1,140 / 1,474
第4章 出発
大人達の会話
しおりを挟む
「若者達はいいねえ」
隊長席でのんびりとタバコをふかしながら、嵯峨は窓を開けて身を乗り出すようにして通用門に向かうバスを眺めていた。
「ラン。お前も行けばよかったのに。そのうち騒がしくなったら遊びにも行けなくなるぜ」
振り向いた嵯峨の一言にランはめんどくさそうに口を開く。
「確かにそうなんだけどよー……」
ランはソファーに腰掛け、隣に立っている司法警察と同規格の制服を着た女性を見やった。黒いセミロングの髪の女性は、胸の前で手を組み、立ったまま嵯峨の様子を覗っている。
「秀美さん、とりあえず腰掛けたら……」
嵯峨は窓のサッシに寄りかかりながら笑顔でそう言って見せる。
「服が汚れるから止めておくわ」
やわらかい笑顔を浮かべながら安城秀美少佐はそれを断った。
静かだが明らかに軽蔑したような彼女の視線に嵯峨が身をすくめる。司法局の正規の特殊部隊である公安部隊隊長の安城秀美はまた身を翻して子供のように窓から身を乗り出している嵯峨の様子を見守っていた。
「それより近藤資金の生データがなぜうちに来ないのか、説明して貰えるかしら?」
詰問するような調子で安城は嵯峨を見据えている。
「中佐殿。あれだけだろ?ウチで把握してる資料って……」
嵯峨はようやく執務用の椅子に戻って目の前の決済済みの書類の山をぺらぺらとめくる。彼は決して安城を見上げようとはしなかった。
「諦めろよ、隊長」
安城が東和共和国屈指のハッカー能力を持つことを知っているランのそんな一言を聞くと、嵯峨は仕方がないと言うように手元にあった紙切れに四文字のカタカナを書き付けて机の端に置いた。
「それで正面からウチのシステムに入れますよ」
それを見ると安城は歩み寄ってその紙切れを拾い上げた。安城はまるで欲しかった人形を手に入れた少女のような表情を浮かべる。嵯峨の視線か秀美に釘付けになった。
「秀美さん。今日はこんな紙切れのために来たんじゃないんでしょ?」
ランが見ていることに気がつくと、嵯峨はそう言いながら咳払いをして椅子に深く座りなおした。
「そうね。法術特捜部隊の設立に関して同盟司法機関直属の実力部隊としての総意を取り付けようと思って……その設立は早急かつ万全である必要があるということで」
ようやく穏やかな表情に戻った安城が嵯峨を見つめる。
「それなら次の司法局の幹部会にでも……」
「あら、いつもそこで居眠りばかりしている人は誰なのかしら?おかげで司法局には無駄飯食いが多いと軍や同盟幹部から突き上げを食らうのはいつだって私なのよ」
そこまで言うと参ったと言うように嵯峨は両手を頭の後ろに持ってきて苦笑いを浮かべる。
「きついなあ、秀美さんは」
嵯峨のそんな態度に安城は明らかにいらだっているように大きく見せ付けるように息を吐いた。
「パイロキネシス……いわゆる人体発火能力のように以前からのテロ行為とのハイブリッドの攻撃だけならうちでも対応可能かもしれないけど……。戦術的な意図を持って法術を使用してのテロが行える組織が存在するようならうちの手には余るわ」
ここまで言うとさすがに嵯峨も関心がある話なのでそのまま安城を見上げるようにして机の上に頬杖を付いて真剣に聞き入る。
「それにウチはにはここの神前君や嵯峨さん、そして『人類最強』のクバルカ中佐みたいな法術適性上位クラスの隊員はいないのよ。あくまで私のように軍用義体持ちのサイボーグによる急襲作戦が主体……物理攻撃以外を仕掛けてくる相手は手に余るわ」
大きくため息をつく安城を見ながら嵯峨はタバコを灰皿に押し付けて立ち上がる。
「確かに同盟機構の上層部が機動部隊であるうちと対テロ部隊の秀美さんの部隊の設立には積極的だったのは法術の公表の前の話だからね。自爆テロと爆弾テロを組み合わせてるとか、同盟加盟に難色を示す一部の軍部隊の暴走やベルルカンで動いている同盟軍の側面支援とか。そんなことしか頭に無かった偉い人には法術犯罪の専門部門を司法局に新設する必要性なんて感じてないかもしれないねえ」
諦めたように静かに呟く嵯峨。吉田も黙ってその様子を見つめている。
「つまり法術絡みになればうちはお手上げなわけよ。新設される法術特捜のフォローは嵯峨さんの所でしてもらわないと困るのよね」
そう言い切られて嵯峨は困ったような顔をして押し黙る。
「そんな顔しても無駄よ。まあこちらの領分、既存のテロ組織関連の事件ならいつでも引き受けるけど」
穏やかな口振りだが、語気は強い。ソファーに腰掛けたランが伸びをすると、困ったような目で安城を見つめる嵯峨の姿があった。いつまでも困った顔を続ける嵯峨に安城は大きくため息をつく。
「先週の同盟司法会議でも柔軟に対応すると言うことでお手伝いが出来るような体制を作るように上申しておいたの見てなかったの?まあ嵯峨さんはまた寝ていたみたいだけど」
寝ていた事実を指摘されるとさすがの嵯峨も頭を掻きながら手にしたタバコの箱を転がすことしか出来なかった。そのまま嵯峨は再びどっかりと椅子に体を預ける。
「だってさあ……頭の固いお偉いさんに具体的な事例も挙げずに戦力強化のお話なんて……結果が見えてるもの。話しをするだけ体力の無駄だと思ってたからねえ」
とぼけたような嵯峨の態度に安城は苛立つばかりだった。
嵯峨はそう言うと一枚のディスクを取り出した。
「何、これ」
安城は静かにディスクを受け取る。何の変哲も無いデータディスク。親指の爪ほどの黒い板をじっと見つめる。ランはそれが何かを知っているとでも言うようにソファーで静かにうなづいていた。
「プレゼント。という事でどう?」
嵯峨はニヤリと笑う。安城は嵯峨の言葉遣いに彼を見つめて一瞬ハッとした後、照れるようにディスクに目を移す。
「見ねーのか?隊長は」
ランは嵯峨を一瞥して不満そうにつぶやく。彼の不満そうな表情から秀美はそのディスクの内容があまり公に出来ないが重要な情報が詰まっていることを察した。
「見たよ。ランよ、うちの情報将校達もよくやってくれたねえ。でもまあ予想の範囲内ってとこか」
そう言うと嵯峨は鋭い目つきで自分をにらんでいる安城の目を気にしながらタバコに火をつけた。
「裏の取れていない近藤資金の流れの未発表資料?」
安城は軽く掻き揚げると足元のかばんを開き、バインダーを取り出して並んだ同じようなディスクと一緒にそのディスクをしまった。
「上手い事、公然組織に分散してたからね。末端までたどるのに苦労したよ」
「末端組織まで……諜報局からのデータにいくつか加筆したのか?」
見上げたランの先に、いつもの通り眠そうな嵯峨の瞳が漂っている。
「東ムスリム革命戦線、皇国の旅団、聖職者会議。まあぞろぞろとおっかないテロ組織の名前が出て来る出て来る……甲武の貴族主義非公然組織の帳簿だっていうのに遼州のテロ組織の名鑑ができるほど隅々まで金が行き届いているよ。近藤という男……甲武の参謀にしておくには惜しい男だったというところかね。この集金と分配の能力は政治家、しかも派閥の領袖だって務まるよ」
嵯峨がたとえに上げた頻繁に遼州各地でテロを行っている具体的組織名に安城の顔が真剣なものへと変わる。
「そのあたりの名前と金の流れだけならうちでも把握してるわよ。それならこれをもらう必要なんて無いわね。わざわざ手渡しってことはそれ以上のもの……何か掴んだの?」
安城の目色が変わる。
「遼帝国の米軍基地を標的にした自爆テロ。確か現役のアメリカ海軍兵士が20名程お亡くなりになった事件。ありましたよね。あれからもう三ヶ月だ。遼の警察当局もがんばっているねえ……とりあえず遼州民族派の幹部の逮捕状を請求するくらいまで来たんだ。大したもんだよ……ただねえ……」
いつものように相手を嵯峨はもったいぶってつぶやいた。安城はだまされまいとその言葉に耳を澄ます。
「奥歯に物の挟まったような言い方なんとかならないの?とりあえず何が言いたいのかしら?」
苛立つ安城に嵯峨は満面の笑顔で答えた。
「このところベルルカンが妙に静かじゃない?雨季特有のクーデターも無い。これまで毎日起きていたテロがぴたりと止んだ」
安城は嵯峨を見つめた。物悲しげな殺気を感じないその表情。だが彼女はその表情を見るとどうしても目の前の男に近づきがたい雰囲気を感じる自分がいることを知っていた。
「近藤事件以降、テロ組織が方針を転換したとでも?」
ようやく気がついたかのように安城はそう言った。
「そのあたりを頭に入れてそのデータを見ると納得が行く。非公然組織への資金供与や政界工作の為に流れていた資金だけど、俺が見ただけでもそれらに割いた数倍の金額が消えてなくなっている。まあテロ組織も資金の見通しが急にたたなくなって戸惑ってるんじゃないですかね……まあ近藤の石頭に私的流用なんて器用なことできるわけが無いからその金がどこに行ったか……」
「つまり、正体不明の資金がどこかに流出しているって言う訳?確かに甲武の公安憲兵隊が見つけた近藤中佐の公然組織名義でプールされていた資金があまりに少ないのには私も唖然としたけど……やはり『廃帝』ね」
安城はそう言って手にしたディスクを見つめた。
「いや、違うんじゃないかな……法術師を囲ってることで言えば『廃帝』ハドが一番なんだろうけど、奴にはそれほど金を必要とする組織無いはず……懐具合は甲武陸軍の機密費で十分やっていけると思うよ……それよりゲルパルト……火が入るとかなりヤバいことになるかもね」
そう言うと嵯峨は頭を掻きながら安城を見上げる。
「嵯峨さんを目の敵にしてるネオナチの残党……確かに極秘裏に機動部隊を所有している彼等には資金が必要ですものね……」
安城は静かにため息をついた。嵯峨はタバコを灰皿に押し付けてもみ消すと、次はボールペンで頭を掻き始める。
「その……ねえ。ディスクを見てもらえればわかるけど、あくまで現時点の話ですから。金は天下の回り物。つかめる範囲での新しい情報が入ったらその都度うちの若いのに連絡させてもらいますよ」
そう言うと嵯峨は立ち上がった。
「それでさあ……秀美さん。美味い蕎麦屋があってね、これから暇なら昼飯くらい……」
嵯峨の今にも揉み手でもしかねない態度の変化。安城はいつもそんな豹変する嵯峨に振り回されてきた。
「残念だけど、これから所用があるのよ。ちょっと面倒な組織の内偵……それに茜さんと約束もしてるし……」
そう言うと安城は悪戯っぽい笑みを浮かべる。嵯峨の笑みが『彼女』と言う言葉を聞くと一瞬だけ残念そうな表情に変わるのをランは見逃さなかった。
「さっき言った通りテロ組織で派手に動きそうなのは『廃帝』とネオナチ位なんだから……蕎麦を食いながら今後の方針を……それに『廃帝』がらみなら茜を交えて真剣にやらないと……」
食い下がる嵯峨だが、安城は手にしたバッグを一度開いて中身を確認すると背筋を伸ばして嵯峨を見つめる。
「また今度にしましょう。彼女ったら結構まめなのよね。父親とは大違い」
安城はそう言うと親しげな笑みを浮かべて部屋を出て行く。
「振られてやんの」
「笑うなよ中佐殿……」
振られた嵯峨を見て笑うランに情けない顔を晒す嵯峨だった。
隊長席でのんびりとタバコをふかしながら、嵯峨は窓を開けて身を乗り出すようにして通用門に向かうバスを眺めていた。
「ラン。お前も行けばよかったのに。そのうち騒がしくなったら遊びにも行けなくなるぜ」
振り向いた嵯峨の一言にランはめんどくさそうに口を開く。
「確かにそうなんだけどよー……」
ランはソファーに腰掛け、隣に立っている司法警察と同規格の制服を着た女性を見やった。黒いセミロングの髪の女性は、胸の前で手を組み、立ったまま嵯峨の様子を覗っている。
「秀美さん、とりあえず腰掛けたら……」
嵯峨は窓のサッシに寄りかかりながら笑顔でそう言って見せる。
「服が汚れるから止めておくわ」
やわらかい笑顔を浮かべながら安城秀美少佐はそれを断った。
静かだが明らかに軽蔑したような彼女の視線に嵯峨が身をすくめる。司法局の正規の特殊部隊である公安部隊隊長の安城秀美はまた身を翻して子供のように窓から身を乗り出している嵯峨の様子を見守っていた。
「それより近藤資金の生データがなぜうちに来ないのか、説明して貰えるかしら?」
詰問するような調子で安城は嵯峨を見据えている。
「中佐殿。あれだけだろ?ウチで把握してる資料って……」
嵯峨はようやく執務用の椅子に戻って目の前の決済済みの書類の山をぺらぺらとめくる。彼は決して安城を見上げようとはしなかった。
「諦めろよ、隊長」
安城が東和共和国屈指のハッカー能力を持つことを知っているランのそんな一言を聞くと、嵯峨は仕方がないと言うように手元にあった紙切れに四文字のカタカナを書き付けて机の端に置いた。
「それで正面からウチのシステムに入れますよ」
それを見ると安城は歩み寄ってその紙切れを拾い上げた。安城はまるで欲しかった人形を手に入れた少女のような表情を浮かべる。嵯峨の視線か秀美に釘付けになった。
「秀美さん。今日はこんな紙切れのために来たんじゃないんでしょ?」
ランが見ていることに気がつくと、嵯峨はそう言いながら咳払いをして椅子に深く座りなおした。
「そうね。法術特捜部隊の設立に関して同盟司法機関直属の実力部隊としての総意を取り付けようと思って……その設立は早急かつ万全である必要があるということで」
ようやく穏やかな表情に戻った安城が嵯峨を見つめる。
「それなら次の司法局の幹部会にでも……」
「あら、いつもそこで居眠りばかりしている人は誰なのかしら?おかげで司法局には無駄飯食いが多いと軍や同盟幹部から突き上げを食らうのはいつだって私なのよ」
そこまで言うと参ったと言うように嵯峨は両手を頭の後ろに持ってきて苦笑いを浮かべる。
「きついなあ、秀美さんは」
嵯峨のそんな態度に安城は明らかにいらだっているように大きく見せ付けるように息を吐いた。
「パイロキネシス……いわゆる人体発火能力のように以前からのテロ行為とのハイブリッドの攻撃だけならうちでも対応可能かもしれないけど……。戦術的な意図を持って法術を使用してのテロが行える組織が存在するようならうちの手には余るわ」
ここまで言うとさすがに嵯峨も関心がある話なのでそのまま安城を見上げるようにして机の上に頬杖を付いて真剣に聞き入る。
「それにウチはにはここの神前君や嵯峨さん、そして『人類最強』のクバルカ中佐みたいな法術適性上位クラスの隊員はいないのよ。あくまで私のように軍用義体持ちのサイボーグによる急襲作戦が主体……物理攻撃以外を仕掛けてくる相手は手に余るわ」
大きくため息をつく安城を見ながら嵯峨はタバコを灰皿に押し付けて立ち上がる。
「確かに同盟機構の上層部が機動部隊であるうちと対テロ部隊の秀美さんの部隊の設立には積極的だったのは法術の公表の前の話だからね。自爆テロと爆弾テロを組み合わせてるとか、同盟加盟に難色を示す一部の軍部隊の暴走やベルルカンで動いている同盟軍の側面支援とか。そんなことしか頭に無かった偉い人には法術犯罪の専門部門を司法局に新設する必要性なんて感じてないかもしれないねえ」
諦めたように静かに呟く嵯峨。吉田も黙ってその様子を見つめている。
「つまり法術絡みになればうちはお手上げなわけよ。新設される法術特捜のフォローは嵯峨さんの所でしてもらわないと困るのよね」
そう言い切られて嵯峨は困ったような顔をして押し黙る。
「そんな顔しても無駄よ。まあこちらの領分、既存のテロ組織関連の事件ならいつでも引き受けるけど」
穏やかな口振りだが、語気は強い。ソファーに腰掛けたランが伸びをすると、困ったような目で安城を見つめる嵯峨の姿があった。いつまでも困った顔を続ける嵯峨に安城は大きくため息をつく。
「先週の同盟司法会議でも柔軟に対応すると言うことでお手伝いが出来るような体制を作るように上申しておいたの見てなかったの?まあ嵯峨さんはまた寝ていたみたいだけど」
寝ていた事実を指摘されるとさすがの嵯峨も頭を掻きながら手にしたタバコの箱を転がすことしか出来なかった。そのまま嵯峨は再びどっかりと椅子に体を預ける。
「だってさあ……頭の固いお偉いさんに具体的な事例も挙げずに戦力強化のお話なんて……結果が見えてるもの。話しをするだけ体力の無駄だと思ってたからねえ」
とぼけたような嵯峨の態度に安城は苛立つばかりだった。
嵯峨はそう言うと一枚のディスクを取り出した。
「何、これ」
安城は静かにディスクを受け取る。何の変哲も無いデータディスク。親指の爪ほどの黒い板をじっと見つめる。ランはそれが何かを知っているとでも言うようにソファーで静かにうなづいていた。
「プレゼント。という事でどう?」
嵯峨はニヤリと笑う。安城は嵯峨の言葉遣いに彼を見つめて一瞬ハッとした後、照れるようにディスクに目を移す。
「見ねーのか?隊長は」
ランは嵯峨を一瞥して不満そうにつぶやく。彼の不満そうな表情から秀美はそのディスクの内容があまり公に出来ないが重要な情報が詰まっていることを察した。
「見たよ。ランよ、うちの情報将校達もよくやってくれたねえ。でもまあ予想の範囲内ってとこか」
そう言うと嵯峨は鋭い目つきで自分をにらんでいる安城の目を気にしながらタバコに火をつけた。
「裏の取れていない近藤資金の流れの未発表資料?」
安城は軽く掻き揚げると足元のかばんを開き、バインダーを取り出して並んだ同じようなディスクと一緒にそのディスクをしまった。
「上手い事、公然組織に分散してたからね。末端までたどるのに苦労したよ」
「末端組織まで……諜報局からのデータにいくつか加筆したのか?」
見上げたランの先に、いつもの通り眠そうな嵯峨の瞳が漂っている。
「東ムスリム革命戦線、皇国の旅団、聖職者会議。まあぞろぞろとおっかないテロ組織の名前が出て来る出て来る……甲武の貴族主義非公然組織の帳簿だっていうのに遼州のテロ組織の名鑑ができるほど隅々まで金が行き届いているよ。近藤という男……甲武の参謀にしておくには惜しい男だったというところかね。この集金と分配の能力は政治家、しかも派閥の領袖だって務まるよ」
嵯峨がたとえに上げた頻繁に遼州各地でテロを行っている具体的組織名に安城の顔が真剣なものへと変わる。
「そのあたりの名前と金の流れだけならうちでも把握してるわよ。それならこれをもらう必要なんて無いわね。わざわざ手渡しってことはそれ以上のもの……何か掴んだの?」
安城の目色が変わる。
「遼帝国の米軍基地を標的にした自爆テロ。確か現役のアメリカ海軍兵士が20名程お亡くなりになった事件。ありましたよね。あれからもう三ヶ月だ。遼の警察当局もがんばっているねえ……とりあえず遼州民族派の幹部の逮捕状を請求するくらいまで来たんだ。大したもんだよ……ただねえ……」
いつものように相手を嵯峨はもったいぶってつぶやいた。安城はだまされまいとその言葉に耳を澄ます。
「奥歯に物の挟まったような言い方なんとかならないの?とりあえず何が言いたいのかしら?」
苛立つ安城に嵯峨は満面の笑顔で答えた。
「このところベルルカンが妙に静かじゃない?雨季特有のクーデターも無い。これまで毎日起きていたテロがぴたりと止んだ」
安城は嵯峨を見つめた。物悲しげな殺気を感じないその表情。だが彼女はその表情を見るとどうしても目の前の男に近づきがたい雰囲気を感じる自分がいることを知っていた。
「近藤事件以降、テロ組織が方針を転換したとでも?」
ようやく気がついたかのように安城はそう言った。
「そのあたりを頭に入れてそのデータを見ると納得が行く。非公然組織への資金供与や政界工作の為に流れていた資金だけど、俺が見ただけでもそれらに割いた数倍の金額が消えてなくなっている。まあテロ組織も資金の見通しが急にたたなくなって戸惑ってるんじゃないですかね……まあ近藤の石頭に私的流用なんて器用なことできるわけが無いからその金がどこに行ったか……」
「つまり、正体不明の資金がどこかに流出しているって言う訳?確かに甲武の公安憲兵隊が見つけた近藤中佐の公然組織名義でプールされていた資金があまりに少ないのには私も唖然としたけど……やはり『廃帝』ね」
安城はそう言って手にしたディスクを見つめた。
「いや、違うんじゃないかな……法術師を囲ってることで言えば『廃帝』ハドが一番なんだろうけど、奴にはそれほど金を必要とする組織無いはず……懐具合は甲武陸軍の機密費で十分やっていけると思うよ……それよりゲルパルト……火が入るとかなりヤバいことになるかもね」
そう言うと嵯峨は頭を掻きながら安城を見上げる。
「嵯峨さんを目の敵にしてるネオナチの残党……確かに極秘裏に機動部隊を所有している彼等には資金が必要ですものね……」
安城は静かにため息をついた。嵯峨はタバコを灰皿に押し付けてもみ消すと、次はボールペンで頭を掻き始める。
「その……ねえ。ディスクを見てもらえればわかるけど、あくまで現時点の話ですから。金は天下の回り物。つかめる範囲での新しい情報が入ったらその都度うちの若いのに連絡させてもらいますよ」
そう言うと嵯峨は立ち上がった。
「それでさあ……秀美さん。美味い蕎麦屋があってね、これから暇なら昼飯くらい……」
嵯峨の今にも揉み手でもしかねない態度の変化。安城はいつもそんな豹変する嵯峨に振り回されてきた。
「残念だけど、これから所用があるのよ。ちょっと面倒な組織の内偵……それに茜さんと約束もしてるし……」
そう言うと安城は悪戯っぽい笑みを浮かべる。嵯峨の笑みが『彼女』と言う言葉を聞くと一瞬だけ残念そうな表情に変わるのをランは見逃さなかった。
「さっき言った通りテロ組織で派手に動きそうなのは『廃帝』とネオナチ位なんだから……蕎麦を食いながら今後の方針を……それに『廃帝』がらみなら茜を交えて真剣にやらないと……」
食い下がる嵯峨だが、安城は手にしたバッグを一度開いて中身を確認すると背筋を伸ばして嵯峨を見つめる。
「また今度にしましょう。彼女ったら結構まめなのよね。父親とは大違い」
安城はそう言うと親しげな笑みを浮かべて部屋を出て行く。
「振られてやんの」
「笑うなよ中佐殿……」
振られた嵯峨を見て笑うランに情けない顔を晒す嵯峨だった。
0
お気に入りに追加
57
あなたにおすすめの小説
法術装甲隊ダグフェロン 永遠に続く世紀末の国で 『修羅の国』での死闘
橋本 直
SF
その文明は出会うべきではなかった
その人との出会いは歓迎すべきものではなかった
これは悲しい『出会い』の物語
『特殊な部隊』と出会うことで青年にはある『宿命』がせおわされることになる
法術装甲隊ダグフェロン 第三部
遼州人の青年『神前誠(しんぜんまこと)』は法術の新たな可能性を追求する司法局の要請により『05式広域制圧砲』と言う新兵器の実験に駆り出される。その兵器は法術の特性を生かして敵を殺傷せずにその意識を奪うと言う兵器で、対ゲリラ戦等の『特殊な部隊』と呼ばれる司法局実働部隊に適した兵器だった。
一方、遼州系第二惑星の大国『甲武』では、国家の意思決定最高機関『殿上会』が開かれようとしていた。それに出席するために殿上貴族である『特殊な部隊』の部隊長、嵯峨惟基は甲武へと向かった。
その間隙を縫ったかのように『修羅の国』と呼ばれる紛争の巣窟、ベルルカン大陸のバルキスタン共和国で行われる予定だった選挙合意を反政府勢力が破棄し機動兵器を使った大規模攻勢に打って出て停戦合意が破綻したとの報が『特殊な部隊』に届く。
この停戦合意の破棄を理由に甲武とアメリカは合同で介入を企てようとしていた。その阻止のため、神前誠以下『特殊な部隊』の面々は輸送機でバルキスタン共和国へ向かった。切り札は『05式広域鎮圧砲』とそれを操る誠。『特殊な部隊』の制式シュツルム・パンツァー05式の機動性の無さが作戦を難しいものに変える。
そんな時間との戦いの中、『特殊な部隊』を見守る影があった。
『廃帝ハド』、『ビッグブラザー』、そしてネオナチ。
誠は反政府勢力の攻勢を『05式広域鎮圧砲』を使用して止めることが出来るのか?それとも……。
SFお仕事ギャグロマン小説。
三歳で婚約破棄された貧乏伯爵家の三男坊そのショックで現世の記憶が蘇る
マメシバ
ファンタジー
貧乏伯爵家の三男坊のアラン令息
三歳で婚約破棄され
そのショックで前世の記憶が蘇る
前世でも貧乏だったのなんの問題なし
なによりも魔法の世界
ワクワクが止まらない三歳児の
波瀾万丈
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
忘却の艦隊
KeyBow
SF
新設された超弩級砲艦を旗艦とし新造艦と老朽艦の入れ替え任務に就いていたが、駐留基地に入るには数が多く、月の1つにて物資と人員の入れ替えを行っていた。
大型輸送艦は工作艦を兼ねた。
総勢250艦の航宙艦は退役艦が110艦、入れ替え用が同数。
残り30艦は増強に伴い新規配備される艦だった。
輸送任務の最先任士官は大佐。
新造砲艦の設計にも関わり、旗艦の引き渡しのついでに他の艦の指揮も執り行っていた。
本来艦隊の指揮は少将以上だが、輸送任務の為、設計に関わった大佐が任命された。
他に星系防衛の指揮官として少将と、退役間近の大将とその副官や副長が視察の為便乗していた。
公安に近い監査だった。
しかし、この2名とその側近はこの艦隊及び駐留艦隊の指揮系統から外れている。
そんな人員の載せ替えが半分ほど行われた時に中緊急警報が鳴り、ライナン星系第3惑星より緊急の救援要請が入る。
機転を利かせ砲艦で敵の大半を仕留めるも、苦し紛れに敵は主系列星を人口ブラックホールにしてしまった。
完全にブラックホールに成長し、その重力から逃れられないようになるまで数分しか猶予が無かった。
意図しない戦闘の影響から士気はだだ下がり。そのブラックホールから逃れる為、禁止されている重力ジャンプを敢行する。
恒星から近い距離では禁止されているし、システム的にも不可だった。
なんとか制限内に解除し、重力ジャンプを敢行した。
しかし、禁止されているその理由通りの状況に陥った。
艦隊ごとセットした座標からズレ、恒星から数光年離れた所にジャンプし【ワープのような架空の移動方法】、再び重力ジャンプ可能な所まで移動するのに33年程掛かる。
そんな中忘れ去られた艦隊が33年の月日の後、本星へと帰還を目指す。
果たして彼らは帰還できるのか?
帰還出来たとして彼らに待ち受ける運命は?
【完結】そして、誰もいなくなった
杜野秋人
ファンタジー
「そなたは私の妻として、侯爵夫人として相応しくない!よって婚約を破棄する!」
愛する令嬢を傍らに声高にそう叫ぶ婚約者イグナシオに伯爵家令嬢セリアは誤解だと訴えるが、イグナシオは聞く耳を持たない。それどころか明らかに犯してもいない罪を挙げられ糾弾され、彼女は思わず彼に手を伸ばして取り縋ろうとした。
「触るな!」
だがその手をイグナシオは大きく振り払った。振り払われよろめいたセリアは、受け身も取れないまま仰向けに倒れ、頭を打って昏倒した。
「突き飛ばしたぞ」
「彼が手を上げた」
「誰か衛兵を呼べ!」
騒然となるパーティー会場。すぐさま会場警護の騎士たちに取り囲まれ、彼は「違うんだ、話を聞いてくれ!」と叫びながら愛人の令嬢とともに連行されていった。
そして倒れたセリアもすぐさま人が集められ運び出されていった。
そして誰もいなくなった。
彼女と彼と愛人と、果たして誰が悪かったのか。
これはとある悲しい、婚約破棄の物語である。
◆小説家になろう様でも公開しています。話数の関係上あちらの方が進みが早いです。
3/27、なろう版完結。あちらは全8話です。
3/30、小説家になろうヒューマンドラマランキング日間1位になりました!
4/1、完結しました。全14話。
【完結】兄の事を皆が期待していたので僕は離れます
まりぃべる
ファンタジー
一つ年上の兄は、国の為にと言われて意気揚々と村を離れた。お伽話にある、奇跡の聖人だと幼き頃より誰からも言われていた為、それは必然だと。
貧しい村で育った弟は、小さな頃より家の事を兄の分までせねばならず、兄は素晴らしい人物で対して自分は凡人であると思い込まされ、自分は必要ないのだからと弟は村を離れる事にした。
そんな弟が、自分を必要としてくれる人に会い、幸せを掴むお話。
☆まりぃべるの世界観です。緩い設定で、現実世界とは違う部分も多々ありますがそこをあえて楽しんでいただけると幸いです。
☆現実世界にも同じような名前、地名、言葉などがありますが、関係ありません。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる