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第44章 遅い青春

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 第三艦隊旗艦『播磨』の明かりの消えた食堂。三人の男がテーブルを囲んでいた。

「明日からは飲めないからな……」 

 別所晋一はそう言うと一升瓶を持ち上げてその瓶を覆う白い包装紙を静かに引き裂いた。

「生一本か……楽しみやな」 

 そう言ったのは三人の中でも群を抜いた巨漢の明石清海。そしてその手に湯飲みを手渡しながら小柄な魚住雅吉がニヤニヤと笑っている。

「笑いを浮かべるとは余裕だな。安東さんはでっかい壁だぞ」 

 別所はそのまま湯飲みを差し出してきた魚住に酒を注いだ。

「そりゃあそうだが、出会うとは限らないだろ?ムカデのエンブレムを見たらとりあえずお前等に任せるよ」 

 そう言うと魚住は乾杯もせずに酒をすする。

「そないに急がんでも……それにええのんか?ワシがその手柄いただきたいんやけど」 

 独特のアクセントでそのグローブのような大きな手で湯飲みを握れば明石はまるで猪口でちびちびと酒を飲んでいるようにも見えた。

「二人とも単純だな」 

 別所はそのまま自分の湯飲みに酒を注ぐと一口舐める。そして目の前にあるラッキョウの漬物を手に取ると口の中に放り込んだ。

「単純やて……そやな。安東はんの生徒達。あいつ等の塗装も恐らくムカデの絵が描かれることになるんちゃうかなあ」 

「何でそんなことをするんだ?」 

 いまいち事情が分からず魚住が二人を見つめる。別所は大きくため息をついて心を静めるために酒を口に含んだ。

「安東大佐の機体の色を知らないパイロットはこの艦隊にはいないだろ?もしパイロットが別人でもあの派手なムカデの文様を見れば安東大佐の機体だと思ってこっちは混乱する。昔から良くある手だよ」 

「ああ、それくらいのことはしてくるだろうからな」 

 納得がいったというように頷くと魚住は静かに酒を飲み始めた。

「しかし皮肉なもんだな……」 

 すでに一杯飲みきった別所が一升瓶に手を伸ばす。甘みと粘り気のある大吟醸酒がそっけない湯飲みに注がれるのは少しばかり残念に思う明石だが、今の時点でそんなことを口に出す気はさらさらなかった。

「戦争で人生がおかしなってしもたワシ等が戦争で主張を通す。矛盾と言うたらええのんか……」 

「矛盾だろ。まあ世の中そんなもんさ」

 軽くそう言うと魚住は別所の置いた酒瓶を手にして自分の湯飲みに酒を注ぐ。

「まあ矛盾は矛盾だが、それでも俺達は部下の連中に前の大戦の狂気を味合わせたくないのが本音だからな」 

 別所の言葉に明石と魚住は大きく頷いた。

「ワシ等で終わりにしようや。こんなおかしな世の中は」 

 そう言うと明石は一息で残った酒を喉に流し込む。

「なんだよ、タコ。もう少し味わえよ」 

 魚住が苦々しそうな表情で明石の置いた湯飲みに酒を注いでいた。明石は頷きながら別所を見てみた。別所はのんびりとラッキョウをつまんでいた。そして視線が自分に集まっているのに気づくと仕方が無いと言うように酒を飲んだ。

「結局俺達はこう言う世代なんだな。清原さんの所でも同じような境遇の面々が酒でも飲んでいるだろうな」 

「そうだな。損ばかりしていた世代と言われても仕方がねえや。あの時は鉄砲玉扱い。今度は中間管理職の悲哀だ。気が休まったことなんてまるでないしな……損ばかりだ」 

 別所と魚住の言葉に明石は頷いていた。彼等以外誰もいない食堂。たぶんこれからは戦時用の食料の配給が行なわれるばかりで料理と呼べるものが食べられなくなるのは分かっている。機能を失うだろう食堂を眺めてみると明石も戦線が近いことを感じた。

「まあ、今日は飲もう。明日からは本当の戦争だ」 

 別所はそう言うと空になった湯飲みにたっぷりと酒を注いだ。
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