで、幸せ。 友達だけど、何故か触れるだけのキスを何度もする。

彼女の光と声を奪った俺が出来ること

jun
恋愛
アーリアが毒を飲んだと聞かされたのは、キャリーを抱いた翌日。 キャリーを好きだったわけではない。勝手に横にいただけだ。既に処女ではないから最後に抱いてくれと言われたから抱いただけだ。 気付けば婚約は解消されて、アーリアはいなくなり、愛妾と勝手に噂されたキャリーしか残らなかった。 *1日1話、12時投稿となります。初回だけ2話投稿します。

虐げられた令嬢、ペネロペの場合

キムラましゅろう
ファンタジー
ペネロペは世に言う虐げられた令嬢だ。 幼い頃に母を亡くし、突然やってきた継母とその後生まれた異母妹にこき使われる毎日。 父は無関心。洋服は使用人と同じくお仕着せしか持っていない。 まぁ元々婚約者はいないから異母妹に横取りされる事はないけれど。 可哀想なペネロペ。でもきっといつか、彼女にもここから救い出してくれる運命の王子様が……なんて現れるわけないし、現れなくてもいいとペネロペは思っていた。何故なら彼女はちっとも困っていなかったから。 1話完結のショートショートです。 虐げられた令嬢達も裏でちゃっかり仕返しをしていて欲しい…… という願望から生まれたお話です。 ゆるゆる設定なのでゆるゆるとお読みいただければ幸いです。 R15は念のため。

可愛がってあげたい、強がりなきみを。 ~国民的イケメン俳優に出会った直後から全身全霊で溺愛されてます~

泉南佳那
恋愛
※『甘やかしてあげたい、傷ついたきみを』 のヒーロー、島内亮介の兄の話です! (亮介も登場します(*^^*)) ただ、内容は独立していますので この作品のみでもお楽しみいただけます。 ****** 橋本郁美 コンサルタント 29歳 ✖️ 榊原宗介 国民的イケメン俳優 29歳 芸能界に興味のなかった郁美の前に 突然現れた、ブレイク俳優の榊原宗介。 宗介は郁美に一目惚れをし、猛アタックを開始。 「絶対、からかわれている」 そう思っていたが郁美だったが、宗介の変わらない態度や飾らない人柄に惹かれていく。 でも、相手は人気絶頂の芸能人。 そう思って、二の足を踏む郁美だったけれど…… ****** 大人な、 でもピュアなふたりの恋の行方、 どうぞお楽しみください(*^o^*)

側妃のお仕事は終了です。

火野村志紀
恋愛
侯爵令嬢アニュエラは、王太子サディアスの正妃となった……はずだった。 だが、サディアスはミリアという令嬢を正妃にすると言い出し、アニュエラは側妃の地位を押し付けられた。 それでも構わないと思っていたのだ。サディアスが「側妃は所詮お飾りだ」と言い出すまでは。

婚約者が王子に加担してザマァ婚約破棄したので父親の騎士団長様に責任をとって結婚してもらうことにしました

山田ジギタリス
恋愛
女騎士マリーゴールドには幼馴染で姉弟のように育った婚約者のマックスが居た。  でも、彼は王子の婚約破棄劇の当事者の一人となってしまい、婚約は解消されてしまう。  そこで息子のやらかしは親の責任と婚約者の父親で騎士団長のアレックスに妻にしてくれと頼む。  長いこと男やもめで女っ気のなかったアレックスはぐいぐい来るマリーゴールドに推されっぱなしだけど、先輩騎士でもあるマリーゴールドの母親は一筋縄でいかなくて。 脳筋イノシシ娘の猪突猛進劇です、 「ザマァされるはずのヒロインに転生してしまった」 「なりすましヒロインの娘」 と同じ世界です。 このお話は小説家になろうにも投稿しています

【完結】竜人が番と出会ったのに、誰も幸せにならなかった

凛蓮月
恋愛
【感想をお寄せ頂きありがとうございました(*^^*)】  竜人のスオウと、酒場の看板娘のリーゼは仲睦まじい恋人同士だった。  竜人には一生かけて出会えるか分からないとされる番がいるが、二人は番では無かった。  だがそんな事関係無いくらいに誰から見ても愛し合う二人だったのだ。 ──ある日、スオウに番が現れるまでは。 全8話。 ※他サイトで同時公開しています。 ※カクヨム版より若干加筆修正し、ラストを変更しています。

婚約破棄が始まりの鐘でしたのよ?

水鳥楓椛
恋愛
「オリヴィア・ルクイエム辺境伯令嬢!貴様との婚約を破棄する!!貴様の能面には耐えられんし、伯爵家ごときが俺の婚約者などまっぴらだ!!」  王立学園の卒業パーティーの会場である学園の大広間の中央にて、事件は唐突に、そして着実に起こった。 「……………承知いたしましたわ、アレク殿下。  どうかお元気で。———あなたの未来に幸多からんことを」  1週間後、とある事件で国王に問い詰められたオリヴィアは微笑みを浮かべながら言った。 「婚約破棄が始まりの鐘でしたのよ?」  始まるは2人の復讐劇。  復讐の始まりはいつから………?

処理中です...